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思春スイッチ

作者: 雫水 冷水

 駅のホームを出ると、荒天の灼熱と光線が出迎える。瞬く間に額から幾筋かの雫が眉へ頬へと伝っていく。はぁ、と一息吐き出し、慣れた手付きで懐からハンカチを取り出し、拭い取る。並木道の影から影へと逃げ隠れしつつ、一つの寄り道を済ませて、歩き続けること十数分、目的地につく頃には喉が乾きを訴えていた。

 扉を開けると、心地よい冷気が体を癒やしていく。部屋の中では一人の女の子が既に活動を始めているようであった。

「ずいぶん早いな」

 声をかけながら、後ろ手で扉を閉めると、彼女はスタンドに乗せてあるキャンバスから目を離し、こちらへと視線を向けた。

「全然早くないわよ、外を見てみなさい」

 彼女が指差す窓の方へと足を進める。熱光を遮るカーテンを開けた。その刹那、閃光が目を容赦なく襲う。それは、太陽の光だけではない。輝かしく、暴れるように、舞うように踊る無数の高校生たちの姿だった。

「青春よね。彼らは、朝早くから学校にきて、練習をこなしているのよ。夏休みに入る前からずっとこんな感じよ」

「……すごいな」

 球が飛び、跳ね、蹴られ、弾かれる。人が走り、跳び、叫び、支え、汗を流す。ただ、一つの風景であるのにもかかわらず、なぜか目を離せない。

「ほら、私たちは去年も大会あったけど、三年生の運動部の子らはコロナウイルスで大会が全部中止になったのよ。今年は感染も落ちついてきて大会も再開するみたい。君も私も三年生で最後なんだから、クラスの皆も頑張っているし、負けられないわよ」

 マスクを付けろ、距離を取れ、外出自粛、運動系の大会中止。自分には全て無関係だ。家から出なければ、全てが変わらない。コロナなんて、別にどうでもいい。自分に対しては関係ないものだ。無意識のうちにそう考えていたのかもしれない。

「カーテン開けてもいいか?」

 いつの間にか作業を再開している彼女から「いいわよ」という返事をもらい、隠れるように、覗き込むように見ていた異界との門を開く。天井につけられた黄色い光源に対抗するように、赤くも、青くもある光は部屋の雰囲気を上書きした。

 登校中に寄り道して得たペットボトルに入った飲み物を一本、少女に渡して、部屋の奥へと進む。その中から手探りではあるが、間違いのない確かな手付きで道具を取り出し、一枚の紙と向かい会う。チューブを思いっきり握り、中身を一気に出す。そのまま、チューブをゴミ箱へと投げ捨てた。彼は三年間の記憶の断片を思い出して筆を握った。その瞬間体のどこかで切り替え音がカチッとなり、全身に響き渡るのを感じた。


 こんなつもりではなかった。友達の作り方を知らなかった。どうやって人と仲良くなるのか知らなかった。別に話せないわけでは無い、話し方を知らないわけではない。会話してもそれで終わり。話が続くことはない。そんな自分を置いて周囲は一人一人と友達を作っていく。焦りを覚えるが、どうすることもできなかった。周りの視線が痛い。一人でいるのが寂しい訳ではない。ただ、他人に一人でいることを哀れまれるのが嫌だった。だから、ずっと、休み時間は勉強をして過ごした。どんなときも勉強に必死な振りをして誰かが声をかけてくれるのを待っていた。救世主を、ヒーローを待っていた。結果は言わずもがな、中身の見えない、尖った氷山に近づくものは誰一人としていなかった。

 高校に入学してから二週間が経った頃、相変わらず友達がいない自分は、放課後、一人教室の中で一枚の紙と睨めっこをしていた。紙の上部からは「入部届け」という文字が、下部からは今日の日付と締切厳守の文字が自分を見つめていた。運動部に入れば友達ができるかも、と淡い期待を抱くたび、自分の運動能力の無さと休日部活の憂鬱さが垣間見え、書いては消してを繰り返していた。相談できる人もいなければ、運動部の実態を知る術もない。今のままではいけない、と強く思い、意を決して卓球部と清書し、職員室へと足を運んだ。卓球部なら個人戦もあるだろうから、自分にもできるのではないかと思った。

「詐欺ですよ! だって、学校紹介の部活動一覧には載っていました! どうして、どうして」

 提出先である担任の先生と一人の女子生徒が言い合いになっているようであった。途中からの盗み聞きなので詳しい状況は理解できないが、どうやら、生徒の希望したおそらく文化部の一つであろう部活動が今年からなくなったようである。

「しょうがない、部員が0人になった時点で廃部っていう規則なんだ。ただ、部員が二人以上いれば新しく部活をつくることもできるぞ」

 先生の言った言葉を聞いて、彼女は目を輝かせたのも束の間、更に怒りを込めるような声で反論した。

「私が誘えるような友達はみんな運動部に所属していて兼部なんかできません。それに、今日は部活入部届締切日。今更、変えるような人なんか……いません」

 言葉を終える頃には、彼女の声は威勢をなくし、弱音を吐くかのようにも聞こえた。廃部になるような部活ということはあまり人気がない活動なのだろう。さらに、ここは有数の運動部強豪校。多くの生徒が体を動かすのを得意とし文化部はただでさえ人数が少ない。

 ご愁傷さま。そう思った瞬間だった。

「私は小さい頃から美術を続けてきたわ! こんなところで道半ばで諦める訳にはいかないの! 私は感動させられる絵を描きたいの!」

 敬語も忘れ、ただ感情を伝えるだけの言葉だった。先生にしても、規則は規則だとしか言い返せないだろう。ただ、よりによって美術か。

「俺でよければ、部員になろうか? その美術部」

 持ってきた入部届けを咄嗟に隠して、会話に乱入する。彼女は乱入者に目を見開きながらも、言葉の意味を理解したのか先程見開いた目を隠すようにこすった。先生に至っては、自分が来たことを察知して時々目配せしていた。担任の先生は知っていたのだ。自分が入部する部活動に迷っていたことを。そして、なにより中学生の時、美術部に入部し多くの賞状を取った実績がある自分のことを。ただ、この選択は自分にとって自爆であった。なにせ、中学校の頃は美術部関連で、できた友達は少ない。そして、それは高校でも同じであろう。つまり、これは自ら友達を作ろうと歩みだした一歩を引き戻す手であったのだ。しかし、まだ見ぬ友達と、自分も好きな美術の活動をしたい子は天秤にかけるまでもない。それほどまで、自分の中の美術という名目は重く大きなものであった。

「美術部に入ってくれてありがとう」

 少し時間があき、落ち着きを取り戻した彼女は目に多少の赤みを帯びてはいるが、冷静にそう感謝した。自分も美術部だったので、とか、入りたかったので、などと言いながら、自己紹介を済ませた。美術部に入らなくても家で創作活動は行えると思っていたのだが、彼女の言い分では部活に入っていないと応募できない大会もあるそうで、そのため、あれほど熱心に美術部に入ろうとしていたということらしい。

「突然なんだけどさ、この後暇かしら?」

 彼女にそう言われてこの後の予定を確認するが、悔しいかな、友達もいない人に予定なんてあるわけがない。せいぜい、帰宅して勉強するだけだ。

「これから、デッサンしに行かないかしら?美術部だったってことは絵は描けるのよね?」

 二つ返事で了承し、彼女のあとをついていった。目的地へは少し遠出をするようで、電車に乗り込んだ。

「はい」

 彼女はそう言いながらスマホをこちらへと向けた。どういうことかわからず、あたふたするが、画面をみるとメッセージアプリの二次元コードが表示されており、連絡先を交換しようということだと気がついた。慣れない手付きで自分のスマホを操作し、コードを読み込んだ。すると、彼女の名前がアプリの「友達」の欄に追加された。それをじっと眺めてから、浮かび上がる口角を無理やり押さえつけて、スマホをポケットにしまう。

 電車に揺られること数十分。目的地についたようで、彼女の後を追いかける。学校の付近はちょっとした都市のようになっていて人工物が目立つが、ここは、木々や花などといったものが全方位どこを見ても目につく。

「ついたわ。ここが私の祖母の家よ。テラスに案内するからそこで待ってて」

 彼女の案内のもと、たどり着いたそこは立派な邸宅だ。自然に囲まれて物静かだが、時折どこからか聞こえる鳥の音や、水の流れる音は自然の中にいることを感じさせる。学校に入学したときから感じていた重圧が一気に軽くなったような気がする。テラスへと着くと、彼女の祖母が手入れしているのだという庭が見えるのだが、それはそれは絶景だった。教室ほどの大きさの土地に、多くの花々や立派な木、そして鹿威しがあった。鹿威しは先程からカタン、と音が周期的に聞こえていて、もしや、と思っていたのだが、見るのは初めてであったので、思わずおぉ、と声を荒らげた。

 庭に見惚れていると、デッサン道具とちょっとした飲み物とお菓子を手に彼女が得意顔で戻ってきた。テラスに木製の大きな机とベンチが風景に溶け込むようにしておいてある。そこに二人して座り、ペンを手に取る。四月であるため、気温は心地よくちょうどいいデッサン日和だ。

「今日は本当に美術部に入ってくれてありがとう。さぁ、始めましょうか」

 その言葉を合図に深呼吸する。花の甘い香りが鼻孔をくすぐり思わずほっこりとしてしまうが、すぐに冷静な顔つきに変える。体内のどこかでカチッという切り替え音が鳴り響いた。

 デッサンをすること数十分か、一時間か、はたまたそれ以上か。こんなものか、と思って顔をあげるとそこにはすでに作品を仕上げた彼女が覗きこむようにして見ていた。

「上手ね」

 そう言われ、改めて自分の作品と向かい合う。目の前の美しい自然豊かな風景をみて自分が落ち着いたように、このの作品を見る人にも落ち着きを感じさせるように書いてみたが、果たしてうまくできているだろうか。現物と見比べるとやはり劣るようで、まだまだ修行が足りないと思い知らされる。彼女の作品はどうだろうか、と彼女の方を見ると、彼女は作品をこちらが見やすいように回転させてくれた。

「これは……」

「君ね」

 そうではない。どうして、これを書いたのかと口を挟みたかったがこの作品の美しさに目を取られた。モデルは美しさの欠片もないが、彼女が美化して書いたのか、一つ一つに躍動感があるようにさえ思える。ただ、どこからどう見てもそれは自分であるが、自分ではない何か別のものだ。

「俺はここまで輝いてない」

「モノクロだもの、輝いてないのは当然。色もつけたらもっと輝くわね」

 そうでない、そう言いうために開けかけた口を塞いだ。代わりに絵を目に焼き付けた。


 二年生にもなり、ようやく高校生活にも慣れ、部活も順調に活動することができてきた。部活だけは本気でやろう。友達作りも、青春の思い出も、高校生と言えばというものを諦めてきて残された最後の一つを真剣にこなしてきた。春は出会いの季節というが、自分の氷山はそんな春さえ冷やし飛ばす。友達はおろか、新入部員もいなかった。

「あら、いらっしゃい」

「あぁ、おつかれさん」

 扉を開けて、二人しか使ってない部室に入り、活動を始めようとする。ふと、壁を見れば、そこには無数のトロフィーが飾ってあった。三分の一は彼女が取ったもの、三分の一は自分で取ったもの、そして、残りは二人で、共同で取ったものだ。そう、慎ましく、貧素に活動しているが受賞数だけは全部活動の中で最も多かった。彼女も自分も幼い頃から美術活動を始めていたため、他者の追随を許さないほどに上手だった。そして、それとは別に新たな試みも始めていた。

「まだ少し早いけれど、今年から一月に新年のカレンダーを作ろうと思うの。二千円位で販売しようと思うのだけれど、どう思うかしら?」

「いいと思う。顧問の先生への連絡は俺からしておく。俺の書く月を後で教えてくれ」

 二人でプロとして活動を始めた。始めたというよりも成り行きだった。彼女の提案でSNSを使って作品の共有を二人ではじめた。SNSの設定などの諸々は彼女が全て行なってくれた。そして、数ヶ月もするうちにファンができ、その界隈ではある程度の人気を得た。それに重なるように材料費が足りない問題が発生した。いくら賞を取っているとはいえ、部活動であるため予算は少ない。それを顧問に相談したところ、収益を得る活動を勧められ、それを行い、あれよあれよと今に至る。最近では企業からの依頼も来るようになり、部活での材料費を買っても余るくらいの利益を得ている。その話が職員室で持ち切りになったり、二人が税金の話に詳しくなったりしたのは余談である。

「君、何かあった?」

「どうして?」

 いつも通り作業の合間に入る休憩時間、そこで、おかきと大会の参加賞で頂いたマグカップに注いだお茶を口にし終えてから談笑をしていると彼女が突然そんな話を始めた。

「この前のテストあなた、その……」

 彼女は言葉を濁した。ただ、テストに関することで心当たりがあるはずもなく、わからず首をかしげる。彼女は石橋を叩いて渡るように、小声でつなげた。

「ほら、テスト一番じゃなかったじゃない」

 初耳だった。詳しく聞けば、今朝発表された、テストの成績表で自分が一番でなかったのだという。普段からテストの結果には大して興味がないため、知らなかった。ただ、そのことを聞いて、自分でも気づかぬうちに不思議に笑っていた。

「どうしたの?やっぱり、壊れたの?」

「いや、どうやら俺はこの生活に満足しているようだ」

 もともと、勉強に対する特別な思いなどはない。勉強は一人でいる時に哀れだと思われないための免罪符だ。他人の横に友達がいるとき、自分の横には参考書がいつもそこにいた。その結果がテストの好成績である。この呪いが解けかけようとしているみたいだ。

「ありがとな」

 彼女は唇を尖らせるが、「何もないならいいのよ」といって、作業を再開した。

「……これが青春か」

 他人の大きな光に比べれば、自分の青光は心許ないものではあるが、確かに光るそれを胸のうちに閉じ込め、これを捨てないように、無くさないように鍵をかけた。どこにも逃げていかないように、ずっとこのままであるように。


「ねぇ! ねぇってば」

 肩を揺する衝動に気が付き、目が冷めた。目を開けると、たくさんの作品と無造作に置かれた紙と絵の具、そして作りかけの作品がキャンバスに乗ったまま置いてある。なんだ、と思い首を回転させると、可憐な少女が頬に絵の具をつけて、こちらを見つめていた。

「熱中症じゃない? 大丈夫?」

「……あぁ、いや、大丈夫だ」

 三年間の長い夢を見ていた気がする。入るつもりのなかった美術部に入り、そのせいで、友達は一人しかできないが、自分の好きな活動ができた。大変なときも、忙しい時もあったが、ずっと楽しかった。そして、隣には、彼女がいた。自分が頑張ってきた三年間の部活動。いろいろあったが、楽しかったこの部活動が終わりを迎えようとしているのだ。三年の夏、つまり、今年の夏で部活動は引退である。

 寝てばかりはいられないと、立ち上がろうとした。その途端、足元の安定を失い倒れかけた。それを、彼女が慌てた様子で支える。

「今日は終わりにしましょうか」

「いや、寝ぼけただけだから」

 心当たりはあった。昨夜遅くまで作品を描き、そして今日。夏休みで久々に学校に来て、学校特有の空気に当てられたという火種が、普段の疲れと言う燃料に着火しこのような状態を引き起こした。だから、まだ頑張れるはず……

「それで、集中できるのかしら?」

 その刹那、自分のなかでの掟が声を上げた。部活だけは本気でやる。その掟を踏みにじっていいのか、と部活仲間であるパートナーにも暗に言われたのだ。

「大人しく休む」

 部活のある日にしては早い終わりだが、すでにお昼は過ぎ夕方に差し掛かろうとしていた。彼女が気づいたということは、ちょうど三時の休憩頃か。彼女は、気を遣ってか、まだやり足りないだろうに片付けを始め、帰る準備をした。自分も慌てて立ち上がり、戸締まりや散乱した紙の片付けに入った。

「そういえば、俺たちが退部したあと廃部になりそうだって話、どうなった?」

「申し訳ないけど、どうにもならなそうね。部員がいない部活動は残せないって」

「……やっぱりそうか」

 パレットも片付け、電気を消し、鍵をかけて部屋を出た。彼女とはそこでお別れだ。下駄箱から靴を取り出し帰路につく。ふと、横を見れば体育館で部活動をする人らが目に映る。

「三年生最後の大会! 絶対勝つぞ!」

 換気のため、開けられた隙間から、マスクをしたクラスメイトの女の子が部員に囲まれて意気込みを言っていた。額には汗が張りついている。そして、ふと、発達した筋肉が目に止まった。あまりじろじろ見るのも良くないと思い、すぐに視線をそらす。

「ダッシュ! ダッシュ! 移動早く!」

 サッカー部だろうか、野球部だろうか。この二つは、夜まで練習しているらしい。野球部は、炎天下でも長ズボンを履き、サッカー部は雨が降る日でも知ったことかと泥沼を走り回る。半ズボンだからサッカー部だろうか。遠くてよく見えないが、教室で自分の隣の席に座っているあのこんがり焼けた大柄の男子も頑張っているのだろう。

 当然、彼らには後輩がいるわけで、意思を引き継いでいくのだろう。伝統として。

 電車の中は行きと同じくあまり混んでいるわけではなかった。皆、部活動に精を出しているのだろうか。一人しか友達がいない自分には知るよしもなかった。

 家の最寄り駅まで来ると、周囲が茜色に染まっていた。とぼとぼと家までたどり着き、何も考えずに自室へとたどり着いた。ドアを開けると昨日描いていた作品が自分のことを睨んできた。ただ、続きを描こうという気にはならなかった、いや、なれなかった。カバンを放り投げ制服のままベッドへと飛び込んだ。

 なんだろうか、この喪失感は。なんだろう、この悔しさは。なんだろう、この羨ましさ、妬みは。どうして、自分はこんなにも、部活動ごときにガチでやっているのだろうか。自然と涙がこぼれ落ちた。日々が辛いと感じる高校生になってから、ようやく二年と少し。こんな長い時間、自分が本気でやってきたものはあっただろうか。そもそも、どうして、部活を本気でやっているのだろうか。

 この世界は理不尽だ。人と人との関わりを強要するくせに、共通因子を持つものは側におかせず、陽の光を浴びないところでどれだけ育とうとも、完成された巨壁の前では誰の目にも止まらない。壁はどんどんと辺りに増えていき、やがてその影も壁に埋め尽くされ姿を隠す。光の苦手な者が生きづらいように作られているのだ。と言っても現実は変わらない。そういうものだ。あぁ、糞が、と叫びながらベッドを一回だけ殴りつける。

「あいつらはいいよな、繋がれたものを次に繋げられて。俺には、繋いでもらう相手も繋ぐ相手もいねぇぞ。どこに、いるんだよ。俺の繋げる人たちはよ! なんでこんなことをしてんだろうな。やめようか」

 普段は自分の絵を投稿するためにしか使わないネットという名の大海へ、自分の愚痴を発射した。どこからともなく寂しさに苛まれた。枕にできるシミがだんだんと大きくなる。規則的に唸るエアコンと共鳴するかのように嗚咽が混ざる。

 ブルッと、スマホが振動した。今でも、スマホに入っている連絡先は少ない、この時間帯にメッセージを送ってくるのは、ほとんど母親が遅くに帰るという旨を告げるときのみ。無視しようとしたら、立て続けに、二度、三度、四度と止まることはなく、目覚ましのごとく存在を主張し続けた。

「うるさいな」

 と、言いながらメッセージを確認するとそこには、多くの者からの大量のメッセージが自分のもとへとたどり着いていた。送り主は先程自分が送った、大海である。大量のメッセージの中、先頭に大きく映る、パートナーである彼女からのものが目に写った。

「君はなんのために絵を書き続けていたのかしら? どうして、あのとき、美術の道を選んだのかしら?」

 なんのために? そんなの、そんなの……自分が好きだから。あ、そうだ。そういうことか。自分の中で何かがプチッと吹っ切れた。こればかりは、混同してはいけなかった。自分の理想と現実を。諦めてはいけなかった。別に、ゴールは一つではない。いくつもあるが、それが先入観により隠されていただけだった。

 彼女のメッセージをはじめ、様々な人の思いや作品が自分の元へ送られてくる。一つ一つに感情がこもっていて、とても楽しそうで、面白そうで、優しそうで、心を温めてくれるものばかりだった。自分が作品を投稿しても、ここまで返信が来るわけではない。きっと、彼女が裏から、温かいメッセージを送って欲しいと呟いたのだろう。まったく……

 あぁ、こんなにいるじゃないか、ここに居たんだ。隠れてないで出てきてくれよ。

 今まで全く姿を見せなかったのに、ちょっと視野を広げれば、こんなにもたくさんの仲間が、同僚が、先輩が、後輩が。自分の部活になかったものがそこら中に。

シャワーを浴びて、頭を冷やし、温かいご飯を食べて、声を大にして呟いた。

「ありがとう」

 仲間へと、それからずっと支えてくれた相棒へと。

 皿洗いを終えてから部屋に戻り、パレットとキャンバスを取り出した。どうにも、作品を作りたくて仕方がなかった。自分は力もないし、人見知りだし、不器用で無愛想だが、本気を出すときは出せるはずだ。数少ない支えてくれた人に、いや、今ではよく見える、自分の背中を大勢の人が押しているのを、そしてその最前線にはもちろん彼女が居る。高校最初の友達にして、高校唯一の部活仲間。さて、感慨に浸るのもここまでだ。ここからは、入れ替えろ、やる気を入れろ。この言葉を生まれて始めて高々と宣言した。

「スイッチ!」

 体の何処かから、いや、今は分かる。心だ。心からカチッという音が鳴り響いた。

「いきましょ」「今日は部活の日ね」「あら、いらっしゃい」「おめでとう」「あら、褒めてくれるの? ありがとう」「少しは休んだらどう?」「がんばりなさい」

 シーンと共にあの優しげな顔が、やる気を与えるように押し出す彼女の声が、そして、作品を作るときに変貌する、勇敢とも、恐れ多くも感じさせるあの鋭い表情を忘れない。そのとき初めて実在する人の顔を書いた。


 空を見上げれば、斑点が薄暗い空を埋め尽くしていた。草は霜を纏い、道路は氷結していた。町中は白銀の世界へと入れ替わる。あれほど暑かった夏はどこに行ったのやら、タオルで汗を拭っていたのが嘘のようだ。慣れた手付きで改札を抜け、白い帽子でおしゃれをした木々の並木道を抜け、今となってはいい思い出とも言える建物の中へと入る。

「ずいぶん早いな」

 部屋の中には一人の可憐な少女が既に入っていた。その手には筆があり、なにかを作っているようだ。

「おいおい、もう卒業も近いんだぞ。今日は賞状を持ち帰りに来ただけだぞ」

「分かっているわよ。でも、ここに来たら何かを作らないと落ち着かないのよ」

 物わかりの良い彼女にしては珍しいと思う自分と、行動力のある彼女だからなぁと思う自分が共存するが、間に入るようにもう一人の自分が現れた。

「俺も書く」

 あとから気づいたことだが、どうやら自分は重度の負けず嫌いらしい。だから、彼女ばかり書いているのが羨ましい、自分ばかり片付けをするのは負けていると感じたようだ。

「この部活、廃部になるみたいね」

「やっぱり、そうか。人がいないからな」

 彼女が動かす筆が一瞬だけ止まり、口をゆっくりと開けてまた戻した。マスク越しにも分かる。

「君は、創作活動をやめたりしないわよね? 中学生の時の友達はみんなやめたわ。でも、君は、君はやめたりしないわよね?」

 創作活動をやめる、そんな質問がくるとは思っておらず、頭の中がパニックを訴えるが、それよりも、彼女の真剣な顔を見ると自然と笑いが飛び出た。

「なんで笑うのよ」

「あはは、いやいや、ごめん」

 眠い、怠い、帰りたい、嫌だ、退学したい、学校休みたい、何度そう思ってきたか。頼れる人がいないから、全て自分でこなし、他人に馬鹿にされないよう、邪魔にならないよう、周りの行動を見て、優秀な学力をつけ、逃げるように過ごしてきた毎日だった。それを少しでも面白いと、楽しいと、思えたのは完全に彼女のおかげだ。あのとき、あの自然に囲まれた美しい庭を見せてくれてありがとう。あれがなければ幽霊部員になっていただろう。いや、学校に在籍すらしていないかもしれない。だから君に言おう。

「ところで、ファンの間では、このあいだのポスターが人気で来年のポスターも欲しいっていう声が上がっている。 そして、できれば、来年も、その翌年も、一緒にポスターを作らないか?」

 彼女は顔をこちらに向けて、ペンを手放して、微笑んだ。

「えぇ、もちろん」


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