◎忘れられない日・4
三人称視点です。
「ねぇ、ガイアス。あの娘……トイレにしては長くない?」
自らの店の中で、レイラはガイアスへとそう問い掛けた。レイラがあの娘と呼ぶのは、ガイアスの養子であるルウファの事だ。
そのルウファがレイラにトイレの場所を聞き、そして向かってから既に15分程が経つ。小水にしては時間が掛かり過ぎているだろう。
自らの服飾店で、しかもトイレで何かが起こるとは考えにくいが、レイラは何故か嫌な予感がしていた。
「そう? でも、あの娘……家だともっと長く入ってる時あるわよ? それに……さっきお昼を食べたんだけど、あの娘ったらよほど美味しかったのか、おかわりまでしてたから、もしかしたらお腹を壊しちゃったのかもしれないわね。でも……そうねぇ、もう少ししたら様子を見に行こうかしら」
レイラの心配に対して、ガイアスはそう答える。
確かにルウファはお腹が弱い。それはガイアス自身も常々感じていた事だ。特に、初めて口にした食べ物を食べた時は必ずと言って良い程にお腹を壊している。
初めはガイアスも、ルウファのお腹の弱さに心配になっていたが、初めての物を食べてお腹を壊しても次に食べる時には壊さないので、今ではそんなものなのだろうと思っている。
「でも……さっき店の前で、普段は見かけない男の姿を見たのよねぇ。だから余計に心配になっちゃって……」
レイラが自らの店の前で見かけた人物とは、ルウファが冒険者ギルドで突き飛ばされた相手であり、トイレの前でルウファに声を掛けた人物であるラックという名の男であった。ルウファには騎士崩れと心の中で呼ばれている男である。
そのラックによって既にルウファが攫われているとは、この時点でのガイアスには知る由もなかった。
「ホントに? あの娘可愛いから、通りを歩いてる時に目をつけられちゃったのかしら……。やっぱり、ちょっと見てくるわ、あたし」
「そうね、そうした方が良いと思うわよ、私も。ガイアスも気を付けるのよ? まぁあんたの場合は相手の心配をした方が良いと思うけど」
「……うるさい! じゃあ、見てくるわ」
互いに軽口を言い合う二人は幼なじみであり、親友でもある。だからこそ、レイラはガイアスの軽い性格を危惧しており、ガイアスはレイラの小煩い物言いに鬱陶しくも感じる。
だが、だからこそ二人は親友であり、レイラはルウファの事をガイアスと同様に可愛くも感じ、大事にしていこうと思い始めていた。
それはともかく、ガイアスはレイラの下を離れてトイレへと向かう。店頭から店の脇を抜け、裏の小道へと出てルウファが入っているだろうトイレの前で扉をノックする。
「ルウ? お腹を壊しちゃったの? 大丈夫? 無理なら服を選ぶのはやめて、薬師のお店に行く? ……? ルウ……?」
ノックしながら、中にいるはずのルウファへと体調を慮りながら声を掛けるガイアス。しかし、ルウファから返事は無い。
レイラじゃないが、ガイアスはそこでようやく胸騒ぎを感じた。
「ルウ!? ねぇ、大丈夫なの!? いるなら返事しなさい! ルウ!」
自分の言葉に返事をしない。今まで、ルウファがその様な事をした試しが無かった。明らかに可笑しい。
ただならぬ不安に駆られたガイアスは、トイレの扉に手を掛け、そして鍵が掛かっているはずの扉を開いた。使用中ならば開かないはずの扉を。
「ルウ!? なんで!? どこに行ったのよ、ルウ!」
トイレの中にルウファの姿は無かった。そしてガイアスは、レイラの心配が的中していた事を知る。と同時に、目に見えて取り乱し始める。
それ程までにルウファを愛し、ルウファを本当の娘として接していたのだ。もしもルウファが望むなら、未だに僅かながらに出る自らの母乳を与えても良いと思う程に心から愛していた。そのルウファがいなくなってしまったのだ、ガイアスが取り乱すのは必然であろう。
「レイラ! ルウが……! ルウがいなくなっちゃった……! ねぇ! どうすればいい? あたしはどうすればいいのよ!? ルウがいなくなったら、あたし……!」
トイレにルウファがいなかった事に動揺し、慌てて店内に戻ってレイラに言い寄るガイアス。その姿は正に、自らの腹を痛めて産んだ子供を心配する母親そのものであった。
「嘘でしょ!? まさか私の心配が現実になるなんて……! でも……だったら、まずは守衛に知らせるか……もしくは、冒険者ギルドでルウファの目撃情報を集めるかだけど……」
「そんな場合じゃないでしょ!? だって、ルウが……ルウがいなくなったのよ!? きっとあの娘……あたしに助けを求めて泣いてるはずよ!」
「落ち着きなさい! 取り乱しても事態は好転しないのは軍に所属してたガイアスなら良く分かってるでしょ!? もしかしたら、その辺のお店に興味が引かれて入ってるかもしれないじゃない!」
取り乱すガイアスに対して、レイラは幾分かは落ち着いた対応を取る。こういった場合、レイラの対応は間違いなく正しい。何事も冷静に考え行動すれば、大概は事態は好転する。それを、レイラはガイアスに思い出させようとしていた。
しかしガイアスはそれどころでは無かった。愛するルウファが自らの傍からいなくなってしまったのだ。ガイアスの心境は、子を持つ母親なら誰しもが共感する事であろう。それは、自らの半身を失ったかの様な喪失感を感じるものだった。
「ギ、ギルドね……えぇ、分かったわ……あたしは落ち着いてる……落ち着いてるわよねぇ!? でも……レイラも探して! あたし一人じゃルウを見付けられないから!」
やはりレイラの言う通り、ガイアスは取り乱していた。仕方のない事だと、レイラも感じていた。
ならば、こんな時こそ親友である自分がしっかりしないといけない。
レイラは強い口調でガイアスへと言葉を発する。
「落ち着け、ガイアス! あんたがしっかりしないでどうするの! こんな時こそ落ち着いて、しっかりと考え、そして行動するの。それが問題を解決する一番の近道だって事は、あんたが一番知ってるはずだよ!」
「──ッ!? う、うん……!」
レイラの言葉にハッとするガイアス。確かにその通りだと、ガイアスは自らの失態を反省する。
となれば、ガイアスがこの後に取るべき行動は一つしかない。それは、レイラが口にした事でもあるが、まずは情報を集める事である。
情報を集めるにはどうすれば良いか。このバール村において、最も情報が集まる場所は一つ……数多くの冒険者が利用する冒険者ギルドに他ならなかった。
「ありがとう、レイラ! あたしがしっかりしなきゃ、ルウに笑われちゃうものね。とにかくギルドに行ってみるわ、あたし! レイラも、もしもルウが戻って来るなり見つかったりしたら、ギルドに報せてね!」
「もちろん分かってるわよ。私も知り合いに訊いたり、この近辺を探ってみるから、ルウファちゃんを見付けたら報せるわ!」
そうして、ガイアスはギルドへと向かい、レイラは自らが経営する服飾店の近辺を探し始めた。
レイラの服飾店を後にし、ギルドへと急ぐガイアス。そのガイアスの後を、一人の男が追っていた。
その男とは、ルウファを攫うべく声を掛けたラックである。
ルウファを袋詰めにして攫い、仲間の所へと預けたラックは、ガイアスへと身代金の要求を告げる為にガイアスを追っているのだ。
「くそ……! 走るのが速すぎだろ、あいつ!? だが、あいつはどうやらギルドに向かってるらしいな。なら俺は、ギルドの近くで待ち伏せればいい。わざわざ自らの罪をギルドで報告する様な真似は出来んからな」
ガイアスの目的がギルドだと知り、ならばと走るのをやめて歩き始めたラック。ガイアスの速度ならば、ラックが歩きでギルドに辿り着く頃には丁度用事を終えてギルドを出てくるだろうと察しての事だ。
歩き始めたラックの表情は、ギルドでガイアスに対して恐れていたものとは違い、非常に冷静かつ狡猾な表情をしている。
犯人であるラックが自らの事を追っているとは知らず、ギルドに辿り着き情報を集めたガイアスは落胆する。ギルドを出てからのルウファと自分の姿を見たという人間は、誰もがレイラの経営する服飾店までの事しか知らなかったのだ。ガイアスが落胆するのも頷けるというものだ。
だがガイアスは、事態の好転を願ってギルドへと依頼を出した。レイラに冷静になれと叱咤された事で、ガイアスは冷静に事態に対処すべく、先ずはという事で、ギルドに依頼を出すという事にしたのだ。
ガイアスからの依頼を受諾した受付嬢は、すぐに緊急依頼としてそれを承る。内容は、ルウファの目撃情報及びルウファを無事に連れ戻す事。冒険者の格は鉄級ランクからOK。報酬は金貨10枚とする。というものだ。
この報酬額ならば金級ランクの冒険者でも美味しく感じるものだ、たくさんの冒険者が依頼を受けてくれるであろう。
依頼が掲示板に貼り出された事を確認したガイアスは、すぐにギルドを後にする。依頼は出したが、冒険者達だけに任せておくのはガイアスの性分に合わない。自らも自分の足でルウファを探し、もしも事件に巻き込まれていれば、自らが助け出すと決意していた。
「ガイアスさん、ちょっとよろしいですかね?」
そこへ静かに近付き、声を掛けた男がいた。その男とは、ラックである。
「何よ! 急いでるの、あたし! もしもくだらない事だったら……もしもそれでルウが大変な事になったらアンタを殺すわよ!?」
ラックの言葉に明らかに苛立つガイアス。だからこそ返答の言葉は物騒なものであった。
「そのルウってのは……俺が昼前に突き飛ばした黒髪の少女の事だよな? その少女の事だよ、俺が伝えたいのは」
ガイアスの物騒な物言いにも動じす、ラックは薄ら笑いを浮かべながらそう言った。
ラックの言葉に驚くガイアス。それも当然だろう。何故ならば、たった今ギルドに依頼を出したばかりなのだ。それなのに、目の前の男はルウファの事を伝えたいと言う。
ギルドで依頼を受けたにしては、あまりにもラックの行動は早すぎる。明らかにその情報は可笑しなものだが、藁にも縋る思いのガイアスにはそう感じる事は出来なかった。
「ルウの事知ってるの!? は、早く教えて! ルウはどこにいるの!? どうしてアンタがルウを知ってるの!? 早く言いなさいよ!!」
ガイアスはラックにそう詰め寄る。ガイアスのその様子に、ラックは愉悦に顔を歪めながらも答える。
「あの少女は俺らが預かった。返して欲しくば、虹金貨を100枚用意して、神滅の森付近にある【ラディアスの聖碑】まで今夜遅くに一人で持って来い。お前ならばそんくらいの金は持ってるはずだよなぁ? な〜に、お前が金さえ持ってくりゃあの娘の命は取りゃしねぇ。ただし! お前が武装してたり、約束を破って複数人で来た場合……あの娘の命の保証は出来ねぇ。……分かったな? おおっと! 俺を今殺しても無駄だ。俺が仲間達の所に夕暮れまでに戻らなかったら、娘はそのまま殺す事になってるからなぁ。それじゃあ……待ってるぜ? へっへっへ」
そう言い残し、ラックはガイアスの前から立ち去っていく。仲間の下へ……ラックの指定するラディアスの聖碑へと向かうのだろう。
立ち去るラックの言葉を聞き、ガイアスは自らの情けなさに目に涙を浮かべる。それと同時に、自らの頬を力一杯叩いた。
何故、トイレに行くルウファに着いて行かなかったのか。
何故、レイラの店だからと気を抜いたのか。
後悔先に立たず、とは言うが、ガイアスは自らの軽率さに怒り、その場で膝から崩れ落ち、大声で泣いた。
「ルウーッ!! うわぁああああああ!!」
英雄とまで呼ばれたガイアスがそう叫び泣く姿を、通りを行く人々は呆然と眺めるだけだった。
お読み下さり、ありがとうございます。
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