呪詛は、
夏休みは、予定通り、お盆まで実家に帰った。
「振られた!」
と笑顔で真央に言うと、真央はR15の用語を連ねて全力で進藤を罵倒してから、あまりの真央の言葉に青褪める澄に、
「なんですぐ言ってくれなかったの!」と責めた。
「真央の呪詛が完成しそうで…」
「アホ!とっくに完成しとるわ」
真央は澄を抱き締めて、「よくやった」と言ってくれた。
澄は全部報われたような心地で、自分も真央に抱きついた。
東京に帰って来ると、大舘に誘われて入った都市伝説検証サークルの合宿に行ってみたり、苗子に誘われて合コンに行ってみたりしていたらお金がなくなった。
「アルバイト探そうかあ」
「だねえ」
同じく金欠の苗子とサークルで相談していると、大舘がすぐ身を乗り出してきた。
「紹介しよっか」
「嫌ですよ!西垣パーラーは」
「はは、違う違う」
大舘が提案してくれたのは、大学も提携している神奈川の宿泊施設の期間限定バイトだった。
「9月の人員が足りないって、参加してる友達からヘルプが来て。俺も行くから一緒に行く?ちょっと急だけど」
「行きます!」
深く考えず飛びついた澄は、行ってから後悔することになる。
大学と提携してる、ということは、サークルなどで使う場合に割引が効くということで…サークルでよく使われる、ということで。
「え!この…ブラックイーグルスって、うちの大学の?」
不慣れながらも一週間、業務をこなすようになった辺りで、来客予定を見て澄は顔を強張らせる。
「ん?ああ、そうなんじゃない。まるニって書いてある」
「しまった…」
「何が?」
「あ、でも参加しないって言ってたような」
「誰が?」
大舘の問いを誤魔化して、澄は憂鬱な気持ちで部屋の掃除をして、出迎えの準備をした。
ブラックイーグルスは、進藤の所属してるバスケサークルだ。
…果たして、進藤は来た。
「ようこそお越し下さいました」
教えられた挨拶を口にして頭を下げる仲居姿の澄に、進藤は唖然として動きを止めて見つめている。
「しんどー?どうした?」
「あ、いや…」
周りに促されて、ノロノロと歩みを進める。
澄もふうと汗を拭う。
焦った…。心臓がドキドキする。
「澄ちゃん?大丈夫?…今のあいつってさ…」
大舘も澄の様子を見てフロントから何か言い掛けたが、澄は手をパタパタと振って、笑顔を見せた。
その後も、澄は食事の配膳やお風呂の片付けで何度も進藤とエンカウントし、21時になりやっと仕事が終わるともうグッタリしていた。
苗子に誘われて大浴場に行き、その帰りに思いついて宿の庭園に出る。
苗子は早く寝たいと言って部屋に帰ってしまったので、澄一人だ。
「涼しい…」
今日は九月でも夜はちょっと冷えるほどだったが、湯上がりには丁度良かった。
ベンチに座って星を見る。
同じ宿に進藤がいると思うと、落ち着かない。常に姿を探してしまって、疲れる。
「早く…」
忘れて。どうか忘れて。
「…黒川」
「ふにゃあ!」
突然進藤の声がして、澄は飛び上がった。
振り返ると浴衣姿の進藤が、口を抑えて震えている。
「…ふにゃあって…ほんとクロって、猫…」
震えてるのは笑いを堪えてるかららしい。
澄はすぐ立ち上がると、進藤の脇を通って戻ろうとする。
「待って!待って、クロ、頼む」
すれ違う腕を捕まえられる。
「頼むから…」
進藤の声がよれた様に感じて、澄は腕を振り払おうとするのを止めた。
「…進藤?」
澄は俯く進藤を覗き込む。
「…どうしたの…?」
名前を呼んだ進藤の顔が一瞬、泣きそうに見えた。
「クロが…いないから」
「いますけど?」
「実家に帰ったら会えると思ってたんだ」
「…」
敢えて進藤を避けて帰省した澄は、何も言わず、進藤が掴んでいる右の二の腕を引っ張るが、進藤は掴んで離さない。
抗議しようと口を開いた時、
「澄ちゃーん?いるー?」
庭園の入り口から大舘の声がした。
こちらからははっきり見える大舘が、キョロキョロ暗い庭園を見廻してる。
「は…」
はい、いますよ、と元気よく返事をしようとした澄の口を、進藤の掌が覆って塞いだ。
「!?…!??」
そのまま腕を引っ張られて、口を覆っていた手が腰に回されて…
え?!だ、抱き締められ…
「…あっれー?どこだ?」
大舘が気付かずに庭園のドアを閉めた音がした。
「…し、進藤」
「あいつ最近いつも一緒にいない?」
澄を抱き締めながら、進藤が澄の耳上で言う。
薄い浴衣越しに進藤の身体の熱を感じて、澄はドクドク言う心臓を庇う様に身体を捻るが、進藤は腰に回した腕も、背中に回した腕も外す気がないらしく、びくともしない。
「あ、あ、あの人は2年の大舘さん…ね、ちょっとあの、は、は、離れて…」
「名前じゃなくて。クロの、何?付き合い始めたとか…言わないよな」
「ちゃ、ちゃいますよ」
変な大阪弁が出てしまう。
「このバイト紹介してくれて、あ、その前にサークルの先輩で…あ、サークルも大舘さんに紹介してもらって…」
「サークル?入ったの?なんてサークル?」
抱き締めたまま話すから、耳に息が掛かる。
「…っ、としでんせつ検証サークル…」
「あー、好きそう、クロ」
「ねっ、んねっ、もう、離して…」
「…逃げないなら離す」
「逃げない!逃げないよ」
そう言ってやっと解放される。
「あの、あのねえ、振った女にこういうことするの、下手したら法律に抵触するからね!?」
ヨロヨロ胸を抑えながら、澄が睨むと、進藤が顔をくちゃくちゃにして笑う。
「笑ってるけどさ…!」
「うん、ごめん、ごめん」
進藤が脇腹を抑えながら笑い続ける。
「それで、なに?なんか…用だった?」
澄が浴衣の胸元を直しながら怒った顔で聞く。
「…納得いかないんだ」
「…?なにが?」
進藤がベンチに座って、ポンポンと横に座る様促すので、澄はなるべく離れて座る。
「クロに避けられるのが。だって俺は、クロを振ってないのにさ」
「…え?振ったじゃん」
「振ってない。付き合うって言った」
「えーと、ええ?そう…だっけ?」
「そうだよ。なのに条件が合わないから嫌だってクロが言って。そっからずっと…」
「ああ…」
澄が思い出して、
「だって、…無理だよ」
「…そうか」
そうだよ、と言いかけて、澄は気付いた。
そっか。進藤には、同じように言って付き合った子が(澄の知る限り)2人いたんだった。
「じゃあ…クロの条件言ってよ」
「ん?」
「付き合う条件。俺、それでいいから」
「んん?」
澄は折角夜風で冷えてきた顔に血が昇るような心地で、
「つ、付き合うって。な…に言ってんの。もう終わった話じゃん…」
「…終わった?」
進藤の声が険を帯びる。
「もう終わった話?」
進藤が澄を見る。…怒ってる。でも、なんで?
「この何ヶ月か、ずっと考えてた。どうしたらクロを取り戻せるか。どうしたらクロを他の奴から…」
ギリ、と歯噛みする進藤に、澄はなんとなく怖くなってベンチの上で進藤から離れようと身体をずらそうとして、また腕を取られて強く引き寄せられる。
「…なんでもクロの言う通りにする」
進藤の胸に飛び込む形になった澄の肩がビクリと揺れた。
「なんでも言うこと聞くから。付き合お。な?」
「な、な、な…」
言われたことが理解できない。
いや、理解はできるが…都合の良い夢を見てるようだ。
「…もう俺のこと好きじゃない?」
「好きだよ!」
ガバっと顔を上げて、食い気味に言う。
進藤が澄の腕を掴む力が強くなった。
「じゃ、じゃあ…決まり。な。」
と言った後、澄の腕をやっと放した。
澄は全身がドクドクと心臓の音が指先まで振動させているかのようで、ヨロヨロと進藤から身体を離して座り直す。
震える右手で、左胸をぎゅっと抑えた。
「…どうした?クロ」
「心臓が…いやな、なんでもない」
進藤は澄の様子を見て口角を上げると、
「俺と付き合うことになったって、あの2年にちゃんと言えよ」
「え!!つ…付き合…!?」
澄が慌てて進藤を見上げると、いつの間にか座る場所が近くなっている。
「なんだよ。付き合うんだろ」
進藤が眉を顰める。
「つ…付き合…」
「クロお前…告白してきたくせに俺と付き合うこと全く考えてなかっただろう」
「…そう言われてみると…」
澄は両手で顔を覆った。
告白もさせて貰えなかった過去と自分の気持ちにケリを付けたくて、道場破りの様な気持ちでぶつかっただけなのだ。
「クロらしいけど」
進藤が笑いながら言う。
こいつ、こいつは、なんでこんなに余裕なの?
澄が顔を真っ赤にしながら睨むと、進藤はまた笑った。
「バイト、いつまで?」
「19…」
「マジかよ。夏休みギリギリまでだな」
「うん。あ、なんかある?」
「…」
進藤に虫を見るような目で見られる。
「え、何?」
「いや…クロらしいわ」
何が?
「ええと…東京帰ったらさ、LINEして」
「う…ウン」
「いや、違うわ…ちゃんと言わないとダメだ、クロは」
進藤が珍しく言い淀んで、
「…毎日LINEして」
「え、なんで?」
「…」
進藤が項垂れる。
「あ、ごめん、どういうこと?」
澄が慌てて聞くと、
「心が折れそう、俺」
と両手で顔を覆う。
「大丈夫…?」
「ウン、大丈夫…じゃねえわ」
顔を上げるとキッと澄を睨む。
「あのな、俺ら…」
と進藤が何か言い募ろうとした時、人の声と足音がして、何人かかが庭園に出てきたのがわかった。
「…行こうか。ええと、とにかく…あの二年にはちゃんと言えよ」
「あ、うん」
進藤と並んで庭園を歩く。途中、入ってきた一団とすれ違った。
「…ちなみに、なんで大舘さんに報告するの?」
つ、つ、付き合うって…。
「……お世話になったんだろ」
進藤はまた少し険しい顔をしてそう言った。