秘密
アーネスはいつも真っ直ぐだ。
それなりに葛藤や悩み、怒りや悲しみなんてモノもあるだろうが、「真摯さ」では俺の知る誰よりも強い。
突き出された拳と、真剣なその瞳。苦笑いになりそうな顔をどうにか堪えて握った拳の甲を合わせた。
他の三人の溜息を聞きながら、ふと子供の時の事を思い出した。
俺には産まれた時からの記憶がある。
もっと言えば胎内記憶といわれる母親の中にいた時からの記憶だってある。
俺は忘れる事が出来ない。
見た物、抱いた感情、声、音、肌で感じる感覚や味や痛み。
それら全て、残ってしまう。
不意に蘇る恐怖や痛みに、子供の頃は悩まされたものだが、歳を重ねて「思い出さない」術を身に付けて、単純に目の前に集中するだけだが、必要な時に、必要な事だけ思い出せるようにもなった。
その最初のきっかけは幼馴染のアーネスだった。
「スッゲー、なあなあ、お母さんのお腹の中ってどんな感じ?」
キラッキラした目で俺に、そう言ってきたのは出会って間もない頃、孤児院のベッドの中でだった。
計算が出来た俺が、孤児院の母さんに褒められた日の夜、寝る前の雑談で「記憶」の事について話した。
その返しがソレだった。
父は森で狩りの最中に魔物に襲われ、母は旅の冒険者が持ち込んだ流行り病で、それぞれあっさり死んだ。
俺は七歳で近くの街の孤児院に引き取られ、先にそこにいた同い年のアーネスと出会った。
アーネストリー・トルレイシア。
孤児院の子供達は孤児院の名をファミリーネームに持つ。
姓を持たない人も多い。
田舎の農民や辺境の集落民、定住していない遊牧民、姓を剥奪された奴隷や犯罪者等だ。
姓を持ち役所に登録する事で市民権を得る。
十五歳になると成人とみなされ孤児院を出て、同時に納税の義務が発生するが、比較的安全な街での生活を許される。
「暗くて狭くて、でも温かくて、そんな感じ」
ちょっとぶっきらぼうな感じで答えた俺に、さらにキラッキラな目で見てくるコイツを、最初は「ウザっ」って思っていた。
実際、最初の頃はよくは口に出てた。
その度にえらくショックそうな顔をしていたが、でもなんだかんだ二人で行動しているうちに、コイツ以上に、信用も、信頼も出来るやつはいなくなっていた。
十歳で初めて小遣い稼ぎの街のドブさらいをした時も。
その金で小さくて、今思い出してもたいしたこともない味の焼き菓子を買って食べた時も。
十二で冒険者に登録する為に孤児院の母さんに頭を下げに行った時も。
三日粘って母さんを説得して冒険者になり、初めての依頼で町中で商店の倉庫整理と掃除っていう地味な初仕事をした時も。
みんなコイツ、アーネスと一緒だった。
二人で何かしている時には、不思議と辛い記憶が蘇ることがなかった。
それに気付いた事がその後の、「記憶の制御」の足掛かりになった。
制御を離れて子供の頃を思い出したのは、コイツの変わらない眼差しのせいかもしれない。
心が少し軽く、柔らかくなるから。
はじまりはいつも二人だった。
成人の祝祭の日。勇者の加護が、アーネスにあると分かったあの日。
俺はいずれ道が別れる事を知った。
ちょっと戸惑いながらも幼い頃の様なキラッキラな笑顔を浮かべるその隣で。
俺には秘密がある。
幾つか。
その最たるモノは加護が「複数」ある事。
祝祭で儀式を受けると加護の有無がわかり役所に記録される。
加護持ちは「全生命」の五割弱といわれていて、特に珍しい訳ではない。
ただ、アーネスの「勇者」やバル、レミド、ジード爺様が持つ「○○神の寵愛」という加護は非常に稀で、尚且つ恩恵が大きい。
俺の加護は「七大神の祝福」。
通常、「寵愛」系の加護より「祝福」系は効果が一段落ちるといわれている。
ただ一般に信仰されている七大神全てから祝福を受けるというのは、一柱の神の寵愛より効果が高く、広範囲に及ぶという壊れた、そして困ったモノだった。
過去に数例しか記録になく、何らかの偉業をなした人物ばかり。
俺達の住むアゼストリア王国の初代国王だったり、現在の魔法の基礎理論を整備した大魔法使いだったり、人族でありながら百八十年生きて世界を放浪し、「流浪の聖女」と呼ばれた治癒術士だったり。
アーネスの「勇者」、俺の「七大神の祝福」。
稀有な加護持ちが、同時に現れたって事で大騒ぎになった。
俺の混乱を余所にして。
加護の有無は教会にある「聖杯」に触れる事で、聖杯に満たされた「神酒」に文字が浮かび上がり、書き写されて記録され、本人の心の中というか、頭の中というかにも伝わってくる。
七大神の祝福より先に俺には「異界で生を終えた者の欠片」という、「コレって加護か?」という疑問しかないモノが伝わってきた。
たまに「放浪者」とか「酒豪」とか、加護っぽくない加護持ちが出るらしいが、聞いた事がない加護だった。
俺のそれは神酒には浮かび上がる事はなかった。
次いで七大神の祝福が伝わって来て、最後にちょっと間を置いて、「勇者を打倒出来うる者」と伝わって来た。
慌てて、でも目だけで周りを見回したが、先に聖杯に触れたアーネスが勇者の加護だった事に加えて、俺が七大神の祝福の加護だった事に周りは騒ぎになっていた。
そして「勇者を打倒出来る者」も神酒には浮かばなかったらしい。
心臓の音がうるさかった。
周囲の音が霞む程に。
誰にも知られてはいけないと思った。
祝儀を取り仕切る司祭も、加護を書き写す街の役人も、周りにいた参列者も、笑顔で祝いの言葉を掛けてくれていた。
誰の表情もおかしなことにはなっていなかった。
少しだけ安堵したが、それでもしばらくは鼓動が耳障りだった。
冒険者として生計を建てる予定だった俺達は、一旦孤児院に戻った後、まとめてある荷物を持って、下級冒険者向けの安宿に移る予定だった。
だが祝祭が終わると役所に連れて行かれ、役所が押さえた宿で待機しているように言われる。
マローダと名乗った、小柄でちょっとふくよかな、でも人好きする様な顔立ちの役人は、俺達にソファを勧めると対面に座り、そんな事を言い出した。
曰く、なんでも王城に呼び出されるらしい。
「日銭を稼いでなんとかしないと、一日二日ならまだしも俺達元孤児は生きていけない。」
と、アーネスが言ったのだが、少なくとも王城に招かれて国王と謁見するまでは、心配しなくていいと返ってきた。
「イヤイヤ、コイツはまだしも俺は王様に対する礼儀とか知らない。下手な事して投獄とか打首とか、そんなのはゴメンだ。」
横でもっともだと思っていたが、マローダさんはイイ笑顔で言ってきた。
「大丈夫。国王陛下は下々にも寛容なお方だと聞き及んでおりますし、使者が来るまでと道中で、私が最低限の作法はお教えします。」
「あっ、コレ、拒否出来ないヤツだ」と思ったが、アーネスは分かってないのか、尚も食い下がる。
「てか、服だって今着てる古着と変わらないモノしか持ってないから身なりの事だってアレだし、何より王都で放り出されたって、帰って来る路銀もねえよ。」
「それに関しても大丈夫です。謁見の前には騎士見習いの正装を貸与しますし、こちらに帰って来るのなら私と一緒に帰って来ればイイのです。」
イイ笑顔を崩さないマローダさん。
まだ何か言いたげなアーネス。
二人の顔を見比べてから、俺は深く息を吐く。
「諦めよう、アーネス。それに国王陛下の謁見の機会を無碍にしたら、それこそもっと問題になりそうだ。」
そこまで言った瞬間、視界が真っ白になった。
突然、気を失ったらしい。
この時、俺は抱える秘密が二つ、三つと増えた。
書き溜めが底をついたらわかりませんが、週二での投稿を考えています。