表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【完】LIFE~君と僕の恋愛~  作者: 葉月ナツキ
32/36

17話 【タイムリミット】2

 




 僕が入院してから、海愛は毎日のように病室を訪れるようになった。



「蓮といる時間を一分一秒でも無駄にしたくない」



 そう言った海愛の願いを聞き入れ、僕は無理をしないという約束を海愛と交わしていた。

 日に日に大きくなっていく海愛のお腹。妊娠七か月にはお腹の子が男の子だと判明し、それから二人で子供の名前を考えたりもした。


 幸せな時間はあっという間に過ぎていく。

 海愛が出産のために入院した後、僕は病室に神谷を呼んだ。久しぶりに見た神谷は少し痩せたように思えた。



「よう」



 僕が声をかけると、神谷は軽く頭を下げた。

 目が泳ぎ、こちらを見ようとしない。そんな奴の様子に僕は溜息をつき、重たい体を起こした。



「神谷、今日は頼みごとがあってお前を呼んだんだ」



「俺に?」



 神谷は首を傾げた。

 僕は真剣な表情で言う。



「僕が死んだ後、海愛を頼む」



「え……なに言って……」



 僕は本気だった。神谷の過去を知り、それから長い間、奴を見てきて分かったことがある。神谷は海愛に恋をしていた。だからこそ、奴の背中を押してやれるのは今しかない。

 僕がいなくなった世界で、海愛を支えるのは、こいつかもしれないのだから。


 僕の言葉に神谷は青ざめた。



「海愛のこと、好きなんじゃないのか?」



「それは……」



「一緒になってくれ。なんて、お前の人生を縛るつもりはない。ただ、時々でいいから、海愛のことを気にかけてやってほしいんだ。頼む、神谷」



 僕は神谷に深々と頭を下げた。

 もうプライドなんていらない。海愛のためにできることはなんだってする。それが、僕に残された最期の時間の使い方。


 頭を下げる僕に、神谷はさらに青くなった。



「お前が望むなら、俺は従う。だから、頭を上げてくれよ。頼むから」



「決めるのは神谷、お前だ。僕に遠慮なんていらないから……とにかく、僕の気持ちは伝えたぞ」



「……」



 黙り込んでしまった神谷。僕はベッドの横にある戸棚から一枚のDVDを取り出し、神谷に手渡した。



「これ、お前に預けておく」



「なにこれ」



「ビデオレター、かな。お前が海愛を選んでくれたら、あいつに見せてやってほしい」



「櫻井……」



 神谷は手渡されたDVDを抱えてうつむいてしまった。

 点滴の管。心電図のパッチ。栄養補給のためのチューブなど、無数の管が僕の体に伸びていた。痩せ細った僕を、神谷は決して見ようとはしなかった。



「頼んだぞ」



「……分かった」



 神谷の返答に、僕は苦笑した。




 *   *   *



 澄み切った青空が広がり、猛暑を記録した八月十日。午前九時五十八分。この世界に新たな命が誕生した。大きな産声を上げ、この世に生まれてきた男の子。僕の息子。

 海愛は酸欠で意識が朦朧としながら、たった一人で出産に挑んだ。



「やっと、会えたね……」



 腕に収まる小さな息子を愛おしそうに見つめ、海愛は分娩台の上で泣いていた。

 出産の際、出血が酷かった海愛は、体調が戻るまで一週間入院することになった。入院期間が過ぎ、体調が回復した海愛は息子を連れて僕の元を訪れた。



「蓮、気分はどう?」



「お前こそ……大丈夫なのか」



「大丈夫よ……私も、この子も、元気よ」



 この日、初めて我が子を目にした僕は、想像以上に小さな命に目を丸くした。



「一人で、よく頑張ったな……ありがとう、海愛」



「らしくない」そう言って笑う海愛に僕は苦笑した。



「抱いてみる?」



「え、いや、僕は……」



 病室の片隅で優しい眼差しを向けていた看護師に手伝ってもらい、僕は我が子を腕に抱くことができた。首が座らない赤ん坊に恐怖を覚えながらも、僕は初めて赤ん坊を抱いた。

 腕の中で息子は穏やかな表情で寝息をたてていた。



「あ、寝ちゃったね。お父さんに抱っこされてるのが分かるのかな?」



「どうだろうな」



 それは、とても幸福な時間だった。親になり、僕を生んだ母の気持ちが少しだけ理解できたように思う。

 生まれたばかりの我が子が長くは生きられないと知った時、母はなにを思っただろう。


 僕の息子がそうなったとしたら?


 きっと耐えられない。

 僕は顔も覚えていない父のことを思い出し、切ない気持ちになった。あの人は、きっと耐えられなかっただけなのだろうと思う。そうでなければ少しの間でも、僕を育ててはくれなかっただろうから。



「海愛……ごめんな」



 そう言って頭を撫でると、海愛は途端に泣き出した。



「やめてよ、そういうの……悲しくなるじゃない」



「うん、ごめん」



「バカ」



 泣きじゃくる海愛の頭を何度も優しく撫でながら僕は謝った。



「ごめん」



 謝ることしか、今の僕にはできなかった。




 *   *   *



 それから半年後、蓮は昏睡状態になった。蓮は、私の呼びかけに反応する気配も見せず、眠り続けている。


 最期に、もう一度声が聞きたい。


 私は不確かな願いを叶えるため、蓮の病室に泊まり込んでいた。



「海愛ちゃん。俺ちょっと仕事を片づけてくるから席外すね。なにかあったらナースコール押してね」



「うん。ありがとう」



 蓮の様子を見に来た神谷くんは私にそう告げると、病室を後にした。無機質な音が響く病室で、私は蓮の寝顔を見つめていた。



「ねえ、蓮……最期に一度だけでいいから、私を見て」



 反応がない。



「なにも言ってくれないのね」



 何度繰り返しても結果は同じだった。

 蓮、私待ってるんだよ?アナタがもう一度私の名前を呼んでくれることを。ずっと待ってる。



「最期は笑ってサヨナラしようって……約束したじゃない」



 だから、目を開けて。


 私は蓮の頬に触れる。柔らかくて、温かい頬。生きている証拠。

 その日の夕方、蓮は意識を取り戻した。



「海愛……?」



 今まで全く反応のなかった蓮の瞳が動き、私の名前を呼んだ。その事実がどうしようもなく嬉しかった。



「蓮!」



 ナースコールを連打しながら、私は蓮に抱き着いて泣いた。



「蓮くんの意識が戻ったって、本当かい!」



「はい!」



「田辺……先生」



 蓮は掠れた声で田辺先生の名前を呼んだ。

 蓮はなにかを訴えようとしているように見えた。

 蓮の言葉を聞いた田辺先生は、私に笑顔を見せて言った。



「海愛さん」



「はい?」



「彼は君を心配しているよ。彼女は大丈夫ですか、泣いていませんかって」



 涙があふれ、止まらない。


 なによ、そうやっていつも私のことばかり。私、こんなに愛されてた。



「蓮……私なら、平気だから……私も(ゆう)も、元気だよ」



 (ゆう)。私と蓮の息子。

 私の言葉に蓮は安堵の表情を浮かべた。



「よかった……」



 蓮は私の手を決して放そうとはしなかった。




 *   *   *



 僕は意識を取り戻した。僕はまだ、生きている。

 ああ、隣で海愛が泣いている。


 眠っている間、僕は夢を見ていた。それは今までのような、真っ白な空間に立っているものではない。鮮やかに彩られた世界で、少年は僕に向かって言った。



『キミは、彼女に殺される』



『違うよ、僕。弱虫だった僕。僕は……自分で選んだんだ』



『なぜ?』



 不思議そうに首を傾げる少年に僕は答えた。



『彼女を愛しているからさ』



 咄嗟に、少年と今後会うことはないのだろうと思った。この夢を見るのも最後になる気がした。最後に見た少年の表情は、晴れやかな笑顔だった。

 目を覚ました僕が最初に見たのは目を赤く腫らした海愛の姿。後に姿を現した田辺先生に海愛の様子を尋ねると、彼女は泣き出してしまった。そんな海愛をなだめようと、僕は海愛の手を握って離さなかった。

 容態が安定したこともあり、僕は一時的に海愛と二人きりの時間を持つことができた。



「海愛……僕が死んだらさ「死ぬとか簡単に言わないでよ、バカ!」



 僕の声は海愛の怒声にかき消されてしまった。


 突然の大声に、病室に入ろうとした神谷は扉の前で足を止めた。



「どうして私のことばっかりなの? 少しは自分の心配もしなさいよ!」



 海愛に本気で怒られたのは初めてで、困惑が隠せない。



「み……海愛?」



「死んだら私のことも優のことも守れなくなるんだよ? 蓮のしたいことだってなにもできなくなっちゃうんだよ! 私、そんな弱気な蓮は嫌い!」



 海愛の言葉に僕は体を強張らせる。



「ごめん……」



「謝んないでよ!」



「ごめん」



「ほらまた!」



「海愛!」



 僕は残された力で海愛を抱き締めた。



「……蓮?」



「ごめん……海愛。謝るから、だから嫌いだなんて言うなよ……」



 僕は海愛に拒絶されることを恐れていた。


 他の人間にはどう思われてもいい。だけど、海愛は違うんだ。どんなに拒絶されても、どんなに嫌われても、君だけは……嫌なんだ。

 君は僕にとって世界でたった一人の大切な女の子だから。



「蓮……」



 母になり、海愛はまた美しくなった。


 なあ、海愛。僕、昔聞いたことがあるだろ。僕が死んだ後どうするんだって。なにをしてもいい。ただ、優と一緒に海愛の思う人生を歩んでほしい。



「寂しいの。大好きだから、蓮がいなくなっちゃうって、信じたくない」



「海愛……」



「ごめんね」



「……そうだ、海愛。写真撮ろっか」



「え?」



 僕はデジタルカメラを手に取る。



「はい、撮るよ」



「ちょっと、蓮……もう」



 そうして僕は海愛との思い出をデータに残した。これが、皮肉にも海愛と二人で撮った初めての写真になった。



「僕、少し眠るよ」



 夕方、眠気に襲われた僕はベッドに横たわりながら言った。海愛は優しく布団をかけてくれた。



「ちゃんと起きてよ?」



「分かってるよ。じゃあ約束しようか」



 絡み合う、小指。



「……約束」



 海愛、もう時間みたいだ。ごめんな。僕は最期に一つだけ嘘をついてしまうね。目を閉じたら、僕はもう二度と目覚めないだろうから。



「……海愛、キスして」



 これは、最期の悪あがき。最期の時まで君の温もりを感じていたいんだ。だから、お願い。



「えー」



「お願い」



「……分かった」



 そう言って、海愛は僕から目を逸らし、頬を赤らめ唇を重ねた。

 最期のキスは、僕の中にあった未練を吸い上げていくようだった。


 もう思い残すことはない。



「ありがとう、海愛」



「なんか今日の蓮、甘えん坊」



「ふふ」



 静かな病室の片隅で、僕らは出会った頃のように笑い合った。



「海愛……愛してるよ」



 最期に君に伝えられてよかった。



「最期は、笑ってサヨナラしよう」



 この約束も、守れたかな。



「え? 蓮?」



 そうして僕は目を閉じた。

 医師たちが入ってくることも構わず、海愛は泣き叫んだ。



「れん、蓮! 起きてよ! 約束したじゃない! 嫌……嫌あああああ!」



 僕の体にしがみつき、海愛は声の限りに泣いていた。海愛の隣に立っていた神谷は、泣き喚く彼女を見守ることしかできなかった。


 ねえ、海愛。僕は本当に幸せだったよ。あの日、君に出会えたことを、僕は心の底から神様に感謝しよう。君が僕の人生を変えたんだよ。だから、前を向いて歩いて。君は確かに僕の生き続けるための希望だった。その役目も、もう終わり。これからは、自分のために時間を使ってくれ。


 命の灯が消えた僕の表情は、微笑んでいた。



 ねえ、海愛、笑って?



 僕の命を懸けた大恋愛は、こうして幕を閉じた。海愛は次第に冷たくなっていく僕の体から決して離れず、声を枯らして泣き続けた。








評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ