4話 【幸福の在処】 1
「鈴葉、どこかに出かけようか」
放課後デートをしながら、僕は提案した。
幸せそうにドーナツを頬張っていた鈴葉は僕の言葉に手を止める。リスのように膨らんだ頬が愛らしい。
僕はつき合い始めて以来、休日に彼女をどこにも連れて行っていないことを気にしていた。彼氏らしいことをしたい。それは僕から彼女に向けてのデートのお誘いだった。
「え?」
僕の言葉に彼女は首を傾げた。
「いや、二人でどこかに行かないかなー、と思ってさ。行きたい所はある?」
「私、観たい映画があるの!」
彼女は満面の笑みで答える。
「じゃあ、その映画を観に行こう」
彼女の提案に僕は笑顔で頷く。指切りを交わし、一週間後、会うことを約束した。
当日、僕は彼女と待ち合わせをした場所に立っていた。
「鈴葉、おはよう」
約束の時間から十分ほど経ったところで、遠くから走ってくる人影が見えた。
「ごめん! 待った?」
息を切らせながらやってきた彼女は額に汗をかいていた。
「いや、僕も今来たところだから」
「そっかー……よかったぁ」
僕の言葉に彼女はホッと息をつき、表情を和らげた。
多少待っていたとしても、ここは彼女を安心させるのがマナーだろう。
僕は彼女に優しく言葉をかけ、歩き出す。
「行こうか」
「うん!」
鈴葉とつき合った、あの日を思い出す。
無言になることはなくなったが、僕らの距離は一定に保たれたまま。触れそうで、触れない指先。
手を……繋いだ方がいいのだろうか。
僕は戸惑いながら機会をうかがう。
あと少し。また離れる。
じれったい気持ちを抑えながら、なかなか行動に移せない。
堪えきれなくなり、彼女に視線を向けると、長い栗色の髪の毛が視界に入った。
日本人離れした顔立ちに色素の薄いブラウンの瞳。地毛だという美しい栗色の髪の毛。
鈴葉は母親が日本人とイギリス人のハーフで、父親が日本人という、クォーターという存在だった。
彼女はそのことを少し気にしている。学校で何度か髪色の問題で呼び出されたりしたこともあるらしい。そしてその外見は見る者を惹きつける。
実際僕もその一人だったが、彼女から事情を聞いて以来、あまり口にしないようにしていた。
「蓮くん?」
じっと見つめる僕を不審に思ったのか、彼女は首を傾げた。途端に恥ずかしさに襲われ、慌てて目を逸らす。
「……な、なんでもない」
「変な蓮くん」
僕は結局、彼女の手を握らなかった。握れなかった、の方が正しい。想像以上に彼女の存在は僕の中で大きくなっていた。
彼女と生きたい。
そんな感情が、僕の心に芽生え始めていた。
* * *
彼女が観たいと言っていた映画は、流行りの恋愛映画だった。
ある日、大好きだった彼氏に癌が見つかる。彼女はそんな彼氏を必死に支え、看病する。
しかし看病の甲斐もなく、彼氏は死んでしまう。彼女は現実を必死に受け止めようとしながら立ち直っていく。
映画が終わり、辺りが明るくなった頃、鈴葉に視線を向けると、彼女はハンカチで涙を拭いていた。
「ふふっ……大丈夫?」
僕は笑いを堪えながら声をかける。
「なっ! なんで笑うの!」
彼女は途端に頬を赤く染めた。
誤魔化したのはこれ以上深入りしないためだ。
きっと僕も、この映画の男のように彼女を置いて先に死を迎える。彼女はその瞬間を迎えた時、強い心で恋人を失った悲しみを乗り越えなければならない。
「僕は心配してたんだけど」
「もー、からかわないでよー……」
「ごめんな」
「蓮のアホ」
面白くない、という表情を浮かべながら、鈴葉は僕の腕にしがみついた。
「鈴葉?」
彼女の突然の行動に戸惑いながら、僕は首を傾げる。
「蓮くんには、私がいるからね」
彼女の言葉に、胸が締めつけられる。
鈴葉も僕と同じことを考えていたのだろうか。
僕は優しく彼女の髪を撫でた。
映画を観終わった後、僕らは喫茶店に立ち寄ることにした。お互いにミルクティーを注文し、甘い味に舌鼓をうつ。
「鈴葉、映画の感想は?」
片手でミルクティーを啜りながら僕は質問する。
「感動しましたよ? 誰かさんが笑わなきゃ、最高だった」
彼女は両手でミルクティーを啜りながら、眉を寄せた。先ほど僕に笑われたことを気にしているらしい。頬を膨らませる仕草が、とても愛しく思える。
「号泣してたもんな」
「う、うるさい!」
「ははっ」
笑った瞬間。僕の体を襲った猛烈な痛み。
「……うっ……」
「蓮くん?」
気がついた時にはもう、痛みは過激さを増し、呼吸困難に陥る寸前だった。
「はっ……はっ」
「蓮くん!」
慌てた彼女が、咄嗟に手を差し伸べる。
次の瞬間、自分のとった行動に目を疑った。
どうしてそんな行動をとってしまったのか分からない。鈴葉もまた、驚いていた。
僕は差し伸べられた鈴葉の手を振り払ったのだ。
「……ごめん」
「……ううん! 大丈夫……」
彼女は戸惑っていた。
この状況は、以前見た夢と酷似していた。彼女の手を振り払う行為が、正夢になってしまったのだ。これから僕は彼女をこうして傷つけてしまうのだろうか。それはなによりも堪えがたい苦痛だった。
最悪な結末を突き進む僕の妄想は止まることを知らない。
「鈴葉……ごめんな」
荷が重すぎたのだ。僕のような人間に人を幸せにする力はなかった。それだけの話。
「蓮……くん?」
霞む視界に、うっすらと映り込む愛しい姿。
目に涙をいっぱいに溜めて、彼女は堪えていた。
「やっぱり無理だったんだ……鈴葉、別れよう」
僕は椅子から立ち上がり、彼女の頬に触れる。悲しみを秘めた瞳は、潤んでいた。
「なんで……なんでよぉ!」
ごめんね鈴葉。僕は本当に自分勝手だ。
「ごめんな」
異常事態に周りがざわめき出す。数分後、到着した救急隊員の目に飛び込んできたのは、倒れ込む男の名を必死に呼び、泣き叫ぶ少女の姿だった。
ねえ海愛。君はまた、泣いてるの?
次回の更新は明日になります。