◎ガイアス対バアルゼブブ
三人称視点です。
自らの足をフォレストスライムの半液体状のものへと変え、その半液体状の足の中で力を溜めて解放するバアルゼブブ。予備動作も無しにガイアスへと襲い掛かった。
ガイアスまでの距離およそ20メルト。まるで瞬間移動したかの様な速度で、ガイアスの目前へとバアルゼブブは移動していた。
「くっ!? 嘘でしょ! 予備動作も無しにどうして動けるのよ!?」
だがガイアスは、いや、さすがガイアスと言った方が良いだろう。
かつての英雄候補であり、現神金級ランクの冒険者でありルウファの眷属でもあるガイアスは、その並外れた反射神経によってバアルゼブブの初撃を回避する。
しかし、それでもギリギリ回避出来たに過ぎない。それ程にバアルゼブブの攻撃速度は速かった。
「ほう、今のを避けるか。だが、俺の速度はこんなものじゃない。まぁいい……次は力を試すとしよう。ふん!!」
ガイアスに初撃は躱されたバアルゼブブだが、所詮は力試しだと、次の攻撃へと移る。それもまた、やはり予備動作は無いままにガイアスへと飛び掛る。
しかし今度は先程とは違い、バアルゼブブはその手を握り締めて拳を作っている。つまり殴り掛かってきたのだ。
先程のは言うなればただの体当たり。ここからが戦いの本番とばかりの意思表示であった。
対するガイアスはと言うと、人間の姿のままでは勝てないと悟り、人狼形態へと変身し始めていた。
何故人狼形態を選んだかと聞かれれば、ガイアスはこう答えるだろう。人狼形態ならば最もバランスが良いからだ、と。
速度ならば当然狼形態である。しかし逃げるならまだしも、速度だけでは間違いなくバアルゼブブには勝てないだろう。
ならば、力と速度を兼ね備えた人狼形態しかガイアスに選択肢は無い。
『本当……マイキーにこの装備を造ってもらって正解だったわね……!』
人狼の姿に変身を遂げたガイアスは、ガウガウと言いながらバアルゼブブの拳を腕を交差させて受け止める。ボクシングで言う所の、いわゆるクロスガードというやつだ。
「ほう……! なるほど、狼人間にもなれるのか。しかも真紅の体毛とは美しいものだな」
自らの身長よりも大きくなった人狼形態のガイアスに対して、バアルゼブブは珍しいものを見たとでもいう感じで語り掛ける。その表情は、あくまでも余裕そのものといった所だ。
更にバアルゼブブは続ける。
「料理とは味ばかりではなく、その見た目も重要であると俺は知っている。その点に関して、お前は正に至高の料理と言えよう。……ここからはお前を喰らう為の力を見せよう──! 《暴食の巨腕》!」
ガイアスを料理に例えるバアルゼブブはさすが暴食の魔王と言えるだろう。
それはともかく、ガイアスに突き付けていた拳をバアルゼブブはスライム状へと変え、そして巨大化させる。そのままガイアスを取り込み喰らおうとしているのだ。
『な、何!? スライムになったの!? と言うか、このままだと拙い……!』
バアルゼブブの腕がスライム状に変化し巨大化する様を見て、ガイアスはその危険度を本能で察知する。
もしもこのまま取り込まれてしまえば、いくらルウファの眷属としての力を得ようと逃れられないと感じたのだ。ガイアスは全力で後ろへと飛び退いた。
しかしガイアスが飛び退いた先には、テンペストドラゴンの巨大な骸が鎮座している。ガイアスはその巨大な頭骨に背中を遮られてしまう。
『くっ!?』
そんなガイアスに迫るバアルゼブブの巨腕。
それでもさすがはガイアス、即座に横へと飛び難を逃れる。
「ふむ。目的とは違うがこれもまた美味よ……!」
『う、嘘でしょ!? 人間や魔物、それに森の木々を喰うのは分かってたけど、まさかこんな骨まで喰えるの!?』
バアルゼブブの巨腕はガイアスからは外れたが、何とテンペストドラゴンの頭骨を取り込み、そのまま吸収してしまったのだ。
これにはガイアスも驚く。いや、ここにルウファが居たのであれば、ルウファでさえも驚いた事であろう。
さすがのルウファでさえも、余程の小さな魔物じゃなければ骨までは喰わなかったのだから。
「なるほど……! テンペストドラゴンのゲイルというのか、この骨の持ち主は。それにこのマナ……これで俺はアイツに勝てる力を得る事が出来ただろう。そしてお前を喰らえば、アイツにもより確実に勝てる……! ふははは、この世界は俺の食卓となるのだ!」
テンペストドラゴンの頭骨を吸収したバアルゼブブは確信を得た様にそう宣う。それ程の力をテンペストドラゴンの頭骨から得たのであろう。
『何がこの世界は俺の食卓よ!? あたしの肉はあんたになんか渡さないんだから! だからあんたにはこれを喰らわしてやるわ……! 《フレイムトルネード》!』
テンペストドラゴンを吸収し悦に入っているバアルゼブブへと、ガイアスはガウガウ叫びながら魔法を唱える。
ガイアスが唱える魔法の《フレイムトルネード》は、ルウファには内緒で練習していた強大な魔法である。
それは正に火災旋風──炎が竜巻を呼び、竜巻が炎を育てる凶悪な魔法であった。
この魔法はガイアスの大半のマナを使用する為、万が一の時以外は唱えないつもりであったガイアスだが、目の前の相手──バアルゼブブをこのまま放置してはいけないと悟り、そして全力で放ったのだ。
自分の狩りの獲物であるトロル達をあたしの肉と言う辺りは軽い性格のガイアスだから仕方ない事であろう。
ともあれ、炎の竜巻がバアルゼブブへと迫る。
「これが魔法というものか……! 凄いものだな、魔法と言うのは。どれ、俺もたった今魔法を覚えた所だ。お前の魔法と力比べをしてみるとしよう。──《凶嵐》!」
炎の竜巻を前に、バアルゼブブは落ち着いた様子でそう語り、覚えたばかりと言う魔法を唱える。彼も人間では無い為、呪文などを唱えずに魔法を発動した。
その魔法は、かつての暴風竜であるテンペストドラゴンが天災として恐れられた力そのものであった。
バアルゼブブの放った魔法はガイアスの炎の竜巻を容易く飲み込み、更に巨大化しつつドラゴン平原から北に向けて進んでいく。
風だけで構成されるとは言え、バアルゼブブの放ったその魔法の威力はとんでもなく凄まじい。範囲内にある木々は地面の土ごと天空高くまで巻き上げられ、更に強烈な風圧によって粉々に粉砕されていく。その力は、正しく天災と呼ぶべきものであった。
炎の竜巻によってバアルゼブブを倒せるものと思っていたガイアスは、バアルゼブブが放った魔法に度肝を抜かれる。
何故ならば、その力はガイアスがラディアス王国の守護軍を退役する切っ掛けとなった、恐るべきテンペストドラゴンの力そのものであったからだ。
その時の恐怖が甦り、わなわなと体の芯から震え出すガイアス。あまりの恐怖に、ガイアスは知らずに失禁している。自らの下半身が汚れた事さえ気付けない程、ガイアスは戦意を喪失していた。
そして、自分一人の力では勝てないと恐怖によって確信し、すぐさま逃げる為に狼形態へと変身する。
バアルゼブブの魔法がガイアスの炎の竜巻を飲み込み消し去ろうとしている隙に、ガイアスは全速力で森の出口を目指してルウファが《雷嵐》で造った道を逃げていく。
『あんなの、例えルウだって勝てるはずない……! リックに言って、ラディアス王国の全守護軍を動員しても勝てるかどうか……。ううん、全ての冒険者を含めてならきっと何とかなるはずよ……! それにはとにかく逃げなきゃ!』
そう呟き走るガイアスの真紅色が美しい尻尾は、負け犬の様に股の間に挟まれていた。いや、事実負け犬だろう。何せ、手も足も出ずに逃げ出したのだから。
逃げ出すガイアスをよそに、一方のバアルゼブブは自らの魔法の威力を目にして興奮していた。
「ふははは、これは凄いぞ! この力さえあれば正に敵無し……! この世界の美食は全て俺の物だ!」
ガイアスが逃げた事など、彼の頭の中では既にどうでもいいのだろう。それ程に自らの魔法の威力に興奮していたし、これから訪れる彼にとっての美食の祭典に心が踊っていたのだから。
「アイツらがセイル村という村の全てを喰らったお陰で俺の力もますます増した。いよいよ人間共の国を喰らい尽くす力を得たのだ。ふふふ、楽しみだなぁ……悲鳴を聞きながら喰らう食事が!」
そう独り言ちるバアルゼブブの顔は正に暴食の魔王に相応しく、邪悪な狂気に満ちていた。
☆☆☆
マナ切れを起こしながらも翌日、何とか自らの家まで逃げ帰ってくる事が出来たガイアス。空を見れば茜色に染まっており、時刻は既に夕暮れを迎えている。
「あ、母様! もう、また母様はそんな格好で狼形態に変身して! 服や装備品を付けたままの狼形態の姿を人に見られたら大変な事になるってあれ程言ったのに……」
一日を掛けて走り続けて息も絶え絶えに帰ってきたガイアスは、愛する娘であり、眷属の宗主であるルウファの声を聞き驚いて飛び跳ねてしまう。尻尾は未だに股の間に挟まれたままだ。
「……? どうしたの母様? 僕、別に驚かしてないよね?」
ガイアスの様子を怪訝に思うルウファ。
しかしルウファはある事に気付く。そう言えば昨日に引き続き、今日も下水路の掃除の依頼で下水路の汚水を全身に浴びたんだっけ、と。
二日続けて汚水を浴びてしまったルウファのドジっぷりには空いた口も塞がらないが、それはともかく、匂いに敏感なガイアスが狼形態で更に匂いに鋭くなっているのだ、お風呂を借りて綺麗に洗ったけれどやっぱり臭かったのかと思い至り、それがガイアスを驚かせてしまった理由だとルウファは考えた。
「ごめんなさい、母様……。やっぱりまだ臭いよね。すぐにお風呂を用意して入るから、それまでは少し我慢してね……」
肩を落とし、ルウファはガイアスにそう言った。もしかしたらガイアスから尻叩きをされてしまうかもしれないと、ルウファは落胆してしまったのだ。完全にルウファの勘違いであるが、ルウファのトラウマとなっている以上それがルウファに重くのしかかるのは仕方ないだろう。
「がうわう、わぅおーん! (違うの、そうじゃないの!)」
ガイアスは自らの姿が狼形態だと忘れてルウファに言う。それ程までにバアルゼブブに恐怖し、そして気が動転していた。
「母様? 狼のまま喋っても通じないよ?」
ルウファに言われ、そこで初めてその事にガイアスは気付いた。確かにルウファを見上げるという事は、ガイアスの人間の姿では可笑しな事である。
そこでガイアスはようやく人間の姿へと戻る。そして、バアルゼブブについての事をルウファへと話した。
その頃にはガイアスも随分と落ち着き、事の詳細を順を追って詳しくルウファに説明する事が出来ていた。
「そ、それ程まで強かったんだ、あいつ……! 分かったよ、母様! 依頼を受けるにしてもセイル村へ手紙を届ける依頼か、下水路の掃除依頼を受ける事にするよ。……下水路の掃除は汚水を被っちゃうから嫌だけど……」
「うん、その方が良いわ。母さんも出来るだけ早く守護軍に来てもらう様にするから……! 王国守護軍が総出で当たれば、例えあの男が如何に強くても間違いなく倒せるわ! あ、ルウが汚れたなら母さんが綺麗にするから大丈夫よ? もう隅々まで洗ってあげるんだから安心してね?」
全てを話し終え、その対処法を伝え終わったガイアスは、ルウファとの話をそう締め括った。
愛する娘との会話はガイアスの精神安定剤となったのか、それとも眷属の宗主であり神の名を冠する神狼であるからなのかは分からないが、それでもガイアスの表情には力強さが戻っていた。
ともあれ、こうしてバアルゼブブの名はラディアス王国中に知れ渡る事となる。
その結果がどうなるのかは、例え神の名を冠する神狼のルウファでも知る由もないであろう……
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