スノーボール・アース
【星の始まりの物語】
僕という星が目覚めた日。あの時、僕はどうして自分の瞼を持ち上げたのだろう。もしそうしていなかったとしたら、世界は今もあの状態のままで続いていたのだろうか。
その時の僕は何も持ち合わせていなかった……温もりも、潤いも、知恵も、感情も、願望も、自由も。だからこれから物語る描写は、何もかもを獲得してからの僕が「始まりを振り返っている」。そういうことになるだろう。
体を動かすということを知らない僕は、大地に根を張る木のように棒立ちに、天を見上げていた。
この星は、全てが氷雪に包まれていた。見渡す限り、視界に入る全てが白、一色に染まっている。後世の人類が僕を「白銀の神・ソウジュ」と呼んで伝承したのはそれが由来らしい。
何も知らないはずの僕は、空っぽの心で何を思い、願ったのだろう。「無」しかないところから何かが発生するなんて……。
「……わかったよ、ソウジュ。君がそう望むなら、今後、俺の光をそちらへ降らせることにしよう」
雪に包まれた僕が最初に願ったのは、「温もりが欲しい」ということだったらしい。
後に教えてもらったのだけど、そもそも。僕達というちっぽけな世界を覆う遥かな「宇宙という世界」の始まりだって、無から発したただ一点の光だったというのだから。僕達の世界が無から発した僕の小さな願いから始まったというのも、さしたる不思議でもなかったのかもしれないね。
僕達の銀河の主、他の誰にも代われない最高神。「太陽の神・マリア」は、僕には自覚のない僕の願いをどこか遠くから聞いていたようだ。それを実現するために必要だからと、僕のきょうだい星のみんなをここへ集めることにしたと告げる。
太陽の熱が雪を溶かし始めて、星を覆う白銀が薄れ始めた。それが何を意味するのかわからないまま、僕は宇宙を見上げていた。そこは、せっかく開いた目を閉じてしまいたくなりそうな、光の海だった。果てしない黒い海いっぱいに沈む数えきれない光は全て、僕達と同じように、ひとつひとつに星の命が宿っている。畏れ多くて、目を背けたくなる。怖ろしいのに、そのかけがえのない美しさに目を逸らせない。
この時の僕には知り得なかったけれど、生き物が生きるというのは常に、こんな感じだった。命はいつも、表裏一体。眼前に広がる幸福を得るために、同等の苦難を背中に負い続けているのだと。
天の海に浮かぶ星々の中で、他の誰よりも大きな光を放つ存在があった。それは、彼という星の本体が誰より大きくて内包する光が強い、ということではなくて。ただ単純に、僕という星に最も近い位置にあるからという、それだけだった。そも、星の光は自らが放っているものばかりではないからね。僕達の銀河で自ら光り輝いているのは太陽だけで、僕達はあくまでその光の恩恵で輝いているだけなのだから。
「こんばんは、ソウジュ様。ようやくあなた様のお目にかかることが出来て光栄です。私は月の神・セレネー。かねてから、あなたにお伝えしたいことがあったのです」
いわく、月の役目は地球の運命を見守ること。ゆえに、セレネーは知ってしまった。これからこの星に悲劇が起こることを。
「これからソウジュ様に、この星に罪深き生物を誕生させようと誘惑する者達が接触してきます。その甘言を聞き入れてはなりません。私はあなたという、純白の美しき星を、生態系によって穢されたくないのです」
セレネーからの接触はこの一度限りで、僕は決して、その願いを忘れていたわけではなかったのだけれど。心からの思いやりでそう願ってくれた気持ちを無碍にした、自身の不実に対しては、申し訳なかったなぁと述懐してしまう。
「こんにちは、ソウジュ様! 私はイリサと申します。やぁ~っとソウジュ様とお話しが出来るようになって、私はとっても嬉しいですっ」
最初に僕の前にやって来たきょうだい星は、「海の女神・イリサ」だった。彼女は他のきょうだい達と違って、氷雪の形として一部が僕のそばに元から在ったらしい。なにぶんそれが凍り付いていて、海の形を成していなかったため話しかけることが出来なかったという。
「マリア様がおっしゃっていました。これから他のきょうだい達も皆、ソウジュ様の星に集まるのだそうですね。賑やかで楽しくなりそうですけれど、私はソウジュ様とふたりだけで静かに過ごせる時間も捨てがたいなぁって思うのですよ。と、いうわけで。よかったら今のうちに、ソウジュ様と私でこの星を旅してみませんか?」
イリサに手を引かれて、大地に根付くようだった僕の足は、その時初めて動いた。一歩目を、前に踏み出した。赤ん坊が成長過程で歩き方を学んでいくように、ゆっくりとした動きで少しずつ慣れていく。
「雪」以外の自分の実態をほとんど知らなかった僕は、イリサにあちらこちらへ連れられて、自分の姿をようやく知るという体たらくだった。なんだか情けないなぁ、と思うのだけど。
「自分自身の姿が見えにくいなんて仕方ないというか、自然なことじゃないですか。私は自分の星からソウジュ様のお姿を遠目に眺めていたから、ソウジュ様の形を知っているのです。自分以外の誰かがいるから、自分のことが見えるようになったのですよ」
この頃、僕の星にあったのは、たったひとつの大きな大地。それ以外の大部分は溶けた雪が海に変わったものだった。
僕という星に対して彼女という存在は、あまりにも影響が大きくて……その後の僕が選び取る道の先に、常に彼女が立つ姿を想定してしまったのは……仕方ないというか、自然というか。必然だったんだろうと僕は想うのだった。
それから順番に、きょうだい達が僕とイリサのところへ現れては挨拶を交わす。
「こちらは知の神・ミリー。私の星のお隣さんですね」
「叶うならば、自分の星でこのままとこしえに眠り続けていたかった……働きたくないでござる……」
「はい、このように。『のんびり』とか『平坦』を何より求める性格なのです」
なんだか、僕のせいで希望が叶わなかったみたいで、申し訳ない気持ちになる。
「まぁ、いいよ。この星は現状、秩序が保たれている。吾が働かなければならない環境ではなさそうなのでね」
次に現れた猛き心と穏やかな心の双頭、「感情の神・エリシアとイルヒラ」。彼らを迎え入れたことで、僕の中にも多様な感情が育つようになった。
その次が「創造の神・リリア」。この世に実在しない物語を思い描く、というのは、この時点では彼女だけに許された能力だった。次から次へと、溢れ出るように夢物語を僕達に語り聞かせてくれる。
次にやって来たのは「自由の神・エル」。僕達きょうだいの中では一番、体が小さい。顔を合わせれば「ごめんあそばせ」と挨拶はしてくれるけれど、ひとりで自由に空を飛ぶのが好きな少女だった。
最後。ついに、マリアが到着した。しかし、彼の人となりは「最高神」として想像していたのとはかなりの乖離があった。
「自分で作った覚えがないのに、いつの間にか子供が八人もいるなんて……君達にとっての立派な父となる自信が俺にはないよ」
「なんだかんだで皆、個性とそれぞれの主張の強いところありますからね。確かにまとめる立場となるとマリア様は大変かもですね」
しょんぼりとして肩を落とし、さらに項垂れてもいる彼の頭は、僕達よりも小柄なイリサが背伸びをしなくとも手が届く。彼女はよしよし、頭を撫でてあげていた。
「そういう事情なら父と呼ぶより、あなたもきょうだいと思って接していいのかな」
「そうしてもらえたら助かる、かな……」
「わかったよ。よろしくね、マリア」
「了解です、ソウジュ様、マリア様!」
「あの、イリサ? 今の話聞いてたかい?」
「なんででしょうね~。ソウジュ様とマリア様に関しては、こうお呼びしないと落ち着かないと申しますか。こうしないと私らしくいられない気がするんです」
「そういう事情なら、そのままでもいいかな」
「わーい、ありがとうございます!」
【捕捉説明】
星のはじまりの出来事は実際にソウジュが体験したものではなく、先代白銀竜スノウ=サーラの記憶です。
眠っているソウジュがサーラの記憶を夢に見て、自分と同世代神竜の面々が同じ行動をしたかのように追体験しています。
なぜそうしたかというと、今更別の登場人物(サーラ達)の話として書いても、読んでいて共感がないというか、面白くないだろうという作者の判断です。