偽善者は(進藤side)
俺が偽善者のクズだなんて、言われなくても知ってる。
東京の大学に入って、最初の夏休み、帰省した俺に義姉が嫌な顔をして、
「おかえり偽善者」
と言った。
「ただいま、中二病」
普通の顔で返す。
「引きこもり治ったんだって?」
と聞くと、
「病気みたいに言うなし。出たいと思ったらおれは出るんだよ」
週2で近所のコンビニでバイトを始めたという義姉は偉そうだ。
「あんた、あいつは?」
義姉の言う、「あいつ」は黒川澄のことだ。
「…」
俺は溜息を堪えた。
「…フラれた」
「うそ!ざまあ味噌漬け!たくあんぽりぽり!」
図鑑に載ってそうな程昭和感漂うギャグを叫んで、義姉がひっくり返る勢いで笑い転げた。
黒川に告白されて、OKしたのに何故かフラれたのは、5月の終わりだった。
「私、進藤の…特別になりたかったの。」
黒川のあの時の笑顔が、頭にこびり付いて離れない。
…ずっと特別だったのに。
小さい時からだいたいの人間とは仲良くなれたし、いつも人に囲まれてた。友達がいなくて困ったことも、グループ分けであぶれたこともない。
誰とでも仲良くできるけど、でも、勿論俺にも好き嫌いはある。
寄ってくる友達の中でも大好きな友達と、好き寄りの奴、そうでもない奴…が出来てしまうのは、狡いことだろうか。
黒川澄は、最初から俺のお気に入りだった。
黒い綺麗な真っ直ぐな髪。真っ直ぐな背中。気位の高い綺麗な猫のような黒い瞳。
いつもニコニコしているようなタイプの女子ではないけど、あの整った顔を崩さずに真顔で変なことを言い出すのがツボだった。
親に妙な言いくるめ方をされて、面倒な実行委員に入る。
友達が虐められてるのを見て、ちょっと引くくらい激怒する。
目立つタイプじゃないけど、あまり笑わない黒川が笑うと、その場がほわっと明るくなる、と思ってたのは俺だけじゃないはずだ。
何よりウマが合う。
一緒にいて、パズルが嵌るように心地良かった。
こんな女子他にいない。
幸い学力レベルも同程度で、同じ高校に行くことも決まって、俺は大満足だった。
…卒業式に、呼び出されるまでは。
『進藤、明日の卒業式の後、話ある』
迂闊と言えば迂闊だが、そのメッセージを読むまで、俺は黒川の気持ちに気付かなかった。
パニックになった。なった、のだと思う。
付き合う気はなかった。付き合ったら別れが来る。別れた後、黒川と話せなくなるのは嫌だった。
だからといって、フッたら、今すぐに関係が壊れてしまう。
なんで告白なんてするんだ。なんで俺を好きになったりするんだ。
理不尽な怒りを黒川に抱いた。
――結局、俺はその呼び出しを忘れたフリをして、無視した。
「偽善者」
その日の夜も、義姉にそう言われた。
仲のよかったはずの両親が離婚して、俺を引き取った父親が再婚した女性の連れ子が義姉だ。俺の一個上。
何故か義姉には最初から嫌われていた。
以前義姉を虐めてた女子に性格が似てるとか…知らんがな。
「うん、知ってる。」
「そんな理由で女子の告白の呼び出し無視するとか、自分勝手なクズ」
「うん、わかってる」
「わかってない。あんたはお気に入りのおもちゃをいつでも遊びたい所に仕舞っておきたいだけの餓鬼」
「だなあ」
「友達に優劣つけて悦に入ってるだけ」
ハイハイ。
黒川…今、何してるかな。
何時まで待っただろう。
俺のこと、嫌いになっただろうか。
嫌いにならないで欲しい。でも恋も捨てて欲しい。今まで通り友達じゃ、なんで、なんでダメなんだ?
高校も黒川と同クラスだった。
俺は挽回するように、黒川に絡みに絡んだ。
黒川は、最初あからさまに「どの面下げて…」という顔をしていたが、すぐに懐柔されてくれた。
たまたま隣の席になった井澤という奴も、最初独り言が多くてびびったけど、絡んでみたら面白かった。
「俺そのアニメは知らないけど、その絵はめっちゃ好きだわ。えろい」
「この子は聖戦士だから。エロい目で見ないでよっ」
「嘘でしょ。そんな乳出してエロい目で見ないやついん…わかったわかった、じゃあビッチ紹介してよ、ギャルならなおいい」
「『飛行基地アルファーダ』にビッチはいないっ」
いつも言葉の終わりが一音上がって「っ」で終わるのがおもろい。
「進藤、メシ行こうぜ」
「おー」
井澤とキャッキャしてたら、他の友達に声を掛けられて、俺は食堂に向かった。
「井澤と仲良くなったん?さすが進藤」
「あいつおもろいよ」
「うえ、オタクじゃん」
「キモいよね」
女子には不評だ。
食堂に向かう渡り廊下から、何やら資材を積んだトラックのおじさんと、教頭と喋ってる黒川を見つけた。
文化祭の準備だかで、最近の黒川は忙しそう。
クラスの準備も参加できなくて、残念そうだったなあ。
黒川ならきっと井澤のおもろさが伝わるのになあ、と思う。喋りたい。
「くろー!」
手を振ってみる。
黒川は気付いて、人差し指を口元に立てる。
「しってされたー」
とにししと笑うと、
「お前ら同中だっけ?仲良いよな」
と言われる。
「良すぎない?付き合ってない?」
「ねえわ」
「友達以上なんとか未満ってやつか?」
「ねえわ」
黒川とはそんなんじゃない。
「シンドゥー、一緒にカラオケ行こ」
「俺今日井澤と遊ぶから行けん」
「はーっ!?井澤?井澤と何して遊ぶの、ウザわじゃん」
「いいだろ、別に」
「えー進藤来ないなら私も行かない。そっちに一緒に行っていい?」
「私も進藤と一緒がいい!」
「俺も」
「あ、それなら井澤がこっち来いよ」
「いいだろ?ウザわ」
「おい…」
俺がいい加減にしろ、と言おうとしたタイミングで、井澤が
「お…おれ、今日遊べなくなったから、進藤、そっち行けよ」
「えっ…」
井澤はそういうと、
「おい、だってさっき…」
と俺が言い掛けてるのに、ささっと教室を出てってしまった。
「やった!行こうぜ」
「進藤が部活ない日に捕まるのラッキーだよなあ」
盛り上がる皆をヨソに、俺はちょっと憮然としていた。
なんだよ。
つまんな。
「偽善者」
とまた義姉が言う。
「ハイハイ」
義姉は俺のことが嫌いなのに、俺の機嫌が悪そうだと今日会ったことを根掘り葉掘り聞いて、言うまで追いかけて来る。
面倒臭いから、俺は義姉に聞かれたらなんでも言うようになった。
壁に向かって愚痴るよりはマシかなと思ってる。
「井澤もいい迷惑ね。あんたのせいで、オタクが目立って」
「…」
「オタクのいじめられっ子に構ってあげて、優しい自分に酔ってたあ?」
「そんなんじゃない」
本当に井澤はおもろいと思ってた。
「それを無意識でやってんだよ、偽善者偽善者偽善者」
疲れる。
そのうち、同じようなことが何度かあって、井澤が俺のせいで集まりに呼ばれたりしてたけど、井澤は馴染まなかったり笑い物にされたりして居心地悪そうにいつも過ごしてた。
「進藤、文化祭一緒に回ろ」
「進藤、買い出し一緒に行こう」
「ダメダメ、進藤はこっち!」
「シンドゥー、バスケ部で周ろうぜ」
…疲れる。
文化祭の片付け中、抜け出して一人で用具置きになってる1階の階段下でぼーっとしてたら、黒川がなんか持ってやってきた。
「…進藤?何やってんの、こんなとこで」
「おお、クロ」
最近忙しそうだった黒川とは、暫くマトモに話してない。
「ちょっと避難」
「ひなん。何から?」
「しんどーしんどーうるせえからさあ」
澄は片付けの手を止めて、進藤を眺めた。
「…ああ、井澤くんの件?」
「…もあるけど。なんか、友達多くて疲れる。そろそろ整理しないとなあ」
投げやりにいうと、
「整理というと、机の引き出しみたいに?」
と黒川が手を引き出しを引き出して押すような動作をして聞き返してくる。
「そーそー、そういう感じ。好きな友達は一番上の引き出し、普通は2番目と3番目。入らない友達は付き合いやめてく」
引き出しとは、言い得て妙だ。
でも黒川はちょっと顔を曇らせた。
「…見損なった?でも俺だって、無尽蔵に誰とでも付き合えないわ。」
吐き捨てるように言った後、
「あ、言っとくけどクロは一番上の引き出しだからね」
なんて、フォローしてみる。
フォローと…牽制。
「そら、どうも」
と黒川はそっけない。
「井澤くんは?」
「…3番目かな。…他の奴らがうるせーから、付き合いやめてくかなあ…」
俺は息を吐く。
「…俺は偽善者らしいからさ」
「…」
「俺んち、親が再婚同士で、血のつながらない義姉がいるんだけど、一個上の。学校でいじめられて、ずっと不登校でさ。今は通信の高校なんだけど」
黒川は壁に寄っかかって俺の話を聞いてる。いつもの意思のある瞳を俺に真っ直ぐ向けて。
「その義姉が、俺のことが嫌いで、よく言われるんだよね。お前は偽善者だって」
「…へええ」
「んで俺も、だから?って言うわけ。知ってますけど?って」
「…」
「勝手に絡みに行って付き合い、やめるもないよなあ」
そこまで自分語りして、
「ごめん、何話してんだろ、おれ」
と黒川に謝る。
「思いませんけどね?」と澄が被せた。
「ん?」
「偽善者とか、思いませんけどね?別に、友達を整理し直すからって、引き出しから溢れた子を無視する訳でもないでしょ」
「お…おお。」
突然の黒川の熱弁。ちょっとキレた?
「それに別に進藤って、いじめをなくそうと思って皆と仲良くしてるわけじゃないじゃん。単に、人の話を聞くのが好きなんでしょ?人と、仲良くなるのが。」
「うーん、まあ、そう。そうだな」
「それは偽善ではない。結果的に中学の時も、3-1はイジメが減ったし、今だって井澤くんに話しかける人が増えたけど。これは偽善じゃなく、徳って言うんだよ。人徳ってやつ……はあああっ」
「なに?最後の猛烈な溜息」
黒川は珍しくたくさん喋った後、大きく息を吐いた。
「…なんでこんなところで全力で進藤を褒め称えてるのだろうかと、ふと」
と遠い目をする。
「ぶはっ。確かに」
吹き出した俺の胸に、じわりと温かいものが広がる。
今の…俺の為に怒ってくれたんだよなあ。
「ありがとな。…戻るか」
なんか、慰められちった。恥ずかしくなって、頭を掻いた。
「うん。…」
階段下から出ようとした俺の腕を突然、黒川が掴んだ。
「うわっ、なんだ?」
黒川が眉間に皺を寄せて、頬を薄ら染め、思い詰めた顔で言う。
「あの…言うか迷ったんだけど、やっぱり…言うね。あのね」
その紅潮した顔を見て俺は焦った。
やばい。
告られる。
嫌だ。
黒川を失いたくない――
「クロ、あの…」
「俺は偽善者なんだ、って、中二病っぽいからあんま言わない方がいいと思う」
「…は?」
俺は間抜けヅラで、黒川を見下ろす。
「お義姉さん…ちょっと中二病だよね。偽善者って、中二病のパワーワードだと思うんだけど」
「…」
俺は崩れ落ちた。
「進藤?」
「…っ」
腹の底から笑えてくる。
「…ふ、ふ、ふ…や、やばい」
やばい、確かに。
あいつ…やばい。
ドヤ顔で俺を責める義姉の顔が目に浮かんで、もう耐えられなくて俺は体を震わせて笑った。
「進藤、ごめん」
「い、違う…お、おれめっちゃ、はずい…」
俺も恥ずかしい。告白されると思っ…。
「いや、進藤は優しいよ。私なら、お前は偽善者だって言ったらその場で笑い転げてると思う」
や、やめて…腹痛え。
「…や、や、やばい…次あいつに偽善者って言われたら、腹筋崩壊するほど笑う予感がする…」
「それは姉弟関係に禍根を残しそうだね」
「誰のせいだよ…っふっはは」
「ごめんて」
その晩、いつも通り義姉に絡まれたが、待ちに待ってた「偽善者」のワードが出た途端俺は笑い転げてしまった。
「てめえ!なんだよ!!」
義姉が詰め寄ってきて、黒川に言われたことを洗いざらい吐かされた。
義姉は「そいつ連れて来い!ブン殴る!!」と顔を真っ赤にして足を踏み鳴らして怒っていたが、その日以降、「おい偽善者、今日、あいつは?」と聞いてくるようになったので、なんか気に入ったんだと思う。
ちなみに同日、俺は初めて黒川をオカズにした。
俺はオカズは実は二次元派なんだけど、黒髪アニメ美少女の動画見て手を動かしてたら、不意に今日顔を赤らめて俺を見上げてた黒川の顔が脳裏に浮かんだ。
黒川のあの綺麗な口に、俺のを…
マズイと思ったけど手が止まらなくて、生まれて初めてクラスメートでしてしまった…罪悪感が半端なかった。
しかも黒川…
一番穢しちゃいけないものを穢した気分だった。
欲求不満かな。彼女でも作ろうかな。
と思ってたら文化祭に来てた別の学校の先輩に告白された。
「うーん…」
「今付き合ってる人いるの?」
「…いないけど、うーん…」
一瞬黒川の顔が浮かんだ。
告白されるかと思ってヒヤリとしたことも。
「…俺、友達大事にしてるから、彼女より友達優先だけど」
と言うと、
「それってオッケーってことだよね?」
と、喜色を浮かべてその子が言って、俺に通算3人目の彼女が出来た。




