インスタントラーメン、トースト
「小西さんと付き合うことになった。」
佳也の言葉に全員が一瞬キョトンとしてから思わず声を上げた。
「マジで!?」
学がまた騒ぎ始める。
「どっちから告白したんだ!?やっぱり英梨ちゃんからか?ちょっと待て!パワースポット巡りをしてからどの流れでそうなった!?」
佳也が面倒くさそうな顔で耳を塞いだ。答えるつもりはないみたいだ。
「おめでとう。」
黙って静かに聞いていた多田さんが口を開くと全員の視線が多田さんへと移った。佳也は多田さんと目が合うと力なく、ふっと笑った。
「どうも。」
短い返しだった。それを聞いた多田さんは満足げな笑みを浮かべる。
「あ、そういえば聞いてくれよ佳也!駆のやつ、俺が知らない間に涼子ちゃんとデートしてたんだぜ!?」
学の言葉に佳也が意外そうな顔で、「そうなの?」と尋ねる。
「フラれたけどね…」
情けない僕の声。佳也が、「え~?いつ?」と聞いてくる。
「昨日、飲みの帰りにみんなその噂の涼子さんと遭遇したのよ!」
新山さんが前のめりで会話に入ってきた。
「駆はあの後、涼子さんと連絡取ったりした?勘違いしていないといいんだけど…」
多田さんが心配の眼差しを僕に向ける。僕はそれに向かって笑顔で返した。
「大丈夫だよ!向こうは別に僕のことが好きなわけではないから!」
そう。好きではないのだ、決して僕のことなど。だから昨日の心の傷よ、早く癒えろ。
考えたくもないのにまた昨日のことを思い出している。そして再び胸の奥の痛みが疼く。昨日の晩からそれの繰り返しだ。
「全員ムカつく。」
夜道に浮かぶ涼子さんの顔。怒りに満ちていて、僕を睨みつける茶色い綺麗な瞳。
僕はそれを見てどうすることも出来ずに傷ついた心を隠してオロオロするだけ。
「どうして?」
僕の疑問を涼子さんは再び怒りで跳ね返す。
「さっきからどうしてって聞かないと分からないの!?」
分かりません。だから聞いているのに……
涼子さんが溜め息を吐く。彼女の吐いた溜め息が白い息となってフワフワと空中を舞って消える。
「駆君に女友達がいるなんて知らなかったよ。意外だね。」
笑う涼子さんを見つめる。意外って……彼女にとって僕のイメージは一体どうなっているんだろうか…
「僕たちも友達だよね?」
当然のように素朴な疑問をぶつけた。僕は涼子さんのことが好きだけど、涼子さんは僕のことが好きじゃない。僕はフラれた。それでも頻繁に会っている。これはつまり涼子さんにとって僕は友人以外に何があるというのか。
「駆君は私のことを友達だと思っているの?」
涼子さんの目が真剣だった。友達。僕はそれ以上の関係になりたいけれど涼子さんはそうじゃない。
「僕たちは友達じゃないの?」
もう一度、聞き返す。友達ではないのなら一体何?
涼子さんがムッとした顔になる。一体何なんだ?涼子さんの一つ一つの表情に僕は混乱する。
「友達だと思っている人に告白なんかしないんじゃないの?」
涼子さんの言うとおり。その通りだ。だけどそれは僕の気持ちであって、涼子さんは?涼子さんの気持ちは僕には分からない。今、涼子さんが僕に向けてしている質問の意図も分からない。
「ごめん、僕には涼子さんが分からない。涼子さんが僕に何を求めているのか分からないんだ。」
どうしてほしいのか。僕が涼子さんにとってどんな存在なのか。何も分からない。目の前にいる涼子さんの心が何も見えない。
「僕は涼子さんのためだけに動くことは出来ないんだ。」
都合のいい人間。涼子さんのためならば、そのくらいなれると思っていたけれど今の僕にはそれが出来ない。しようとすると苦しくて、辛いだけ。
「涼子さんの期待には何も応えられないよ。」
僕たちの間を冷たい風が吹く。寒くて、肌に当たると痛い風。風と共に夜道を彷徨うスーパーのビニール袋がカサカサと音を立てて僕の足に絡みついた。僕はそれが邪魔で袋が取れるように下を向きながら足を上げる。足元に張り付いていた袋が大きな風と共に離れて遠くへ飛んで行った。足を下ろすと、ホッとして顔を上げる。涼子さんは僕を見ていなかった。下を向いていて、その表情は暗かった。瞳が暗くて、哀しげだった。僕の胸がズキズキと痛む。
ごめんね。心の中で呟いても、言葉にすることは出来ない。
僕は涼子さんから背を向けて帰り道を辿る。街灯の灯りが僕の視界の中でぼんやりと揺らめいた。いくつもの灯が綺麗に整列している。
僕は振り返って彼女の様子を見ることはなかった。涼子さんが僕を呼び止めることもなかった。
ただ感傷的な中を彷徨って、途方もなく歩いているだけ。
家に帰っても僕の心は目的地に辿り着いていなくて、まだ迷って、悩んで、傷ついている。
心の傷はどうやって癒せばいいのか。未だにわからない。この繊細で馬鹿みたいにもろい心がなくなれば僕は彼女を手にすることが出来た?
自分に自信があれば、もっと積極的になれたのに。そうすれば彼女も僕を見てくれた?
意味のない空想が一層、僕を虚しくさせる。
僕はその晩、寝る時も涼子さんのことを考えていた。暗くて哀しい瞳をした涼子さんの顔を思い出して何度も胸の痛みを疼かせた。そして途方もない眠りに就いて、朝目覚めた時も途方もない悲しみと、目に焼き付いた涼子さんの姿で自分の見た夢を思い出した。
内容は電車を降りた僕を駅員さんが呼び止める夢だった。
「お客さん、忘れ物ですよ。」
「え?僕、何も忘れていないですよ。」
僕の言葉に駅員さんは困ったように笑う。
「忘れているじゃないですか。」
そう言って憐みの目を浮かべるのだ。ボーっと突っ立っている僕を無数の人間が肩をぶつけて不機嫌な顔になる。僕と向かい合っている駅員さんを眺めながら、まるでその二人だけ時が止まっているようだった。
「あ!由奈だ!」
気を落とした僕の前で新山さんが声を上げた。
「由奈、今日は一緒?」
僕たちの側を通りかかった荒木さんに新山さんが尋ねた。荒木さんが振り返って新山さんを見る。
「一緒だよ!よろしく!」
笑いあう荒木さんと新山さん。その様子を僕たちはポカンとした顔で眺める。
「じゃあ、後でね!」
荒木さんが手を振ってその場を去る際、僕と一瞬だけ目が合った気がした。気のせいだと思うけど……
「ちょっと、なになに?いつの間にあの子と仲良くなったのよ。」
多田さんが荒木さんの背中を眺めながら新山さんに尋ねる。荒木由奈さんは僕たちと同じ学科だが仲良くしている子達が全く違うため、何一つ接点がなく、僕たちの誰かが会話を交わしているところなどほとんど見たことがなかった。
「たまたまバイト先が一緒だったの!それで絶対仲良くなれない思っていたのに今では頻繁に連絡してて自分でもビックリ。」
新山さんの言葉に思わず全員が、へえ~と唸る。人間同士の関わりとは読めないものだ。
荒木さんとはほとんど喋ったことがないため、僕は彼女のことを全く知らない。見た目は黒髪ショートカットで全体的にシュッとしていて何だか僕と違って無駄がなくてスッキリとしている。服装はいつも黒か白で英語が書かれたロック的なシャツを着ている。(これだとダサく聞こえるが荒木さんのファッションは決してダサくない)顔だちもシュッとしていて綺麗だ。
明るくて女性らしい服装の新山さんや大人っぽくてロサンゼルスとかを歩いていそうな多田さんの服装とは違っている。ロサンゼルス行ったことないけど……。そして涼子さんとも違う。涼子さんはどちらかというと清楚な感じで、いかにもお嬢様と言った感じの服装で……そこまで考えて僕はハッとする。
何故、涼子さんに繋げるんだ。涼子さんは関係ないんだ。もう僕には……
「駆。」
そこまで考えていると名前を呼ばれてハッとした。
名前を呼んだのは佳也だった。佳也が僕の顔を見ている。
「なに眉間に皺よせて考えているの。」
佳也が笑った。眉間に皺が寄っていたのか……
「いや、何でもないよ。」
僕は誤魔化した。
—‐‐‐ 駆くん。
耳の裏で涼子さんの声が響いた。僕はそれに蓋をして気づかない振りをする。
もう関係ないんだ、涼子さんと僕は。
「そうやって逃げて!」
新山さんの叫びに僕は驚いて隣を見た。新山さんと目が合うことはなく、彼女は側で携帯ゲームをしている佳也と一緒に画面を食い入るように見つめていた。
「早く逃げて!捕まっちゃう!そうそう!」
なるほど、そういうゲームなのか。僕は新山さんに心の声を読まれていなかったことに安堵した。それと同時に新山さんが僕に向けたわけではない言葉に反応したことが心残りだった。
ふー、ふー、ずるずるっ、はふっはふっ。
アツアツの麺を勢いよく啜ると熱さで口の中までアツアツになって口を開けて熱を追い出しながら、近くに置いてある水を飲む。
くちゃくちゃくちゃ……
狭い部屋で一人、今日の夕飯はインスタントラーメンだ。
某人気メーカーのインスタントラーメンの味噌味が無性に食べたくなる時がある。僕は今日、そんな気分だった。だからスーパーでそのインスタント麺をゲットして家に帰ると鍋にそれと水、卵と、〝野菜を入れなければ〟と言う使命感でニラを放って煮込んだ。卵の黄身が半熟になるのを見計らって火を止めると器に移す。アツアツの湯気を放つそのラーメンは箸で掴んで持ち上げるとインスタント特有の縮れた面が波打った状態で姿を現す。
ラーメン屋で食べる、真っ直ぐな生麺を茹でたものも美味しいが、このインスタントらしさ全開のウネウネした麺が恋しくなる時があるのだ。安価に見合った味。それが僕の舌には心地いい。
スープの上に乗った半熟卵の黄身をいつ割るべきか悩む時が定期的に訪れる。今日の僕は箸を片手に三分の一、麺を食したところでその箸を黄身の中へとダイブさせた。
濁った白身を突き抜けて、中からトロトロの鮮やかな黄色が艶々な状態で姿を現した。二つに割られた白身と艶やかなとろみの黄身を麺に絡めて勢いよく啜る。
ずるずるずるっ!
最高だ。口の中で麺に絡まった黄身の濃厚な味と白身の淡白な味。卵という食材はどんなものにでも対応してしまう。卵さんが転校生だったら誰とでも友達になれるだろう。どこに行っても臨機応変な対応力を見せて喧嘩することなく、むしろ皆と手を繋いで親友になってしまう。
僕が卵だったら今頃、涼子さんのことで悩む必要はなかったのに。
熱さで無意識に現れる鼻水を拭こうとティッシュを掴むと携帯からメッセージの音が聴こえた。
僕は鼻水を拭くのを忘れて、無我夢中で携帯を掴むとメッセージ画面を開いた。メッセージ画面に表示された名前を確認すると新山さんからだった。
嗚呼…。肩を落として気分が落ちる自分に言う。なに慌てているんだ、僕は……。
――― 駆!急だけど明日の日曜日とか暇?私、彼氏の誕生日がすぐそこなのに忙しくてプレゼント何も買っていないの!大ピンチ!!だから一緒に買い物付き合ってよ♪忙しいなら無理にとは言わないけど駆はバイトもしていないし、優しいから付き合ってくれるって信じてるよ!
メッセージを読み上げて、しばし考える。
バイトもしていないし、明日は誰とも何の予定もない。新山さんの誘いを断る理由はなかった。それなのに…僕の頭の片隅で傷ついた表情の涼子さんが見ている。僕の胸がチクチクと痛む。涼子さん。夜道で哀しい顔をした涼子さん。
僕も哀しくて暗くなる。でも、これはピンチの新山さんを助けるためであって決して涼子さんを傷つける行為ではない。頭の中で何度もそう言い聞かせて首を横に振った。呪文のように。何度も言えば洗脳されて気持ちも変わる。
――― 新山さん、僕は明日なんの予定もないので大丈夫です。時間と待ち合わせ場所はどうしますか?
新山さんに返信すると再びテーブルに戻ってラーメンを啜った。
アツアツのラーメンは少し冷めていて表面に晒された麺たちは冷たくなっていた。それを生温かいスープに浸して啜る。
ずるずるずるっ!くちゃくちゃくちゃくちゃ……
携帯画面からメッセージ確認の音が鳴った。画面が一瞬だけ明るくなって、メッセージが表示される。そして一瞬で消えて画面が真っ暗になった。
翌朝、着替えを済ませて洗面台に立っていると台所から小麦の芳ばしい匂いがして、チンッと言う音が響いた。
その音につられて台所に向かうとオーブントースター越しから程よい焦げ目がついた厚切りトーストが見える。トースターの中から出してあらかじめ冷蔵庫から出しておいたバターを乗せると熱で溶けてトーストの表面を滑る。朝から溶けたバターの香りが食欲をそそる。
サクッ。
トーストを前歯で噛んだ時の最初の音、そして奥歯で噛むとカリカリカリ……と耳の奥で響いて、やがて口の中でふやけたトーストがクチャックチャックチャッと変化する。
トーストを食べながら部屋の時計を見に行く。
これを食べたら家を出ないと……
カチッカチッと針の音を響かせる愛用の目覚まし時計と僕が食べているトーストの咀嚼音が妙に合っていた。
台所に戻ってトーストを食べ終えると冷蔵庫から牛乳を取り出してコップになみなみ注いだ。それを掴んで一気に飲み干す。
ごくっごくっと喉が鳴る。コップの中の牛乳がなくなり、口から離すと透明なコップは牛乳の膜で薄く白になっている。飲み終えたコップを洗面台にそっと置くと僕は独り言で、さあ……と呟いた。
さあ、行くぞ。今日は新山さんの買い物に付き合うのだ。
お気に入りでもないんでもない靴を履いて、服装もいつも通りだが、気合を入れてドアを開けると外の空気が肌に当たって冷たかった。
かなり遅くなってしまいました……
連載している作品二つともラストまでシナリオが出来ているのでちゃんと最後まで書くつもりです。
ただ書くペースが……中々書く気力が起きないです…
全然書いていないですね…