初夏の夕陽に足を揃えて No,1
此処から二章に入ります。語り手の変化している点があるので読みにくいかもしれません。
僕は困惑していた。
目の前にいるのは他でもない僕の弟だった神崎達哉がいる。
「それにしてもお前背伸びたな、誠と一緒くらいなんじゃね?」
『彼』はそんな僕の心情を全く汲み取ることをせず部屋を見渡す。
おかしい。僕は夢でも見ているのだろうか。試しに頬をつねってみる。でも痛みの感覚はあって、これが現実と言うのを実感させる。
いきなりの霊感の覚醒?馬鹿じゃないのか。そんなの漫画でも小説でもありきたりすぎて飽き飽きする。
なら、何なんだこの状況は、僕は頭が壊れたのか?
「壊れてないよ、ま、俺は別に幽霊ってわけでもないし」
僕は驚愕した。『彼』は僕の心の中をまるで覗いているかのように言ってきたのだ。正直、少しと言うより大分怖い。
「『君』は、何なの?」
『彼』を見ると中学の時の黒の学ランを着ており、まだ少し幼さも残っている。幽霊じゃないからだろうか足もちゃんとある。
いや、そもそも幽霊を見たことないから、そんなの全然分からない。
「おいおい、しばらく会っていないうちに俺のこと忘れたのか?達哉だよ、達哉」
「嘘だ。達哉は...」
そう、『彼』は達哉のはずがないんだ。だって達哉は二年前。
「んじゃ、クイズしよう。」
「は?」
「俺が達哉だってことを証明するクイズ?さあ、どんとこい!」
どんと来いって...。
『彼』は勝手に物事を進める。確かにその点からいうと達哉に似ている。だがそう考えても今の状況はあまりにもおかしい。何せ死んだはずの弟が生き返ったのだから。
だが、だからと言ってこの状況を判断するには明らかに情報が少なすぎるので僕は半分『彼』を観察するように質問をすることにした。
「僕の好きな小説は?」
「『ぼくらの七日間戦争』だろ?二、三回は読んでるの見た」
当たり。この小説はクラスの男子はとんどが家出をして大人たちに対して逆襲をする物語で僕は昔からこういう子供めいているがどこかメッセージ性のある作品が好きだった。
「...じゃあ、僕の好きな料理と君の好きな料理は?」
「お前は唐揚げが好きだったな。母さんの作ったニンニクの効いた味濃いめがよかったよな?いつもおいしそうに食べて。俺はオムライスだな。もちろん隠し味はコンソメ」
僕の好きな料理まで事細かに説明する。それに確かに達哉はオムライスが好きだった。隠し味まで入れて本格的なものを作る。
本当に目の前にいるのは達哉なのかも知れない。黒く澄んだ目も右目の下のほくろも達哉そのものだ。
でも、それを認めてしまうと彼の死を軽視しているような気がした。だからなのか僕は大分、踏み込んだ質問をした。本当に僕らしくない。
「『君』が達哉なら、『君』は死んでるの?」
胸が痛くなる。それでもこれだけは言わなければならなかった。
もし本当に『彼』が達哉なら、死んでるはずなのだ。なのに温度のある会話、表情を自然とやってのける。その矛盾を僕は知りたかった。
『彼』は黒い澄んだ視線をやや下に向け、ははと気が抜けたような枯れた笑い声をあげる。
「そう、俺死んだんだよ。そんで答えを探しに戻ってきたんだよ」
あっさり自分が死んだことを認めた。続けて答えを探してとも。僕は訝し気に思った。
「...答え?」
「そ、答え。大人とは何かってやつ。死ぬ前に聞いたじゃん?それの答え」
「あっ、そう」
「うわー!ひどー!死んだ弟がわざわざ会いに来たってのにどうしてお兄様はこうも冷たいんですか!」
「別に冷たくしてるわけじゃ...」
あれ?何で自然に話せてるんだ?何でだ?何で...。
『彼』は勝ち誇ったような顔をした。むかつく。なんだか馬鹿らしくなってきた。これは多分僕の妄想だ。そもそも現実的に考えて死んだはずの弟が生き返る筈もない。よくある話だ、大きなストレスを感じると人は幻覚を見たり、自分にとっての都合の良い解釈の仕方をする。つまり、例外なく僕もどこにでもいるような平々凡々の人間の一人だと言う訳だ。
そう思うと不思議と今の状況を受け入れ始めている自分がいると気付いた。
「で、お前は分かったか?大人とは何か」
二年前のことを思い出す。あの時は分からないと言った。でも今は不安定ながら、自分の答えと言うものを持っている。
『彼』は手持無沙汰なのか頭の上に手を組む。
「その前にさ、一ついい?」
「ん?何?」
僕は答える前に一つ聞かなければならないことがある。もし仮にこの状況が僕の作り出した妄想だとしても、『彼』が達哉と言うのならきっと答えられるはずだ。
「どうして君はあの時、あんなこと聞いたの?」
それは僕がこの答えを考えるきっかけ。今の神崎朋哉の原点と言ってもいい。
『彼』は困ったように柳眉を八の字に寄せる。あの時とよく似ている笑みを咲かせた。
「きっと、知れれば。俺はお前を苦しめることはなかったと思ったからかな」
大人を知れば僕が苦しむことはなかった?どういうことだ?僕は別に苦しんでいない。もし苦しんでいるというなら椎名さんや赤嶺さん、前のメンバーの方だ。
「もういいだろ?で、答えは分かったのか?」
『彼』は中学生らしいあどけない笑顔を纏いなおし僕に答えをせがんだ。うやむやにされたが、とりあえず僕の質問に答えたのは答えたのだから僕も『彼』の質問に答えることにした。
「大人とは、青春が出来なくなった人のことを言うと思う」
「...へえ。でその理由は?」
「...大学を卒業したり成人すればおのずと職に就く人も増えてくる。仕事をすれば自由な時間も限られて学生の時のような友達と遊びに行くなんてこともなくなるから」
「ふーん」
自分で聞いてきたくせになんだその態度は。僕は憤慨しそうになる心を必死に抑えた。
『彼』は僕の言葉の意味を吟味するかのように細かく頷く。そして見慣れた笑顔をたたえて「なんか違う」と言った。
これにはさすがに憤慨した。
「君が聞いてきたんだろ。それに大人の考え方は人それぞれだ。そこに正解はないし間違いもない」
どうだ。と僕は心の中で勝ち誇った。自分で言うのもなんだが、正論を言ってやったと思った。
だが『彼』は容量を得ない様子だ。腕を胸の前で組みうーん、うーんと振り子のように左右に揺れながら唸っている。
「何だよ」
僕は訝し気に思って訊いた。
『彼』はパッと二重の瞼を見開き、僕との距離を肉薄していく。僕は段々と壁に追いやられる。壁の固い感触や冷ややかな温度が伝わる。
何なんだ急に。僕は『彼』の足を見る。するとベッドを透き通ってる。これは『彼』がこの世の存在じゃないことを示唆しているように思える。
「何で違うのか分かった!きっとお前がこの答えに自信がないんだ。だから俺は違うと思たんだ」
何言ってんだ。自信がなかったらそもそも答えたりなんかしないだろ。僕はいまだ距離を取らない『彼』に対して「どいてよ」と言う。
僕の指示を聞いた『彼』は素早く元の距離感に戻った。僕はすっかり目覚めてしまった体を起き上がらせワイシャツをハンガーにかける。
「それより、メンバーは元気か?まだ会ってたりするのか?」
唐突な質問に凍り付く。シャツのかかったハンガーが音を立てて下に落ちる。
「...会ってないよ。俊徒は留学するらしい。誠も椎名さんも赤嶺さんも元気だよ」
「おー、そうか。てか何で椿や美沙のこと名字で呼んでんの?しかもさん付けだし」
「大した意味はないよ。」
僕は落ちたハンガーを再び拾い掛けなおす。
「誠はまだお笑い芸人になりたいなんて言ってんのかな?」
「お笑い芸人?」
「そ、いつかコンビ組もうぜって約束したんだよ。いやー懐かしいな!」
保健室での誠の暗くなった瞳の意味をようやく理解した。そうか、そういうことだったのか。
つくづく弟との存在の差を突きつけられているようで少し哀しくなった。
「椿や美沙は?」
「...元気だよ」
「そっか、あいつら異常に仲良かったし百合になってるかもな。はは、なんて」
「最低だね」
今口にした言葉はまるで自分に言ってるようだった。
今の椎名さんの状況を言えば『彼』何とかしてくれるだろうか。
いや、だめだ。やめよう。一度見て見ぬふりをしてしまったんだ。聞いてないふりをしたんだ。そんな卑怯なやつが今更助けようだなんて虫がいい話過ぎる。
それに今の『彼』に話したとしても解決するとも思えない。
「お前は彼女とか作ったのか?」
「いないよ」
「でも、仲のいい女の子とかいないのか?」
「...いると思う?」
『彼』は僕の目をまじまじと見る。瞳の奥に自分の顔が見える。こうしてみるとやはり双子だなと感じてしまう。
『彼』はにやりと口角を上げ「いると見た」と僕の心を見透かすように言い放った。
頼むから翌日の石橋さんとのデートもとい、罪滅ぼしについてきてほしくないと本気で思った。
翌朝、鳥のさえずりを耳朶にしながら昨日のこともありほぼ寝不足でだるい体を起こし一階におり洗面器で顔を洗う。目元には盛大な隈が蔓延っていた。
「おはよー。」
部屋に戻るとやはりというか『彼』は、まだ存在していた。
「何してんの?」
「今日、お前が来ていく服を選んでる」
そういうとタンスからデニムシャツと黒のスキニー。白地のニューヨークの街並みがモノクロで印刷されたTシャツを取り出した。
「何で君がそんなに嬉しそうなの?」
「そりゃ、いつも本ばっか読んでた兄貴が彼女と出かけるんだぜ?弟としてうまくいくようサポートすんのは当たり前のことだって」
「別に彼女じゃない」
「またまたー」
茶化すような口調で僕に服を手渡す。正直うざいと思ったが僕は以前、誠に私服がダサいと言われたことがある。なので自分のセンスを信じるより『彼』のセンスを信じたほうがいいと直感的に思ってしまったことは内緒だ。
「おお、いいじゃん」
着替え終わると『彼』はうんうんと頷き満足そうに鼻を鳴らす。何度も思うが、僕より張り切っているのか謎だ。
僕は今までで『彼』のことについて分かった情報を頭の中で整理していた。
まず『彼』は普段は物体に触れることは出来ない。でも自分で意識すると接触することができる。
次に『彼』は幽霊ではないらしい。幽霊はそもそも会話とか意思疎通もできなく、自分のことはドッペルゲンガーみたいなものなんて言っていた。もうここまで来ると自分の頭が完全に壊れたものだと思い逆に開き直っている自分がいる。
「じゃあ達哉じゃないの?」
と言うと「達哉だよ」とまるで容量の得ない回答を返すだけだった。
次に『彼』の存在を認知できるのは僕だけらしい。昨日、母さんや父さんとご飯を食べていても気づいてる様子ではなかった。
最後に『彼』は浮けるらしい。これは実際、見ていないから確信にかけるが、今のところ僕が分かっているのはこの程度だ。
「で、今日はどこ行くんだ?」
「ついてくるの?」
「まあ、行くよな。お前女の子と二人きりで会話とかできんのか?このヘタレ」
「へ、ヘタレじゃない」
何とか言い負かされないで済んだが、確かに女子と二人きりのデートもとい罪滅ぼしは会話が続きそうにない。もとより『彼』は僕にしか見えないのだから別についてきてもかまわないのだが。
でも、余計なお世話を働きかねない。しかも誰かに見られていると思うとなんだか恥ずかしい。
「まあ、心配すんなって。呼んでくれたらすぐ行くから」
「は?どういうこと?呼ぶって、君はどこにいるの?」
『彼』は盛大なため息をついてやれやれと僕にあきれ返った。まるで俺の話を全く聞いていないなと言外に伝えてるように。
「空にいるから、何か合図したら隣行ってサポートするから」
あ、そういうことか。彼は浮けるんだった。
石橋さんとの待ち合わせは駅前の噴水だ。時間は十時にしている。僕はカジュアルな服装を身に纏い、いつも履きなれたスニーカーではなく紺色のキャンバスシューズを履く。
ドアの隙間から差し込む光が優しく包み込む。つま先を鳴らし履きなれない靴が意外にしっくりくることを感じドアノブに手を掛ける。
「あれ?朋哉、どうしの?その格好」
母さんがぬうっとリビングから顔を出す。多分、普段あまり出かけない僕がこんな格好をしているのだから訝し気に思ったのだろう。
「友達と遊んでくる」
間違っていない。彼女とはまだ友達なのだ。いやまだってなんだ。
母さんは何かに気づいたように悪戯っぽく口の端を上げ「頑張んなさいよ」とまるで見当違いなことを言ってきた。
やはり親子なのか『彼』と似ている。『彼』を見ようと振り向くと儚げで今にも消えてしまいそうな蝋燭の灯のような哀しい笑みを浮かべていた。
それを卑怯者の僕はまた見ないようにして家を出た。
休日だけあって子供連れの親子、カップルが目立つ。僕は指定された噴水の近くで座ってる鳩を眺めていた。上を見上げると『彼』がふわふわ浮いて僕に手を振っていた。
腕時計を見ると時間はちょうど十時だ。そろそろ石橋さんが来ると思うのだが。そう当たりを見まわそうとした時。
トントンと後ろから肩を叩かれる。振り向くと右頬にシルクのようなきめ細かく綺麗な細い指が僕の頬に沈む。
「待った?」
「い、いや。別に」
石橋さんがにやりと小悪魔みたいに笑っていた。
白のニットの上から黒の生地の薄いカーディガンを羽織り、ワイドパンツは黒に近い紺色。全体的にモノトーンで大人っぽい。
化粧をしているのだろうか、不自然じゃなくむしろ自然に見せている。栗色の髪はいつも通り下ろされており緩めのパーマが充てられていた。
いつもの石橋さんとは違う、なんだか失礼だけど女性らしくて別人に感じた。
休日の女子はこうもおしゃれなのか。僕は自分の姿に目をやり、『彼』に固められた服装のセンスを見てやはり僕はセンスがないのかもしれないと思った。
「コホン。ところで、何か私に言うことは無い?」
明ら様に不自然な咳ばらいをした後、やっぱり石橋さんなのだと安心した。よかった。
だが言うこと?それは別に無いのだがと、こんな時は正直に答えるのはNGと『彼』が言っていたので僕はちゃんと事前に『彼』がくれたアドバイスを実行した。
「その、似合ってるね。うん、可愛いよ」
「ふふ、ありがと。嬉しいよ。神崎君も似合ってるよ」
「うん。ありがと」
ほんのり赤くした顔は桜のように綺麗で心臓が甘く疼く。
「でも、誠が言ってたほど服のセンス悪くないよね?むしろ私よりおしゃれかも...?」
誠のやつ、いろいろと個人情報漏れすぎだろ。今この場にいない友人に向かって愚痴を溢していると石橋さんは早速、高い行動力を生かし僕を駅内に連れてった。
まず最初に向かったのは映画館だ。最近ロードショーされたSFの邦画が公開されたらしく、それを見に行くのだそう。
どうやら彼女は今日のためにいろいろと考えてくれたらしい。当初は食事するだけの予定だったが、それでは味気ないので色々と巡ることにしたのだ。
これは男である僕が考えるのが定石なのだろうけど、でも今日は石橋さんの罪滅ぼしなのだから彼女が考えるべきなのか?何だか頭がこんがらがってきた。
「何やってんの?そろそろ入んないと始まっちゃうよー」
考えに耽っていた僕を不思議そうにのぞき込む石橋さん。やわらかい髪が魅惑的に垂れる。僕は返事こそしたもののドギマギしてしまって何て言ったのか自分でも分からなかった。
彼女はそんな僕を見て口に手を当て桜いるの唇から笑いを溢す。
僕たちは二番シアターに入場した。隣からはいつもより近いせいか柑橘系のいい匂いが鼻腔をくすぐる。
落ち着かない。映画の内容なんて入ってくるのだろうか。
そんなのは杞憂で、開始五分で物語に思考を投じていた。
「んー!楽しかった!!」
「そうだね。主人公がAIにも心があるって言ってるとこがよかった」
「そそ!私もそこがよかった!」
僕たちは映画を見終わった後に駅の中にある洋風のお店で昼食をとっていた。背石橋さんは伸びをしながら僕はコーヒーを飲みながらお互いの感想を言い合う。
今日見た映画は近未来設定でSFで死んだ人の個人情報をもとに本人そっくりのAI『テラー』を作れるようになった世界で、回収部に勤める主人公が強引な方法で『テラー』を回収する先輩に対して放った一言だ。
「でもあの人もあの人でいろいろ考えてたんだって思うと泣けるよね」
「うん、まさか先輩も『テラー』だなんてね」
人とAIの心情を事細かに描いた映画のラストは鳥肌ものだった。
ついさっき頼んだハンバーグとグラタンが届く。ハンバーグは僕でグラタンは石橋さんだ。
「いやー、お腹ペコペコだよー」
「チーズ好きなんだね」
彼女はホカホカのグラタンにこれでもかと粉チーズを掛けていた。僕が指摘するとむっと「別にいいじゃん、好きなんだから」といじらしい顔で言った。
「そのハンバーグおいしそうだね」
「あ、うんおいしいよ」
僕の頼んだハンバーグは牛ひき肉を絶妙な焼きぐわいのレアで尚且つ甘い肉汁が口内を侵食する。何だか本場の味がする。ハンバーグの本場がどこなのか僕は全く見当もつかないけど。
「...あのさ、等価交換しない?」
「え、なに?錬金術師?」
「あはは!ちがーう!私の一口上げるから神崎君のハンバーグも一口頂戴」
内容が唐突すぎるが、まあ僕はそこまで貧乏性でもないので「いいけど」と了承した。
彼女はやったところころ笑う。そんなにハンバーグ好きだったのか。
「じゃあもらうねー。あ、別にこういうの大丈夫?」
こういうの?一体どういうことだろう?とりあえず「大丈夫」と言った。
彼女はグラタンを僕の方によこし、僕はハンバーグとナイフ、フォークを彼女に渡した。この時、愚かな僕はようやく石橋さんの言った意味を理解することができた。
「どうしたの?」
「いや何ともないよ」
躊躇する僕に石橋さんは訝し気に聞いてきた。でもここでやっぱり無理とか言えないし観念して彼女の使っていたスプーンでグラタンを一口食べた。
口に広がるチーズの旨味をこの時だけ感じることは出来なかった。
ややあって石橋さんは「カラオケに行こう」と言ってきたので、僕はそれを了承して駅前のカラオケ屋に入った。
店員から部屋番号を教えられ僕らは六番の部屋に入ることにした。
「さってっとー!今日は二時間くらい歌うよー!」
「...長いね」
「そう?友達と来るときなんて四時間歌ったりするよ」
そこまで声がもつことに半ば驚愕しながら彼女は僕も知ってるような曲を入れてくれる。彼女は何曲か順番に歌った後、「デュエットしよう」と僕に嬉々としてマイクを渡す。
そんなに得意じゃないんだけどな。
「わはははは!!」
「...笑いすぎ」
「ごめん、くくく。でも音程外しすぎ」
豪快に僕の歌声をディスる石橋さん。いかに服装を取り繕っても音感は取り繕えないことを今日実感した。
頃合いを見て、彼女はドリンクを取ってくると言って部屋を出た。
「よぉ!」
「うわっ!!」
完全に油断していた。『彼』が突然、壁から首だけ突き出す。すっかり存在を忘れていたから急な不意打ちに度肝を抜かれ、変な叫び声が出てしまった。
「急に出てこないでよ、びっくりするだろ!」
「ごめん、ごめん。まさかそこまでビビるとは思わなかった」
へらへら笑いながら全く反省の色が見受けられない。
「ところでさお前の彼女。めっちゃ可愛いじゃん。しかも胸もでけーし」
「最低だね君は。あと彼女じゃない」
動揺がようやく和らいできた。ていうか何しに来たのだろう。にやにやしているからろくなことではないと思うけど。
「多分、あの子。お前のこと好きだぞ。あ、ライクじゃなくてラブの方な」
うん、本当に何言ってんだ。僕は呆れ返って「そんなはずないだろ」と言った。
「じゃあ、お前はどうなんだよ。あの子のこと、どう思ってんの?」
「...別に、ただのクラスメートだよ」
『彼』は明ら様なため息をついてどこか期待外れな視線を送ってくる。僕は「何だよ?」と不機嫌そうに訊いた。
「お前なー、そういうとこあるよな。」
「どういうとこだよ」
「...本当は分かってるくせに、分からないふりをするとこ」
僕は驚愕して初めて彼の顔をじっと見つめた。彼に僕の本性を言い当てられてしまってぐうの音も出なかったのだ。
椎名さんがいじめられていることを無いことにした。赤嶺さんの言い分を嘘だとわかっていたのに何も言わなかった。
卑怯で矮小な僕のちっぽけな心を言い当てられてしまった。
「はいはーい。ただまー。あれ?神崎君どうしたの?壁と見つめあって」
石橋さんが帰ってくるなり訝し気に聞いてきた。確かに彼女の視点からするとクラスメートが壁と見つめあってるエンターテインメントに欠ける画が広がってることだろう。
「い、いや!何でもないよ!ちょっと僕もドリンク取ってくる」
僕は慌てて半分くらいあるコップの中の水を飲み干し、半ば逃亡するような形で部屋を後にした。
ドリンクバーの前、僕はただ何もすることもなく呆然とそこに立っていた。僕は自分の行動を反芻していた。
何でこんな勢いよく飛び出してきてしまったんだろう。『彼』の存在を勘繰られたくなかったから?違う。そもそも『彼』の姿や声は僕にしか分からない。
きっと、石橋さんに気づかれたくなかったんだと思う。卑怯で矮小な僕のことを。よくよく考えたら気づかれるはずないだろ。
人が人の心を理解することなんてできないのだから。返ってあの行動は怪しまれるだけだ。
『彼』の姿はどこにもない。きっとどこかに隠れているんだろう。正直今は何となく会いたくないと思ってしまう。
スマホを見るとコーラを注ぐだけに十分も時間を掛けてしまっていた。そろそろ戻らないとな。じゃないと石橋さんからどんな仕打ちが飛んでくるか分かったもんじゃない。今はああだが、普段の彼女を知っている僕は急いでコーラをグラスに注いだ。
コーラに映る自分の顔がまるでピエロの様だと思った。全部を嘘で塗り固めた卑怯で矮小なちっぽけな心の持ち主。偽善者。
しっくり来てしまい僕は現実から目を背けるようにコーラから目を離した。
「あれ?朋哉?」
目の前には稲穂を思わせる金色の髪、目や鼻ははっきりとしており顔のパーツ一つ一つがバランスよく配置され、スタイルもいいから無地の白いTシャツや黒のスキニーのパンツも映える。まるでモデルのような人が僕の目の前に立っていた。
「あの、すいません。どこかでお会いしましたっけ?」
目の前の青年は不敵に笑う。まるで心の中を見透かしたような感じで気圧された。
「ちょっとー。俊徒ー?何やってんの?」
後ろのカラオケボックスからひょこっと顔を出す大学生くらいの女性が少年の名前を呼ぶ。多分彼女だろと思う。彼は後ろを向き「ちょっと待てて」と彼女に部屋の中に入るよう促した。
「え、俊徒って。」
「お、やっと気が付いた?田崎俊徒だよ。まあ結構変わったからわかんないかもね。」
確かに変わった。中学の頃の彼は髪の毛はこんな明るい色じゃなかった。でもよく見ると顔や、不敵そうなしゃべり方など変わっていなかった。
高校生になったからなのか身長も伸びた。一七〇後半はあるように見える。
「誠には言ったけど、知ってるかな。俺が海外に留学するの」
「...あ、うん知ってるよ。すごいよね。なんか生きてる世界が違うみたい」
僕の知っている俊徒と、今の俊徒とのギャップに戸惑いながらも、僕は彼の話に何とか合わせることが出来た。
彼はどこか哀愁漂う笑みを浮かべて「そんなことないよ」と言った。
実は、僕は彼のこと少し、いや苦手だ。それは今の椎名さんの状況と中学時代を重ねてしまってるからなのかもしれない。でも一応中学のメンバーだし仲良くはしたいのが本音だ。
「椿、最近何かあった?」
「え?」
ドキリとした。もしかしたら俊徒は椎名さんのことを知ってるのかと思った。
「どうしてそんなこと訊くの?」
僕は不自然にならないように口角を引き上げて聞いた。どうしてだろう同じ学校でもないのに何で情報が回ってくるのだろう。
彼は容量を得ない顔をして僕の質問に答えた。
「あー、つい最近までLINEで中学のメンバーで集まろうって話してたんだけど、何でか急に無理みたいなこと言い出してさ」
そういうことか、今じゃSNSで情報交換ができる。多分、LINEで連絡を取っていた椎名さんがいきなりよそよそしくなったことに不審に思ったんだ。
そして椎名さん自身もそのことを隠して輪をかけて彼の不信感を煽ったんだろと思う。
「わかんないけど、誠はこのこと知ってるの?」
「いや、話してないけど、どうかしたの?」
「いや、何でもない。」
きっと誠も今の椎名さんの状況を知らないんだろう。だってあの心優しい誠のことだ必ず今頃アクションを起こしてることだろうと思う。
つまり今、彼女の現状を知ってるメンバーは僕と赤嶺さんだけとなる。
「あ、あのさ俊徒」
「もう、俊徒遅いー!てかこの人だれ?」
僕の言葉を遮るように業を煮やした俊徒の彼女(多分)が出てきた。遠目で分からなかったけどこの人も美形だ。
「友達だよ。あ、何か言った?」
「...いや、その人彼女?」
「あはは。違うよ。従妹だよ。また何かあったら俺のLINEに連絡してよ。じゃあな」
そう言って彼はカラオケボックスの中に入っていった。僕の心の中は自己嫌悪の嵐だった。知ってるくせに何も行動をしない。優柔不断。
もしさっき、言ってしまえば楽になれたのだろうか。俊徒は椿さんのことを心配していた。また皆で集まろうとも言っていた。きっと彼女の力になってくれるだろう。
誠だってそうだ。
自分の情けなさを今日ほど実感したのは初めてだと自分の心と同じくドス黒いコーラを眺めながらそう思った。
俊徒と会ってから僕はいろいろ考えこんでしまった。歌を歌って音程が外れて石橋さんに笑われてあからさまに愛想笑いしかできなかった。本当は歌も歌いたくなかった。
石橋さんはそんな僕に気を使わせてしまって予定の二時間より三十分早くカラオケを後にしてしまった。
上を見ると『彼』が苦笑いをたたえていた。寝不足のせいか心なしか眠い。
「あ!あそこ座ろ!」
彼女が指を指した先にはベンチがあった。座るとどっと疲れが津波のように押し寄せて来るようだった。
陽はもう傾き始めて空は紅に染まり一日の終わりを告げようとしてる。道行く人々が僕の目の前を通り過ぎる度、楽しそうな笑い声が聞こえてくる。
心が深海に沈んで行くような錯覚に襲われる。水圧で潰されそうだ。
「ねえ、神崎君。カラオケで何かあったの?」
石橋さんが柔らかい笑みで訊いてきた。それはそうだ。いきなり態度が変わって明らかに様子も変だ。聞かれてもしょうがない。
僕はなるべく自然な笑みを心がける。
「何でもないよ。」
「...さっきから神崎君おかしいよ?何話しても上の空だし。昨日も変だったし、心配にだってなるよ」
彼女は悲しそうに顔を歪め「私じゃ頼りにならない?」と言う。栗色の髪が稲穂の様に風になびく。陽の光を反射した瞳が潤んでいるように見えて、まるで山脈から湧き出る泉みたいだ。
「...そんなことないけど」
「ないけど?」
僕は疲れていたのか、それとも隠すのが嫌になったのか、多分どちらともだろう。普段の僕ならきっと心の底で閉じ込めておくだろうことをほんの少し、吐き出すことにした。やはり僕は変なのかもしれない。
「石橋さんは、もし自分の大切な友達がいじめられいたらどうする?」
彼女は少し驚いた風に「神崎君いじめられてるの?」と言って僕は慌てて「違うよ」言って話を戻す。
「この前さ、たまたまいじめられてる人を見つけてさ、僕は見て見ぬふりして。だから他の人はどうするのかなって」
なるべく個人名は出さないように気を付けながら僕は口を動かす。まるで自分の惨めさと向き合ってるようで嫌になりそうだ。
「...私は、助けちゃうかもね。そもそも、いじめなんてよくないことだし」
彼女は黒いカーデガンを脱ぎ、膝元にやる。僕はその発言を期待していたと同時に腑に落ちなかった。
「でも、もし、その子が助けてほしいなんて考えてなかったら?」
山田先生の言った『大人の答え』が頭によぎる。椎名さんは誰にも助けを求めなかった。それはきっと自分より人を傷つけるのを嫌う彼女だからこそ僕らに迷惑をかけないためにした行動の結果なのだ。
そう勘ぐっているから僕もアクションを起こせないでいる。
「それでもだよ。私なら助けちゃう」
彼女は耳に掛かっている髪の毛をかき上げながら続ける。
「そりゃ、いじめられているのを助けるのは怖いし勇気もいるよ。その子も、もしかしたら余計なことしないでほしいって思ってるかもしれない。それでも助けてほしいって心の片隅にはきっと思ってる。」
これは僕が先生に教えてもらった『大人の答え』に基づいた彼女自身の答えなのだ。その上で彼女は助けると言っているんだ。
「そうなのかな。」
そう思える自信がなかった。卑怯で矮小な僕が今更、そんなこと思って彼女を助けようなんて思うのは、張り付けられた偽善で石橋さんみたいな本当の善意じゃない。今更どんな顔をして会えばいいのかさえ分からない。
「私ね思うんだ。友達ってね、辛いことも悲しいことも嬉しいことも楽しいことも共有できる存在のことを言うんだって」
それは中学時代ころ、達哉を失う頃を思い出させた。あの時は確かにそうだった。六人全員で喜怒哀楽を共有していた。
大切だったあの頃。色褪せない友情の思い出。
「でも、結局は自分のエゴだったりするんだけどね。でも、大切な人ならエゴを押し付けてでも助けるよ。もし、そうしなかったら後悔するから」
いつの間にか陽は見えなくなり、残光が空に微かに残り紫いろに染め上げていた。
「あはは!こういうのアレだね、ダサいね。嘘嘘!忘れて、忘れて!」
彼女は照れ臭そうに笑う。彼女は勢いよく立ち上がり、耳まで真っ赤にした顔を手でパタパタと仰ぎながらカーディガンを着込む。
肌寒い風が頬をなでたのが分かった。
「...ありがとう」
僕は背中を見せる彼女に感謝を告げる。彼女は振り向き一瞬驚いた顔をしたけどすぐに笑顔を咲かせ「どういたしまして!」と溌剌と言った。
僕はもう決心することができた。
僕と石橋さんの最寄り駅は一緒で途中まで一緒に帰ることにした。すっかり空は暗闇に覆われていて駅のホームを青白い街灯が優しく照らす。
突然、石橋さんが「あ!」と思い出したように声を上げた。
「どうしたの?」
「いや、そろそろ。変えようと思いまして」
「何を?」
そう僕が訊くと、石橋さんはふふんと普段知っている、明朗快活な表情をする。
「呼び方。今更、名字で呼び合うとか距離感じちゃうし」
呼び方を変える?もしかしてあだ名をつけるってことなのか?あだ名なんて今まで縁がないもだったから何だかむずがゆい。
「じゃあ、朋哉って呼ぶね」
普通に名前だった。別に何か期待していたわけではない。断じて。
「あれ?何か不満?」
「いや、そういう訳じゃないよ」
「ふふ、安心して。そのうちあだ名決めるから」
そう言い、彼女は控えめに笑う。
「ばいばい、朋哉ー!」
「うんバイバイ。いしは...」
彼女の名字を呼ぼうとすると、「んー?」と頬を膨らませ威圧するようにジト目で僕を見る。
あ、そうだった。
「バイバイ、ゆ、由香」
由香は満面の笑みを浮かべ「よくできました!」と高々に手を振り駆けて行った。青白い光を体に受けながら僕は佇んでいた。
朋哉か...。今じゃ僕のことを名前で言ってくれるのは中学のメンバーくらいだ。こうしてメンバー以外の人に名前を呼ばれることに温かいものを感じた。
隣を見るといつの間にか『彼』が姿を現していた。にやにやしながら人をイジる顔をしていた。
「とーもーやー。見せつけてくれちゃってー。羨ましーなーもう」
案の定、彼はいじってきた。いつもなら突っかかるところだが今回は聞き流そう。
「ねえ。ちょっと君に謝ることと、話さないことがあるんだけど」
『彼』はまるで待っていたかのように人をいじる笑みから、落ち着いた笑みを浮かべ「家でな」と言って僕もそれを了承した。
乳白色の三日月が太陽とは違う優しい光で街を照らし、住宅から漏れる温かな笑い声を聞きながら僕らは家路についた。
以降、No2に続きます。