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奇病

 伝染病が流行り始めたと聞いて、ヴェーデルは外出を控えるように言い渡された。

 ただ、仕事の用事にかこつけて、ナタリーと密会を重ねたが、それも彼には筒抜けであった。


「旦那様、お手紙が届いております」


 使用人から手紙を受け取り、裏を確認した。

 封蝋に捺された鷲のシンボルは、民間の調査機関を意味していた。


「茶葉は本物か……」


 遠方よりの行商人は、まともな筋の者らしく、地元では大手に押されて生業が厳しくなった為に国を越えて商売を始めたと手紙には記されていた。

 彼は自らの計画の一端を(したた)めた。

 女にだらしない息子を更正させる名目で、ケリーとヴェーデルを婚約させる旨には、茶葉の専任契約を匂わせていたが、茶葉の薫りは微塵たりとも一切匂わせないように気を付けた。

 結婚させると言っても『二人仲睦まじく食事を取っておりました。私も亡き妻の事を思い出し、そっと目頭を押さえてしまいました』と書いた程度で、露骨な言葉は使っておらず、あくまでマクシムズ夫人側から動いて貰わねば主導権が握れない。

 彼は疑似餌を垂れる釣り人の如く、姿は極めて冷静を装ったが、心中は草原に身を潜め肉食獣の様に、獲物を見つめていた。


「これ、この手紙を急ぎ──あ、いや。何かのついでにマクシムズ夫人の下へ」


 手紙を使用人へ手渡すと、書斎の窓から外へと目を落とした。

 ひっそりと人目を忍ぶように、ナタリーが此方へと向かってくるのが見えた。時折乾いた咳をしては、手のひらを確かめるように見つめていた。


「嫌な咳だ……」


 岐で人々を蝕む流行病は、罹れば皮膚が黒くなり、時間を掛けてゆっくりと死に至る。友好的な治療法は確立されておらず、知らず知らずに他者から他者へと広まってゆく。とても恐ろしい病気だった。




 マクシムズ夫人も病を気にしてか、ご機嫌伺いすらも通さぬ始末で、手紙の返信が来たのは三ヶ月後の事であった。

 遠方よりの茶葉の行商人は、伝染病の流行からなりを潜めたが、マクシムズ夫人は末娘を嫁に出すことを気にも止めていない素振りの様であった。


『若いお二人に任せます』


 本当にどちらでも良いのだろう。それともこうなることを少なからず察していたのか、何もせずともお膳立ては彼が全てやってくれていると睨んでいるのか。何れにせよ彼の有利性は低かった。


「ヴェーデルは何処に居る」

「お出掛けになられました。それと手紙が届いております」


 彼は頭を押さえ、あからさまに悩ましいポーズで落胆した。鷲のシンボルが施された蝋封が報せた一報には、受け容れがたい内容が記されていた。




「コホ……」

「寒くないかい?」


 近頃、ナタリーは肌を晒すことを嫌がるようになり、夜も昼も長袖や手袋を着用する事が殆どだった。

 つばの長い帽子、首下にもスカーフ。化粧は露骨に厚くなり、ヴェーデルはそんなナタリーが心配だった。

 似たような風貌が増え、誰が病を患っているとも限らず、罹れば死に至り、気が付けば他者へ感染させている。

 街は人気が減り、ただ静かに息を潜めているばかりだった。


「送るよ」

「……ありがとう」


 そっと肩を抱き、ナタリーの手へキスの仕草を見せた。扉の向こうへナタリーが居なくなると、誰も居ない夜の街を急ぐように歩き出した。

 ナタリーの横顔に似合うだろうと買った髪飾りが、出番を待ったままポケットの中で暇を持て余していた。




「ヴェーデル……」

「父さん? 何故外に?」


 自宅への最後の分岐路に、彼は今か今かと痺れを切らしてヴェーデルの帰りを待っていた。

 彼はヴェーデルから距離を取るように離れ、長い角材で距離を推し測るように会話を始めた。風向きにも気を付け、口には常に布をあてがっていた。


「お前を家に入れる訳にはいかなくなった」

「……」


 ヴェーデルは少し悲しげな瞳で笑う。


「お前とよく居る女がいたろう。あれは流行病を患っているのではないのか?」

「……さあ」

「残念だが、肌を隠している奴と一緒に居たのではお前も隔離せざるを得ない」

「そうか。父さんは俺を馬小屋か何かにぶち込む気かい?」

「120日後にまた会おう。生きていることを強く願っている」


 角材で左の方を指し示した。見窄らしい小屋が三つほど並んでいた。それは家畜小屋を改装した隔離施設であり、既に家庭の事情で自宅内にて隔離出来ない人達が入っていた。詰まるところ、厄介払いとして使われていた。


「一人では寂しい」

「万が一お前が感染していない可能性もある。あの女は諦めろ」

「嫌だと言ったら?」

「お前の飯に睡眠薬か痺れ薬を入れても良かったんだぞ?」


 随分な言い草だなと顔をしかめるも、それ以上抗いようも無いと知ると、ヴェーデルは隔離小屋へと歩き出した。


「一番奥だ。好きに使え。鍵は自分で閉めるんだ。いいな」


 小屋の入口付近から、中へと歩みゆく息子を見送った。その目には涙こそ無かったが、複雑な想いが秘められていた。


「随分と随分だな。貸し切り、か……?」


 三つ並んだ一番奥の小屋には、五つ程の部屋があった。粗めの鉄格子には食事を入れる口が付いており、中央の通路には食事を運ぶ為の簡易レールが備え付けられていた。人の気配は無く、やけに静かだった。

 手前の小屋にうずくまる塊が見えたが、月明かりに照らされたそれは既に黒く変わり果てており、生きては居なかった。


「誰か死んでるぞ!!」

「近寄るなよ!! 明日片付けさせる!!」

「なんてこった……」


 思わずナタリーの事が頭に過った。

 ヴェーデルは一番奥の部屋へと入り、格子を閉じた。錠をかけ、静かに粗末なベッドへと腰を落ち着かせた。自分もやがて死ぬのかと思うと、ナタリーの事が次第に頭から離れていった。

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― 新着の感想 ―
[一言] うわあ、昔はこういうことが普通にあったのでしょうね……。
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