ナナシの正体
神様。この世界を作ったものだったり、人の罪を裁く存在であったり、その在り方は多種多様。
だけど、アオが言う神様とはそれとは違う気がした。
「さっきのナナシちゃんの話と関係あるのよね?」
エニグマが神に関係するものという話。あの話が全て本当だと言うの?
『……彼女と初めて会ったのは、あの集合住宅街――旧スリザード団地で、白いエニグマと戦闘を行ったときよ』
「確か、不意打ちで現れた白いエニグマと交戦したって話ですよね。……あれ? 初めて?」
ラブリーは不思議そうに首を傾けていた。ナナシちゃんを私の妹だと思いこんでいるから。
でも、記憶に間違いはない。マンションの瓦礫の中から現れた白い腕に掴まれて、動けなくなったときにナナシちゃんが現れて共闘。そのあと、私が過労で倒れたのが事の顛末になっているはず。
『そこで……』
アオは言葉を詰まらせた。言おうか、言うまいか、悩んでいるようだった。首元のロケットペンダントに優しく手を添えた。仄かに暖かいアオを感じる。
「アオ、大丈夫だから。続きをお願い」
その言葉を聞いて、意を決したらしい。少ししてから、彼女の言葉が静かに聞こえた。
『そこで、アネモネはエニグマに……殺された』
でも、私はこうして生きている。……だけど。殺された気もする。
「で、でも先輩は生きてるじゃ……!」
手をラフリーの前に出して、静止させる。
自分が実は死んでいた。この事実を飲み込むことは、容易には出来そうにない。けれど、今、飲み込むべきものは別のはずだ。
「……アオ、続けて」
「先輩……」
ナナシが一体何を考えているのか。彼女の言っていた“未来に行く手段を探す”とは一体何なのか。どうして、私達は必要ないのか、その答えを知りたい。彼女が本当に敵じゃないのかを知っておくべきだから。
『アネモネが殺されたあと、私は叫んでた……。誰かアネモネを助けてって。そこで……ナナシが現れた』
「先輩が……その……殺されたあと……ナナシさんがそこに現れた、ということ?」
『……うん。彼女は言った。“ボクに協力するなら、彼女助けます”って』
タイミングが良すぎる。まるで私が死ぬのを見計らっていたようだ。本当に偶然だったのか。
『今思うと、タイミングが良すぎる気もした。だけど、藁にもすがる思いだった。実際、なんでもするからアネモネを助けて、って言っていたと思う。それから、彼女は何をしたのか分からないけど――』
「――いつの間にか、私とナナシちゃんが一緒にエニグマと戦っている光景に変わっていた」
今朝見た夢を思い出す。握り潰されて、何もできなくて、誰かが叫んでいて。
あれはもしかしたら、アオが見ていた私が死ぬときの光景……だったのかもしれない。
「……まるで夢みたいな話……」
『そうよ。だけど、ナナシはアネモネが死んだことを夢にしたの。そんな事ができるのって……。神様……だけじゃない……?』
しかし、話を聞けば聞くほど、ナナシという少女のことが理解できない部分が見えてくる。
お姉様に会うため、と聞いていたけど、文字通り会うなら私を生き返らせたときのような神の力とやらをそのまま使えばいいじゃない。
『それから、ナナシと話したの。あなたは一体何なのか、一体何をしたのか、協力とは一体何をすればいいのか。でも、もらえた言葉はアネモネと同じだった』
「……それで、”未来に行く手段を探す”の協力を促された、ということよね?」
『そのためには神の力が必要とも言ってた。……この先に一人で行ったのは神様に会うためなんだと思うけど……』
彼女が神様だというのであれば、神は確かに存在する。人の辿った運命を夢に変えることができる人間なんて、この世界には存在しないのだから。
瓦礫を踏み、崩しながらも近づいてくる足音が聞こえる。
「アネモネ隊長! 中へ行ける横穴を発見しました」
息がダエダエになった隊員の男が来る。身長が高く、頬にホクロが出来た男。名前が出てこない辺り、大分記憶が消えてしまったらしい。
「分かった」
「あと、それが……我々がいる大穴の中にエニグマが雪崩れ込んできています」
奥のエニグマは他のエニグマを呼ぶ能力を持っている、ということ? さらに数が必要になったということなのだとすれば、状況が悪化するような何かが起こっている?
「私を横穴まで連れて行ってもらってもいい? ラフリー悪いけど着いてきてくれる?」
『アネモネ!? まさか死ぬつもりじゃ……』
別に死ぬつもりじゃない。だけど、嫌な予感がする。ナナシちゃんがこの奥に行った理由についてもはっきりしないままだ。
「ねぇ、あなた。他のみんなに連絡お願い。帰り道を一つ確保するように伝えておいて」
「はい!」
「それで穴は?」
「こっちです!」
先導する隊員のあとを追って、瓦礫が崩れる音が聞こえる方に向かって走る。散らばった不安定な瓦礫の上は走り辛い。
それでも瓦礫の道はやがて上りになり、その先から漏れる光に気が付いた。漏れる光は近づけば近づくほど大きくなっていく。
「道は分かった! 退路の確保は任せたわよ!」
左手はしっかりとアオを掴んでいた。いつでも戦えるように。
隊員の一人は分かりました、と柔和な笑みを浮かべながら、先導するその足を止めて逆を向く。
終わったら、みんなのことを覚えなおそう。そう決意する。
ぽっかりと開いた穴があった。光と白い靄がドライアイスのように穴から零れている。
空いた穴から中に顔を出す。その瞬間、蒼い何かが目の前を横切った。だけど、確認してる余裕はなさそうだった。
目の前に黒い壁が迫っていた。明らかにそこには意志が宿っている。邪魔な存在を排除するという悪意の塊だ。
「アオ! 思い出武装を!」
『……うん!』
腕に小盾が現れるよりも先に、穴から飛び出す。
「うえ……?」
足が空を蹴った。最初に入った穴と違い、どうやら空間の途中にあったらしく、足場がない。が、そんなことを気にしていられる余裕はない。空中を浮遊する感覚はすぐに、重力に体を引かれる感覚へと変わったのだから。
「先輩!」
背中から続く声。
「ラフリー! “ナナシ”をお願い! アオ、全力で! こんなところで死ぬわけには行かないわ!」
浮遊感は三秒程度で終わった。息を思い切り吐いて、目の前を見据える。
まるで、巨大な城が私を押しつぶそうとしている。実際には黒っぽいコンクリートに戦車の装甲なんかが入り混じっているが関係ない。
燃やす。
燃やしつくしてやる。
「アオ! ありったけ! 私のありったけを! 燃やして!」
左腕を天に掲げる。小盾の炎が煌々とした蒼い炎を噴射させた。その炎を細く、長く伸ばす。
壁が迫る。まだだ。
黒い壁が迫る。まだ。
黒い壁と激しい風切り音が迫る。今だ!
「おらああああぁぁぁっ!」
『ああああああっ!』
目と鼻の先に迫った黒い壁に向かい振り下ろす。それは炎で出来た刃となり、のしかかる重さを左腕に訴えるが、こんなもので私が負けるものか!
自分に迫っていた壁は自分の真横を通り過ぎる。私が切り裂いた面が、アオの炎と同じ色をし、そして熱を帯びていた。左腕がヒリヒリする。袖が焦げて千切れていて、そこから覗く私の左腕も黒く焦げていた。
「はぁっ! かふっ!」
ため込んでいた息を吐く。背中越しに衝撃波と振動音を感じた。
でも、振り向いて何を斬ったのかを確認できない。明確な殺意を持ったものに一撃与えてやったのだ。油断は出来ない。
何より、こいつは神様かも知れないんだ。神への叛逆をすればどうなるのか。そんな昔話は忘れちゃったけど、きっとろくな事にならないはず。
『アネモネ! 天井の光って……』
天井を見る。どうやらこの部屋に漂っていた靄は、こいつが手足を動かすために発生した風で、そのほとんどが掻き消えていた。おかげで天井の“発光する卵”のようなものを見ることが出来る。天井まで比較するものがないから分からないが、あの卵がかなり巨大だということくらい分かる。
「はは……。神様って、卵生……?」
エニグマは生殖活動をしないものだと思っていたわ。
二発目の攻撃はこない。あの空間の震えが襲ってこないところを見ると、静止しているようだ。
少し高いところに出よう。気づかないうちに移動されていて、潰されてしまうかもしれない。
完全に動きが制止したこの巨大なエニグマの脚? のガラクタに手足を引っかけて登る。
足を形成するガラクタはすべて何かが破損した道具で出来ていた。机や電化製品に楽器。どれもが雑に組み合わさって、掴むところや足を引っかけるものには困らない。
『これからどうするの?』
「当初の目的通り、こいつを倒す……と言いたいけど」
だけど、どうしよう。さっきので、かなりの記憶を消費してしまった。少なくとも長期戦だとまず勝機はない。
「お姉さま!」
「先輩! 捕まってください」
ガラクタの壁を登っている途中、その先に二人の顔が現れる。ツーサイドアップになった茶髪が特徴的な女の子と、蒼と白のグラデーションの髪をした少女だ。
――もう名前が出てこない。
茶髪の女の子に手を引いてもらい、ガラクタの壁を登り切る。
何とかガラクタの山に足を着けたが、一息つけそうにない。
『ねぇ、あんた一体何のためにあたし達を分断したのよ?』
蒼と白の髪の少女が口元の血を服で拭ぐっていた。
「……“これ”が神様だったら、連れていくつもりでした」
連れていく?
「連れていくってどこに?」
「……けど、こいつは外れでした。この世界で一番大きな神の力を持った個体であることは間違いないようですけど……」
ねぇ、私の話を無視しないでよ。
「……ボクはこいつを倒します。邪魔なのです」
協力してもらえるのは助かるけど……
靄が晴れて、その体躯が露わになっていく。そこから覗く、ガラクタで出来た山。それが微かに動いている。全容こそ見えないが、自分達がどれだけ小さい存在かを認識にするには十分な大きさ。
だが、どうやら神様ではないらしい。初めて、蒼と白の髪の少女が苛立ちを覚えているように感じた。
「……お姉さま、ラフレシアさん。下がっていてくれませんか? こいつはボクが倒します」
「馬鹿を言わないで。あなたが何をするか分からない以上、私は戦うわ」
小盾を構えて一歩踏み出す。その隣に、茶髪の女の子が並ぶ。
「そうですよ! 先輩とナナシちゃんだけに任せるわけにはいかないので!」
このエニグマが神であっても、なかったとしても私達は勝たなくてはならない。
それに変わりはない。