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色欲咀嚼音  作者: 水綺はく
7/11

ハンバーグ

 新山さんとの待ち合わせ場所に着いたのは待ち合わせ時間の十分前だった。

待っている間、僕は寒空の下ポケットに手を突っ込んで俯いて地面を見つめていた。

「遅くなりました!」

待ち合わせから五分遅れたころ声が聞こえて顔を上げると、僕の目の前で肩を揺らしながら息を荒げていた女性は新山さんではなかった。

「え?あの……?」

呆然とした顔でその人の顔を見る。僕の目の前にいたのは最近、新山さんとアルバイト先が一緒で仲良くなったという荒木由奈さんだった。ポカンとする僕を見て荒木さんはハッとした表情になって何故、今ここにいるのが新山さんではないのか教えてくれた。

「ごめんなさい!なんていうか…その…私が、広田君とお友達になりたいなって絵里に相談したら、会えるように取りつけておいたよって言われたんですけど……何も聞いてないですか?」

何も聞いてないよ……本当に何も聞いていないです!!!

混乱する僕の前には不安げな表情の荒木さん。この状況は一体何なんだ!けれど困惑した様子の荒木さんを見て僕は、

「いや、そういえばそんなこと言っていたかも。僕が忘れてました。どこに行きたいですか?」と尋ねると彼女は安堵した表情を浮かべて笑顔になった。上から下まで黒っぽい服装で黒のキャップを被ったクールな雰囲気の荒木さんの笑顔はどこか子供っぽくて可愛く見えた。

「水族館!!...に行きたいです。」

頬が赤くなって照れ臭そうに荒木さんが言う。

こうして僕らは水族館へ向かうことになった。


一面水色のアクアリウムの世界は陽の光が差し込むとキラキラと光り輝くコバルトブルーが眩しくて、神秘的で一歩踏み出すたびに海の中を散歩しているような感覚になる。

「広田君、この魚、綺麗ですよ!」

僕の数歩先で荒木さんが目を輝かせて僕を見ながら指す先に色とりどりの海水魚たちが悠々と泳いでいた。

「確かに綺麗ですね。」

水色の水槽内には、ゆらゆらと揺れるイソギンチャクの周りを動き回るカクレクマノミ、どこか親近感の沸く顔をしたミズタマハゼ、赤くて大きな目をした女の子のようなマンジュウイシモチ、絵の具で描いたような白い水玉が愛らしいホワイトソックスなど人の手ではつけることが出来ないようなカラフルな色たちが自由に泳ぎ回っている。

「荒木さんは何で僕と友達になりたいと思ったのですか?」

待ち合わせの時、荒木さんから思わぬ事実を聞いた時から疑問に思っていた。

何故、僕を?意外だった。荒木さんなら他に良い人と出会えそうだし、正直、僕のことを気に掛けるタイプだと思っていなかった。服装もまるで違うし、趣味が同じタイプに見えない。

「理由は単純なんです。」

荒木さんは水槽から僕へと視線を移した。青色に光っていた黒目が僕を映し出す。

「広田君を見ていると癒されるんです。」

癒し?僕に癒し!?思わず上げそうになった声を抑えた。

青と水色が混在した世界で荒木さんは頬をピンク色に染めている。

「癒し…ですか?」

僕はそれ以上、何も言えなくて食べ物を喉に詰まらせたみたいな息苦しさを覚えた。

荒木さんは照れた笑顔で頷く。

「あ!私、お腹空いたかも!」

恥ずかしさを隠すように荒木さんがお腹をさすった。

「あ、確か上にレストランがあるって書いてありました。」

待ち合わせの時よりも互いに照れと恥ずかしさが入っていた。この小さな緊張感を何度か経験したことがある。でも何故だろう。この小さなドキドキはもう僕には喜びを与えてくれない。昔はこんなことでも嬉しくて、楽しかったのに。

ああ、そうだ。頭の片隅で小さなドキドキを感じるとき僕の脳裏に彼女が映るからだ。

彼女が傍にいるとき僕の心は宇宙へ飛び出したように浮かれて、不安定で、苦しいはずなのにもっといたいと思わせる。そして水槽の中に陽の光が差したようにキラキラとする。

「駆くん。」僕の名前を呼ぶときの陽だまりのような声……

「広田君は何にする?」はっと我に返る。

「あ、じゃあ、僕はハンバーグセットで。」

慌ててメニューに一番大きく書かれていたセットを頼むと、店員さんが素早くハンディターミナルに打ち込んだ。

「じゃあ、私も同じものを。」

頬を赤くして荒木さんが店員さんを一瞥する。

「ライスかパン、どちらか選べますがいかがなさいますか。」

「じゃあ、僕はライス……」

「私はパンで!」

「かしこまりました。ご確認いたします、ハンバーグのライスセットをお一つ、パンのセットをお一つ、以上でよろしいですか。ただいまセットのスープとお飲み物をお持ちいたします。」

少し遅めのお昼だったため、レストラン内はピーク時ほど混んでいない様子だった。それでも七割ほどの席が埋まっていて人がしゃべるガヤガヤした音と食器にフォークやナイフ当たるカチャカチャした音が店内に響く。

「私、何も決めてないのに咄嗟に店員さん呼んじゃって……広田君と同じもの頼んじゃった。」

気恥ずかしそうに笑う荒木さんを見ると何故か僕の胸がズキズキと痛む。

「ううん…僕も優柔不断だから率先して呼んでくれて助かったよ。」

「お待たせいたしました。ハンバーグセットでございます。ライスセットの方」

僕が手を上げる。目の前で水族館モチーフの小さな魚の絵がプリントされたお洒落な皿に乗ったハンバーグにデミグラスソースがかかって茶色く光っていた。お皿の端にサウザンアイランドドレッシングがかかったミニサラダが添えられている。

セットのライスとパンが置かれると店員さんが、「ご注文は以上でお揃いですか?」と決まり文句のように唱えて、そっとテーブルの端に伝票を置いた。

「食べよう!」

荒木さんが嬉々した声でナイフとフォークを持った。

ナイフとフォーク、僕は僅かに緊張した。僕ほど食事が下手な人間は他にいるだろうか。僕よりも汚く食べる人は他にも沢山いるかもしれないがこんなに人と食べることに戸惑う人間はどうなのだろうか…。

ハンバーグにナイフを差し込む。本来の僕ならこのハンバーグをご飯にワンバウンドさせてご飯にもソースの味がつくようにするが今この瞬間でそれはご法度。そのままハンバーグを口に運んだ。

「広田君はどんな人がタイプなの?」

緊張しながら食べているタイミングで質問が飛んだので、慌ててハンバーグを飲み込んだ。そのため一口目のハンバーグは味がしなかった。

「うーん…タイプとかは特にないかな。ただ、そんなにいないけど今まで付き合った人は明るくて元気な人が多かったかな……。荒木さんは?」

「私?私はね、そうだな…食べ方が綺麗な人がいいな!食べるときにあんまり汚さないで咀嚼音とかならない人!」

こんなにヒットするのかっていうくらい荒木さんの言葉が僕に直球で当たるとは。僕はこれ以上このハンバーグを食べきれる自信がない。

「前の彼氏がね、食べるときに咀嚼音が気になって最初は好きだから我慢してたんだけど段々、聞いてられなくて思わずそれを言っちゃったら雰囲気が悪くなっちゃってさ…そのまま別れちゃったんだ。」

少し切なそうに遠い目をする荒木さん。きっと彼のことが本当に好きだったんだ。でも、どんなに好きでも我慢できないことが人それぞれある。どんなに優しくても顔が原因で愛せないとか、お金がないから愛せないとか、はたから見ると冷酷だったり馬鹿馬鹿しい理由でも人にはそれぞれ、どうやっても親密になれない存在がいる。誰でもウェルカムなんてありえない。

「荒木さん、ごめん。」

僕はナイフとフォークを置いた。

「僕たち、昨日までの距離が一番いいかもしれない。」

僕の言葉に荒木さんが悲し気な表情をした。

「誰か好きな人がいるの?」

荒木さんの瞳の中に情けない顔の僕が映っている。

好きな人?そうだ、僕には今日一日、頭の片隅に居続ける人がいる。

「好きな人はいるよ。」

いる。嘘なんて吐けないほど誤魔化せないほど好きな人がいる。

「私たち、友達にもなれないの?」

ごめんね。ここでそれを言ったら荒木さんはもっと悲しくなってしまうのかな。

荒木さんを傷つけないで済む最小限の言葉は何だろうか。今ここで考えても考えても堂々巡りだ。だから僕は終わらせる。心を鬼にして。ここで含みを持たせてこのあと荒木さんが喜ぶことはない。それこそ非情だ。

「僕たちは昨日までの距離が一番だと思うんだ。近すぎちゃダメだと思う。今日はもう帰ろう。」

僕が立ち上がって会計をすると項垂れて落ち込んだ様子の荒木さんがそっと後を追う。

これ以上、なんて言葉をかけたらいいのか僕には分からない。

「ごめんね、今日は。」

言わないようにしていた言葉が口をついて出る。荒木さんは悲しそうな、残念そうな瞳で僕を見ている。

駅まで送るよ。と言って向かう途中、彼女の落ち込んでいる空気が背中に見えた。

こういう時、モテる男ならどうやって対処するのだろうか。

彼女の悲しみの背中を一瞬でバラ色に染めることが出来るのだろうか。出来るのならば教えてほしい。今すぐ!即、回答求む!!

僕が後ろで小賢しい葛藤をしていると荒木さんがくるっと振り向いた。

「今日は私に付き合ってくれてありがとう。もう、ここからは一人で帰れるから。」

彼女の言葉に僕は戸惑いながら、あ、そっかぁ、気を付けて帰ってね。としか返すことが出来なかった。

気の利いた一言は何も出ない。そのまま手を振ってまだ夕方にもなっていないのに休日で混雑する駅の人混みに消えていく荒木さんを見届けた。

賑やかな駅の人混みを眺めていると僕の中で感情が溢れてきた。単純な思考回路。単純明快な感情。

涼子さんに会いたい。今すぐ涼子さんに会いたい。

僕は思わず涼子さんに電話をかけた。

自分自身の衝動に驚かされる。鳴り響くコール音で少し冷静になった。

もしかしたらアルバイトかもしれない。出なかった場合はメッセージを送ろうか。そうなった場合、なんて送ろう。コール音の前で考え込んでいると一定のリズムを刻んでいたコール音が急に止まって静寂になった。

数秒後、躊躇うような声で、「もしもし」と聞こえた。

出た!涼子さんが出た!!僕の心臓の高鳴りがピークを走る。

「あ、僕、広田だけど…」

「うん、知ってる。」

涼子さんの言葉は素っ気なく、でもどこか寂し気に聞こえた。

言わなければならない。言わないと。さっきまでは言わないようにしていた言葉を。

「涼子さん、ごめんね。」

僕が意を決して言うと電話越しの涼子さんは無言で少しの間、沈黙の間が空いた。

そして躊躇いがちに、

「別に、駆くんは悪くないじゃん。謝るのは違うと思う。」と苦しそうに言っているのが顔を見なくても想像できた。

会いたい。早く言いたい。伝えたい。

「駆くん、来て。会いたい。」

僕が伝えたかった言葉を涼子さんに先越された。僕は苦笑しながら涼子さんの家に向かって走った。


「駆くん、何食べる?」

家に着いて早々に言われて僕はまたしても苦笑する。

涼子さんはどこまでもブレないな。

座ってて。と言われて初めて家に入った時と同じ木製のミニテーブルの前に腰かけた。

冷蔵庫を開けて、うーん…と悩む涼子さんの後ろ姿が見えた。

「駆くん、ごめん。今、レトルトハンバーグしかなかったんだけどいい?」

ハンバーグ!またしても!本日二度目、しかも一時間くらい前に食べたもの!

僕の様子を窺うように見ている涼子さん。可愛い。じゃなくて…

「レトルトのハンバーグ好きだよ。」

僕が笑いかけると涼子さんは花が咲いたような笑顔で、サラダ作るから待ってて。と言ってまな板で野菜を切る音を響かせた。今日はハンバーグとサラダの日なんだ、きっと。

「はい、簡単だけど。」

机の上に並んだレトルトハンバーグ。お湯で温めて湯気が立っている。そしてお茶碗に白米と小さなボウル皿に入ったサラダは玉ねぎドレッシングがかかっている。さっき食べたものと内容は一緒だけど盛り付け方も見た目も味付けも違う。値段と質で言ったらきっとさっきのハンバーグセットの方が高級だろう。でも今日はこっちの方が特別だ。比べ物にならないほど。

だってこのセットが二つ、僕の隣で涼子さんの分も置かれている。

「今日は涼子さんも食べるんだね。」

僕は言葉に嬉しさを隠すことが出来なかった。今まで涼子さんの家で涼子さんと一緒に食事をするなんてなかったから。

涼子さんは照れ臭そうに、うん。とだけ言って、早く食べよう!と箸を持った。

「待って、涼子さん。」

会いたいって言葉を涼子さんに先越されたけど、僕はそれ以上の伝えたい言葉を今、伝えなければいけないんだ。

「僕、涼子さんが好きだ。涼子さんが僕を好きじゃなくても僕は涼子さんが好きだ。」

僕の言葉に涼子さんは神妙な顔で箸を置く。

彼氏とか彼女とか、そんな名称いらないから僕と会ってほしい。もう会えなくなるのは嫌だ。

「駆くんの告白を断ったのは駆くんじゃなくて私のせい。付き合って、それまで楽しくて満足だった関係が嫉妬とか独占欲とか、そんな感情のせいで壊れるのが嫌だった。もうそんな思いしたくなかった。でも駆くんと喧嘩して…私が一方的に怒っただけだけど…このまま駆くんにもう会えないのかなって思ったとき、すごく悲しかった。急に涙が出て、どうすることも出来なかったの。」

目の前の涼子さんは今にも泣きだしそうな顔をしている。

嗚呼、僕はやっぱり好きだ。涼子さんが好きなんだ。

前言撤回。こんなにいとも簡単に。でも人間だからいいじゃないか、別に。

「涼子さん、僕と付き合ってほしい。」

僕は真剣に涼子さんを見た。涼子さんは戸惑いながらも嬉しそうに頷いた。

今、世界一幸せだと言える自信がある。正確に言えば今この瞬間、僕と同じくらい幸福で満たされいる人は他にもいるだろう。でも競うものじゃないけど、そんな人たちに僕の方が幸福なんだって言いたくなるくらい幸せで、完璧だ。

「ご飯、冷めないうちに食べよ。」

涼子さんに促されて箸を持つ。ソースが染みついたレトルトハンバーグは柔らかくて甘いタレがついている。口に入れるとミートボールと同じ味がする。しつこくて子供だましの味。でも僕はこれが好き。レストランのハンバーグの方が肉肉していてデミグラスソースの方が高級な味がする。でも涼子さんと食べるレトルトハンバーグの方が幸福の味がするんだ。

こんなこと、涼子さんに出会えてなかったら気付かなかった。



2年以上振りの更新。久々に書くと辛くて、楽しいけど、いつになったら完結できるんだ。

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