絶望
マクシムズ夫人は外との関わりの一切を断ち切り、籠城の構えを見せた。
娘の帰省も許さず、ただ追い返した。
少しの油断で紅茶仲間の何人が死んだことか、と。
数ヶ月分の食料が事前に屋敷に運ばれており、蓄えは十分であった。
万が一に備え、使用人の数も減らした。
不要な物、世話のかかる物、そして面倒な物は容赦なく厄介払いとなった。
しかし、感染がいつ収束するのかは分からなかった。
「ケリー? 最近、ヴェーデルの具合は如何でして?」
猫撫で声をわざとらしく、ゆったりとソファから立ち上がりケリーに背を向けた。
「立ち入りを禁止されました」
「……その髪飾り。彼からね?」
ケリーは黙って頷いた。
「似合ってるわ。とっても」
よく見もせずに褒めた。
ケリーは髪飾りにやさしく手を当て、そして目を閉じてその日の夜の事を思い出した。
「本当は行きたいんでしょ?」
「…………」
「五日分。水もあるわ」
「お、お母様……?」
水と食料で満たされたバスケットがテーブルの上に置かれた。こうなる事が分かっていたかの様に、準備は万全だった。
「好きになさい。貴女の気持ちは痛いほど分かるわ」
「……はい!」
その夜、ケリーは全力で草原を駈けた。
隔離小屋の裏へ辿り着くと焦る気持ちを落ち着かせ様とするも、息が整わずにいた。
仕方なく枝で壁を叩いて反応を伺った。
だが、返事は無かった。
「ヴェーデル!」
声を出して呼びかけた。
無我夢中で呼びかけた。
あまりに返事が無いので涙が出たが、とある物音がして咄嗟に声を押し殺した。
「──!」
それはポットで壁を叩く音だった。
声を出せぬほどに衰弱してしまったのかと、ケリーの胸に不安が津波の様に押し寄せた。
ケリーはすぐに水と食料を窓から差し入れた。
壁に耳を付けると食べる音がし始めたので、ケリーはそのまま泣いてしまった。
「ありがとう」
それはか細く、かつてのヴェーデルからは想像出来ない程に弱々しい声だった。
「また来ます!」
そして直ぐに戻るように、との夫人との約束を思い出したケリーは、泣きながら隔離小屋を後にした。
ケリーが屋敷のドアへ手をかけると、それは彼女を拒む様に閉じたままだった。
「えっ!? えっ!?」
行きがけに持って行った鍵をポケットから取り出し差し込むも、鍵が合わずに回らない。
「お母様!? どうして!!」
ケリーは訳が分からず屋敷の周りを一周して開いている窓や扉が無いかと探ったが、どれも固く閉ざされており、灯りの一つも無い有様だった。
「お母様……!!」
一周して正面へと戻ってくると、白い柱の影に小さな木箱が見えた。
箱の中には数日分の食料と水が入っており、ケリーは箱を抱えて走り出した。
どうしてこうなったのか。訳も分からず、ただ走り続けた。
隔離小屋の隅へ箱を隠し、ヴェーデルの部屋の裏の壁にもたれ掛かった。
声をかける訳にもいかぬと、ただ静かに膝を抱える。
涙は出なかった。まだ事態を飲み込めず、真っ白なままだった……。
朝、ケリーは目が覚めると、ドレスの土を払ってポケットから鍵を拾い上げた。それは見覚えの無い鍵だった。ケリーは今ようやく自分が厄介払いされた事を知った。出掛けに鍵を閉めていれば偽物だと気が付けていたのにと後悔しても、後悔しきれなかった。
勿論、ケリーが鍵を閉めてゆく余裕も無く浮き足立っていた事すらも、夫人は把握していた。偽の鍵は昔物置として使っていた離れの物であり、今は取り壊され噴水が置かれている。
ケリーは母親が冷徹な人間なのだと、今更ながらに知った。
自分は捨てられたのだと受け入れるよりも前に、ある考えが過った。好きにしていいのだ、と。
ケリーはすぐに近くの壁にかかっていたシャベルを拝借し、レンガ壁の際を掘り始めた。ヴェーデルを助けるために。
しかしその願いはすぐに絶たれた。
レンガの真下は鉄の格子が埋められていたのだ。家畜を外敵から守るための物だ。
ケリーはすぐに窓を見上げた。そして正面へと回り込んだ。鉄扉には錠がかけられており、訪問客を強く拒んでいた。
仕方なく近くの茂みから様子を伺うことにした。
昼を過ぎ、その間にも誰一人現れる事の無い隔離小屋にただならぬ異変を感じたケリーは、ヴェーデルの家へと向かい走り出した。