生きて……る?
『うわぁああああああああッッ!!』
僕の体は風に煽られ、数百メートルの高さから真っ逆さまに地上へと落ちていく。フサフサの尻尾は股の間に挟まれ、迫る死の恐怖におしっこはダダ漏れだ。
生まれてからまだ数日。まさかこんなに早く死ぬとは思わなかった。
まだ見ぬ母さん、そして父さん。先立つ不幸をお許し下さい。
こんな事を考えられるなんて、意外と余裕があるのかな? もしかすると、これが危機的状況になると一秒が一時間にも感じられるってアレかもしれない。
だけどそれは、死の恐怖を長い間感じる事になるのでありがた迷惑な感じがする。死ぬならば痛みや恐怖を感じる事なく死んでいきたい。
体重が軽いなら、フワッて浮いて欲しいなぁ……。
そんな事を考えても現実は無慈悲。瞬く間に地面が近付いてくる。
重力が無ければいいのに。そうすれば地面に激突してもきっと大丈夫だと思う。いや、むしろ、地面に激突しないで済むよね。そんな、とりとめもない考えばかりが頭に浮かんでくる。
このまま地面に激突すれば確実に死ぬ。だけど、少しくらいは生きる為の悪足掻きをしてみよう。諦めたらそこで試合終了だよね。
頭を振り、体を捩り、なんとか頭から地面に激突する事を回避しようと藻掻く。──なんとか、足から地面に激突する体勢が出来た。
更に悪足掻きをしてみる。空中で走る様に四つ足を動かし、樹木の上に移動しようと必死に足掻いた。なんとなくだけど、僅かに樹木の方へ移動した気がする。
いよいよ地面が目前に迫ってきた。正直言って凄く怖い。全て出切った筈なのに、まだおしっこが出てる感じがする。
地面に激突する瞬間を想像して、全身に力が入り体が強ばっていた。
重力を操れれば。
フッ──ッ!
重力を操れればと思った瞬間、僅かに落下速度が落ちた気がした。
だけど、そんな筈は無い。魔法じゃあるまいし、きっと気のせいだよね。
諦めにも似た感情が浮かんでくるけど、四つ足を必死に動かした悪足掻きの甲斐もあってか、僕の体は樹木に一度だけ当たり、幾分かの落下速度を抑える事に成功する。──が、結局……数百メートルの高さからの落下速度は伊達ではなく、次の瞬間には僕の体は勢いよく地面へと激突していた。
メキバキグシャ──
前足から始まり、後ろ足も、地面に激突した瞬間から骨が砕けて潰れていく。それと同時に、脳内麻薬が分泌している筈なのに言葉に出来ない激痛が全身を走った。
僕の意識は──そこで途切れた。
☆☆☆
なんだかフワフワする。それに、お風呂に入ってるみたいにポカポカと温かく感じる。気分は極楽だ。例えるならば、母さんの胎内に抱かれているみたいだ。尻尾も自然と揺れている事だろう。
しかし……やっぱりあのまま地面に激突して僕は死んだのだろうか。
温かくて気持ち良い今の感じからして、もしかしたら天国に居るのかもしれない。そう意識すれば、閉じた瞼越しでも柔らかな神々しい光を感じられる。
『すっごく痛かったけど、すぐに天国に来れたんだからまだマシだね。天国だけあって心が落ち着くよ。あぁ……気持ち良いから、次の生まれ変わりまでこのまま眠っていよう』
そんな言葉が思わず口をついて出てくる。それ程に心地好いし落ち着く。
しかし、一つの疑問が生まれた。死んだのならば、なぜ僕の意識は有るのだろうか、と。
ここが天国ならば意識があっても可笑しくはないけど、それは有り得ない。何故ならば、前世での最期の瞬間の記憶を僕は覚えていないからだ。覚えていないと言うよりは、前世での意識を失った瞬間に母さんの胎内で目覚めた感じだ。つまり、天国などの死後の世界を認識する事が出来なかったのだ。
という事は……僕はまだ生きてる……?
もしかしたら、再び転生したのかもしれない。
生まれ変わりがあるならば、二度目や三度目、四度目だってあるかもしれない。
それならば、先ずは確認してみよう。目を開ければ分かるはずだ。目を開ける事でこの心地好さが失われるかもしれないけど、確認は大事だ。
瞼越しに感じる柔らかな光を確認する様に、僕は少しだけ目を開けてみた。
『母さん……?』
不思議な光景が目に映った。そんな事ってあるだろうか?
僕の体を包み込む様に、大きな犬のシルエットをした淡く柔らかな光が見えたんだ。
ポワポワとして暖かくて、さっき言ったみたいに、本当に母さんの胎内に抱かれてるみたいだ。
すごく安心する。母さんに抱かれてるなら、やっぱりまだ寝ててもいいよね。
僕の意識は再び、微睡みの彼方へと向かっていった。
☆☆☆
『あれ? ここは……? 天国は夢だったのかな?』
目が覚めると体には異変が無く、落下によって砕けた足の骨や体、その他諸々、どこにも異常は無く五体満足そのものだった。母さんに抱かれる夢を見た気がするけど、きっと気のせいだろう。その場で辺りを見回すと、僕がぶつかったと思われる樹木の姿も確認出来た。
『もしかして、体重の軽い動物が高所から落ちても無事にいられるっていうアレかも……』
その場で上を見上げてみる。すぐ近くに聳える岩山の数百メートル上の岩壁には、確かに巣穴としていた洞穴が微かに見えていて、僕はそこから落ちたという事は明らかだった。飛び下りようとしていた岩の出っ張りもあるから間違いないだろう。落下した事はやっぱり夢ではなかったみたいだ。
しかし、本当に奇跡だったと思う。あんな高さから落ちたのだから、奇跡が起こらなければ僕は間違いなく死んでいただろう。樹木のクッションも僕が助かった事の要因だとは思うけど。
ともかく、僕は助かった。
前世でのテレビで観た事があるけど、リスなどの小動物は数百メートルの高さから落ちても体が小さく体重が軽い為、無傷で着地する事が出来るらしい。
つまり僕にもそれが適応されたという事だろう。むしろ、それしか僕が助かった理由は考えられないと思う。
『九死に一生を得たって事だよね。それは良かったと思うけど、お腹を満たさないと結局死ぬ事には変わりないんだから、どの草が食べられるのかを確かめないと……!』
生きてる事を実感した安心からか、それともおしっこを出し切った事による当然の結果か、僕のお腹は空腹を主張し始めた。
『前世の感覚だけど、美味しそうって匂いがする草なら食べられるかな?』
鼻をヒクヒク動かしながら、嗅覚に集中する。空腹によって感覚が研ぎ澄まされているのか、仄かに甘い匂いが少し離れた場所から匂ってきた。匂いを感じた瞬間、食べられる期待からか尻尾も揺れ始めている。
この足下の草が食べられれば楽だったのに。
残念ながら、すぐ近くの草からは美味しそうな匂いはしなかった。そもそも食べられる程の草じゃない。芝みたいな草なのだ。
岩山の傍だからなのか地面は固く、土の地面だけど、そのすぐ下には岩があるのかもしれない。そのせいで芝しか生えてないんだろう。しかし何度も思うけど、こんな硬い地面に落ちて本当によく助かったと思うよ。
僕が助かった要因でもある樹木の脇を抜け、トテトテと頼りない足取りで匂いの元、森林の中へと向かう。爽やかな風が優しく枝葉を揺らし、それによって、木陰の中の木漏れ日の光がキラキラと宝石の様な輝きを見せてくれる。命が助かったからなのか、そんな小さな事も僕の目には美しく見えていた。
『くんくん……これだ! 形はほうれん草みたいだし、匂いも美味しそうに感じる。さっそく食べてみよう!』
野生のほうれん草なんて見た事がないから正確な形は分からないけど、こんな森林の中でも生えてるのかな?
ほうれん草に似た草を見つけたのは、僕が目覚めた樹木の傍から小一時間程歩いた先であった。距離にすれば、恐らく1キロメートル程だろうか。
そこは少しだけ開けた所で、木々に邪魔される事なく陽が射してる場所だった。森林の中という事で地面は腐葉土で栄養たっぷりだし、陽も射してるから草が生えるには絶好の環境だろう。……詳しくは知らないけど。
『環境はどうでもいいけど、とにかくいただきます! ムグムグ、クチャクチャごっくん! うぇぇ……に、苦いぃ……』
口をめいっぱい開けて草を噛み切り、奥歯を使って咀嚼し嚥下する。甘い匂いとは裏腹に、ほうれん草に似た草はとても苦かった。
『あ、味はともかく、今はお腹いっぱい食べたいよ』
前世の名作アニメ映画に出て来たセリフを口にしながら、とにかく僕はお腹いっぱいになるまでほうれん草に似た草を食べまくるのだった。
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