エニグマ
空の黒いキャンパスに様々な色の光がいくつも輝いている。まるで宝石のようだと、眉唾な表現を思いつく。
外を闊歩するエニグマがいたときは、こうやって空を見上げることが出来るとは思わなかった。
「……あの星なんて言うのかな。……分かんないね。星を……勉強してみるのも悪くないかも。ねぇ、そう思わないア……オ……」
それは独り言になる。アオがいたら、『そうだね』と返すだろうに。
胸元に手を伸ばすが、何もない。言葉を返してくれる大切な存在はもういない。
あの後、アオのもとに戻ろうとした私は、他の皆に止められた。
洞窟の巨大な空間にいたエニグマは、様々な道具や物が集まって出来ていた。体を形成する道具の数はエニグマ達の中にも間違いなく最多だろう。
結果、それらが燃えたことで発生した有毒なガスが洞窟内に溜まり、生き物が存在出来ない死地になってしまった。それだけじゃなく、アオの炎により、酸素もほとんどなくなっているそうだ。
白い砂が瓦礫の上に山を作り、風に吹かれて浮かび上がる。
過去に例のない現象だった。その砂の発生と共に、エニグマが一切確認できなくなった。まるで全てのエニグマがこの世界から消えたかのようだった。
あのエニグマを倒した“私の妹”は英雄になっていた。たった一人で死地に残り、エニグマ達の……全ての元凶を倒した。まるで英雄譚の主人公だ、と。私と違って。
私は……私はアオを失っただけで、何もできなかった。
死地になったあの場所に行くには、現存している道具や思い出武装では難しい。それでも、この世界が復興すれば、あの場所に行くための道具だって作れる。希望がないわけではない。それでも……。
「……アオは待っててくれるかな…………?」
アオは意志を持ったロケットペンダントだ。人間の私と違って空気がなくなっても存在していられる。だけど。
「……独りぼっちなんだよね……」
あの大穴の燃えた瓦礫の中で、燃えカスと同じように転がっていることを考えると胸が苦しくなる。
エニグマを倒す目的は果たせた。だけど、アオがここにいないんじゃ意味がない。
砂を踏みこむ音が背後から聞こえる。立ち上がり、少し身構えた。そして、これがエニグマがいたころの癖だと気付く。
「お疲れさま、アネモネ君。どうやら、件のエニグマを倒せたようだね」
目の周りにクマと無精髭が特徴の白衣の男性が立っていた。イテム博士だ。
「イテム博士。やっと、やっと……終わりました。……だけど、私……」
「……アオ君のことだろう?」
イテム博士は目をゆっくりと瞑る。
「すぐに彼女を探す道具を作るべきなのだろう。……だが、すまない。私も動くのは難しいんだ……。その……眠気が酷くてね……」
「仕方ないですよ……。それに、エニグマが本当にいなくなったのかの確認は明日からですし、今は休んだほうが……」
「そうだな……。アネモネ君の言うとおり、休めるときに休むべきだ」
イテム博士は一つの瓦礫の上に腰を下ろす。
「……実は我はずっと眠れていない。……うるさいとね、眠れなくなるんだ。君たちのおかげでかなり静かになった。ようやく眠れそうなんだ」
「それは……よかった」
「ああ……。……だが……その後に……話しておくことがある」
目の周りに出来たクマと共に目が開く。その目は血管が走っていた。本当に何日も寝ていないのだと、その目を見ればわかる。ゆっくり休んでもらった方が良さそうだ。
「……君は神様をどう思う?」
神様? それって……エニグマのこと? それとも……。
「……特別何かを思うことはないです。ただ……」
「ただ?」
「自分勝手だなって、思いました」
結果論的な話だけど、ナナシちゃんは神様だったんじゃないか。そう思っている。
でも勝手に人を生き返らせて、勝手に元凶となったエニグマを倒して……勝手に消えるなんて、自分勝手だ。
「……確かにそうだな……。自分勝手だ。だが、それが神の在り方というものでもある。事実、君の妹を自称する少女は、神様だったのだろう?」
「……私にはよく分かりません。もしかしたら、そうかもって思っているくらいで……」
あれ? イテム博士はナナシが私の妹じゃないことに気づいていた?
イテム博士は何か確証を得ているように見える。そういえば、私が大穴に向かう前に言っていた「気をつけろ」って、どういう意味だったんだろう。
「我の作った思い出武装は、基本的に個人に与えられたユニークなものだ。その道具に纏わる記憶をトリガーに能力を顕現させる。他人の思い出武装は、同じ記憶を持つ兄弟姉妹であっても使えない。それが私の作った道具の道理だ。
だが、彼女はアオ君を扱えていたと聞く」
記憶を代価に能力を発動させるのが思い出武装の道理。その道理を無視できるものは、神様くらいだ、と興奮気味にイテム博士が続ける。
「……イテム博士。私が出発する前に言ってましたよね? 『ナナシに気をつけろ』って。あれはどういう意味だったんですか?」
瓦礫が崩れる音がする。一段高い、壊れた建物の上にイテム博士は立っていた。
「そうだな。……まずは結果を語ろう。君はあのロケットペンダントを……アオを失った、でいいかね?」
言い方が気になる。ナナシちゃんに託した、から手元にはないけど。
「はい……?」
私が返事をすると、イテム博士は続きを語る。
「彼女が元凶のエニグマを倒しに行くとき、君から彼女にアオを渡したんだったね。……我はそのナナシという少女の目的が……アオを手に入れることではないかと思っている」
「アオ……を?」
アオは私の記憶に呼応するロケットペンダントだ。中身も私の家族の写真が入っているだけ。
確かに思い出武装として炎を出す小盾になることは出来るが、言うならばそれだけだ。あの時、私達に言っていた「未来に行くための手段」にどう考えてもなりはしない。
肩をポンと叩かれる。先には瞳孔が開き気味になっているイテム博士の顔があった。
「これはラフレシア君から聞いたよ。エニグマには神の力が込められている、とナナシが言っていたとね。だが、エニグマという化け物に、神の力が込められていたなんて、我らが知り得ないことをなぜあの子は知っていたんだ?」
ナナシちゃんは神様だった。神の力とやらを認知できる理由はそれでいい。だけど。
「目的がなんであれ、神様であるというのであれば、それこそ自らの力を用いて達成させればいい。なぜそれをしないのかを我は考えていた」
もしかして、未来に行く手段を探すのは、嘘? だとすれば、他に目的があるの?
彼女の言葉をいくつか思い返す。
――未来に行く手段を探している、と言っていた。
――アオと約束をした、と言っていた。
――この世界のことを知らない、と言っていた。
駄目だ。まるで意味が分からない。繋がらない。彼女の言葉が全て嘘だったとしか思えない。
「どうしてアオを……連れて行ったの……?」
イテム博士の眼孔がギラリと輝いたように見えた。
「“ナナシが本当に必要としていたものは力をそのものじゃないか”と我は思っている。つまり……」
イテム博士は少し溜めたあとにこう答えた。
「……より力を持った神になるため、更なる力を求めているのではないかと結論付けた。故に我は隠れる必要があった」
死者蘇生ができるほど強力な存在が、さらに完全な存在になろうとする? 意味がわからない。それこそ、エニグマと敵対する意味がないんじゃ……。まさか……。
「エニグマの力を取り込んでいる? さらに強大な力を得るために……!」
イテム博士の顔が曇る。何が言いたいかはわかった。
――この戦いは終わっていないの? アオも犠牲になったのに?
「アオも……その力の糧に……?」
「まだ推論だが、先程ナナシは神ではないかといったが、考えられるものがまだある。それは……」
周囲に轟音が鳴り響く。音がした方向を見ると、崩れたビルよりも更に大きな土煙が上がっていた。続く地面の揺れと、空気の振動で何かがいることが分かる。
「なに……何なの……?」
心臓が跳ね上がるのを感じる。
「イテム博士……ナナシちゃんは……もう一つは何ですか?」
周囲から轟く音の中、私の声がイテム博士に届いたか分からない。だけど、イテム博士は表情を変えずに答えた。
「……“エニグマ”……」
エニグマ。壊れていない道具を中心に集まり、動き出す化け物。エニグマを喰らうエニグマを討伐し、砂となって消えたはずの存在。
「ナナシは“エニグマ”ではないか? 人の形をしたエニグマ。人の思い出武装を使うことができるエニグマ……!」
ナナシちゃんが……エニグマ。なら、初めから私達を騙していたの? 私を生き返らせたのは……仲間を装うためなの?
空気が破裂したような風が私の体に突き刺さる。
蒼い光が空の星を掻き消す様子を見て、どこにアオが、ナナシがいるのかが分かった。
砂埃から顔を出すエニグマの姿が見える。地下の大空間の収まっていたエニグマとほとんど変わらないほど大きさを持つエニグマだ。砂埃が周囲に発生していることを考えると、それも一体だけじゃない。距離は離れているからすぐに影響はないだろうけど、それでも私達のところに来るまでは時間の問題に思える。
胸元を掴もうとした。だけど、私の左手は空を切るだけだった。アオはいない。
空気を掴もうとした左手を強く握る。
「どうして! 全部終わったと思ったのに! 一体何なんなのよ!」
言葉を発し終わったタイミングだった。ドンと体を強く体を押される。私の体は簡単に宙に浮いて、バランスを崩された。背中から瓦礫に向かって倒れる。
次に視界を掠めたのは拳大の光弾だった。それが私のいた場所に飛んでいき――目の前にいた白衣の男の胴体を抉っていった。着弾音が響くと同時にイテム博士は地面に落ちていった。




