9話 【約束】1
夢を見た。白黒の世界。ノイズが視界の邪魔をする。
僕はそんな空間に立ち尽くしていた。
「やめろ……やめてくれ」
僕は身体をガタガタと震わせ、泣いていた。瞳孔が開き、視線が定まらない。様々な幻覚が襲っていた。
「蓮、ありがとう」
「蓮! 大好き」
莎奈匯、海愛。その他、関わりを持った沢山の人の声が、顔が、ノイズ混じりに僕の視界を通り過ぎていく。
擦り切れたレコードのような視界は、沢山の思い出を蘇らせ、消えていく。みんな、消えていく。
「やだ……いやだ」
行かないで。僕を置いて行かないでくれよ。怖い。一人は、もう嫌なんだ。
瞳から涙があふれ出す。ずっと堪えていた感情が、濁流となって僕を襲った。
「嫌だあああああああああっ!」
夢の中の僕は頭を抱え、その場に蹲る。どうすることもできないまま、僕は叫び続けた。
どうしてこんな悪夢を見なくてはならないのだろう。勘弁してくれ。
「助けて……」
僕の意識はそこで途絶えた。
* * *
十二月。僕は海愛と通学するため、いつものように約束の場所へと急いでいた。
莎奈匯が亡くなったという事実は学校内でも有名な話だった。日頃から素行が悪かった莎奈匯の校内評判はあまり良いとは言えず、莎奈匯の死をふざけた理由で馬鹿にする生徒もいた。そんな光景を目にするたび、必死に殴りたくなる衝動を抑えた。
風化とは恐ろしいもので、莎奈匯の話題を口に出す者も時間の経過と共に少なくなっていった。それがなんだかとても悲しかった。
「あ、蓮! おはよう」
「おはよう、海愛」
十字路の角に海愛は立っていた。
「遅かったね」
「ごめん、寝坊した」
「ふーん。蓮も寝坊するんだね! 私なんて、しょっちゅうだけど」
「威張ることじゃないだろ」
「えへへ」
最近の海愛は、僕を呼び捨てにすることに抵抗を持たなくなったようだ。
初々しさの代わりに変わっていく関係の変化に時間の経過を感じ、嬉しくなる。
那音が転校してからの僕は、一人で過ごす時間が多くなっていた。
以前は保健室で時間を潰すこともあったが、莎奈匯がいなくなった今、あの場所はツラい記憶が蘇るだけだった。
僕は一人でいることに執着していた。それでも僕は現状を打開しようと努力した。クラスメイトの誘いを断ることなく受け、会話をするようになった。勉強が分からない奴には教えてやり、冗談にも笑うようにした。
人間とは単純なもので、次第に人が集まるようになった。僕の変化を感じたクラスメイトたちは、口々に言った。
「櫻井って、怖くて今まで近寄れなかったけど、話してみると結構いい奴だった」
今までは高く積み上げた心の壁が、周囲との間に更なる溝を作っていた。
そんな日常を変えてくれたのが、海愛。彼女と出会い、笑うことを覚え、心から人を想い愛する気持ちを知った。失いかけていた感情を、海愛が蘇らせてくれた。
海愛が僕の人生を変えた。それは過言ではない、と思っていた。
僕は授業を受けながら、窓際の席から空を見上げる。澄み切った青空に飛行機雲が浮かぶのが見える。その時だった。
「櫻井くん! 君はいつも私の授業をまともに聞いていないね? 立って黒板の問題を解きなさい」
教師に名指しされた僕は溜息をつき、仕方なく黒板に向かう。
指定された問題は、今回のテスト範囲とは全く関係のない場所。教師を睨みつけると、彼は得意気な表情を見せる。
そういう人間なのだ。できる生徒を指定し、間違いを強く否定する。教師失格だ、と僕は心の中で悪態をつき、諦めてチョークを手に持った。
試験の範囲外だからと言って、解けない問題ではない。
僕は表情を崩さずにサラサラと黒板に解答を記入する。悩むことなく英語の長文を書き終える。
「できました」
試験の範囲外の問題に、周りがざわつく。
クラスの反応に教師は「うっ」と気まずそうな表情をする。これが毎回なのだから、評判は最悪だ。
「せ、正解だ……皆もテストには関係ないが、補足として覚えておくように」
苦虫を噛み潰したような表情を浮かべながら教師はその後、僕の解答を模範解答として、くどくど説明を続けた。
僕は苛立ちを抑えるかのように、シャープペンシルの芯をカチカチと出し続けた。
* * *
「蓮! もうすぐクリスマスだね」
海愛は僕の腕にすがりつく。
「そうだな」
海愛とつき合いだしてから、半年が過ぎようとしていた。来週にはクリスマスが迫っている。
「買い物して、僕の部屋でクリスマスしようか」
僕の言葉に、海愛は満面の笑みを浮かべた。
「本当? 嬉しい! でも、お母さんと過ごすんじゃないの?」
「母さんにさ、海愛を今度ご飯に連れてきなさいって言われてたんだよ。丁度いいし、クリスマスの夕飯食ってけば?」
「いいのかな」
「僕は来てほしいな、海愛に」
僕の要望に、海愛は即答した。
「行く、行きます」
「じゃあ決まりな」
海愛は僕に寄り添い、嬉しそうに微笑んだ。
* * *
十二月二十四日。
僕らは近くのデパートでケーキを選んでいた。
さすがに人が多い。離れないように手を繋ぎながら、僕らは足を進める。ケーキのディスプレイを見つめながら、海愛は「うーん」と唸り声を上げた。
「どっちにしようかな」
生クリームの上に苺がふんだんに使われたケーキと生チョコでアイシングされたケーキを交互に見つめる海愛。
その姿が可愛らしく、思わず微笑んでしまう。
「海愛が好きな方を選んでいいよ」
僕は甘いものが苦手だった。しかし今日は特別だ。彼女の喜ぶ顔が見れるなら、好き嫌いなど、問題ではない。
海愛は悩んだ末に一つのケーキを指差した。
「これ!」
「わかった、これでいいんだな」
「うん!」
海愛が選んだのは生クリームがスポンジ生地に塗られ、沢山の苺があしらわれたケーキ。
会計を済ませると、海愛は幸せそうな表情を浮かべていた。
「食べるの楽しみ!」
「ああ、言い忘れてたんだけど……」
「なに?」
帰り道、突然立ち止まった僕に海愛は首を傾げた。大きな宝石のような茶色い瞳がきゅるりと僕を見つめる。
「母さん、夕飯を食べたら出かけるんだって」
「そうなの?」
「久しぶりに友達に会うって言ってたけど、僕たちに気を使ったんじゃないかな」
「え」
「つまり、今夜は二人きりってこと」
海愛の頬がみるみる赤く染まる。
夕日のせいだと誤魔化せないほど火照った頬を海愛は両手で覆った。
「蓮、お母さんに正直過ぎだよ……」
「こんな僕は嫌い?」
「……好き」
僕は海愛の手を取り、歩き出す。歩幅を彼女に合わせながら。
「私、幸せ過ぎて罰当らないかな」
「はは、なんだそれ」
寒さでかじかんだ手をしっかりと繋ぎ、僕は海愛の手を引いて、家路を急いだ。
* * *
十二月ともなると、日没は早い。
街灯に照らされた薄暗い道に浮かび上がる二つの影。人の気配に外灯が反応し、僕らは眩しさに目を細めた。
家の鍵を開け、海愛を先に玄関へ入れる。真っ暗な家の中に人の気配はない。
「母さんまだ帰ってないみたいだから、先に準備してようか」
「あ、うん! そうだね」
僕は電気を点けながら靴を脱ぐ。座り込んでブーツを脱ぐ海愛に台所の場所を教えると、僕は先に台所へと向かった。
買ってきた材料をテーブルに並べていると背後に気配を感じた。振り返ると海愛が台所の入り口に立っていた。
「おいで」
僕の手招きに海愛は嬉しそうにかけ寄ってくる。
「僕は片づけしてるから、海愛は料理の盛りつけしてくれるか?」
「これ? 分かった」
海愛はテーブルの上に置かれたオードブルを手に取り、中身を皿に盛りつけ始めた。
母のエプロンを着る海愛の後ろ姿に、僕は例えようのない感情を覚える。
一通り準備を終えた頃、母が帰宅した声が玄関から聞こえた。
「ただいまーごめんね、遅くなっちゃって」
先に玄関に向かったのは海愛だ。
「お、お邪魔してます! クリスマスに呼んでいただけて嬉しいです!」
ペコリと頭を下げる海愛。母は海愛の身につけたエプロンを見つめ、目を細めた。
「エプロン、似合ってるわよ海愛ちゃん」
母の指摘に、海愛は目を丸くする。
「あ、すみません! 勝手にお借りして……」
慌てる海愛に、母は微笑む。台所まで聞こえる母と海愛の会話に笑ってしまった。
「娘ができたみたいね、うふふ」
母の言葉に海愛はみるみる頬を赤らめた。
「いえ、そんな!」
「ああ、将来のお嫁さんだもんね! 私の娘同然か」
照れて真っ赤になる海愛に、母は笑顔を見せ、買い物袋を持ち、台所に顔を見せる。
息子が台所に立っている珍しい状況に、母は笑った。
「あんた台所似合わないわね」
「うるさいな」
「包丁は? 危ないから刃物は使っちゃだめよ」
「分かってる」
一度出血しようものならどうなってしまうか、僕はよく知っていた。母も最悪の事態に備え、常に気を張っている。
漂う重い空気。海愛は状況を打開しようと、明るい声を発した。
「ご、ご飯にしましょうか!」




