最初の告白は
澄が最初に告白を試みたのは中学卒業の時だった。
進藤の紹介してくれた塾に通って、成績順でクラスの分かれるその塾でずっと澄は進藤と同じクラスだった。公立志望だと志望校はかなりかぶる。
澄は当然、進藤と同じ学校を選んだ。
高校が同じになるのに、中学の卒業式で告白しようと思ったのは、卒業式が「そういうイベントだから」としか言いようがない。
真央が、ずっと好きだった男子に告白するというので、便乗するように澄も進藤を呼び出したのだった。
…進藤は来なかった。
夕暮れが教室を赤く染め、退校を促す放送が流れて、初めて澄はすっぽかされたことに気付いた。
家に帰って、ボンヤリと自室のベッドで制服のまま横たわってボーッとしてた。
塾に行くようになって持たせてもらえるようになったスマホに、進藤からメッセージが届いていた。
ー卒業おめでとう!
ー式の後すぐ蓮司達にカラオケ連れてかれたw
ーなんか用だったよな?ごめん、高校で聞くわ
ああ、フラれたのか。
と気付いたのはこの時で、告白がうまくいったと喜ぶ真央に打ち明けることも出来ずに、澄は家を出て、真っ暗になった近所の公園で一人でブランコを漕いだ。
涙は出なかった。
ただ、ただ、自分が可哀想だと思った。
そんなことがあったのにー
いや、そんなことがあったからなのか、高校で同じクラスになった進藤は、澄に一層馴れ馴れしく接した。
「黒川、委員会決めた?」
「…委員会入らないヨ」
こいつ、ビビるメンタル。
「えっ、なんで?俺クロと一緒の委員会にしよーと思ってた」
「え、逆に何でよ」
入学3日目には既にクラス中と友達になった進藤の発言に、なんとなくクラスメートも耳を向けていて、
「委員会入らないって、出来るの?黒川さん」
と、今まで話したことのない女子が混ざってくる。
「生徒会に入れば委員会は免除だって」
「生徒会入るの!?」
「ナンデ!?」
他のクラスメートも入ってきた。
澄が、「生徒会に入れるのは今だけだぞってー」
説明する澄の言葉に、「「親が」」
と、進藤とハモッた。
ハモっといて、進藤は「ぶはは」と吹き出し、笑い転げている。
澄が進藤を睨んで、その顔を見て進藤がまた笑った。
その時は確かに、澄は「まあいっか」と思ったのだ。
まあいっか。ただの友達でも。こうやって近くにいられるんなら―――
進藤に彼女が出来たのは、高一の冬のことだった。
「あ、俺、次の約束あるから行くわ」
クラスでカラオケでクリスマス会をしていたら、進藤がそう言って席を立った。
ええー!なんだよ〜と皆が文句言う。
「今日はイブだぞ?怪しいなあ」
「ああ、うん。実は彼女できたんだ」
あっさりと進藤が言って、澄は奈落に落ちた。
不幸中の幸いなのは、真っ青になって中座してトイレに避難した澄に気付いたのがクラスで一番仲良くなった長瀬千聖だけだったこと。
何故なら、進藤がいなくなった途端、クラスの女子が2人、ボロボロ泣き出したからだった。皆そっちを注目して、澄に気付かなかった。
澄は…やっぱり泣かなかった。
「告白されたのかな、したのかな」
「…さあ」
帰り道、そんなことを千聖と話した。
「私さあ、…進藤は澄が好きなんだと思ってたよ」
「…」
澄だって、そう期待することはあった。
中学の時だって、澄は期待してた。でも、進藤は…
進藤は、告白を…聞いてもくれなかったんだ。
「南女の3年らしいよ」
「うちの文化祭来て、シンドゥに一目惚れだって」
「あ、知ってるかも。校門で待ち伏せしてた南女じゃん」
さすが人気者。
あっという間に彼女の名前から写メから出回った。
「結構美人じゃん。ほら」
とクラスメートの男子がスマホを見せてくるのを見ないようにした。
…文化祭かあ。
澄は予定通り、生徒会に入った。
入ったといっても、役付きではないただの平役員だ。選挙も定員割で名前だけで入れた。
文化祭は生徒会の一大イベントだ。
澄はてんてこ舞いで、クラスのイベントのカフェも殆ど準備には携われず、当日呼び込みをちょっと手伝っただけだった。
…進藤ともその時期、殆ど話せなかったっけ。
あ、でも、片付けの時間にちょっと話せたな。
「ぅわっとお」
澄が片付けの為に階段下の物置場になってる場所に足を踏み入れると、進藤が棚に座って胡座をかいてぼうっとしていた。
「…進藤?何やってんの、こんなとこで」
思いがけず会えて、澄の口元がちょっと弛んだ。
「おお、クロ」
「片付け、サボり?」
珍しく、疲れたような顔をしてる。
「片付けはしたけどさ、…ちょっと避難」
「ひなん。何から?」
「しんどーしんどーうるせえからさあ」
澄は片付けの手を止めて、進藤を眺めた。
「…ああ、井澤くんの件?」
最近進藤は井澤という、クラスでも大人しいいじめられっ子の隣の席になってよく絡んでる。
それを良く思わないクラスメートにやいの言われて、たまに進藤がイライラしているようなのを澄も感じていた。
「…もあるけど。なんか、友達多くて疲れる。そろそろ整理しないとなあ」
友達を整理。
澄がその時想像したのは、家にある自分の勉強机だった。
澄がそれを伝えると、進藤は笑って、
「そーそー、そういう感じ。好きな友達は一番上の引き出し、普通は2番目と3番目。入らない友達は付き合いやめてく」
「…」
酷薄とも言えるその表現に、澄は気持ちが沈む。
でも、進藤らしいとも思う。
「…見損なった?でも俺だって、無尽蔵に誰とでも付き合えないわ。あ、言っとくけどクロは一番上の引き出しだからね」
「…そら、どうも」
一瞬大喜びしてしまった自分が、嫌だ。
…告白をすっぽかされたのは、上の引き出しだからかあ。
気付いてしまった。…いや、気付かされた?
「井澤くんは?」
「…3番目かな。いや、他の奴らがうるせーから、付き合いやめてくかなあ…」
進藤は力無く笑って、黒い癖っ毛を手で掻き回した。
「…俺は偽善者らしいからさ」
「…」
「俺んち、親が再婚同士で、血のつながらない義姉がいるんだけど、一個上の。学校でいじめられて、ずっと不登校でさ。今は通信の高校なんだけど」
ふんふん、と澄は初情報を聞く。
「その義姉が、俺のことが嫌いで、よく言われるんだよね。お前は偽善者だって」
「…へええ」
としか言えない。
「んで俺も、だから?って言うわけ。知ってますけど?って」
「…」
「…勝手に絡みに行って勝手に付き合いやめるもないよなあ…」
澄が黙ってしまうと、進藤は、へらっと笑って、
「ごめん、何話してんだろ、おれ」
という言葉に、
「思いませんけどね?」と澄が被せた。
「ん?」
「偽善者とか、思いませんけどね?別に、友達を整理し直すからって、引き出しから溢れた子を無視する訳でもないでしょ」
「お…おお。」
急に喋り出した澄に気圧されたように進藤が目を丸くする。
「それに別に進藤って、いじめをなくそうと思って皆と仲良くしてるわけじゃないじゃん。単に、人の話を聞くのが好きなんでしょ?人と、仲良くなるのが。」
「うーん、まあ、そう。そうだな」
「それは偽善では、ない。結果的に中学の時も、3-1はイジメが減ったし、今だって井澤くんに話しかける人が増えたけど。これは偽善じゃなく、徳って言うんだよ。人徳ってやつ……はあああっ」
「なに?最後の猛烈な溜息」
すごい勢いで喋ってたかと思うと急に深く息を吐いた澄を進藤が訝しげに見た。
「…なんでこんなところで全力で進藤を褒め称えてるのだろうかと、ふと」
「ぶはっ。確かに」
進藤が笑った。
「ありがとな。…戻るか」
頭を掻いて、照れたように進藤が言った。
「うん。…」
棚から飛び降りて、階段下から出ようとする進藤の背中を眺めて、澄は衝動的に進藤の腕を捕まえた。
「うわっ、なんだ?」
「あのさ、進藤…」
澄は眉間に皺を寄せて、頬を薄ら染め、思い詰めた顔で言う。
「あの…言うか迷ったんだけど、やっぱり…言うね。あのね」
澄の紅潮した顔を見て進藤が硬直する。
「クロ、あの…」
「俺は偽善者なんだ、って、中二病っぽいからあんま言わない方がいいと思う」
「…は?」
ポカンと進藤は口を開けて、恥じらうように自分を見上げる同級生の顔を見下ろした。
「お義姉さん…ちょっと中二病だよね。偽善者って、中二病のパワーワードだと思うんだけど」
「…」
澄の脳内では、顔も知らない進藤姉が「お前は偽善者だ!」と言い放ち、進藤が「そうか…俺は…偽善者だったのか」と打ちひしがれる昼ドラ寸劇が繰り広げられている。
進藤が、崩れ落ちるようにうずくまった。
「進藤?」
「…っ」
プルプル肩を震わせて。…笑っている。
「…ふ、ふ、ふ…や、やばい」
「進藤、ごめん」
「い、違う…お、おれめっちゃ、はずい…」
「いや、進藤は優しいよ。私なら、お前は偽善者だって言ったらその場で笑い転げてると思う」
澄が大真面目に言うと、震えながら、
「…や、や、やばい…次あいつに偽善者って言われたら、腹筋崩壊するほど笑う予感がする…」
「それは姉弟関係に禍根を残しそうだね」
「誰のせいだよ…っふっはは」
「ごめんて」
…あの時、珍しく、進藤の本音のようなものに触れられた気がしたんだった。
でも、進藤には、よりによってあの時に、別の、特別な出逢いがあったんだなあ。
…そもそも春に、澄は実質フラれている。
忘れよう。いつまでも、未練たらしく、想うのはやめよう。
そう思うのに、
「クロ、また同じクラスか」
「げっ」
2年になって、クラス替えはあったのに、文系2クラスの悲しさでクラスの半数は持ち上がりだ。
「げって、ひでーな」
進藤が笑いながら隣の席に座る。
「おい、シンドゥ、そこ俺の席だぞ」
「オサピ」
同じく持ち上がりの野球部の長内が来て、自分の荷物を進藤の前に重ねる。
「席、決まってんの?」
「黒板に書いてあるじゃん」
「ほんとだ。あいうえお順かあ」
進藤が頭を掻いて立ち上がる。
「去年も最初オサピと隣だったね」
澄が長内に言うと、短髪を撫で上げながら長内が顔を赤くして、
「おー、そうだったな。まあ席替えあるまでよろしく」
「うん。担任も川っぺのまんまだといいね」
「川田が優しいの女子にだけだぞ」
「いいのいいの。女子にだけ優しければいいの…」
「あっ、ひっでーの」
長内が白い歯を見せて笑う。澄も笑った。
「…良かった、元気になったなあ」
「あ…うん。その節は…」
澄は決まり悪いのを誤魔化すように。お相撲さんのように手刀を切った。
3月に澄の飼い犬が死んでしまい、千聖に話しながら泣いてしまった時に、長内が通り掛かって部活をサボって慰めてくれたのだ。
「うちも今犬いるけど、前の犬の時はこたえたからなあ」
「うん…ありがとう、オサピ」
「あー、良かったら、今度、うちに…」
と長内が何か言おうとした時、
「なー、クロー」
と長内の隣の隣の列から進藤が声を掛けてくる。
「委員会、一緒のにしよ」
「なんでよ。私、生徒会」
「えー今年もやんの」
「希望者が少な過ぎて、抜けられないもん、やるよ。部活やってないし」
「…俺も入ろうかなあ」
だから、なんでよ。
隣の席から長内が、声を潜めて、
「なあ、シンドゥの彼女って、黒川じゃなかったよな?」
などと言う。
「ちゃうわ。南女でしょ?」
だよな、と長内が言う。
「なんか牽制された気分」
「牽制?なんの?野球の話?」
曖昧に笑う長内の後ろで、人に囲まれる進藤がチラリとこちらを見た。
その視線が何故かとても冷たく思えて、澄は長い間忘れられなかった。
――それからすぐ、進藤が南女の子と別れたらしい、と噂がたった。
「まさか、今度こそなんて、思ってないよね」
別の高校に進学して、久しぶりに家に遊びに来た真央に、釘を刺された。
「…思って…ない…ヨ?」
「はい嘘」
澄は確かにちょっと浮かれていた。
基本的に表情に感情が出ないタイプで、周りには気付かれていないが、真央は長い付き合いで見抜いている。
進藤一騎が彼女と別れたって。
別れてすぐ同じクラスの女子と付き合ってるらしい、と聞いた時は心臓が震えたが、その噂の当事者は澄だった。
残念ながら、事実無根だが。
でも、周りには進藤の態度はそう見えてるってことでー
「まさか、また告白する気?」
「…」
真央は、中学の卒業式の時の告白ぶっち事件をまだ怒ってる。
「…言っとくけど、わかってると思うけど、中学の時だって、進藤は澄にずっと思わせぶりだったよ」
「…そう、だったよね」
その理由は去年の文化祭で判明した。
澄は、お気に入りなのだ。進藤の引き出しの一番上に入ってる。
それはあくまで、友達としてだ。恋ではない。
「でも、告白…する」
「するんかーい」
真央が突っ込んで、横にどてっと転がった。説教をしようと口を開いたが、澄の表情を見て止まる。
「卒業式から、ずっと、苦しかった。せめて…あの時、来てくれて、ちゃんと…振られたかったなあと」
澄はポツリと溢す。
「ま、何も変わらなかったかもだけど」
ヘラっと笑う澄を見て、真央は何も言えなくなった。
いつどうやって告白しよう、などとつらつらと考えていたら、なんと澄の方が告白された。
長内に。
放課後のグラウンド。
生徒会の仕事を終えて帰る澄が、野球部でグラウンドの整備をしてる長内を見つけてネット越しに手を振ったら、手を振りかえそうとした長内が同じユニフォームを着た同級生らに何故か小突き回されて、背中に蹴りを入れられた。
長内はウワーッと同級生らに威嚇するように大声をあげるとダッシュで澄の元に駆け寄ってきて、そのままの勢いで何故か部室棟の横まで引っ張って連れて行かれた。
「好きです、付き合って下さい!」
「…えっ!?…はっ!?」
「やっぱり気付いてなかった」
澄が驚きのあまり手に持っていた鞄を取り落とすと、日焼けした浅黒い肌を真っ赤にして、長内が怒ったように言った。
「1年の時から好きでした。俺と付き合って、お願い!」
「えっえええ…!?」
澄は全身から火が噴き出るかと思う程赤くなると、事態を理解しようと無駄に両手で何かを掬い上げるような動作を2、3回して、
「…っ、…、…あっ、あの…ごめん…。」
と蚊の鳴くような声で言った。
長内の顔が見られなくて、夕陽に染まるユニフォームの胸の辺りを見ながら、生まれて初めて人をフった。
「…やっ、ぱり、進藤と付き合ってんの…?」
長内が絞り出すように聞く。
澄はプルプル首を横に振って、
「…付き合ってない。…片思い」
「…進藤は」
何か言おうとした長内の喉がグッ、と鳴って、言うのをやめたようだった。
少しの沈黙。
「…わかった。ごめん、急に。」
「…うん」
「出来れば、これからも、今まで通りに」
「うん」
澄の落とした鞄を拾って叩いて渡してくれる。
「あっ、あっちから帰った方がいいかも。こっちから二人で出てくとあいつらが煩い」
部室棟の奥を指差して長内が言った。
「あっ、うん。うん。」
「…じゃあ、また明日」
「うん」
うん、うんって。うんしか言ってない。
「ありがとうとか、言えよ!バカ澄!死んじゃえ!」
家に帰って、ベッドに潜り込んで、澄は泣いた。