予選会を卒業するまで
シホ様の剣技の表立った実力は、上にも下にも突出していたわけではなく、ごくごく平均的でした。ゆえに、素早さ、腕力など一芸に秀でた対戦相手に勝利するのがなかなか難しいようです。
本日の対戦相手はファルカタという短刀を愛用する方で、名前をクトゥ様といいます。予選会での勝ち星は九十九を数え、シホ様に勝利して剣闘士の資格を是非にも獲得したいところでしょう。
ファルカタは湾曲した薄刃で軽量の武器であり、その使い手であるクトゥ様は身のこなしは素早く、接近戦を得意とする方です。予選会ではグラディウスを用いて闘うシホ様ですが、彼の「本当の相棒」の用途を考えますと、接近戦はそれほど得意ではないのかもしれません。シホ様の最終目標はエリシア様の振るう長い戦斧なのですから、その対策に特化した鍛錬を重ねてきたゆえなのでしょう。
試合開始の銅鑼が鳴ると、シホ様はしばらく下段の構えのまま、相手の出方をうかがっていました。わたくしのような門外漢にはわかりませんが、お互いに動かず注視し合っている状況であっても、ほんの刹那に隙を生じさせているのかもしれません。
不意に、クトゥ様が飛び出すような動きで一瞬にしてシホ様との距離を詰めました。急ぎ、シホ様が刃を持ち上げようとするその動きは決して鈍重ではないはずなのに、クトゥ様が早すぎるせいでコマ送りのように見えてしまいます。そよ風に舞う羽のような軽やかさで、ファルカタの曲がった刃先がシホ様の首の防具を撫でていました。
「……いやあ、まいったねえ! 百勝おめでとう、クトゥ」
試合を終えたシホ様は朗らかに笑い、自分より背も小さく肉付きの薄いクトゥ様の背中をばしばしと叩きます。讃えられてご機嫌なクトゥ様に、「良い得物じゃないか。どれ、ちょっと触らせちゃくれないか」とさりげなく武器を手に取って、目に近付けてじっくり見たり手に触れて形を確かめたり。このように自分の勝敗に関わらず、関わった選手には積極的に話しかけて、相手の武器や技量、人柄などをつぶさに研究しておられるのでした。
「う~む、半年がかりでやっと、勝ち星四十か。なんともはや、もどかしいもんだね」
あの夜以来、わたくしはグランティスの街を出た平原にて、シホ様と逢瀬を重ねていました。……待ち合わせをしたわけでは、ないのですよ? わたくしもシホ様も、かねてより自分がそうしていた習慣を変えたりせず、自分の来たい時にこちらへ足を運んでいる。ただ、それだけのことです。
「グラディウスではなくそちらの相棒を常にお使いになれば、自分の本来の実力を発揮できるのではないですか?」
「そうかもしれないが、勝ち星を得るのに焦って、エリシアと戦う前にこいつを人目に晒すよりはね。時間をかけても切り札を温存しておこうと思うんだよ」
「時間が足りないと、おっしゃりながら?」
「足りないとは言わないよ。ちょう~ど良い配分を考えてるまでさ」
十五歳になって予選会の新人となり、時間の限りである五年後までに、最終目標であるエリシア様との戦いを見据えている。そのための、ちょうどいい、時間の配分。先の見えない人生を漫然と生きている、わたくしをはじめ大多数の人々とは、感覚がまるで違うのだと思います……。
「さて、と。夜風と月見をたっぷり堪能したことだし。今夜も始めるかい?」
「はい……」
わたくしは彼の耳に届かないよう、ごくごく小さな声量で呪文を詠唱し、手の宝石から魔法剣を現しました。
「……いや、あのね。なんだってそう、夜伽前の娘みたいな顔してそいつを出すんだよ。あんたの相棒なんだろう?」
「いえ、その。なんとも言い難いんですが、何故だか無性に恥ずかしいんですよ……」
「人前で魔法剣を見せたことのない、秘密の嗜みだったんだっけ? なんでまた、そんなこそこそする必要があったのかねぇ」
シホ様は心底から不思議そうに、わたくしを上から下までしげしげと眺めまわします。恥ずかしがっている女性をそう無遠慮にじろじろ見ないでいただきたいものですが……。
長年に渡ってひとりでこっそり、魔法剣の自己鍛錬をしていたわたくしは、誰かと打ち合いの稽古をしたことがありませんでした。こうして秘密を知ってしまったのも何かの縁と、わたくしとここで出会った夜には、シホ様はグラディウスを用いて魔法剣の稽古に付き合ってくださいました。
シホ様も順調に勝ち星を重ね、九十九に届き。百人目になるかもしれない相手との対戦を迎えました。
「ひゃあ~……また、とんでもねえ貫禄じゃねえか。こいつがまだ、予選会の選手だって?」
ロムパイア使いのオーデン。現在の予選会の選手の中では最も体格が良く、決して低身長ではないシホ様の頭ふたつ以上は身長差があります。おまけにその身長とほぼ同じ、長柄のS字型刀剣であるロムパイアを大胆に振り回す戦法です。彼の故郷では狩りの際、逃げる獲物の足をすっぱり両断するのだとか。
「そんな凄まじい切れ味じゃあうかつに打ち合いも出来ねえなぁ」
先ほど、シホ様自身もおっしゃいましたが、「こんな恵まれた体躯と武器を持ちながら、未だ予選会の選手に甘んじている」のにも理由はあります。彼は臆病な性格で、それゆえに故郷に馴染めず、身売りされたに近い形で剣闘場へ送られてきたのでした。なんとも切ない……。
「予選会の最後としちゃあ、おあつらえむきの得物じゃねえか。悪いが、エリシアの持つ長いやつとの予行と思ってあたらせてもらうぜ」
「お……おで、知ってるぞ。シホ・イガラシ。おまえはながいきできなくて、じかんがないんだろ……わ、わざとまけてやっても、いいぞ」
「おいおい。おまえの目にはこの顔が、そんな哀れに映ってるとでもいうのかい?」
大男を前にしても、いつも通りに自信に満ちたそのお顔を、シホ様は自ら指さします。
「……う~ん。み、みえねえ」
「だろう? そんなものはいらねえから、いつも通りにかかってきなよ」
オーデン様は大きな体にふさわしく、たっぷり吸いこんだ息で深く深く、溜息を吐きだしました。これは彼が、試合の度に行う精神統一です。その隙を突いて攻撃、などは、シホ様に限らず対戦相手の皆様はそんなにされません。空気を読んでいるとでもいいますか。もちろん、とにかく勝ち星が欲しくて余裕のない方でしたら、ここぞとばかりにその隙に動き出しますが。
「ふうぅ~……うううりゃああ~~ッッ!」
臆病な割に、なのか、それゆえに、なのか。オーデン様は、威嚇の唸り声を上げながら愚直に突進してきます。恵まれた腕力でめいっぱい、巨大なロムパイアを右旋で振りました。狩りの際に足を狙うのが癖になっているのでしょう、対戦相手の足元を狙うのが彼の常套。そんなものが直撃してしまっては、膝から下がすっぱり両断されてしまう、恐ろしい威力です。
跳躍が得意な選手であればその攻撃を上に跳んで交わす光景も、よく見かけます。が、シホ様はそのように、常人から外れた動きで闘う方ではありません。日頃から、対戦相手の情報を仕入れて、頭を使って対策を考える人なのです。
先ほど、切れ味がするどすぎて打ち合いも出来ないと言っていたのに。シホ様は、ロムパイアの刃先の動きを先読みして。自分の左足のすぐ側に、力いっぱい。愛用のグラディウスを地面に突き立てました。
「……い゙っ……」
なにぶん、全力で振り回していたものが弾かれたのですから。そしてそのために、強く長柄を握りしめていたのですから。オーデン様は驚いて思考が追い付かないまま、まるでコマのようにくるりと一周も回ってしまいました。その隙にシホ様は悠然とグラディウスを抜かれて、
「はい、お疲れさんっと」
回り終えて再び、自分と正面から向き合ったオーデン様の首の防具へ、グラディウスの刃先を差し向けたのでした。




