能力無し=要らないと言うわけではない
記憶が残ってしまっていると言うことは、未来の出来事がわかっていると言うこと。「別に良いことじゃないか」?そんなわけないだろう。
記憶の量には上限がある。記憶を蓄え続けていれば、やがて記憶を溜めていた物から段々と記憶が溢れ、新しい記憶を作る度に古い記憶から順に消えて行くのだ。コップに水を入れ続けるとやがて水が溢れ、流れてしまうように。下手すれば精神崩壊や昏睡状態に陥ることもあり得る。
だから記憶が残ってしまうのは全然良いことではない。悪いことなのだ。
つまり、この世界の私を除いた全ての存在に与えられた「リセット毎に記憶を失う能力」は、この世界で生きていくために必要不可欠なのである。
現在、どうにかして記憶の操作ができる薬や魔法を開発するべく頑張っているのだが、全くその開発が進まないのが現状。急がないといけないのだが、ミスをしてしまったらそれで死ぬかも知れないし、身体の一部を損傷する可能性もあるので、急ごうに急げないのだ。
「……さて、店を開けようか」
私はベッドの中から抜け出し、ひんやりと冷たい床に足をつける。グサグサと刺すような痛みが襲うのはきっと残る記憶のせい。感覚までもが鮮明に残る記憶のせいで痛みまで残り、それを感じてしまうのだ。
動作の1つ1つに違和感を覚えるがそれを無視して、着ていた長袖のシャツとショートパンツを脱ぎ捨てる。鏡に映る細くなった身体は今にもペッキリと折れそうで怖かったのだが、10年後の昨日にはこの体は頭と上半身と下半身がバラバラになるんだよな。
薄い真っ白の半袖シャツに腕を通し、黒のプリーツスカートを履く。そしてキッチリとベルトを締めて黒のベストをボタンを締めずに着る。これが一応普段着兼営業用の服だ。因みに、ベストの上に更に白衣を着ると実験用の恰好になる。10年後の昨日ボロボロにされてしまったこの服だが、まだ今日は新品のように皺もシミもなく、綺麗だ。
蛇口を捻ると現実世界と同じように綺麗な水が出てきて、手でそれを掬って顔を洗う。10年後の昨日は血で顔が浸かってしまっていたので、あの生温い感じを払拭してしまうこの冷水はとてもサッパリとしていて、気分を変えられそうだ。
真っ白でフワフワで温かいタオルは、10年後の昨日あの固く冷たいコンクリートよりも気持ちが良くて気分が良くなる。私だって「フワフワか固いの、どっちがいい?」と聞かれたら「フワフワ」と答えるし、「温かいか冷たい、どっちがいい」と聞かれたら「温かい」と答える。
タオルから顔を離すと、前にある鏡に映るのは何故か青ざめている私の顔。銀朱の髪からは水滴が滴っていて、もう少ししっかりと拭かないといけないかもしれない。
まぁ、そう言うことはどうでも良いのだ。髪なんてすぐ乾くし、早く店を開けて客を招き入れなくてはならない。
踝までの靴下を履いてブーツに足を突っ込むと、それとほぼ同時に幼い少年の声が、自室と家の廊下を遮るドアの向こうから聞こえてきた。
「おい姉ちゃん!早く店開けろよ!!」
まだブーツは履けていなかったが、催促の声にブーツの踵を踏みつつこの家の1階部分にある店へ移動する。
基本的に木材で出来たこの家は少し古い。だから、重い物を精一杯乗せた台車を転がせばどうなるかはわからないのだが、人間が1人くらい乗っかっただけでは音も立たない。
私の部屋は家の一番端にあるので、少し長く廊下を通る必要がある。
廊下を大股20歩で通り抜け、7段の階段を下りて踊り場を3歩で抜け、もう一度7段の階段を下りて踊り場を3歩で抜ける。そしてもう一度7段の階段を下りると、ようやく階段を通り抜けることが出来た。ここまで大体30秒。催促されてからが35秒。
バタン!と大きな音を立てて、家の1階部分にあたる部分にある私が経営する魔法店、「葉月魔法店」と家を分ける扉を開けると、既にそこには先程声を上げた少年が仁王立ちになって立っていた。
「ごめんごめん。ちょっとヘンな夢を見たもんで」
栗色の所々ハネている髪と淡い水色の麻のシャツ、紺色のハーフパンツという恰好をした可愛らしい男の子、「葉月隼」はずかずかとこちらに寄ってきて、ビシッと私に向かって指を指す。
「遅い!てか、髪も縛ってないじゃん!!さっさと縛ってよ!店開けられないだろ!」
一応私の弟で、お姉ちゃんに対して厳しめな隼。だが店が本当に大好きで、ニコニコと笑顔で接客をするし、店の宣伝も積極的にやってくれるのだ。オマケに、「天使のように可愛い」と言われて、ウチの看板息子である。
「ココ座って!」と隼に手招きされ、店の肘掛けの付いている椅子に腰を掛けると、隼は器用に私の髪を1つに束ね、グルグルと持っていた紺色のリボンで髪を結うと、「できた」と少し照れくさそうに言う。全く、可愛すぎだぞ、この弟。
「ありがとう。それじゃあ店、開けようか」
店のドアに掛けられた木の板を、「closed」という文字の書かれた面から「open」という文字の書かれた面に変えると、それに気付いた周りの人達がいそいそと店内に入ってくる。その度に隼と「いらっしゃいませ」と言っているのだが、きっと追いついていない。
この葉月魔法店はこの国の王が居る城がある街の、城へ行くための通りにあるため結構な賑わいを見せるときや、実際に城に住む方々が来店するときもある等、かなり良い方の店なのだ。
ウチが取り扱うのは、この国の学校で使う「ノート」と言う名の魔道書をはじめとして、魔法発動時のアシストをする機械等の魔法関連の品々が数百点程。また、私は薬剤師の資格もあるため、風邪薬から麻酔までの様々な薬の取り扱いもあり、現在およそ100点。あと、普通に最先端の魔法の取り扱いもある。他にもアシストのための機械の調整をしたり、新しい薬の調合をしたり、魔法を開発したりしているのがこの葉月魔法店。
客は老若男女問わず沢山いて、皆が目的に応じた品を探しに来る。ある人は子供を学校に通わせている女性で、子供が授業で使う教科書やノート(しっかりとマス目のノートもあります)を揃るために、ある人は魔法師として活躍する男性で、アシストのための機械の修理と調整をするために、ある人は腰を痛めたお爺さんで、薬を貰うために、ある人は孫にビックリパーティーを企画しているお婆さんで、新しい魔法を貰うためにと、様々な目的を持った客がいる。
店のレジカウンターで賑わう店内をニコニコと眺めていると、急に1人の青年がこちらを向いて微笑みながら静かに言った。
「お仕事、頑張ってくださいね」
こうやってレジに立っていると、この青年のように優しく声を掛けてくれる人が沢山いる。きっと隼が店が好きな理由もそれだろう。
「はい!」
誰かに必要とされるのは、とても良いことだ。