神に願いを
“何も感じない”。
白衣の力を使わずとも、彼が人間ではないことは、一目で分かった。
先ほどエニグマの砲撃を受けた胴体に、向こう側が覗ける大きさの穴が残っている。常人ならば、その一撃でショック死してもおかしくはない。そうでなかったといしても、多量の血を失って死ぬはずだ。現に今も赤いものが垂れている。
イテム博士は少し苦しそうにしていた。だが、その行動は腹に穴が開いた痛みによるものよりも、全力で走ってきたから疲れた、というものに近いと感じた。
「全く……ナナシ君はイレギュラー……だった。まさか他の世界から神が来るなんて……思わなかったよ。……それに我の計画を邪魔し始めるなんて想像は出来なかった」
喋る度に口から血が漏れる。それを気にする様子はない。
「計画って……なんですか、イテム博士……?」
「君は分かっているだろう? エニグマ、だよ」
計画。初めからイテム博士――いや、イテムが仕組んでいたのか。
「……やっと、出てきたです。神様」
ナナシは小さく口にする。
次の瞬間、金属と金属がぶつかり合う音が響く。周囲の炎に照らされて茜色に染まった刃が私に届く前に、ナナシの剣が遮っていた。ナナシは膝を付き、刃を受け止める腕が下がりつつある。殺意の込められた刃が私の頬を掠めた。
「ナナシ、君の目的はなんだ? その目的にアネモネ君は必要なのかね?」
「必要ではないです。でも、ボクは守ると約束しました」
「……全く、本当に神様というのは自分勝手だ!」
怒号と共にナナシの体は簡単に浮き上がる。そして、浮いた体に巨大な刃の峰をぶつけられ、ナナシは遠くに吹っ飛ばされていく。
イテム博士の右腕が変形して生まれた茜色の刃が私に向けられる。
「なんて、どうしてこんなことを!」
叫んでいた。
茜色の刃が振りかぶられたまま止まる。
「……人は神の考えなど分からないだろう? 君は理由を理解できずに死んでくれ」
振り下ろされる刃に対し、勝手に左手が動く。光輝いたかと思うと見慣れた小盾がそこにある。
『アネモネを……殺させるものですか!』
正面に炎が漏れる。その炎にイテムは怯んだようだった。一瞬の隙だったが、その隙にナナシの小さな体が飛び込んでいくところが見えた。
「古術“ザンカ”!」
横に回転しながら、その勢いで斬る技だ。再び金属のぶつかり合う音が聞こえる。相当な勢いがついていたらしく、今度は茜色の刃がどこかに飛ばされていった。
小盾から溢れ出た炎が消えると、剣の先を向けるナナシと、剣の切っ先を向けられて動けなくなっているイテムの姿があった。
イテムの息がさらに酷く荒くなっている。
「ボクと約束するつもりはあるです?」
「何を……言っている?」
「あなたは道具を司る神です? その力を使って“未来に行くことが出来る道具”を作ってくれるのなら、ボクはあなたの計画に協力するです」
何を言っているんだナナシは! それはつまり私を……。
「……アネモネ君を殺す手伝いをするというのか?」
イテムも同じ結果に辿りついたようだった。やはり彼女は私達の敵だった……?
「それはアオと約束したことを破ってしまうので、出来ないです」
地面が地響きと共に隆起する。中身の電子回路が見えてしまっている機械の寄せ集めで出来たエニグマが現れた。二本の足で地面を強く踏みしめているが、二つ出来ようとしていた腕が取れ、一つだけになってしまっている。
「我を……愚弄するつもりか……! ゴホッ……!」
傍から見ていて分かる。イテムは満身創痍だ。咳を何度も繰り返す。だが、それでもナナシから目を離すことはない。あのような決意の籠った瞳を私は何度も見てきた。
「あなたは何をしたいのです? あなたのやってきた行動のほとんどは、自身の弱体化に繋がっているですよ」
「……そうだ」
そうだ?
イテム博士はエニグマの腕を振り下ろさせる。地面が揺れて、自分のいた瓦礫が崩れる。思わず転げ落ちてしまった。体を強めに打ち付けるが、痛がっている場合じゃない。
イテム博士の目的。それは自分の弱体化に繋がる行為を行っている。
どうして?
そういえば、一つ思い出したことがある。確か“眠れていない”と言っていた。うるさいから眠れないと。
『アネモネ! 前を見なさい!』
左手が勝手に上がり、正面から飛んできたコンクリートの塊を小盾が受ける。完全に意識外の攻撃を受けて、左腕から嫌な音で鈍痛が響いた。痛みで力が抜けた瞬間、コンクリートの塊が私の体にその質量をぶつけた。
「くぅ……!」
衝撃が内蔵に響く。だけど、内臓が破裂したり、肋骨が折れたりとかはしていない、と……思う。死ぬ体験をしたんだ、そんなものと比べれば、これくらい、ただ痛いだけだ。
「……痛み……? 道具の……?」
そうか、イテムは“道具の神様”だったんだ。そして、道具を壊そうとしていた。つまり……イテム博士は……。
『しっかり前を見なさい! 何度かまだ飛んでくるわよ!』
大丈夫。意識はもうこの戦いに向けている。
「……ありがとう、アオ」
『え?』
もう言えなくなるようなそんな思いはしたくない。だから、ここでお礼を言わないといけない。
飛んできたコンクリートの破片を転がって避ける。体はまだ動かせる。
既にイテムは立っていられないようで、瓦礫の上に手を付いていた。
「ゴホ……ハァッ! ……ナナシよ。もし、我の真の目的に気づいているのであれば、分かるはずだ……。道具を作るという約束など出来ない、と!」
真の目的。私達を滅ぼすことは目的ではない。それはあくまでも目的のための過程。
私はイテム博士達を見下ろせる瓦礫の上に立つ。一つの答えが頭の中で結びいた。
「イテム博士」
「アネモネ君! なぜ帰ってきたのかは分からないが、君が死ねば……」
「もしかして、あなたの目的は……“自殺すること”ですか?」
振り下ろされたエニグマの腕は瓦解する。力を失い、ただの瓦礫の山と化していく。
瓦解したものの雨をイテム博士は受けていた。それでも意志が込められた髪の瞳がそこにあった。もう誰が見ても限界だった。敵だったとしても哀れに思えるくらいの姿になっている。
その瞳を私は見つめる。いつもと変わらない充血気味の目とその周りのクマ。
「……そういうことですか。ボクは……初めから間違えてしまったですね」
剣を持ったナナシがイテム博士に近づいていく。服はボロボロで、私以上に青あざが酷い。なのに、ナナシは平然としていた。
「……神は生きていないです。でもアネモネさん、イテムさんがやろうとしていたことはまさにそれです。イテムさんがやろうとしていたことは……自らの存在の抹消です」
生きていない存在の自殺。
そのためには自らが司るものを消す必要があった。
イテム博士は上半身だけを立たせる。
「アネモネ君……。君を殺せば、もう道具を作る者はこの世界にはいなくなる。君で最後だったんだ……」
思い出武装はエニグマと相対させるためではなく、むしろ人を弱体化させるために作られたもの。
「……死にたいときに死ねないのは、苦しいものだ。私はもう数えるのも馬鹿らしい時間、道具達の声を聞いてきた。うるさくてうるさくて……もううんざりだった」
眠れていない、と言っていた。道具達の声が四六時中聞こえていたんだろう。心休まるときがなかったということ。いつだってイテム博士は道具の神様だった。
「だから、私は君を殺さなければならない……! 君を殺せばよくやく私は――!」
最後の力を振り絞ったかのようだった。私の白衣が勝手に動き出して、首に巻き付く。服に引っ張られて腕が動かない。
『アネモネ!』
呼吸が出来なくなる。
「……ぁ……あぁ……っ!」
それでも物足りないのか、さらに服が首を首を絞めていく……。首が折られそうだ。アオの炎が発せられるが、イテム博士の白衣は全く燃えない。
「アネモネさん! そのままにしていて下さい! 古術•真の型”ザンカユウギ"!」
ナナシの剣閃が踊ると、首を絞める力から開放される。周囲にパラパラと白い布が舞った。
荒く呼吸をする。だが、その音よりもはっきりと、イテム博士が地面に突っ伏す音のほうが大きかった。
「ふふ……駄目だった……か……。これで、私はまた……存在して……しまう……」
イテム博士の体が仄明るい光に包まれ始めた。
きっとそれは死ではないのだろう。ただ長く眠るとかそういうものだと思う。
「……分かったです」
周囲の炎に照らされて映るナナシの姿。その先を見なければならないという衝動に駆られる。
「……イテムさん。……あなたの望みを叶えるですよ」
ナナシは何かを理解したようだった。私には分からない何かを。神同士にしかわからない何かを。
そして、望みを叶えるということは、私を――。
「でも、ボクはアオさんと約束をしたです。アネモネを救うように、と。だから、あなたのやり方は出来ないです。……最初から、ボク達はお互いに勘違いをしていたんですね……」
神はもっと超自然的なものだと思っていた。煌々と輝き、人を導く万能な存在。高位の存在。なのに、ここにいるのはただの少女と、ただの男の人にしか見えなかった。私と同じ意志を持ったただのヒト。
「ああ……そうみたいだな」
空間が震える。この感覚は覚えている。巨大な時計の歯車が、数えきれないほどに現れてズレる感覚。ナナシが神の力を使うときの感覚だ。
思わず、耳を塞いだ。前にいたときはズレて噛み合うときの音は、一度だけだった。だが、今回は異音が全身で不協和音を奏でている。頭が割れそうだ。
「古術秘奥の型――」
ひ、おう。ナナシの声がいくつも重なって聞こえる。まるで複数の運命に干渉しているかのようだ。
「この力……なるほど、これなら確かに……われ……を……」
目を無理やり開く。ナナシの表情が見える。歯をこれでもかというほどに噛み締めていた。目に涙まで溜まっている。天に掲げた剣を振り下ろしたくない、という気持ちで溢れている。
ナナシにも目的がある。未来に行く手段を得ること。その手段が目の前にあるのに、手が出せないから、彼女は涙を流しているのか。
それでも意を決して、その剣を振り下ろした。彼女の剣の使い方はどれもが美しいと感じられるほどに、華麗な軌跡を描いていた記憶が新しい。
のに、その斬撃は何の力を持たない少女が一生懸命に振るっているような、そんな幼い一撃に思えた。
「――“ヒガンバナ”」
それでも、コトリ、と男の首が瓦礫の上に落下する。
男の口元はもう、動くことはなく、やがて水晶の砂になった。




