最終話 【君と僕の恋愛】
『神谷、お前に話がある』
約七年前のある日、俺は櫻井の病室に呼び出された。当時、罪悪感で押し潰されそうになっていた俺に、奴は自分の一番大切な彼女を託した。同時に渡された一枚のDVD。
俺は櫻井の死後、そのDVDを再生してみた。そこには、入院したばかりの頃の櫻井が映っていた。
* * *
時は遡り、七年と少し前。
那音は蓮が入院したという知らせを聞き、見舞いに訪れていた。
「ほら、持ってきたぞ、コレ」
「ありがとう」
那音は蓮に「ビデオカメラを持ってきて欲しい」と頼まれていた。
お礼を言った蓮はそのままベッドに深く沈み込む。
「あのさ……那音、お前に頼みごとがあるんだけど」
「なんだよ」
「ソレで僕のことを撮ってくれないか」
蓮は那音が手に持っていたビデオカメラを指差しながら言った。
「もうすぐ生まれてくる子供のために、映像を残しておきたいんだよ」
穏やかな笑顔を浮かべる蓮の姿に那音は返す言葉が見つからなかった。
「……分かった。じゃあ、撮るぞ」
「ああ、頼む」
そうして録画ボタンが押された。
* * *
【えっと、この映像を見てるってことは、もう僕はそこにいないんだな……初めまして、優。お父さんです。今はまだお母さんのお腹の中だけど、今はどれくらい大きくなったのかな。見たかったなあ……お前の成長を、僕は一番近くで見ていたかった。死ぬ前に一度、お前に「お父さん」と呼ばれたかったよ。お父さんのような弱い体で生まれていないか、それが一番心配だけれど、お母さんの子だからあまり心配するものでもないか。お前は僕が生きた何倍も長く生きて、沢山のことを経験するんだぞ。そして、いつか僕に沢山の思い出話を聞かせてくれ。お母さんを大切にな。最後に、優、お父さんとお母さんのところに生まれてきてくれて、ありがとう。愛してるよ。
海愛。僕と出会ってくれて本当にありがとう。君をおいて逝ったことをどうか許してほしい。君に出会って僕は人を愛する気持ちを知った。ツラいことも大変なことも沢山あったけど、僕は生まれてきたことを後悔していないよ。君と過ごした時間は僕にとってかけがえのない宝物です。君と籍を入れてあげられなかったのは、本当に申しわけなく思ってるよ。でも、例え紙面でも約束がなくても、君は僕にとって大切な、生涯一人の奥さんだ。
優を授かったこと、本当に君と神様に感謝してる。僕を父親にしてくれてありがとう。
それから、ツラい時は思いっきり泣いていいんだからな。泣いたらまた笑えばいい。僕はどんな君だって愛しているから。だから、しっかり前を向いて歩け。後悔だけはしない生き方をして。僕に縛られず、自分の思ったように自由に生きてくれ。言葉じゃうまく伝えられないけど、僕は君を心から愛しています……って、なに泣いてるんだ那音】
【うるせ……バカ。切るぞ】
【ああ。ありがとう那音】
そこで映像が終了した。
リビングのソファで映像を見ていた私は、彼の予想通り大粒の涙を浮かべていた。
「ほら、やっぱり泣いた」
「だって……こんなの聞いてない」
肩を震わせ涙を流す私に彼は眉を下げ笑った。
「……でも、これでようやくあいつとの約束も果たせたな」
「約束?」
「うん。俺さ、櫻井と約束してたんだ。いつか立ち直った君にこのDVDを見せるって。優が大きくなったら、今度は海愛ちゃんの決断で優にDVDを見せるかどうか決めればいいよ」
彼の言葉に私は力強く首を縦に振った。
「そうする」
久しぶりに見た最愛の彼は、画面の中で時が止まったまま、幸せそうに微笑んでいた。
「ありがとうね、陸くん」
「いえいえ。ほら、涙拭いて」
涙を流す私を優しく見守ってくれる夫。
そんな私の背後で突然、物音がした。驚き振り向くと、そこには寝ぼけ眼を擦る優の姿があった。私の泣き顔にギョッとした表情を浮かべ、優は心配そうに言った。
「ママ、どうしたの? どこか痛いの?」
今にも泣き出しそうな表情を浮かべる息子の姿に、私は微笑みながら両手を広げた。
「大丈夫よ……優、おいで」
重くなった息子を抱き上げながら、私はテレビの電源を切った。
この映像は、優が大きくなった時、真実を受け入れられるようになった時、成長した息子に見せようと思う。優しくて、最期まで強い心を持った、彼の父親の話を交えながら。
私は自分に誓いを立てた。
もうすぐ、桜の咲く季節がやってくる。
* * *
「小学校入学おめでとう、優」
「よかったなあ、優! おじいちゃんにランドセル買ってもらえて」
「うん!」
四月、優は無事に小学校入学を果たした。小さな体にまだ不釣り合いな、新品の黒いランドセルは、私の父が用意してくれたものだ。
入学式を済ませたその足で、私たちはとある場所に向かって車を走らせていた。
「晴れ着のままでいいのかな……」
「優の祝いなんだ。あいつも許してくれるさ」
数十分後、車が停車したのは、櫻井家の墓がある墓地。ランドセルを背負ったまま、優は車から降りるなり、走り出した。
「転ばないでよー」
「大丈夫!」
近くに桜の樹が植えられているこの場所は、春になると毎年一面が桃色に染まる。この地に蓮は骨を埋めている。
墓前で手を合わせ、私は蓮に報告をした。
「蓮……今日ね、優が小学生になったんだよ。見える? 優のランドセル姿」
墓に話しかける私の姿を優は不思議そうに見つめる。陸くんは私たちを優しく見守っていた。
「……帰ろっか」
私は大きく深呼吸をし、優と手を繋いで歩き出す。しかし陸くんはその場で静止したまま言った。
「海愛ちゃん。優を連れて先に車に戻ってて」
「え、どうしたの?」
「頼む」
「う、うん……分かった」
夫の言葉に私は直感的になにかを感じ、素直に従うことにした。
* * *
妻を先に行かせ、櫻井の墓前に一人残った俺は、墓の前で深く頭を下げた。
それは、奴への謝罪と礼。言葉だけでは言い表せない感情が、俺の中で生まれていた。
「今まで、本当にごめんな……できれば、生きてる時のお前に直接言いたかったよ」
後悔の念が、俺の心を埋める。
「これからは、俺がお前の分まで海愛ちゃんと優を守るから……だからお前は、安心して眠れよな」
それだけ告げると、俺は車へと歩き出す。
その時、目を開けられないほどの強風が吹き、俺は思わず振り返った。言わずもがな、そこに人の姿はない。
けれど、俺の耳には確かに聞こえていた。
――――ありがとう。
俺にとって永遠のライバルであり、一生忘れることのできない男の声が。
真っ青な空には、桜の花びらが舞っていた。
これで完結です。
ここまで読んでくださった読者の皆様に感謝を。
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