たたかうもの、みとるもの
寒い冬の日、ある親子が交わしたノンフィクション・メモリアル。
病とたたかう母と、死をみとる子。主治医から「残り時間」を聞いた二人は、それぞれの思いをさらけ出す。
数日前、母が世話になっている施設へ防寒着を届けにいった。「足が冷えるからレッグウォーマーが欲しい」と頼まれていたのだ。
母の下肢は長いたたかいで神経をすり減らし、今はぴくりとも動かない。
ちょっと毛の生えた太めの大根足はすっかりしなびているのに、つやつやとむくんでいて、しっとりと冷たかった。
施設のルールで、私物には持ち主の名前を書くことになっている。レッグウォーマーに母の名を書こうとしたらペンのインクが切れていた。一度持ち帰って私が記名してまた持って来るよと提案したら、母はよほど寒いのか「いますぐ履きたいから、このまま置いていって」と言う。
次に来るときに、ペンを持ってきて欲しいと頼まれた。
足はもう動かないけど、まだ手は動くのだから自分で書きたいと。
***
先ほどから何度か、「母が○○と言った」と記述しているが、正確には「母が○○と書いた」である。
母がわずらっているALSという神経難病は現代医学では治す術がなかった。
病はゆるやかに確実に進行し、最初に足を、やがて舌と口と耳と呼吸と表情を動かす筋力がなくなり、いまは残された手で「書く」ことで意思表示している。
少し前に亡くなった著名な天才数学者と同じ病気だった。
知能と感情はいたって正常で、熱さも寒さも痛みもカユミも感じている。母のカラダは少しも動かせないのに、骨が重力で神経を圧迫するせいで、つねに強い痛みと戦っている。ただ眠るためだけに、毎晩モルヒネを投与する。
手が動かなくなったら、まばたきで意思疎通するしかない。こまかいニュアンスを伝えることは困難になるだろう。
あるとき、母が走り書きで「もう死にたい。殺してほしい」と言った。
私は手書きのブギーボードを見つめながら「それは無理だよ」と答えた。
***
またあるとき、母が「泣かないでね」と言った。
もし急に亡くなっても悲しまないでね。
動かない体から解放されて自由になるのだから。
良かったねと、笑いながら見送ってほしい。
私は母を見つめながら、「それは無理」と答えた。
ヒトは死んだらそれで終わりじゃない。
意識が肉体を離れて自由になるのは分かっているよ。
それでも、縁があって親子になったのだから、現世での繋がりはこれで終わりなのだから、「死」は、やっぱりお別れに違いない。
私はきっと悲しくて泣くと思うよ。
同時に、楽になれて良かった、自由になって良かった、とも思う。
数十年ぶりにおばあちゃんに会えるよ、良かったね!ともきっと思う。
母が亡くなったら、私は悲しくて泣くだろう。
安堵もするし、喜びもあると思う。
死とはそういうものだから。
もし、私や他の誰かが泣いていても、心配しなくていいから。
***
少し肌寒くなってきたころ、母は単刀直入に主治医にたずねた。
残り時間は「この冬が最後になるでしょう」と言われて、母は終活を始めた。
それよりも少し前。
まだ暑かったころ、私はひそかに主治医に呼ばれた。
母の残り時間は「今年いっぱいになるでしょう」と言われて、私は覚悟を決めた。
主治医の見立ては正しかった。
きょう、年末の仕事納めをしてから会いに行くと、母は今生の命を、その灯火を吹き消して待っていた。
私は泣くだろう。間に合わなくてごめんと。
母は笑うだろう。死に至る姿を見せたくなかったんだよと。
母は事切れていたが、頬も手も足もまだ柔らかくてあたたかかった。
黒いペンの代わりに、今度は赤いリップを持って来よう。
動かない唇をほんのり色付けるために。
近況報告を兼ねたノンフィクション。
2018年12月28日。母を見送った日の夜、突発的に書いた話です。
▼生前、母が書き残した闘病記+嵐ファンブログを「おかんにバラの花束を 〜嵐とALSと青い風〜」というタイトルでまとめました。
https://www.alphapolis.co.jp/novel/394554938/525255259