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引き出しの一番上の彼女  作者: 郡司十和 ( 旧 もしも)


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15/17

変な客は(進藤side)

足が凍ったように動かない。

生まれて初めて、拒絶されるのが怖かった。


「…」

石のベンチに座って、空を仰ぎ見ていた黒川が、何か呟く。



…はやく、と聞こえて、そんなわけないけど俺は、黒川に待たれているように錯覚して、金縛りが溶けたように動いた。



「…黒川」

「ふにゃあ!」

人が決死の覚悟で声を掛けたというのに、黒川は変な叫び声を上げる。

緊張の反動で、笑いが込み上げた。

「…ふにゃあって…ほんとクロって、猫…」

笑いを堪えようと震えていると、黒川が顔を曇らせて立ち上がり、逃げようとする。咄嗟に、腕を掴んだ。

「待って!待って、クロ、頼む」

懇願する。今を逃したら、黒川は二度と捕まらない気がした。

「頼むから…」

縋り付くように懇願すると、黒川が俺を心配そうに覗き込む。

「…進藤?どうしたの…?」

…ああ。黒川がやっと、俺を見てくれた。

「クロが…いないから」

「いますけど?」

「実家に帰ったら会えると思ってたんだ」

「…」

何も答えず、黒川は俺が捕まえてる腕を引っ張って逃げようとする。俺は絶対に離さない。黒川に何とか話を聞いてもらおいと言葉を重ねようとした時、


「澄ちゃーん?いるー?」


と男の声。…あいつだ。

答えようとする黒川の口を咄嗟に手で塞いだら、その手の平に伝わる柔らかな唇の感触に、たまらない気持ちになって、俺は黒川を抱き寄せた。


薄い浴衣一枚を隔てて、黒川の柔らかい身体の熱が伝わってくる。

いい匂いがする。甘いような…

そういえば黒川、湯上がりか…


「…し、進藤」

黒川が俺の腕の中で抵抗する様に身を捩る。

そんなことをすると、余計に俺の手に身体の線が伝わるだけなのに。

大部屋で良かった。一人部屋だったら、無理矢理連れ込んで押し倒してた。

「あいつ最近いつも一緒にいない?」

あー…柔らけー。いい匂い。おかしくなりそう。

「あ、あ、あの人は2年の大舘さん…ね、ちょっとあの、は、は、離れて…」

「名前じゃなくて。クロの、何?付き合い始めたとか…言わないよな」

最近の懸案事項を口にする。と、黒川はあっさり

「ちゃ、ちゃいますよ。」

と否定した。

「このバイト紹介してくれて、あ、その前にサークルの先輩で…あ、サークルも大舘さんに紹介してもらって…」

「サークル?入ったの?なんてサークル?」

「…っ、としでんせつ検証サークル…」

耳元で喋ったら、黒川の身体がビクリと震えた。…耳弱い?覚えとこう。

「あー、好きそう、クロ」

「ねっ、んねっ、もう、離して…」

「…逃げないなら離す」

「逃げない!逃げないよ」

言質を取って、渋々離す。

「あの、あのねえ、振った女にこういうことするの、下手したら法律に抵触するからね!?」

黒川が胸を押さえて言う。俺はこういう遣り取りが嬉しくて、笑ってしまった。

「笑ってるけどさ…!」

「うん、ごめん、ごめん」

脇腹を抑えながら笑い続ける。


あー、俺…

黒川が可愛くて仕方ない。



「それで、なに?なんか…用だった?」

黒川が浴衣の胸元を直しながら怒った顔で聞く。はー、ちょっと胸元見えた。たまんねえ。てか、こんな子が浴衣でフラフラしててよく無事でいたな。

「…納得いかないんだ」

「…?なにが?」

ベンチに座って、隣に座るよう促す。

黒川がちょっと離れて座るのが寂しい。

「クロに避けられるのが。だって俺は、クロを振ってないのにさ」

「…え?振ったじゃん」

「振ってない。付き合うって言った」

「えーと、ええ?そう…だっけ?」

「そうだよ。なのに条件が合わないから嫌だってクロが言って。そっからずっと…」

「ああ…」

黒川が頷いて、

「だって、…無理だよ」

「…そうか」

違う。こういう言い方じゃなく…

なんて。何て言えば…

「じゃあ…クロの条件言ってよ」

俺の口から出たのはそんな言葉だった。

「ん?」

キョトンとする。

「付き合う条件。俺、それでいいから」

「んん?」

黒川が焦ったように、

「つ、付き合うって。な…に言ってんの。もう終わった話じゃん…」

「…終わった?」

声が強張る。

「もう終わった話?」

あの日からずっと、色のない世界でずっと、あの日のことを考えていた。時を戻せたら、あの日に戻る。

「この何ヶ月か、ずっと考えてた。どうしたらクロを取り戻せるか。どうしたらクロを他の奴から…」

他の男に微笑んでるところを思い出していると、黒川がちょっと俺に怯えたように身を引いた。

俺から少しでも遠ざかるのが我慢できなくて、腕を引っ張って引き寄せる。

黒川の頬が俺の胸に当たって、さっきの、俺を落ち着かなくさせる香りが鼻腔をくすぐった。

「…なんでもクロの言う通りにする」

耳元で言うと、黒川の肩がビクリと揺れた。

「なんでも言うこと聞くから。付き合お。な?」

「な、な、な…」

俺は必死だった。

こんなに、必死になったことない。

すう、と息を吸って、

「…もう俺のこと好きじゃない?」

「好きだよ!」

一番聞くのが怖かったことを聞くと、黒川が綺麗な瞳を俺に向けて、真っ直ぐに言ってくれた。

狂おしい程の歓喜が胸に込み上げる。


「じゃ、じゃあ…決まり。な。」

吐いた言葉は、我ながらみっともないくらい震えていた。




黒川を部屋まで送った後、俺はフワフワした気持ちで自分の部屋に帰った。

「あーっ、いた、進藤!」

「どこ行ってたの〜?めっちゃ電話したのに」

大部屋は、サークルの飲み部屋と化していた。

俺らの布団は隅に避けられて、コンビニで買ってきた酒とお菓子が座卓と畳に置かれている。

「うん」

俺はそれだけ言って、適当に空いてるところに座る。

「…どうした?ニコニコして」

同じ経済部の1年の和久に聞かれる。

「ニコニコしてる?おれ」

顔を押さえて聞き返すと、「ニコニコってか、ニヤニヤしてる」と言い直された。

「なんかあったん?どこ行ってたの?」

反対側から、やっぱり1年の文学部の山下に聞かれる。

「告白してきた」

「えっ」

和久が大声を上げたので、皆こっちを見る。

「どうしたー?」

と言われるけど、和久が、

「えっ、えっ、誰?いや、どっ、どうなった?あっ、その顔は上手くいったんか」

「うん」

とまた言う。

「彼女になってくれるって」

顔がニコニコから戻らない。いや、ニヤニヤだっけ。

「おおおっ」

「えっ、なになに?!」

「進藤、告ったって!彼女出来たって!!」

和久と山下が騒いで広める。

「え!!誰に!?」

「うそー!?」

「誰?!誰?!」

皆サークルのメンバーの殆どが集まってる部屋を見回す。

「違う違う、ここにはいない」

俺が皆の勘違いを訂正する。

「好きな子が、あ、同じ大学の子なんだけど。ここに仲居のバイトに来てて、偶然だけど」

「仲居!?」

「え、さっきいた?メシんとき」

「どの子?どの子?」

大騒ぎになる。

「一番可愛い子」

当然のように言うと、和久が頭を抱えて、

「惚気か!」

と言った。

「いや、マジで…あ、文学部だよ。黒川って、知らない?山下」

「文学部に何百人いると思ってんだ。どんな子?」

「一番可愛い子」

と言うと、

「やめろっつーの!」

「ベタ惚れじゃん!」

「マジだもん」

俺は本気で言ってた。

「一番可愛い…はー、すっげえしあわせ…」

呟いて顔を覆って仰向けにひっくり返った。すると何となくザワザワして、何人か部屋を出て行った。

「あー…しまった」

と誰かが言う。

「泣いちゃったよ。忘れてた。」

「なに?」

上半身起こすと、

「飯野ちゃんだよ。お前が文学部で一番可愛いなんて言うから。」

「違う違う」

俺はすぐ否定した。

「多分うちの大学で一番可愛いよ」

「あちゃー」

「あーでも、今まで会った女子の中でも結局一番可愛いかも…」

「おい誰かこいつの口塞げ」

皆に邪険にされながらも、俺はずっと笑顔で、酩酊したように喋り続けた。



地獄から天国。

速攻で大館(あの男)にも釘を刺したし、黒川のバイトで9月は殆ど会えなかったけど、俺は毎日電話をした。

『変な客とかに絡まれてない?』

『普通のお客さんには絡まれてる』

『…それが変な客だから。触られたりすんなよ。あと、旅館の中、一人で歩くなよ』

『そんな無茶な』

と黒川が電話口で笑う。


あー、心配。声可愛い。早く会いたい。


ところが、大学が始まっても思ったように会えない。

講義も「全カリは自分の受けたい講義を受けるべき」と主張する黒川に負けて、前期のように丸写しはできなかった。

土日は俺の予定が詰まっていて会えない。

黒川に振られてた時期に機械のように誘いを受けてたせいだ…。


「午前中だけなら会えるけど」とか「昼から4時までは空いてる」とか誘ってみたけど、黒川は何かを思い出したように嫌な顔で、「予定と予定の間には会わない」と断言した。

「なんで?」

と不満顔で聞いたが、

「皆で遊んでても、途中で進藤がいなくなるのがいつも寂しかった」

と…。


…可愛い。俺の彼女。


全力で土日の予定を調整することにした。


そうはいっても、付き合って、一ヶ月も経つと、俺はもう限界に達してた。

…黒川とキスしたい。

あと、したい。


俺の特別になりたいなんて言ったくせに、黒川は俺が友達と遊ぶ約束があるとあっさり諦めるし、なんなら黒川と二人で歩いてる時に俺が友達に絡まれるとソソっと離れて行く。


これじゃあ友達だった時と変わらんじゃん。


と思って、澄を家に連れ込んで、「キスだけ」と言いながら勿論キス以上のことをする気満々で迫った時に、自分のクズさに打ちのめされることになった。



「両想いになってからがいい」


言いながら、その綺麗な瞳からポロリと涙が溢れた。


俺は、

俺は、

初めて見た澄の涙に、俺は

世界がひっくり返ったくらいショックを受けた。



今まで俺が、澄の告白をすっぽかしていた時、告白されに行ったのに、彼女ができたと言った時、澄は泣いただろうか。

澄が俺のことを好きだと知ってて、気持ちに応える気もなく澄に付き纏ってた時…



俺は澄を何度悲しませたんだろう。

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