晩年の過ごし方
開店直後。お客さんの姿もまだない、静かな朝。ティッサは作業台の横に座って朝刊を読んでいた。ぼくはその近くで、作業台の上のおもちゃ達を、午後に遊びに来るであろう子供達が遊びやすいように並べている。
今日は誰が、どんな風にぼくやおもちゃ達と遊んでくれるかなぁ。そんなわくわくを感じながら作業していた。
「シェーラザードの寺院で、五十年振りに白銀竜様の神像が御開帳されるんだぁ……」
この世界の宗教。世界を創造した十一の神竜様、それぞれの役割を「思想」として、人間達は伝えてきた。例えば夢幻竜様だったら「安息」、天空竜様だったら「自由」。自分の人生にとって何より大事なものが「安息」だと思う人だったら、信仰の対象は夢幻竜様ってことになる。
三大陸で信者数が最も多いのは最高神の太陽竜様と、大地を司る神竜「白銀竜様」。聖夜は太陽竜様の、雪まつりは白銀竜様の生まれた日として伝わっていて、それぞれの宗派の一番大切な日。ミモリ様が「子供達におもちゃを配る日」としてその日を選んだのも、それだけ特別に思ってる人が多いからこそだ。
神竜像は世界最古の絵付き物語に描かれていた神竜様の絵を模して彫られることが多い。一部の神竜様、巨神竜様や断罪竜様は偶像崇拝を禁止されている。ていうか巨神竜様に関してはG大陸グランティスで現在もご存命だから、「自分の像を好き勝手に使われるなんて気味が悪いわ! ていうかあたしはふっつーに生きてるんだから像なんか作るくらいなら直接会いに来なさいよ!」っておっしゃってるんだとか。前に新聞でそんな話を読んだ。
「御開帳は五十年に一度。今回を逃したら、私が生きてる間に次の機会はないでしょうね」
ティッサも、もうすぐ四十歳。人生五十年って言われているけど、だいたいの人は六十歳前後までは生きてる印象。だけど、ティッサもそろそろ、先行きが気になる年代にはなってきたんだろう。
「見に行きたいからトイトイ、またお店番していてくれる?」
「……話せなくても見えなくてもいいから、ぼくも一緒に行きたいなぁ」
ぼくが残ってお店を開けていれば、僅かでもティッサの収入に繋がる。わかっているんだけど、何故だか今回はそんな気持ちになった。
ちょうど、フィオ君からの手紙が届いて、あっちのトイトイとG大陸を旅行してみたんだって書いてあったからかな。ちょっとだけ、ぼくもそういう思い出が欲しいような気がしたのかも。なーんの意味もなくても、一度だけでも。ティッサにとって特別な旅を、一緒に行ったんだって思い出が。
「ダメ?」
「ダメなわけないじゃない。私も、ひとり旅よりトイトイと一緒の方がたぶん、楽しいって思うはずよ」
そういうことなら一緒に行きましょうか。ティッサはそう言ってくれた。
「私はどの神竜様推しとかないんだけど、神竜像を作る職人さん達の心境には興味があってね。だから貴重な神竜像はなるべく見ておきたいっていうのがあるのよ。
私利私欲や娯楽じゃなくって、信仰の形を表現しているんだもの。それに、私が作るごく普通の大衆の為のおもちゃや人形と違って、神竜像は数百年とか千年前の作品も現存しているじゃない?
当時の職人さんはどんな気持ちでこれを彫ったのかしらって想像しながら眺めると、自分までその時代まで遡っているみたいな気持ちになって……」
ぼくの返事を求めてない、でも確かにここで聞いていて欲しいとは思っているであろう、ティッサのなが~い語り。きらきらした目でひとりで、一方的に好きなことについて喋り続けるティッサを見ているのはぼくも好きなんだけど。ティッサ自身は自分だけで語っていたことに気付くと、「またやってしまった……オタク特有の早口」って落ち込んじゃうんだよね。
というわけで、ぼくも初めての、生まれ育った街を出て旅をしてきた。街の入り口の検問所を出て、即、目の前が真っ暗になって。そしておそらく数日後に意識を取り戻した瞬間にはもう元の街の中、って感じだったけど。
「六百年前までは神器も保管していたって伝えられている、白銀竜様の出自に関わる特別な寺院なんだって。現存する白銀竜様の像の中じゃ特別な作品にあたるみたい。拝観の際にはトイトイも抱っこして、ご一緒させていただいたからね」
そういう風にしてもらえて、思い出の時間を共有出来て、ぼくも嬉しい。でも、そんなに素晴らしいものなら、やっぱりぼく自身も見られたらもっと良かったなぁ。
ティッサの五十五歳の誕生日。常連のお客さんがお店の中でお祝いをしてくれて、みんなでケーキを切り分けて食べて、閉店した後のことだった。
「せっかくのお祝いの場でみんなに気に病ませたくなかったし、一番最初はトイトイに相談したいと思って、さっきは言わなかったんだけどね。そろそろ、お店にも飾っている私の宝物を少しずつ、整理していこうと思うの」
お店には、売り物を飾るための棚と、ティッサの買い集めたおもちゃや人形などの中でも子供達の遊びには向かない高級品や、彼女にとって特別思い入れのある作品を展示するための棚が分かれて設置されている。
売り物の棚はこれまで通り、だけど個人的な収集品を、少しずつ手放していこう。そう決めたのだという。
「もちろん、全部ではないよ。この子とこの子、これだけは人生の最後まで持っておきたいから。それ以外の子をちょっとずつ、欲しいと思ってくれてる人のところへ渡そうかなって」
「もったいない……ティッサが死んでしまうまで、お店に飾っておいたら? このお店は元々ミモリ様の物件なんだし、お金だけ用意しておけば中のものはまるごと、廃棄業者さんを手配して片付けてもらえるんじゃない?」
ミモリ様の公認弟子は、彼女の物件を無償で貸してもらえる。正直、このお店の売り上げはティッサの衣食住を維持するくらいしか稼げていないから、店舗の賃料まで必要となると「おもちゃ屋さんを経営する」っていう彼女の子供の頃からの夢は叶わなかっただろう。
「理想でしかないんだけどね……ゴミとして捨てられるのなら、私の次に使ってくれる誰かのところに渡してあげたいの」
別に、大事にしてくれなくてもいい、もちろん大事にしてくれるならこれ以上に嬉しいことはないけれど。小さな子供におもちゃとして使い倒してもらって、ボロッボロになってしまったっていい。ともかく、自分のところからゴミとして出すということが、ティッサにとっては耐え難いみたいで。
「それにね。人生の終わりには、あなたのことだけを見ていたいのよ。ね、トイトイ」
その後、しばらく経ってから、ティッサは常連さん達に事情を説明して、気に入ったものがあったら是非持ち帰ってくださいとお勧めし始めた。展示棚にも同じ説明書きと、大きな文字で「ご自由にお持ち帰りください」と書いた紙を貼りつけた。