16話 【幸せになりたい】2
桃色のカーテン。お気に入りのぬいぐるみが沢山置かれたベッド。部屋の中央にある紺色のソファは自宅から持ってきたお古。ここは私、鈴葉海愛の部屋。昼時のテレビを見ながら、私はソファに座り大きな溜息をついた。
バイトは体調不良を理由に休んでしまった。体が重い。微熱が続き、吐き気が止まらない。
私は最愛の人に連絡をしようとしたが、その手は携帯電話を持ったまま止まった。
思い当たる理由が完全にない、と言えば嘘になる。しかしこれは、いくら考えても私一人ではどうすることもできない問題だった。
このままではいけない。そう思い、真偽を確かめるために行動を起こしたのが数十分前。現在、私は信じがたい現実に直面している。嫌な予感は当たってしまうものだ。
「妊娠してるって……嘘でしょ?」
私は陽性を示す検査薬を握り締め、青ざめた。まだなんの変化も見られないお腹を撫で、私は考えた。検査薬の結果を鵜呑みにしてはいけない。一度、病院で見てもらったほうがいい。
思えば生理がこなくなってから三か月が経過していた。蓮と最後に関係を持ったのはいつだっただろうか。
大学を卒業し、お互い新しい環境に馴染みはじめた頃だった。
完全な避妊は存在しない。以前友人から言われたその言葉を思い出し、私は頭を抱えた。
本当なら、今すぐにでも蓮に連絡し、一緒に真実を確かめたい。けれど、私はこの事態を蓮に伝えるかどうか迷っていた。
子供は大好き。蓮との間に宿った新しい命が本当に私の中に存在しているのなら、命に代えても生みたい。私の決断を、蓮は受け止めてくれるのだろうか。少ない余命に苦しむ蓮に、問題を受け入れてくれるゆとりはあるのだろうか。彼の邪魔にだけはなりたくない。
伝えて、もし拒絶されたら……私はどうするのだろう。
考えても、時間は過ぎていくばかり。電話で話すのは、他愛のないことばかりだった。
「お仕事、頑張ってね」
――――蓮、赤ちゃんができたかも。生んでもいい?
「ずっと一緒にいようね。大好き」
本当に伝えたい言葉は、思うように出てこない。
そんな日常に堪えきれなくなった私は、親友に助けを求めた。智淮に連絡を取った私は、その日のうちに会う約束をした。まだ小さい鈴音ちゃんを腕に抱きながら、智淮は快く私を迎えてくれた。
「鈴音ちゃん、今いくつだっけ」
「えっと……あたしが二十一歳の時に生まれたから……今年で三歳かな! ね、鈴」
「しゃんしゃい!」
幸せそうな親子の姿を目の前に、胸が痛んだ。
「で? あんたが突然あたしに会いたいだなんて、なにかあったの? もしかして蓮くんと喧嘩でもした?」
智淮はいつも私にとって一番いい結論を出してくれる。なにより、智淮の言葉は私をいつも励ましてくれた。だから私は、智淮を頼るのだ。
「智淮……あのね、私……妊娠したかもしれない」
「え、本当に?」
私の言葉に、智淮は驚いていた。
「まだ確定してないけど、検査薬使ってみたら、その……」
「おめでとう海愛!」
「え?」
戸惑いを隠せなかった。
「私……生んでもいいのかな」
苦笑いを浮かべる私に、智淮は溜息をついた。
「バカじゃないの?」
「……え?」
「あんた、蓮くんのことばっかり考えてるでしょ。これは海愛の問題でもあるんだよ?あんた自身が生みたいのか、生みたくないのか、ハッキリしないとお腹の子もかわいそうだよ」
――――本当の……気持ち? それは。
私はお腹を擦りながら、言った。
「生みたい。もし本当に、私と蓮の子が、ここにいるのなら……私、生みたい」
私は決意した。なにがあっても、私がこの子を守ろう。神様がくれた大切な、蓮との最後の繋がりなのだから。
私の目を見た智淮は、満足そうに微笑んだ。
「頑張れ、海愛」
「うん、ありがとう」
私は蓮に自分の思いを伝えることを決め、親友の元を後にした。
* * *
僕は海愛の肩を抱きながら、幸せな時間を感じていた。温かい体、生きているとは、こんなにも素晴らしい。
「で、話って?」
そういえば、と切り出して、僕は首を傾げた。
昨夜、電話越しに震える声色で僕は海愛の「会いたい」を聞いた。
そんな経緯で海愛の部屋に招かれたのだが、様子がおかしい。海愛は「話がある」という言葉を最後になにも言わなくなってしまった。
目も合わせてくれない。少し前の自分を見ているようだった。
「蓮……私のこと、好き?」
突然口を開いた海愛に、僕の心臓が跳ねる。
「好きだよ」
僕の返答に海愛の緊張した表情が解れた。
「蓮、あのね」
「ん?」
見上げた海愛の瞳は恐怖で強張っていた。
僕の服の裾を握る海愛。先ほどから様子がおかしい海愛に首を傾げる。
「お前、今日おかしいぞ。どうしたんだよ」
海愛の額にはうっすら汗が浮かんでいた。顔色も悪い気がする。
体調が悪いのかと聞いてみたが「そうじゃない」と海愛は首を横に振った。
「違う、違うの。蓮、あのね……私ね」
海愛は腹に手を当てながら言った。
「赤ちゃん、できたかもしれない」
静寂が僕らを包む。秒針の音が部屋に大きく響く。海愛は拳を握りしめ、震えていた。
「それは……本当なのか?」
なんと言葉を返すのが正解なのか、僕には分からなかった。
「まだ、確かじゃないけど……多分」
正解が分からないから、本音をそのまま伝えようと決めた。
「生もう」
言葉と共に海愛を抱き締める。海愛は安心したのか、声を上げて泣いた。
「私、生んでいいの?」
僕は身重の海愛を抱き締めながら決意した。
まだ、死ねない。
「生んでも、いいの?」
「僕は、生んでほしい。海愛、これは奇跡だよ」
「うん……ありがとう、蓮……私、幸せだよ」
その後、病院の検査でお腹の子は確かに存在し、三か月だと分かった。守るものが増えた現実を、僕は噛み締めた。




