スタートダッシュ!
中学3年生の周遥香は、足を怪我した陸上部のエース、緑川夏希に代わり、体育祭の選抜リレーで走ることになった。次の文章を読んで、後の問いに答えよ。
こんなに走りたくないと思ったのは初めてだ。
補欠だった一昨年は、むしろ出番が回ってくることをどこかで期待してしまっている自分がいた。去年は補欠にすら選ばれなかった。
でも、実際に走ることになるとどうだ。誰も私が走ることに期待していないし、全く良く思わない視線が痛かった。
上を向いて涙を堪える。視界を埋める空は真っ青で、雨なんて降ってくれそうになかった。
「白組、準備お願いします」
係の生徒の声で入場門に並ぶ。何の迷いもなく並んでいくみんなの中で、夏希に教えられた場所に行くと、案の定先頭だった。
校庭では、一年生の台風の目が進んでいる。きっと今日のために一生懸命練習してきたのだろう、それぞれが本気の表情で回る、回る、回る。どうやら白組の掛け声は特殊なようで、何を言っているのか聞き取れなかったが、とにかく楽しそうだった。
ふと、その中の一人と目が合う。その瞬間、そこに私は私を見た。
二年前、私は台風の目もそこそこに、リレーに出る人達が羨ましくてならなかった。なぜ彼女達で、私ではないのか。そこにはタイム以上の隔たりがあり、納得なんてできるわけがない。憧れと、それ以上の嫉妬を持って見つめていた入場門が鮮明に蘇る。
二年前の自分を、思い切り睨み返した。見られても困るのだ。私はあなたが憎むような人間でも、憧れるような人間でもない。むしろあなたが羨ましい。リレーは団体戦だが、走り始めてしまえば個人戦だ。誰かと並ぶのは、どちらかが負けるときだけ。仲良く台風の渦に飲まれてしまいたいと思うのは贅沢なのだろうか。
「あれ?夏希は?」
一気に周りの温度が下がったような気がして振り返る。私に向けられた声ではないと希望を持ったけれど、紅組の先頭の女子は間違いなく私を見ていた。
「白のスタートって、夏希じゃなかったっけ?」
「夏希、怪我してて……」
「あ、そうなの?残念。せっかくリベンジできると思ってたのに」
悪気がないのは知っている。でも逃げ出したくなるほど、その一言は私に刺さった。
「ごめんね、夏希じゃなくて」
何か気の利いたことを言いたかったけれどそれしか言えなかった。
「あ、そんなことないない、一緒に頑張ろ」
ガッツポーズにガッツポーズで返す。また気を遣わせてしまった。彼女は少しだけ困ったように笑うと、クラスの作戦会議の方へと呼ばれて行った。
気を遣ってほしいわけじゃないのに。むしろ、自分の無力さを痛感させられて嫌だ。ただ、ここにいて良いよと、走って良いよと言ってほしい。
でも私はどうしたって補欠で、私が走ることはつまり、誰かが走れないということを意味する。クラスメイトは夏希に同情している。素直に喜べるわけがない。走ってる瞬間だって、応援席には夏希がいる。他の走者に受け止められないほどの歓声が注ぐ中、夏希に気を遣うクラスメイトは、私を応援しないだろう。
誰かに認められたくて走るのではない。いつだって私は自分のために走ってきた。でも、それは拷問すぎないだろうか。
一年生が退場し、係の生徒の指示で私も重い足を上げて歩き始めた。遠くでそれぞれのクラスが選手を応援している声がする。絶対に応援席など見るものか。すぐに走って、誰にも気付かれないくらいに早く走って、私の時間を終えてしまおう。
脳内に入り込んでくる歓声をシャットアウトしていると、突然後ろから肩を叩かれた。振り返ると、美南※注1が応援席のほうに手をやっていた。一応見ると、応援席の先頭で大きく手を振っているのは……夏希だった。
「遥香ー!!Fight!!」
見ているこっちが恥ずかしくなるくらい、とびきりの笑顔で私を「応援」してくれいる。そうだ、夏希は、こういう友達だった。
「遥香ならできるよー!」
一言一言噛み締めて、スタートラインに向かう。もう私は一人じゃない。
開始を告げるピストルが、青空に響き渡る。
空を震わせる歓声の中に、私は駆け出した。
※注1 美南…遥香のクラスメイト、リレーの第二走者
問
「視界を埋める空は真っ青で、雨なんて降ってくれそうになかった」とあるが、遥香が雨を求めた理由を述べよ。