決勝戦
対戦の組み合わせに恵まれたシホ様は、計画通り、決勝戦に進むことが出来ました。ですが、決勝の相手だけは自分より遥かに格上の相手とぶつかることは避けられません。シホ様の対戦相手の並びに有力選手がいなかったということは、反対側は「有力選手ばかりが集中した組み合わせ」で、決勝戦にはその激戦を勝ち抜いた選手が立っているのが道理です。
決勝戦。試合場で対戦相手と向き合ったシホ様は、
「剣闘士っつうより、騎士みてえなナリしてるんだな」
そんな第一印象を呟きました。
対戦相手のロンゴメリ様は、両手両足に鎧をつけています。騎士のまとう鎧となると、戦場で急所を守るため、胴体が最も厳重です。しかし、ロンゴメリ様の鎧は胴体には何もなくがら空きなので、「騎士のような鎧」というのは正確ではありません。
グランティスの剣闘場は、各々の技術の競い合いのための場ですので、剣闘士の皆様は動きが鈍くならないよう、鎧の類は最小限しか身に着けない方が多いです。手足のみとはいえ、装備によって厳重に守っているロンゴメリ様の姿が、シホ様には見慣れなかったのかもしれません。
ロンゴメリ様は二十八歳で、シホ様と同じく十五歳から予選会に参加しています。活動歴十三年はじゅうぶんに、ベテランの域に達している、中堅選手です。
数年前、勝ち星九十を数えて、赤首昇格まであと一歩という頃でした。試合中に左足の神経を傷付けられて、不自由になってしまったのです。片足だけならまだ剣闘士を続けられると、機能回復訓練に励まれて、復帰しました。しかし、やはり以前と同じように動けるようになるまでにかなりの期間を要しました。
手足だけでも鎧をつけていたいのは、これ以上不自由な体の部位を増やしてしまっては、今度こそ剣闘士を続けられないという恐れがあったからでしょう。
努力の甲斐あって、赤首に昇格。しかし、赤首になってからの剣闘場優勝経験はまだなく。今回勝ち上がることが出来れば、彼にとっても初めての、エリシア様との対戦資格を得ることになります。
「シホ・イガラシ。君の噂は聞いているし、その事情に憐れみがないわけじゃない。けどね。剣闘士をやっていたら誰だって命がけだ。二十歳を迎えずに試合で死んだ選手だって少なくない。君だけがふたつも特例が認められているなんて、自分を恥と思わないのか?」
ロンゴメリ様も足に障害を負われ、しかしその点に関する補償も何もなく、五体満足に動ける剣闘士と渡り合ってきました。エリシア様と戦う栄誉が手に届きそうになっている、そこに至るまでに十三年もかかりました。しかし、シホ様は特例により、「たった一度だけ決勝戦で勝てば、エリシア様と戦える」のです。その点に関して、ロンゴメリ様ははっきりと、不快の意を示しておられました。
「試合で死んだ選手っていうのは、身売りされてきた連中以外は、自分で望んで参加したんだろう? 剣闘場で勝てば、金も栄誉も手に入る。男が自分で選んだ道で死んだのを、さも悲劇です、みたいに言ってくれるなよ」
シホ様は相変わらず、自分を言葉で貶められても全く動じません。ロンゴメリ様の厳しいお言葉に怯むどころか傷ついた素振りもなく、笑みすら浮かべています。
「オレには選べる余地なんかねえ。命の危険があろうが、挑んで二十になるまでに届かなきゃ、この世に何も残せねえのが確定してるんだ。望んだ目標に少しでも近づくためなら、恥なんか気にしてられねえんだよ」
ロンゴメリ様の反論の暇なく、試合開戦の銅鑼が打ち鳴らされました。試合が始まったからといって必要あれば対話を止める決まりはないのですが、おそらくシホ様はこれ以上、話を続ける気もなかったのでしょう。早々と、しかし慎重な足取りで、グラディウスを下段に構えて前進します。
ロンゴメリ様も得物を右手でしっかりと握り、まっすぐ前に突き出しました。彼の相棒は、足を不自由にする以前から変わらず、バスタード・ソードという刀身の長い剣です。片手で振るえば斬り、両手で構えれば突くことも出来る両得の武器です。
グラディウスよりもバスタード・ソードの方が間合いが長く、しかも相手の方が熟練の剣士。シホ様が勝利するには、バスタード・ソードの間合いの内側に忍び込み、ロンゴメリ様の懐に飛び込まなければならないでしょうが、そう簡単に許してはいただけないでしょう。
ロンゴメリ様は初期位置からほとんど足を動かせませんが、バスタード・ソードの間合いに入って一気に喉元に刃先を突き入れられてしまうと、それだけでシホ様の敗北が決まってしまいます。シホ様は適当な距離まで近づくと、一気に刃を打ち込みました。ロンゴメリ様は即座に反応し、打ち返します。しばらくは膠着状態の打ち合いが続きますが。
お互いに息が乱れたところで、不意に、シホ様が打ち合いをやめて後退しました。試合中だというのに深々と息をつき、心も体もたっぷり休めた様子で、まるで何事もなかったように先ほどと同じ動きを繰り返しました。前進し、打ち合いし、そして疲れたら後退して休む……。
何度も何度も、繰り返し。試合開始から、もう三時間も経ってしまいました。観客の皆様はどの方も一様に、疲れたような、うんざりした表情になっています。
「きっさま……どこまで恥を知らないんだ! 卑劣な戦いをしやがって……ッ」
疲れているのは観客だけではなく、ロンゴメリ様も同じでした。いえ、観客よりも遥かにお疲れでしょう。
ロンゴメリ様の方が、剣闘士としての技術も経験も優れている。しかし、自由のきかない足を庇うような立ち方と、両手足に重装備をつけていることで、シホ様よりも体力の消耗は激しいはずです。
おまけに、シホ様に対して悪感情を抱いていることを試合前のやり取りで示されました。シホ様はそれを不快に思うどころか、逆に利用してしまいます。長時間の持久戦に持ち込むことで、ロンゴメリ様の体力と精神を摩耗させようという戦略に出たのです。
「う、う~ん……」
致し方ないのは承知ですが、正直に申し上げると、真っ向勝負ではなく姑息です。それも、観客の皆様は十三年に渡って、時に苦境にもあったロンゴメリ様を見守って、応援してきているのです。このような手段を見せられては、シホ様の今後の世間体が心配になって、わたくしは思わず眉間を擦ってうめき声を出してしまいました。隣に立って試合を観戦していたイルヒラ様もすっかり苦笑して、わたくしの肩をとんとん叩きます。優しい振動が心臓まで届くようで、少し落ち着きました。
シホ様から振り下ろされた刃を片手剣で右に払ったロンゴメリ様は、その一瞬、冷静さを欠いていました。胸元ががら空きになり、シホ様は瞬時に、ロンゴメリ様の足元にしゃがんで滑り込みます。大柄なバスタード・ソードでは、内側に入り込まれるとすぐに切り返すことが出来ませんでした。
「今後あんたと何度もやりあって、その全部で打ち負けてもいい。だが、今日だけはオレが勝つんだ!」
シホ様は跳ねるように立ち上がり、刃先を赤首の防具へ水平に沿わせました。今大会の決勝戦の勝者は、シホ様で決まりました。
野次を飛ばすことはエリシア様から禁止されているため、観客席からはまばらな拍手とたくさんの溜息。そして、ごく一部の方々の歓声が響き渡りました。大穴狙いで、シホ様の勝ちに賭け金を投じていたのかもしれませんね。
「なんだかモヤモヤが残る試合運びだったなぁ。終わるまで立ちっ放しでレナちゃんも疲れただろ」
「いえ、そんな。この程度で疲れているようでは、とても試合に出ようなんて言えないではないですか」
「それは一理あるね。でも、明日は俺が全力でぶつかるから。今日みたいな試合にはさせないよ」
「はい……わたくしも、勉強させていただきますね」