2回目の告白は
長内は、次の日にはカラッとしてた。
少なくともそう見せてくれた。
「黒川、お前…ひどい顔してるぞ」
逆に心配される。
「え?どんな顔してる?」
「ブサイクな顔」
「ひどいな」
もう席替えして隣じゃないのに、朝の空き時間に隣に来て軽口を叩く。
気を遣われてる。
「オサピは大人だな」
と言うと、
「その顔見たらさあ」
と笑われた。
その日は何故か野球部の部員が入れ替わり立ち替わり澄のひどい顔を見に来て「長内はいい奴だよ」などと澄に言い、長内に蹴散らされ、を繰り返し…その結果、長内の告白と失恋はすっかり周知されてしまった。
「ごめん、黒川…」
グッタリした長内に澄は何とも言えない顔で、
「…オサピが野球部で愛されてるのがよく分かった」
「…それもあるけど、それだけじゃなくてさ」
と長内が顔を上げた。
「フッた黒川がそんな顔してるから。皆、いい子だなって言ってた」
「そんなひどい?」
澄は顔を覆った。
澄は後から知った話だが、この騒動の思わぬ副産物として、「長内勇太は黒川澄に好きな人がいるからと振られたらしい」≒「黒川澄は進藤一騎と付き合ってるわけではないらしい」という事実も広がった…らしい。
そしてその結果、…進藤に新しい彼女が出来た。
長内との一件があって、澄は暫く意気消沈していたが、進藤に告白する意思は萎えていなかった。
いや、むしろ、気持ちが落ち着いてからは、自分も長内のように当たって砕けてやろうという意欲が湧いた。
だけど、遅かったのだ。
性懲りも無くLINEで「話ある」と進藤を放課後呼び出した澄は、半分すっぽかされることを覚悟していた。
だから、エアコンが切られて茹だる暑さの教室に進藤が来てくれただけで、本当に飛び上がるほど嬉しかった。無表情のままだったが。
「し、進藤、あのさ」
「おー、クロ。お疲れ。最近、また忙しそうだな」
進藤は暑い暑いと言いながら、クロの座る席の前の前の椅子の背に腰を預けて立つ。
「ああ、うん、1年生が入ったからね。生徒会も」
「バスケ部も大漁だわ。半分くらい辞めたけどな」
と笑う。
「そうなんだ、あのさ、進藤」
「けど女マネが入ってさ。3人も。大分楽になった」
「そうなんだ…」
進藤が話をぶった斬るなんて、珍しい。なんか変だな、の違和感は、次の進藤の一言でわかった。
「で、そのうちの一人と、付き合うことにしたんだ」
澄の目も見ずに言った。口元だけ笑って。
「えっ…」
澄の握り締めた手が震えた。
「告白されてさ。俺、友達優先だけどって言ったら、いいって言うからさ」
何の話…
「へえ…」
澄は暑い室内で、冷水を浴びせられたように真っ青になっているのを感じた。
「良かったじゃん…」
「うん。…」
初めて澄の方を向いた進藤が、澄の顔を見て、はっと小さく息を飲んだのがわかった。
…わざとのくせに。
「…クロ、あの、俺…」
「私、」
澄はガチャンッと席を鳴らして立ち上がった。
「かえ、帰んなきゃ。…じゃあね」
言うと、後ろを見ずに教室を飛び出して、全力疾走で学校を出た。バス停で並ぶのも出来ず、走って、走って、疲れてよたよた歩いて、最後はノロノロと、家の近所の公園で、中3の失恋の時も一人で来た公園で、ブランコに座って、暗くなるまで動かなかった。
…告白できなかった。
させてもらえなかった。
真央に震える手でLINEを打って、消して、打って、送って。
真央が駆けつけた時にはもう、身体中蚊に食われていた。
噂によると、進藤の新しい彼女は、青木璃子ちゃんという1年で評判の可愛い子ちゃんらしい。
璃子は進藤先輩に一目惚れして部活に入ったものの、進藤には彼女がいて、別れたと思ったら今度は同じクラスの女子と付き合い始めた…と聞いて涙を飲んでたら、同じクラスの女子の話は誤報だったと。
璃子はこの機を逃さず、速攻を掛けた、と言うわけだ。
「バスケだけにね」
と同じクラスの千聖が締め括った。
「要は、この半年弱進藤に彼女が出来なかったのは私のせいってことか…」
ガックリ。おどけて見せるほどには澄も回復した。
二回目の失恋から1か月、今は生徒会は文化祭の準備でてんてこ舞いだ。
考えなくて済むし、忙しいのは大歓迎だった。
問題は、
「クロのせいじゃねえって。おれそんなモテないし」
後ろで作業している進藤が軽く言う。
「ハイハイ、禿げろ」
「ヤメテッ」
と進藤が笑って頭を抑えた。
進藤は相変わらずだった。
いや、彼女が出来て、安心したかのように澄に近寄ってくる。
今生徒会室で作業を手伝ってくれてるのも、澄がヒーヒー言ってるのを見かねた千聖が「アタシ手伝おうか」と名乗り出てくれた後ろから、「アタシも手伝うわよ」と乗っかってひょいひょい付いてきたのだ。
確かにとても助かってる。
進藤が手伝ってくれるおかげで、
「おー進藤、何運んでんの?え、生徒会?お前が?」
「何これ全部文化祭の字に沿って貼るの?大変じゃん。俺も手伝おうか」
「進藤、画才無さすぎ。黒川さんが可哀想だから代わって」
「進藤、折り紙したことないの?不器用過ぎるでしょ、やってあげる」
と進藤の行く先ざきで人が現れ、進藤のやることなすこと手伝ってくれるせいで、かなり助かってる。
…澄の精神衛生以外は。
「ポスターカラーとかボンドとか無くなったの、買いに行ってきます」
澄が先輩に言うと、「俺も行く」と進藤。
「なんで!一人で行けるよ」
「クラスもなんか足りないって言ってたし。他にもなんか買うもの無いか聞くわ」
とスマホをいじり、「よし、行こうぜ」とさっさと出てってしまう。
…なんなんだ、コイツは。
「待って待って、ベニヤ板買うの?それちょっと高くない?」
「だって、保谷が足りないから買えって」
「よさん、予算聞いて。いや、保谷はダメな奴だから、うりうりに聞いて。いやいい、私が聞く」
「保谷可哀想。というか俺も結構ダメな奴のほう?」
「ちょっと口閉じてて」
ギャアギャア言いながら買い物をする。
一緒にいるのは、苦しい…でも、嬉しい。
嬉しいと、まだ思ってしまうのが、ダメだなあ。
進藤が前より澄に距離が近いのは、自分に彼女がいるからだ。
一番上の引き出しにいるお気に入りの女友達に、勘違いされる恐れがないからだ。
それなのに、…こんな遣り取りで喜んでしまう。
そんな澄を現実に引き摺り落とすように、突然背後から可愛い声がした。
「あれ?一騎」
振り返ると1年生の胸章の色を付けた男女混合のグループが、同じように文化祭の買い出しのような出立ちで立っていた。
「りこ」
隣で進藤が言って、
「買い出し?」
「うん、一騎も?」
噂の青木璃子ちゃんは、肩までのふわふわした栗色の髪の毛の、目がクリクリした可愛い女の子だった。
チラリと澄を見て、
「こんにちはー」とニッコリ。
「どうも」
澄はいつも通り無表情で言うと、わいわい盛り上がる進藤と1年のグループをしばらく待っていたが、
「…進藤、私、ダンボール先に貰ってくる」
「え?俺も行くよ」
「ばか、彼女といなよ」
と言うが、
「なんで。手伝いになんねーじゃん」
とシッシする澄に付いてきてしまった。
…一人になりたいんだってば!
次の日、「りこちゃん」が生徒会室に来て、
「一騎は私の彼氏なんです」
と、一人で書類を整理してた澄に言った。
「…知ってる」
…傷口に塩を塗り込めるカップルだ。
璃子は、はあー、と息を吐いて、
「知っててあの態度ですか?」
澄は眉を寄せる。
あの態度?
「生徒会の手伝いさせる口実に付き纏って…イヤらしいと思わないんですか」
ガン、と澄は頭を殴られたようにショックを受けた。
そう見えてるんだ。
っていうかもしかして、私の片思いって、バレバレなん?
「バレバレですよ、隠してるつもりかもしれないけど」
璃子が澄の心を読んだかのように言う。
「付き合ってるって噂ばら撒いたのも先輩じゃないですか?」
澄は青褪めた顔で首をプルプル横に振った。
「どうだか…。とにかく、ヒトの彼氏に擦り寄るのやめて下さいね」
擦り寄ってなんか。
と思うけど、否定できない。
心のどこかで、璃子の主張が正しいと知ってる自分がいる。
「…わかった。ごめんね」
澄が言うと、璃子は拍子抜けしたような顔で、
「…仕事の邪魔をしてすみませんでした」
きちんと一礼して出て行った。
澄は机におでこを付けて、はあ、と息を吐いた。
こい、こころが今すぐ消えてくれたらいいのに。
これさえ無ければ、苦しまないのに。
その日から、澄は進藤を避けた。
そんなに不自然な事はしなくてもいい。
元々進藤は引っ張りだこで、澄に構ってる暇があったのが不思議なのだ。
生徒会の手伝いも「もう必要ない」と断ったし、クラスの出し物の手伝いでもなるべく進藤と同じ作業にならないようにした。
そしたら、今度は、修羅場に巻き込まれた。
文化祭まであと1週間というある日。
外が暗くなって来た。
バスケ部が居なくなったのを見計らって、澄は体育館のステージ裏に上がる。
明日は各部の照明担当に照明のマニュアルを配って、レクチャーしないといけない。その前に、澄自身もおさらいしておきたかった。
照明の操作盤に座って無人の体育館のステージを照らし、マニュアルに追記していく。
「…おお、なんだ、クロか」
と突然背後から進藤の声がして、澄はつい「キャー!」と叫んだ。
「うお、ごめんごめん、びっくりさせた?体育館が発光してたからさ…」
ジャージにTシャツを着た進藤が帰り支度の格好で立っていた。
…今一番会いたくないやつ!
「何やってんの?」
「しょ…照明の、予習。明日、照明係の説明会だから」
「ふうん」
隣に来てマニュアルをパラパラと見る。
「へー、おもろい。俺もやっていい?」
「だめ!」
…いいわけないやろ!
「…なんで?」
進藤が傷付いたように言う。
「だめだから、だめ」
「だから、なんで」
「部活帰りでしょ?カノジョが待ってるんじゃないの?帰りなよ」
進藤の顔を見ないように、一気に言った。
「…クロ、最近…」
訝しげに進藤が澄を呼んだ、丁度その時、
「いっきー?」
と遠くで声がする。
「ほら、呼んでるよ。帰りなよ」
ヘラっと澄は無理に笑って見せる。
進藤はその笑顔を見ると一層顔を険しくして、「何だよ」と一言、怒ったように発した。
澄はヘラヘラし続ける。
「一騎?どこ?」
体育館を覗き込んだ璃子の声がした。
進藤はパッとステージ裏から出ていく。
澄ははあっ、と大きく息を吐いた。
体育館の入り口らへんで、進藤と璃子が何か話している…のを聞きたくなくて、澄は震える手でマニュアルを繰る。
どこまで…
どこまでやったっけ…
すると突然、足音高く誰かがステージ上に上がって来た。
「…やっぱり!」
澄のいるステージ裏にやって来て、憤慨したように璃子が大声をあげた。
「なんで!!」
璃子に叫ばれて、澄は青褪めて立ち上がる。
「近寄らないって、約束したじゃないですか!」
璃子が澄に詰め寄った。
「やめろ、璃子!何してんだよ」
進藤が後ろから来て、澄と璃子の間に身体を入れた。
澄を背中で庇うような進藤の姿に、璃子は頭に血が登って、
「なんで!?なんでそっちを庇うの?」
「何言ってんだ。…っていうかお前、やっぱり黒川に何か言った?」
「ねえ、彼女、私だよね。なんで!?」
話が噛み合ってない。
澄は進藤の背中を見ながら、どう考えても自分はここにいるべきではないと思う。
「あの、私、帰る」
澄が言うと、
「クロが帰ることない。それ、生徒会の仕事だろ」
チラリと澄を振り返って言う。
いやいやいや。
「いやいやいや…」
澄は思わず声に出してた。
「二人で、ちゃんと仲直りしなよ」
「うるさい!何様なの?このビッチ!」
びっち?
澄は言われたことを一瞬理解できず首を傾げたが、進藤は僅かに身動ぎして、
「璃子、俺、別れるわ」
と言い放った。
「…は?」
「…は?」
璃子は勿論、無関係の澄まで思わず口をポカンと開けた。
「別れる」
「なんで!?」
「俺、言ったよな。友達優先だって」
「友達優先って…だってその人、絶対一騎のこと」
「黒川を悪く言われるの、我慢出来ない。俺、彼女より友達が大事だって言っただろ」
「は!?ありえないんですけど!だって、そいつが…そいつが」
「クロ、ごめん。仕事邪魔しちゃって。明日手伝うから、今日はもう帰ろう」
別れると決めたらもうサッパリした顔で、進藤は澄の荷物を持つ。
「え?!いや、私は…私は一人でいいよ。進藤、ちゃんと彼女と話し合いなよ」
当事者でもないのに澄は動揺して、手をふわふわ上下させる。
「なんで!?」
璃子が涙声で言った。
「やっぱりその人のこと好きなんじゃん!」
「好きだよ。言っただろ、俺、彼女より友達の方が好きなんだって」
璃子がうわあんっ、と泣きだす。
澄も自分が痛め付けられたかのようによろめいた。
そんな、ひどい。ひどい。
私の気持ちを知ってるのに、ひどい。
「私、…帰る。一人で帰る」
言うと、進藤が持ってる荷物を引っ張って取り返した。
「クロ?一緒に」
「進藤と今、一緒に居たくない。帰る」
絶句した進藤を睨んで、泣いてる璃子の横を擦り抜けて、体育館を出た。
帰るとは言ったが、鞄は生徒会室に置いてある。
澄は暗い校舎を歩いて生徒会室に入ると、忙しそうに作業してる先輩に声を掛けて仕事を分けてもらい、手伝ってから帰った。
次の日、進藤の破局はあっという間に学校中に知られたが、澄は一度もその話題には乗らずに、物言いたげな進藤の視線も無視して、文化祭に臨んだ。