月夜に運命をみる者達よ(前)
本エピソードはエブリスタの超・妄想コンテストで優秀作品に選出されました。
【新暦300年台の物語】
若い女性の深夜のひとり歩きは危険だという常識は、彼女……天宮 風深もきちんとわきまえている。それでも風深が気兼ねなく、まっすぐ前を向いて出歩けるのは、人の少ない深夜帯しかない。とぼとぼ、頼りない足取りで、歩道に積もった雪に足跡を残して進んでいく。
もちろん、恐れがないわけじゃないけれど。もし誰かに襲われて命を落とすことになるのだとしたら、それでも構わないような気がしていた。
「こんばんは。そちらの世界の月に愛されてしまった、気の毒なお嬢さん」
背後から投げられた声に、風深は振り返る。コンクリートの車道を挟んで両側に立つビル群の合間に、煌々とした満月が輝いている。眩しさに、一瞬、目を閉じる。
「……え?」
目を開けた時にはすでに、彼女は世界を移動していた。見慣れた白いオフィスビル群ではなく、赤茶色の煉瓦造りのアパートメントが並び、積雪もない。背の高い建物に挟まれるようにこちらを覗く満月だけは、先ほどと変化がないように見えるが。
ふかふかとした感触の、雪だるまのぬいぐるみの背中に最低限の荷物を入れられるだけの空間のある、チャック付きの鞄。誰とも触れ合わず、ひとり寂しく歩き続けるしかない風深にとっては唯一、心を許せる友のような存在だった。どうやら見知らぬ世界に来てしまったらしい今この時にさえ、唯一連れ添ってくれている。ぎゅうっと抱きしめて、温もりを確かめる。
「……ヨーロッパあたりの、どこかの国にでも飛んできちゃったとか……?」
風深の常識の範囲内で照らし合わせることの出来る、覚えのある景色に似ているのは、そんなところだった。
そこへ、通りがかったのは犬の散歩中らしき老人だ。空色のファージャケットにミニスカート。黒いタイツに、防雪効果のあるしっかりとしたブーツ。おまけに抱きかかえた雪だるまという、この世界の常識から外れた風深の出で立ちに、不審者を見るような目を向ける。
風深の目から見ても、老人の衣服は現代社会のそれとは相違があるのだが。それよりも深く、彼女の目を引き付けた事実があったから、そこに意識は向けられない。
老人は自宅を目指し、横道を曲がって姿を消す。呆然とその姿を見送っていた風深は、急き立てられるように駆けだした。深夜帯の街の中で、ごく限られた人影を探して走り回る。その、誰も彼もに、「アレ」が見えない。
「私……っ、この世界でなら、『誰かの未来』が見えないんだ……!」
歓喜の想いを、満月に向かってか細い声で吠えた。
「もし、そこのお嬢さん。随分と楽しそうですね」
「えっ?」
黒いシルクハットにタキシードにちょび髭。絵に描いたような紳士風の、しかしこんな時間帯にその格好で出歩いているという事実から不審人物感ありありの男性から、声をかけられた。根っからの人見知りである風深は、突然の声掛けに心身揃って卑屈に身を強張らせる。
「こんな時間にこの街で楽しく過ごせる場所なんて、きっとお嬢さんはご存じないでしょう? どれ、良かったら私目がご案内いたしましょう」
「えっ、いや、その」
ぬいぐるみを抱えていなかった右側の手首を強引に掴まれて、引っ張られるままに足を進めてしまう。想像通り、紳士風の男はその格好にはまるでそぐわない裏路地まで、彼女を連れ込んでいく。
「……っ!」
何かに足を引っかけて、風深は転んだ。普段は大事にしているぬいぐるみも、こうなっては体を庇うために手放すしかなく、前方に吹っ飛んでいく。
男はきょろきょろと周りを見ているが、なぜかすぐ足元にいるはずの風深に気付かない。数分後、ちっと舌打ちを残して大通りへ戻っていった。
「大丈夫か? 手荒なやり方して悪かったけど、こっから先へ入ったらマズいぜ。この街に住んでる女だったらそれくらい知ってるだろ……、って」
路地裏の中は入り組んでいて、更なる横道があり、そこから出てきた少年。白い着物のような服を着ていて、風深は彼の真っ赤な髪に目が釘付けにされる。少年もまた、風深の出で立ちの奇妙さに目を奪われて、動きを止める。
「ここはどこ? あなたは今、何かしたの?」
「ここはルカ大陸の王都フィラディノート。今のは目くらましの魔法で、おまえの存在をさっきの男に認識出来ないようにしたんだ」
少年は風深の落としたぬいぐるみ鞄を取りに行く。背中についた金属製のチャックに興味を引かれたようで、指先でつんつん、その硬さを確かめている。ひとしきり探ってから、風深に返してくれた。
「ありがとう……助けてくれて」
かろうじて、礼だけは伝えたものの。「魔法」っていうことは、ここはヨーロッパじゃなくて。全く未知の世界だったのだと知って、風深は静かに動揺する。
「ようこそいらっしゃいました、異時空のお嬢さん。私はあなたに会える日を心待ちにしていたのですよ」
ぱち、ぱち、と、儚い拍手の音を響かせて。表通りから歩いてきたのは、白金の髪と瞳の色をした男。目を細めて、待ち焦がれていたという風深の姿をうっとりと観賞しているらしい。先ほどの男とは違った意味での不気味さを感じさせられて、風深は身震いする。
少年は喉の奥から絞り出すように、「げっ」と嫌そうな音を漏らす。
「……この人、お知り合い?」
「知り合いっつうか、有名な人なんだよな。限られた界隈で」
師匠に迷惑予言を伝えに来た際に、自分にもうんざりするような予知を授けられた。それも彼にとっては最悪の内容を、もののついでみたいに軽々しく。そう説明してくれたけど、この時点の風深にはその詳細な意味を理解出来るはずがない。唯一わかるのは、先ほどの「げっ」は聞こえた印象通りの意味だったということだけか。
「私は月光竜。こちらの世界を総べる十一神竜が一体。あなたと同じ、『運命を視る目を持つ者』ですよ」
「私と……同じ? あなたにも、人の未来が見えるんですか……?」
天宮風深は生まれた時から、人とは違う不思議な目を持っていた。彼女と目を合わせたあらゆる人の、未来が見える。だから極力、人の目を見ないように俯いて生きるしかなかった。うっかり目を合わせてしまうと、相手の……例えば、本人が間もなく交通事故で亡くなるとか。その人の身近な誰かに不幸があって、遠からず死に別れてしまうとか。良いものも悪いものも平等に、その人に訪れる未来の出来事が映像として見えてしまう。
あまりに悲惨なものを見てしまったら思わず涙ぐんでしまい、彼女を取り巻く周囲の人々から気味悪がられ、疎まれて。子供の頃から十七歳になる現在まで、ちっとも友達が出来なかった。
「この前会った、異時空の人じゃん。月光竜様に、自分の世界へ戻してもらえたんじゃなかったっけ」
「私と月光竜様ね、満月の晩だけ、お互いのいる世界を交換することにしたの……私はこの世界に、あちらは私の世界にいる時は、この目が未来を見ないで済むみたいだから……」
「ふぅーん……」
そういえば、お互いに名前すら教えていなかったことを思い出して、ふたりはあらたまって自己紹介する。少年はフウ・ハセザワと名乗った。
それからふたりは、満月の度に、フィラディノートの街で顔を合わせることになる。
「カザミって初めて会った夜はめちゃめちゃくら~い顔してたくせに、今はなんでか顔色まで良くなったよな~」
「だって、誰の顔を見てもその人の未来が見えないって、とっても気持ちが楽なんだもん……」
特別な目を持って生まれたことにデメリットしか感じてこなかった風深は、ずっとこっちの世界にいられたらいいのにと願わずにいられなかった。元よりあちらの世界に、自分を必要としてくれる誰かなんていないだろう。そう確信していたから……。
満月の夜にだけ、異時空の友人に遭遇できる、世にも奇妙な繋がり。なんだかんだ、ふたりにとってそんな夜の触れ合いは日々の安らぎと息抜きになりつつあった。
「フウ君って、満月の夜は決まって外を歩いているんだね」
そも、あの夜フウが風深を助けてくれたのは、彼が満月の深夜に町を歩いていたからで。それ以降の再会だって、彼が毎回のように同じ行動を取っていたからこそだ。
「師匠からの指示で、この街の地脈に流れる魔力の性質を調べてる。俺はこの赤い髪のせいで、自分自身の魔力で魔法を使えないからさ」
この世界では、自力で魔法を使えない人間は、大地に宿る魔力を借りて魔法を操る。満月の夜は、月の影響で地脈の魔力が上昇する。さらに深夜ともなれば人気がなく静かで、魔力を感知するには好条件となる。
「赤い髪のせい?」
「詳しく話しても異時空のカザミには意味わかんねーと思うけど……俺は生まれつき神罰を負ってて二十歳まではそれを封印で免除してもらってる。その証拠がこの赤い髪なんだよな」
「……神罰って……?」
「赤い髪の封印がなくなったら前世の自分が犯した罪で神様に裁かれることになってて、その罰っていうのは死んだ方がマシって思うくらいの苦行なんだってさ。そんな目に遭いたくないから、回避出来る手段を探したくて。この街に住んでる、世界一有名な魔法使いに弟子入りさせてもらったんだ」
お互いの世界へ行き来するために風深と月光竜が待ち合わせするのは、フィラディノートの街を囲う煉瓦の城壁を出た外の世界。手入れのされていない荒涼とした草原がそこに広がっている。
「ど、どうしたんですか? その顔……」
この晩は月光竜が彼女より先に待ち合わせの場所に来ていて、その顔がぼこぼこに腫れ上がっているのを見て風深はうろたえる。
「あなたの暮らす町を歩いていて、数人の少年に囲まれて路地裏へ行きましたら、このように」
あの時、私はフウ君に助けてもらえたけど、この人は誰にも助けられなかったんだ……自分に非は一切ないというのに、風深はなぜか申し訳ない気持ちになる。
「いやぁ、一歩進めば先に何が起こるかわからない世界を歩くって、なんって楽しいんでしょう! あ、私にマゾヒストの気質はありませんので誤解のなきよう」
「はぁ……」
笑顔満面でそう言われても説得力を感じないが、それよりも、風深には彼に訊ねたいことがあったので黙殺する。
「あなたには、フウ君の未来が見えているんですよね……彼が、その……神罰? というのを受けてしまう未来を、変えることは出来ないの……?」
「あなたの視ている『未来』と、私の視ているのは似て非なるもの。私が視ているのは未来ではなく『運命』なので、絶対に変わらないのですよ」
風深が視る未来は、彼女の行動によって変わることがある。もし、私の目がこの世界でも未来を視ることが出来たなら……フウ君の未来を視て、彼の結末を変えられたのかな。風深は、この世界で自分が人の未来を視られないことを無邪気に喜んでいて良かったのだろうか……そう、自問自答してしまうのだった。