春過ぎる音は耳朶に。
主人公の過去の話となってます。
※
僕、神崎朋哉は双子の弟、神崎達哉がいた。
達哉はいつも明るく、気さくでたくさんの友達に囲まれていた。
僕はそれと真逆で、とても内気でとっつきにくいし友達も少なくいつも休日は本を読んで過ごす人間だった。
似ているのは顔ぐらいで、右目の下にほくろがあるのが達哉だ。
そんな正反対の僕らでも共通の友達というものは存在していた。
椎名椿、古城誠、赤嶺美沙、田崎俊徒この四人と僕ら二人の六人でよく遊んでいた。学校帰りに一緒にゲームセンターに行ったり、ご飯を食べたりした。
いつの間にか学校内でもこのメンバーで集まるようになり定番化していた。
そのいつものメンバーでもやはり達哉は中心核でリーダーみたいな立ち位置だった。
達哉が率先してまとめて周りも達哉の意見を尊重していた。これではどちらが兄かわからない。
そんなある夏の日、中学三年生の最後の夏休み。
達哉は死んだ。
原因は交通事故らしかった。
蝉の声が劈く暑苦しい日の出来事というのを今でも覚えている。
そのくせ胸の奥は凍えて仕方なかった。まるで心の中の大切な何かを繰り取られたようなそんな空白が当時の僕の心境だった。
通夜には、多くのクラスメートが来た。その中には僕らの共通の友達の姿もいた。一人ひとりに頭を下げ「わざわざ来ていただきありがとうございます」と両親が頭を下げると同時に僕も頭を下げる。
もう何回同じ動作と言葉を言ったのか分からなくなった頃、ふと顔を上げると一人の男子が物珍しそうに、目を丸くして僕の顔を見つめていた。
「あの...何か?」
「...あ。いや、やっぱり達哉君と似てると思ってさ」
「...よく言われます」
「じゃあ、この度はご愁傷さまでした」
「...はい」
名前はわからないけど堀の深い美形の人だった。たぶん達哉の友達だと思う。あの時の目は今でも忘れられない。
言外に「君は達哉じゃないの?」と問われているような気がしてすぐ目をそらしてしまった。
そのあとも同様な視線を浴びさらに凍える。気分が悪くなり、その場で吐いてしまった。込み上げてる酸っぱい胃酸が口内を犯す。吐瀉物が巻き散らかされた現場は所々悲鳴を上げていた。
椿、誠、美沙、俊徒が駆けつけてくれて、男子陣は吐瀉物の処理を女子陣は僕の介護をしてくれた。両親は係員に連絡して僕を休ませれる場所に運んでくれた。
あとで彼ら彼女らにお礼を言って帰ってもらった。
僕もそれなりに弟が死んだことにショックを受けていたんだと思う。
そのくせ涙は出なかった。弟とはそこまで仲良しな兄弟でなかったが、白状だったような気がする。
事実、葬儀に出た名前もろくに覚えていない親戚には「薄情者」と隠れて罵倒する人もいた。それを甘んじて受けた。だってそうだろ?弟の死に涙一つ出せない慈悲のかけらのない冷酷な人間なのだから。
でも、意外にそんなこと言われたら心の隅で怒りを覚える自分もいた。
人が死んだにも関わらず、豪華な食事を食べる人、酒を呑む人、談笑する人もいる、そんな人たちのほうがよっぽど薄情者だ。そんな暗い感情が燻っていた。
がぶりを振ってこの矛盾に満ちた考えを外に放り出す。
その日、家に帰ると同時に玄関で母が泣き崩れた。通夜、葬儀の時も泣いていたが家に帰ったら息子を亡くした空虚感がぶり返したんだろう。
父が嗚咽をかみ殺す母を目じりに涙をためて宥めていた。
耐えきれなかった。その姿を見るのが。
僕は二階にある自室に早足で戻り、ベッドに身を投げ出す。
「何やってんだ。僕は」
意味をなさない言葉がしんとした部屋の空気を震わせる。
うつらうつらしてきた意識を本を読んで無理やり覚醒させた。何となく寝る気にならなかった。
でも文字を追ってるだけで全然、物語に集中出来なかった。頭の中では達哉と話した記憶を思い出していた。
「なあ、朋哉。ちょっと聞きたいことがあんだけど、いいか?」
「…何?できれば手短にしてほしいんだけど」
「まあ、そんなこと言うなって。」
「ん」
達哉はいつものように力ない眉が下がる笑顔をした。僕はその時、「ぼくらの七日間戦争」に集中していた。
「大人って、何だと思う?」
「...は?」
「いや、酒が飲めるようなったらとか結婚できるようになったらとかじゃなくて、もっとこう、子供と大人の明確な隔たりを知りたいんだ」
「それを僕が知ってるって思ってる?」
「うん。」
以外というか怪訝に思った。達哉はお世辞にも頭がいいとは言えない成績でいつも学年で最下位争いをしていたくらいだ。
そんな奴がいきなり哲学的なことを言い出したのだ。
「達哉。君、頭でも打ったの?」
「あはは。俺は正常だよ?...それよりどう思う?大人」
それなりに興味がわいたので小説を閉じて僕は達哉に向き直った。確かに大人とは何か短いながらも、十年と半分以上生きてきた人生の中で考えなかったと言えば嘘になる。
僕はたっぷり五分間考えた。
「わからないよ。そんなの」
「...だよなー。」
大人に対しての考え方は十人十色だと思う。そこに答えなんかハナからない、言外にそう伝えた。それが分かったように達哉はうなだれた。
「ごめんな。時間取らせた」
「別にいいけど」
その時、僕は見逃さなかった。達哉の目の奥がひどく、くすんでいたのだ。何か嫌な予感がした。僕はほぼ衝動的に口走っていた。
「ねぇ、達哉」
「ん?何?」
「何かあったら、僕に相談しなよ。兄弟なんだからさ」
「大丈夫。俺は正常だよ」
「正常だよ」という言葉がちっとも正常に聞こえなかった。まるで無機質な機械のように固い印象を受けた。
達哉は静かに僕の部屋を後にした。かすかに聞こえた扉の音が壁や窓、果ては床にまで響いたような気がした。
それが達哉が死ぬ一日前の出来事だった。
今思えば、それが兄弟として久しぶりの会話らしい会話だった。
もし、あの時、僕は何をすればよかったのだろう。
今みたいに何をもって大人なのか、子供なのか答えられていたら変わっていたのだろうか。
もっと親身になって達哉がどうしてそんなこと聞いたのか考えてやるべきだったのか。
そうすれば、君は死ななかったんだろうか。
「達哉。君は...。」
いつの間にか僕は本を開いたまま寝てしまった。
リーダーを失った集団とは脆いもので、その日以来、全員で集まることはなくなった。