幽閉
ヴェーデルは重い鉄扉が開く音で目を覚ました。
黒装束にカラスのマスクをした人物が、昨晩の小屋に白い粉を撒き始めた。
「消毒だ。吸い込むと辛いからしばらく口を押さえてなさい」
「そいつは何日で死んだ?」
「知らん」
消毒用の石灰を撒き終えると、異体は速やかに運ばれていった。再度石灰が撒かれ、再び鉄扉が閉まる。隔離小屋は日の光もまるで入らず、手のひら程度の窓から外を見上げるのが限界だった。
寝るには固く、休むには心地悪い痛んだベッドに舌打ちをくれてやると、ヴェーデルはポケットの中から髪飾りを取り出して指でいじり始めた。それしかやる事が無かったのだ。
食事は一日に一度きり。
なるべく接触を減らすべく、大量の食事がレールに乗って運ばれてきた。
「人なのか、これが……」
戸惑いと苛立ちが先行したが、空腹に負け渋々と手を伸ばした。
パンを一つ取り損ない下へと落としたが、一日分としては十分な量を確保したヴェーデルは、ココに来て初めて安らぎに似た感情を取り戻した。
食事にありつける事が、何より心強かった。
もそもそとパンを齧り、今朝方運ばれた見ず知らずの病人に、少しだけ思いを馳せた。手で十字を切り、冥福を祈った。
自分と同じように家族に見放されたのであろうか、それとも自分から進んでココへ来たのか、何にせよ気分の良いものではなかった。それでもヴェーデルの口はパンを胃へと送り続ける。
食事が終わる頃、カタンと乾いた音が窓から聞こえた。窓の方を見やると、手紙を挟んだ枝が小さな窓から差し込まれ、そのまま斜めに力が込められ、パキンと折れて下へ落ちた。
「さて……天使か悪魔か」
ゆっくりと紙を持ち上げ、中を開く。
──必要な物があればお申し付け下さい。
ヴェーデルは鼻で笑ってみせた。
自分を不憫に思った使用人だろうか。ナタリーにしてはあまりにも情報が早過ぎると思い、厚い壁の向こうで息を潜めている差出人に声をかけてみた。
「ベッドが固い。それと茶ぐらい出せ」
枝で壁を叩く音が二回程すると、誰かが静かに立ち去る気配がした。
その夜、ヴェーデルは不意に部屋が暗くなって目を開けた。小さな窓が何かで塞がれていたのだ。
そっと手を伸ばすと、それはシーツだった。
ヴェーデルはゆっくりとそれを引き抜き、ベッドへと敷いた。割と質の良い新品の様に美しいシーツに、ヴェーデルはまんざらでも無い顔をしてみる。
「ふん……」
喜びも束の間、またしても部屋が暗くなった。
小さなポットが枝からぶら下がり、今にも落ちそうなバランスで保たれていた。
「誰だか分からないがありがとう」
二度、壁を叩く音がすると、風音と共にその人物は去って行った。
ヴェーデルは手をこすり合わせ、ポットの二人開けた。紅茶の匂いが辺りに広まった。
「……不味いな」
それは、酷く質の悪い紅茶だった。
使用人の嫌がらせなのか、はたまた質の悪い訳あり物しか手に入らなかったのか。ヴェーデルはその答えを二口目で察した。
「……ケリー?」
ヴェーデルはすぐに合点がいった。
ケリーに渡した底質と同じ味の紅茶。そして綺麗なシーツも、少なくともナタリーではあり得ない事だった。
しかし、一つだけ疑問が湧いた。
「何故ケリーが……?」
ポケットの中から髪飾りを取り出して問い掛けたが、黙して応えてはくれなかった。
食事を運んでくる人物の姿はとても小さく、長い棒にて台車を押していたので、ポットやシーツについても向こうから見えているといった事は感じられなかった。会話も無く、台車が届けば鉄扉が閉まる。ただそれだけだった。
しかしヴェーデルは食事の他に楽しみを見付けたので、夜になっても侘しさや煩わしさといった事を感じる事が少なくなっていった。
「投げるが触るなよ?」
外へ向かって窓から梨の皮を投げた。
皮には【君は誰だ?】と書かれてあった。
返事の代わりだろうか、すぐにお菓子が窓から枝にぶら下がり差し入れられた。
「なるほど。言えないってかい」
お菓子はまだ温かかった。出来たてか、懐に入れてきたのであろうか。ヴェーデルはそれがとても嬉しかった。
「ありがとよ」
二回壁が叩かれ、それ以降人の気配はなくなった。
壁に傷付けた日付は、まだ十日程しか経っていなかった。
「菓子は美味いな」
袋の中からビスケットを一枚摘み口へと運びながら、ヴェーデルは横になった。