表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【GRASSBLUE Ⅱ 青草戦記】儚いからこそ、人の夢は星よりも尊き輝く。絆と情熱のファンタジー  作者: ほしのそうこ
魔法剣の姫は、まもなく散る猛き花を愛しました。 【Passion dragon Arc=Lyra】
29/47

愛を告げない夜

 春先。わたくしの二十一歳の誕生日は、この季節にしてはほんのり肌寒い一日でした。




「アッハァ、これはこれはレナ様! おひさしゅうございますね~え、相も変わらず本職をそっちのけにして恥ずかしげもなく、予選会なんぞにうつつをぬかしておられるとか?」




「よくも、わたくしの為の宴に堂々と顔を出せたものですね……ポーラ・メイディッチ」




「おやァ? 寝ぼけていらっしゃるんですかァ? グランティス王家からメイディッチへ招待状がちゃァ~んと届いているんですけどぉ~?」




「あの招待状の宛先はあなたのお父君とご嫡男になっているのですけど。目が見えていないのはあなたの方ではなくて?」




 剣闘場でわたくしの顔に「意図的に」傷を負わせたのが明らかであっても、「王族や女が相手であっても手加減せず全力で闘うこと」という規則がある以上、メイディッチを王族の開催する宴から除外するわけには参りません。そのような不義理を、エリシア様は決してお許しにならないでしょう。




「それに、恥ずかしいのは『たった一度、剣闘場の歴史上初の女性参加者に、最初に負けたのが自分である』というただそれだけで、予選会から尻尾を巻いて逃げだしたあなたの方ですよ」




 ポーラは「ぐふっ」と聞くに堪えない息を漏らして、悔しげに顔を歪めます。ポーラは日頃、尊大に振る舞って剣闘場での評判は最悪でした。その上でわたくしにあのような負け方をしたとあって、その後どうするのでしょうと楽しみにしていたのですが。なんと、そそくさと予選会を引退してしまいました。「留学」と称して、家のお金を浪費しつつ他国を巡っているのだそうです。今やすっかり高等遊民と呼ばれ、まさしくメイディッチ家の恥やらお荷物やら。




「うっ、うわぁあ~~ん、悔しくなんかないんだからなァ~~ッ!」




 想像を超える、情けない捨て台詞を残して、目元をぬぐいながら王宮を飛び出してしまいました。




 ああ、ほんの一瞬の邂逅だというのに、心底から疲労感を与えられました。よりにもよって自分の誕生日に、あのような手合いを相手にしなければならない。贅沢な話と心得ておりますが、それでも、苦い心境になってしまいます。




「あいつも相変わらずだよね、お疲れ様」




 苦笑しながら、イルヒラ様がわたくしに声をかけてくださいました。




「本日はわたくしのために、ありがとうございます」




「いいんだよ。レナちゃんも今、内心はありがたいっていうより義務感の方が強いんじゃない? 顔に出てる」




「あぁ……それはまことに、申し訳ありません」




「本来、誕生日なら職務上のお付き合いなんかじゃなく、本当に望む過ごし方をしたいものだよ。仕方ないって」




 そう言いながら、イルヒラ様はわたくしの身長に合わせて、ほんの少し身を屈めます。わたくしの耳元に、ご自身の口元を近付けました。




「宴の夕餉が終わって解散したら、身を清めて、七番大通りの広場に行って。誰かに見られても別に問題ないけど、念のため、砂漠の旅装でもして顔を隠すといい」




「……えぇと、何のお話ですか?」




「少し前から、シホと相談してあったんだ。レナちゃんとのことをどうするかって」




「どうする、って……わたくしは彼から、何もうかがっておりません」




「だから、今日、その話をしたらいいって俺から言ったんだよ。あいつ、何のきっかけもなしにどう切り出したらいいんだかわからねぇとかぼやいてたからさぁ。レナちゃんだって、せっかくの誕生日、良い一日にしたいだろ?」




「イルヒラ様……ありがとう、ございます」




「明日は一日、どの時間に帰ってきてもいいように根回ししてあるから。お互いに悔いのないように過ごしてくるんだよ? これを逃したらもう、あいつの無事でいる内に、次のきっかけは作れないかもしれないからね」




「はいっ!」








 一年以上も前から気持ちを伝えて、受け入れて下さらなかった相手からのお誘いだというのに。指定された場所へ向かうわたくしの心はさっぱり、「高揚」とは言い難い有様でした。




 我ながら図々しいのでは? とは思うのですが……「恋人」という括りをとっくに超えて、わたくしはもはや「夫婦」であるかのような心地でした。




 彼からの愛がわたくしに向かなくたって、もはや構わない、わたくしの心も体も、すでに彼のためのもの。そう、心に決めていましたから。






 七番通りの広場には、船の形を模した噴水があります。すでに日暮れだというのに、父親らしき大人に見守られながら遊ぶ兄弟がふたり、水辺の周りを駆けまわっています。シホは、少し離れた場所からその光景を眺めていました。心ここにあらずといった眼差しで……今ではない、ここではない、過ぎ去ったどこかを見通しているかのように。




 なんだか横槍を入れるのが憚られる気がして、なかなか声をかけられず。わたくしは、気配を隠すように慎重に、彼に近付いていきます。もうじき背中に手が届きそうな距離感になったところで、




「よお、レナ。来たのか」




 彼も、「戦士」ではなく「選手」とはいえ、戦いを生業とする人です。隠そうと心掛けたところで、人の気配を察知出来ないようでは務まりませんよね。……せっかくの機会だから、後ろから「だ~れだ」とか、悪戯してみたかったのに。なんて企んでいたわたくしとしてはがっかりなのですが。




「来たのか、とは何よ。大事な日に人を呼び出しておいて」




「悪ぃ悪ぃ、言葉のあやってやつだよ。来た、ってことはつまり、……ってことだろ?」




 彼は巧妙に、その言葉……。いいえ。「彼からわたくしへの感情はどうなのか」を、口にすることを避けようとしています。彼らしくないバツの悪そうな表情からうかがい知れて、わたくしは遠慮なく、溜息を吐いてしまいました。




「ええ、そうよ。わたくしの気持ちは、あなたにお伝えしたあの時から変わらないもの。……恋人のように寄り添ったり手を繋いだりなど、求めないから。連れて行ってくれる?」




 後ろめたそうに些か腰を曲げて、彼は無言で歩き出しました。わたくしは影のようについて歩きます。




 なんと、目的の場所は七番通りの噴水の目の前でした。「連れて行って」どころではないじゃないですか。




「ここは、簡易宿泊所じゃないの」




「グランティスに来て以来、ずーっとここに部屋を借りてるからな」




 四年以上も、同じ宿に部屋を借りていたとは。当たり前のように、賃貸契約で国内に住んでいるものとばかり思っていたので絶句してしまいました。




「案外、オレみてぇな人間にとっちゃ合理的なんだぜ? 自室以外の設備の管理を丸投げ出来るし、疲れて帰ってきて寝るだけならここで十分だろ」




 お部屋に入りますと……「必要最低限の物しか持たずに暮らしているから、誕生日の贈り物さえ遠慮する」という彼の実態がよくよくわかりました。壁には、ハンガーを引っかけるための四角い木の棒が直接くっついています。私服が三着、剣闘場で彼が身に着けている衣服が一着。部屋の設備として、小さな引き出しがくっついた三面鏡が窓の横、部屋の隅に置いてあって。分解した十文字槍を持ち歩く愛用の鞄がそのそばに。鞘に収まったグラディウスが壁に立てかけてあります。






 ……失礼を承知で例えるのですが、部屋の広さは王宮にあるわたくしの私室内の、水回りの個室とほぼほぼ同等でした。




「狭い寝床は性に合わねえから、ふたり用の寝台のある部屋を借りてた。間違っても、レナに限らず女と寝るために選んだわけじゃねえからな?」




 言い訳などしなくて結構よ、と言葉にして伝えながら、わたくしは吸い寄せられるように窓へ向かっていました。開放して外を覗き込むと、先ほどまでいた船の噴水がよく見えます。




 広場を取り囲む飲食店の開放的な入口からは、煌々と明かりが漏れて、街の人々の楽しげな笑い声が漏れ聞こえてきます。先ほどの親子連れもそうですが、近隣の住居にお住いの方々は、夜であってもこの灯りを楽しむために老若男女、連れだって散歩をしているみたいですね。




「グランティスに来てから、シホはずっと、この風景を見ながら暮らしていたの?」




「そうだな」




「だったら、わたくしよりもずっと、この国の本当の姿を見て来たのかもしれない。王宮の窓からはこの国が一望出来るけれど、街の人々の自然な暮らしは、こんなに間近には見られないもの……」




 窓の桟に手をついていたわたくしの肩にそっと触れて、シホは床に腰を下ろすように身振りで促してきます。従うと、旅装で頭を覆い隠していたわたくしの被り物を外して、間近に覗き込んできます。




「本当に、いいのか? 肝心の気持ちをはっきり言葉にすら出来ねえ、オレのために」




「わたくしはそれでいいと何度も言っているでしょう。それより、あなたの方こそ。その程度の相手でしかないわたくしのために」




「その程度の相手、なわけがあるかよ」




「……えぇ? どういうこと?」




「どういう……何とも思ってねえ女に会うために、満月の度に夜歩きするとか。そんな時間の使い方すると思ってんのか? こちとら一般的な人間よりも、遥かに時間が貴重な体だっていうのに」




 シホに思いっきり呆れられてしまいましたが、なんだか無性に屈辱です。せっかく、自分の気持ちが一方通行ではないとわかった瞬間だというのに、胸のときめきというものが皆無じゃないですか。




「でしたら、素直にその気持ちを言ってくれたらいいのに。そう思ってくれているというのなら、わたくしを喜ばせようと思わないの?」




「だからこそ、だろ。おまえにだけは、オレの本心は気安く口に出せねえ」




 そういえば今夜、この状況に至るまでに、シホはイルヒラ様にご相談されているのでしたね。わたくしには言えなくても、他の方には打ち明けられると。それが純粋に疑問で、わたくしはただ、「どうしてよ」と訊ねていました。




「オレがこの世からいなくなった後、レナにだけは、オレのことを忘れられたい。この後も普通の人並みに続いていくおまえの人生に、オレのいた痕跡が足枷になりたくねえんだよ」




「……随分と、勝手なことを言うのね。生きた証を残したいと、この国に来て。グランティスを利用しておいて。今後もここで一生を過ごすわたくしの心に残りたくないなんて……これからもずっと、あなたがこの国にいた風景を思い出として、宝物として生きていきたいわたくしの気持ちは無視していいというの?」




「……それは。弁解のしようがねえけども」




「……もう、いいわ。それも含めて、あなたの意思を受け止めてあげる。でも、どうして気が変わったの? 自分の子供を残したくないと言っていたのに」




「ああ……まさしく、『気が変わった』としか言いようがねえんだけどよ」




 シホは手を伸ばし、わたくしの前髪をかき上げます。その下に隠れているのは、あの日の、古い傷痕。




「これからもレナは、グランティスの剣闘場で戦っていくだろ? 自分の意思で、史上初の女剣闘士を目指す。後世の指標になれるような、エリシアのような強く気高い女傑になっていくんだよな?」




「……ええ。今後も、目指し続ける。わたくしはあなたと違って、人並みの時間に恵まれて生きているから。あなたの分も、その時間に報いたいと思うの」




「オレだって、レナがそうなっていく……夢を叶えていく過程を、この目で見たかった。オレが夢を目指す姿をレナはいつも見守って、応援してくれたから。知り合いも何もねえこの国にひとりでやって来たオレを、他の誰より特別に、ずぅっと見ていてくれたレナの存在は……オレにとってどんだけ救いになってたか……」


「……いつから、知っていたの? わたくしが、あなたをずっと見ているって」




「言っただろ? 初めて満月の下でオレ達の遭遇した、あの夜に」






 ……いっつも物欲しそうな目をして見ていただろう。オレ達の試合をさ。






 あの時には、もう。わたくしのあなたを見る眼差しに、気付いてくれていたのね……。






「オレには見られねえレナの一生を、オレに代わって見続けてもらいてえ。そんなの、赤の他人にゃとても託せねえ。だが、レナが子供を産んだなら、そいつは母親としてのレナをずぅ~っと見ていくはずだろ?」




 まあ、母親を置いて故郷を出てきたオレが言っても説得力がねえかな。なんて、シホは力なく笑います。わたくしは首を横に振って、否定します。




 自分がこの世に在るうちに、生きた証を残したい。死んでからはむしろ、残された人の重荷になりたくない。そんな彼が、ようやく、自分の我儘を言えるようになったのです。




「あなたの願いを託された命を、わたくしはこの体に宿したい……あなたの代わりに、これからも一緒に生きていきたい」




「ああ。その宝に恵まれたなら、大事にしてやってくれ。レナがオレをずっと、見守ってくれたようにな」




 お互いの呼吸が触れそうな距離感にあるシホの顔が、瞬く間に滲んでぼやけていきました。わたくしの腕は無意識に、緩慢に動いて、彼の両頬を手のひらで挟んでいました。




 わたくしとシホはお互いに瞼を閉じて、薄闇の中でお互いの唇を触れ合わせました。










 深夜に寝台の中で目覚めた時、わたくしはシホの体温を感じました。胎児のように身を丸めたわたくしは彼の胸に包まれるような体勢でいました。未だ覚醒しきらずぼんやりとした頭のままで、わたくしを腕枕している彼の顔を見上げます。シホはわたくしより先に目覚めていて、じっとわたくしを見ていました。




「知らねえ方がレナにとっちゃ平和でいられるんだろうが……聞いとくか? オレの本音」




 こんな不穏過ぎる言い方をされて、聞きたいと思えますか? ……いいえ、少しくらい不穏な前振りをされた方が、人は好奇心を刺激されてしまうものです。怖いもの見たさという心境で、わたくしは聞かせて欲しいとお願いしました。




「オレの母親が体を売って生活していたのは、生活に困ってとかやむにやまれずそうしてたっていうよりはだな。そういう行為が人より好きだから。『好きなことを仕事にしてえ』って願望ゆえだったっていうんだよな」




「……そ、それはなんとも。破天荒なお母様で……」




 過去にお母様のお話をシホがしてくれた時、彼は「自慢の親だった」と言っていたので。話の最後まで聞く前に、否定的な感情を抱かずにいようと思いますが。




「そういうわけだから、一度、こういう関係を知っちまうとだな。オレの目指す他の目標の何もかもがどう~でもよくなっちまうんじゃないかって。どうせ二十年の体なら、知らずに終わるのが平和なんじゃねえかと思ったわけだよ」




「……実際に体験してみて、どうだったの?」




「そりゃあもう、おふくろの気持ちがよぉ~~っく、わかったさ」




 シホは肘をついて身を起こし、ふたりの上に被っていた布団をはいで、何も身に着けていないわたくしの肩に手で触れました。試合で負った傷痕がいくつも残る腕を上から下へと撫でていきます。




「レナの、この体の全部、オレのものにしてえ。他の男にゃ触れさせねえで、いつまでもひとり占めしていられたらどんなにいいかって。今まで割り切れてたオレの人生が悔しく思えてきちまったよ」




「……ごめんなさい、って、言うべき? わたくしの願いを叶えるために、あなたをそんな気持ちにさせて」




 無性に申し訳なくなって、目の中がまた、冷たくなってきました。




「まさか。直接に愛を告げられねえオレにこんな幸せを教えてもらって、オレの方こそレナに感謝するべきだろ」




 わたくしの目尻に浮かんでいた水滴を拭った指先をぺろりと撫でて、シホはもう一度、わたくしに覆いかぶさって唇を重ねます。わたくしも力を抜いて、お互いの舌の感触を味わいます。






 心地よくて、幸せで、堪りませんでした。








 それからのわたくしとシホは、お互いに忙しすぎる日々の合間で隙を見つけては、彼の部屋でこのように過ごしました。会話よりも何よりも、ただただ体を重ねることを重視した逢瀬。




 行為を終えて、布団の中でただ抱き合って温もりを感じている時。容赦なく重みを増していく瞼に叱責し、眠りたくない、と念じ続けていました。彼とふたりだけの小さな部屋の中で過ごす夜。それ以上の幸せな時間が、わたくしの今後も続く人生の中にあるとは思えませんでした。


 このまま時が止まって、朝など来なければいいのに。いつだってそう願っていましたが、どんなに抗ってもわたくしは彼の腕の中で眠りに落ちて、朝は巡ってくるのでした……。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ