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第四章 毒入りの放課後

放課後の校舎には、昼間の喧騒が嘘のように静寂が漂っていた。陽が沈みかけた窓からは、薄紅色の光が斜めに差し込み、廊下の床を長く伸びる影で満たしていた。

その日、生物部は理科室で植物標本の整理を行っていた。古い押し花帳、乾燥標本、顕微鏡。部長の田代は、いつものように淡々と作業を進め、後輩たちは与えられた仕事に従って黙々と働いていた。

だが、静けさは突然破られた。


「せ、先輩っ......! 須藤先輩がっ!」


女子部員の叫びに、田代が飛び上がる。視線の先、準備室から出てきた須藤が、胸を押さえてうずくまっていた。顔は青白く、口元から泡がこぼれている。


「手……指が痙攣してる! なにこれ、どういう……!」


叫び声に気づいた教師が駆けつけ、すぐに保健室へ搬送された。騒ぎは瞬く間に全校へと知れ渡り、次の日には蒼とひすいの耳にも届いた。


「強い神経毒の反応があったらしいよ」


昼休み、蒼は小声でひすいに囁いた。二人は人気のない図書室の窓際に腰掛け、手帳を広げながら情報を交換していた。


「毒物の名前は?」


「ストリキニーネ。少量でも筋肉に激しい痙攣を引き起こす。特に接触した場合、皮膚や粘膜から吸収されることもある」


「そんなの……実験室に置いてあるような代物じゃないわ」


「そう。問題は、どうやって混入されたかだ。生物部の準備室にあったハーブ抽出液が、いつの間にかすり替えられていた。代わりにストリキニーネが混じってたらしい」


ひすいは眉をひそめ、思案深く机を見つめた。


「マチンの種子……日本じゃまず手に入らないはず」


「だよな。正規の医療でも使われてないし、毒劇物取扱の免許がないと所持できない」


「つまり、それを持ってる人間は限られてる」


二人は顔を見合わせた。

蒼は放課後、理科準備室へと足を運んだ。顧問の冬川はすでに帰宅しており、生物部の部員も誰もいなかった。

鍵は施錠されていたが、校舎管理の川津用務員が通りがかったタイミングで「忘れ物を取りに行きたい」と言って鍵を借りた。

準備室の扉を開けた瞬間、薬草のような乾いた匂いが鼻をついた。蒼はゆっくりと足を踏み入れ、棚の並ぶ部屋の隅々を目で追った。

ガラス瓶が並ぶ棚。ラベルが貼られた液体の中に、一つだけ手書きで「抽出中」とだけ書かれた小瓶があった。蒼は手袋をはめてそれを持ち上げ、光に透かす。

沈殿物の色が違う。

他の瓶の液体は淡い緑だが、その瓶だけはごくわずかに黄色味を帯びていた。

蒼はそっと瓶を戻すと、その場の記録ノートを開いた。日付と時間、誰が何を用いたかが記されている。だが、事件当日の記録だけが「記入忘れ」となっていた。

意図的だ。

準備室を出ると、背後で誰かの足音がした。振り返ると、ひすいが立っていた。


「驚かせないでよ……」


「ごめん。調べてたんでしょ? わたしも、保健室の先生から症状を聞いた」


「ストリキニーネだった?」


ひすいは頷いた。


「でも、面白いのはここから。ストリキニーネって、本当に少量でも痙攣を起こすのに、被害者の症状は軽かった。……つまり、誰かが“量を調整した”可能性がある」


「毒の実験……?」


「違う。“予告”かもしれない」


蒼は背筋を伸ばした。


「復讐か、警告か。あるいは自己主張……」


「そう。私はここに来てから、どこかで誰かが“私を試している”気がしていたの。あえて、私が気づくようにしている。……でも、誰?」


蒼は思い出した。生物部顧問の冬川ふざけた態度が多いが、かつて薬品の扱いを誤り、生徒に軽傷を負わせたという過去が噂されていた。

さらに、ひすいの母・白崎真理の過去の裁判記録には、彼女の元研究仲間として“冬川博之”の名があった。


「……まさか」


「関係がある?」


「冬川が、母親と同じ薬草の研究をしていた可能性がある。証拠はないけど……あの人、怪しい」


翌日、二人は職員室の掃除当番を装って、冬川の机に目を向けた。

書類の奥にあった茶色い封筒。中には、標本の写真とともにマチンの種子の乾燥標本が入っていた。小さな棘のついた異様な形の種子が、ラベル付きで透明の袋に収められている。

蒼は震える手で袋を持ち上げた。


「これが、事件に使われたもの……?」


「おそらく。でも、まだ証拠不十分」


「化学検査をしよう。成分を採取して、毒物検出キットで調べられる」


「……本気なのね」


「もう、逃げられない。これは誰かを試す“毒”じゃない。次は、殺すつもりかもしれない」


その夜、二人は駅前の古びたカフェの奥、貸切状態の隅の席でノートパソコンを開いた。蒼は自作の成分反応分析シートを用意し、手に入れた標本の一部をスポイトで試験液に加えた。

結果は陽性。


「反応が出た。ストリキニーネが検出された」

ひすいは目を閉じた。


「これで……彼が関わっている可能性が高まった」


「でも、まだ決定的じゃない。僕たちのやり方じゃ、警察は動かない」


「なら……“もうひとつの証拠”を探すしかない」


その瞬間、店の外のガラス窓に小さな音が響いた。二人が顔を上げると、外に誰かの影が通り過ぎた。


「……見られてた?」


蒼は立ち上がったが、外にはもう誰もいなかった。

その夜、ひすいは夢を見た。

雨の降る夜。母の診療室に、誰かが静かに立っていた。振り返ったその男の顔は、今の冬川とよく似ていた。

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