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【GRASSBLUE Ⅱ 青草戦記】儚いからこそ、人の夢は星よりも尊き輝く。絆と情熱のファンタジー  作者: ほしのそうこ
魔法剣の姫は、まもなく散る猛き花を愛しました。 【Passion dragon Arc=Lyra】
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儚き花に恋をした

 本日は、エリシア様とシホ様の「模擬試合」が開催されます。




 エリシア様は剣闘場優勝選手との対戦を楽しまれますが、全力を出すことは出来ません。比喩でも何でもなく「闘いの神」であるエリシア様に、人間のいち個人が敵うはずがありません。体の作りそのものが違うのですから。




 一方、挑戦者である選手は、全力でエリシア様にぶつかります。勝てなくとも、公の場でエリシア様と戦うという栄誉と、神と戦うという経験を得るために。ゆえに、エリシア様との対戦は「模擬試合」という扱いになるのです。




 ロンゴメリ様との決勝戦。イルヒラ様との親善試合、そして本日はエリシア様。シホ様は三日連続で強敵と戦うわけなので、心身共にお疲れではないかと心配になりまして。わたくしは、選手控室にて開戦の時を待つ彼に会いに行き、お声掛けしました。




 ……なんともまあ、白々しいお話です。何年もかかって目指し続けた、夢を達成できるか否かという瀬戸際。そんな大事な試合の前なのだから、ここは静かに、精神統一したいという方が自然ではないですか。わたくしのような、特別な友人でも恋人でもなんでもない、「単なる知り合い」風情がお邪魔していい局面ではないでしょう?




「よぉ、お姫様。わざわざ来てくれたのか」




 と、いうことにわたくしが気付いたのは、控室でお会いしたシホ様がいつもと変わらず気さくに笑いかけてくださったその時です。遅すぎました。




「ご、ごめんなさい。わたくしときたら、こんな大事な時間にお邪魔してしまって」




「いんやぁ? 海の向こうに故郷を捨てて、この国にゃあこんな時、オレに会いに来てくれる奴なんか他にいねえよ。しかもそれが国のお姫様だなんてありがてえ話じゃねえか」




「故郷を? 捨ててしまわれたのですか?」




「おふくろとの約束でな。グランティスで剣闘士として生きて死ぬと決めたなら、もうこっちには帰ってくるなってな」




「厳しいお母様だったのですね……」




 呆然と呟くと、シホ様はお腹を抱えて笑い出してしまいました。わたくしにはわけがわからず、彼の笑いがおさまるのをただ待つしかありません。




「あのおふくろが厳しいわけがあるかよ! 水商売で、自分でも父親が誰か特定できない子供(オレ)を迷いなく産むような能天気さ。だが、そういうおふくろのへこたれなさや後先考えない信条が案外、ごくごくまともな頭を持ってるせいで考えすぎちまうような人間を何人も救ってた。影響を与えてもいた。尊い血筋の方々にとっちゃあ底辺もいいところの女だとしても、オレにとっちゃあ自慢の親だったな」




 下世話を言うが、この顔も母親譲りで、色々と得をさせてもらえるからな。シホ様はご自分の顔を指さしました。父親が誰なのかわからなかったというのは、顔がお母様に似すぎていてお父様の名残りを見つけにくいからなのでしょうか。




「シホ様はお母様にそっくりなのですね。でしたらお母様も、とても美しい方なのでしょう」




 まあな! と、シホ様は一切謙遜をせず、肯定されます。お母様譲りのお顔で、得をした。実際、その通りなのでしょう。……わたくしだって、あの日。男性でありながら女性のように見まがう美しいお顔に目を奪われてしまいました。しかし、お顔に反して女性らしさとは対極の美丈夫で。自信に満ちて、力強くて。……それなのに、「命」だけは、たったの二十年しか許されない。




 こんなにも、戦って生きる人として強い心と、磨き上げた技術があるというのに。わたくしには到底手の届かない、高嶺の花のような人なのに。……いいえ、まさしく。ほんの僅かな時間だけ美しく咲いて、人の心に強く印象を残して散っていく、花のよう。貴方はそういう人なのかもしれません。






「ん、どうした? 元気がなくなっちまったじゃねえか」




 エリシア様との試合、頑張ってくださいね! そう激励することが目的だったはずなのに、わたくしはすっかり、気分を落としてしまいました。シホ様と出会って一年間、自分の中で無意識に、目を逸らせようとしていた気持ちをついに自覚してしまったからです。




「……シホ様にとって、長年の夢を叶えようという大事な日ですから。図々しいですが、わたくしまで緊張しているのか、胸が苦しくなってしまいました」




「ふ~ん……そいつぁ申し訳ねえな。苦しいのが胸とあっちゃあ、さすってやるってわけにもいかねえもんな」




「またそうやって、お顔に似合わない……」




「下品な冗談をおっしゃって、ってか?」




 シホ様は舌を出して、悪戯な男児のように笑いました。後になって振り返ると、彼はとても、人の心に聡い人でしたから。わたくしのこの時の、そして日頃の態度から、とっくに気付いていたのかもしれませんね。わたくしが貴方に、恋していると。




 胸をさするのは、と言っておいて、これくらいならいいか? とことわった上で。彼はわたくしの背中を遠慮がちに撫でてくださったのでした。








 シホ様が控室を出られるので、わたくしは人目を気にしながら少し早足で主賓室へ戻ります。辿り着いた頃には、エリシア様とシホ様はすでに試合場でそれぞれの立ち位置についておられました。




 エリシア様との模擬試合には、二点、決まりがあります。まず、開戦を告げる銅鑼は通常の試合と変わらず鳴らすこと。もうひとつは、挑戦者は銅鑼が鳴る前、エリシア様は鳴ってから武器を構えるということ。




 エリシア様と挑戦者を全く対等の状態から始めてしまうと、エリシア様と打ち合える可能性すらゼロになってしまうから。本当にささやかですが、不利な条件(ハンディキャップ)を設けているのです。






 イルヒラ様の時もそうでしたが、エリシア様との戦いを控えたシホ様は余裕の一切見えない、緊張で張り詰めたような表情をされています。無理もありません。自分の限られた生涯で果たしたいと定めた、大いなる目標()。そして、試合場とはいえ戦場に立つエリシア様は普段の彼女とは違って、人ではなく「闘いの神」なのです。本物の神の前に立ち、しかもこれから神と戦う人が畏怖を感じずにいられるはずがないでしょう。






 固い表情のままで、シホ様は正眼に構えました。長い十文字槍の穂先はまっすぐ、シホ様の目の高さにあり。対極に佇むエリシア様の眉間に照準を合わせているようです。




「良い槍ね。隅々まで磨き上げて、あんたの『感情(こころ)』がたっぷり込められてるのが一目で分かる」




 エリシア様……巨神竜は、「力と感情を司る神」と伝えられてきました。エリシア様は、人が人に、あるいは物に、強烈に感情を注ぐことを尊ばれます。




「予選会でも本戦でも、あんたがグラディウスを振るってる姿はいつ見ても、つまんないなぁとしか思わなかったのよ。本命を隠してたんだってのは納得したけど、扱う以上は相応に魅せる使い方が出来てないっていうのはいただけないわね」




「まったく。あいつ(グラディウス)には申し訳ないことしたと、これでも反省はしてるんだけどな」




 以前、わたくしに対しておっしゃっていたのと同じ言葉を、シホ様は再び口にされました。致し方なかったとはいえ、巨神竜との戦いという本番までの繋ぎのように扱ったことは本当に反省しているようですね。




「その槍の動きなら、この目で見て焼き付けておきたいわ。銅鑼が鳴ったら即行で、一発打ち込んできなさい。この期に及んでつまらないもの(動き)見せたら承知しないわよ」




「そいつはまた……ありがてぇこった……」




 エリシア様が構えないのは、決まり通りではあるのですが。打ち込むまで動きもしないというのは明らかな恩情です。闘神からひとりの戦士への情けであり、ありがたい話ではありますが、きっとシホ様はエリシア様との絶対的な格の違いも痛感したでしょう。




 銅鑼が鳴ったらすぐ動け、というのも、もたついたら見下げるぞと言われているようなもの。シホ様はその瞬間を、どのような心境でお待ちになったでしょうか。






 シホ様の限られた一生の中で二度目があるとも限らない、運命の音が鳴り響きました。




 つまらない動きを見せるなと忠告されていたシホ様は、最初から全力で駆け出しました。ですが、わたくしには一秒が一分のように、長く長く、動きがコマ送りのように見えてしまいました。それはシホ様の動きが鈍かったというわけではなく、わたくしの心がそのように体感させただけでしょう。




 グランティスの王族に生まれたわたくしは、エリシア様の圧倒的な強さを生まれた時から間近に眺めていました。だから、シホ様の願いが叶うのか……夢が叶いますようにと祈りながらも、やはり、現実を知ってもいたのです。




 「その瞬間」を迎えたくない。目の当たりにするのが辛い。その気持ちが、今、この場で繰り広げられる光景を……シホ様の動きのひとつひとつを、目に焼き付けることを優先して、このように体感させていたのかもしれません。




 たとえ叶わなくても。人生の目標に手が届くかもしれないという、念願の夢のただ中にいるその瞬間の姿を、この心に刻みつけたかったから……。






 構えもしない相手に対して、シホ様はどこへ打ち込もうとされたのか。一発打ち込んだ後には、エリシア様も動き出すことを想定して、腋を開けすぎるわけにはいきません。そこをしっかりと意識しながら。




 シホ様は真正面ではなく、エリシア様の左耳に触れるか触れないかという際に、十文字槍の穂先を突きました。そして、自分に出来るありったけの速さで、伸ばした腕を手前に引き戻します。穂の三日月でうなじを斬ろうとしたようです。






 エリシア様は膝を曲げてしゃがみ、難なく穂をやり過ごし。右側に半身を少し捻り、右手だけで提げていた戦斧の柄を左手でも握ります。




 左足を前に踏み出し、ぐんと腰を持ち上げて。大きな斧の刃を的確に、シホ様と自分の体の隙間へ滑り込ませて。刃先をシホ様の首の防具に水平に沿わせていたのでした。




 これは一瞬の出来事で、まさに、目にも留まらぬ速さでの決着。エリシア様は現役の剣闘士よりも遥かに小柄な女性の体ですが、だからこそ、このような動きで相手を下すことも出来るのです。小柄だからこそ、自分より大きな男性の懐で細やかな動きが可能なのですから。






 シホ様もエリシア様も、しばらく、その体勢のまま動きませんでした。観客すら、一声もあげずにこの場を見守っています。




 シホ様の表情は、ただただ、茫然自失と表現するしかないものでした。彼が今日という日を目指すと決めて、迎えるまでに実際にかかった歳月。グランティスへやって来るまでの努力の日々の内容。わたくしも具体的にうかがってはおりませんし、グランティスの国民の誰にも、それを知る者はいないかもしれません。




 ただ、これだけはわかります。彼の夢は、今日、この時点では叶えるに至らなかったのだと。






 やがて、エリシア様が斧を下ろし、伸ばされたままの槍の穂先を避けながら一歩下がります。ようやく、シホ様も姿勢を寛がせて、エリシア様へ一礼されました。




「辿り着いたのなら、また何度でも相手してあげる。引き続き、精進しなさい。まさか一度負けたからって辞めるような根性なしじゃないんでしょ」




「……ああ。挑ませてもらえるっていうんなら、続けるさ。オレにはまだ、使える時間が残ってるからな」




「いいじゃん。あんたのそういう、時間を最大活用しようとする姿勢、あたしの好みだわ」




 エリシア様は地面に向けていた斧をくるりと反転させ、刃を天に向けるようにして自らの右肩に斧頭を乗せます。これはエリシア様が戦いの後でよく見せる御姿です。一戦を終えて、最愛の神器(相棒)を肩で寛がせ、労っているのでした。






 エリシア様が主賓室まで戻られたので、わたくしは「お疲れ様でした」とひと声だけおかけします。彼女も、わたくしの心境をお見通しだったのかもしれません。わたくしに一瞥だけくれると、お返事もなくその場を去られてしまいました。




 わたくしは、試合場に佇むシホ様へもう一度、視線をやりました。深々と、疲れを感じさせる溜息をつかれているのが見えました。ほんの一瞬で決着してしまった試合だというのに、極度の緊張を感じたせいもあって、全身に疲労感が残っているのだと思います。




 対するエリシア様は、試合後、ほんの一息つく姿すら見られませんでした。その事実もまた、シホ様の心を打ちのめしているのではないでしょうか。


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