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暗雲

 嫌な話を耳にしたのは、馴染みのパン屋で見慣れぬ茶葉の袋を見かけ、出荷は何処からかと主人に問い詰めた時だった。

 お試しで数袋程置いていったという商人は、はるか遠方より来たらしく、他の店にも同じ具合で数袋置いては売れ具合で仕入れてくれと回っているらしい。


「一つ、いくらかな?」


 見慣れぬ紙袋を指でなぞり、今お釣りとして受け取ったばかりのポケットの硬貨をまとめて拾い上げた。

 値は安く、見た目も申し分は無さそうだが、肝心の味を確かめるべく、彼は早めに自宅へと足を向けた。


「これで採算が合うのだろうか?」


 帰宅早々に紅茶を試した彼は、物言わぬ天井へと声を投げかけた。

 遠方より茶葉を運ぶ運賃や手間を考えると、商売としては成り立ちが弱い気がしたが、その裏に隠された仕組みに気が付いたのは、マクシムズ夫人の屋敷へ茶葉を納めに向かった時の事だった。


「近頃、岐で別の茶葉が頭角を現しているようだと聞きましたが?」

「ええ。伺っております」


 夫人のカップには、見慣れぬ色の紅茶が見えた。どうやら既にある程度浸食されてしまっているようだった。


「お値段もそちらより手頃だろうで」

「お値段しか。と、私共は認識しております」


 彼はそっと静かに反抗心を覗かせた。


「そうかしら? まあ、お一つどうぞ……」


 促されるままに椅子へ腰掛け、出された紅茶に口をつけると、彼はしばし沈黙に身を委ねた。


「どうかしら?」


 それは彼が試飲した茶葉とは明らかに比べ物にならない程質が良く、上客向けのダミーにも見えた。


(本仕入れの際に底質の物とすり替えて逃げる悪質な輩かもしれないが……万が一本物ならばウチは終わりだ)


 彼は冷めゆく紅茶に思考を落とし込み、彼に紅茶を運んできた女性を見て結論に至った。


「おかわりを宜しいでしょうか?」

「ええ。どうぞ?」


 五女のケリーが静かにカップを下げた。


「ごめんなさいね。今、使用人が手薄なもので」

「いえ……」


 新しい紅茶が運ばれるまで、彼は計画の要をどうしたものかと思案していた。

 ヴェーデルが今熱を上げている女をどうしたものか。どう切り替えさせたものか……。


「どうぞ」

「ありがとう」


 カップを持ち上げ、彼はジッとケリーの顔を覗いた。


「な、何でしょうか?」

「ヴェーデルとは、どんな感じかな?」

「先日、初めてコーヒーという物を一緒に頂きました。法皇様もお認めになった素晴らしい飲み物だとか」

「ほう」

「私、初めてだったものですから……よく分からなくて」


 照れながらも、嬉しそうに、髪をかき上げながらその時の事を語るケリーに、彼は一筋の希望を見いだした。

 目を細め、顎に手をあてがい、ジッと、長くケリーを見やる。そして一言、こう言った。


「髪型を少し変えてみないか?」





 ヴェーデルは昼食をナタリーと取るべく、緩やかな下り坂を、のんびりと歩いていた。日傘を差す夫人へすれ違い様に挨拶をすると、路地の細い所へと進み出そうとして、足が急に止まった。


「ええっと……」


 髪をかき上げながら、手元のメモへ頻りに目をやる女性の後ろ姿が気になり、ヴェーデルは思わず覗き込むように体を傾けた。

 赤い椿の髪留めで高い位置から枝垂れるように、美しく後ろ髪がたなびいていた。

 迷っているのだろうか、辺りを見てはメモと照らし合わせるようにして、指をさしている。

 前髪をかき上げる仕草を見て、ヴェーデルは自分でもよく分からないままに声をかけた。


「どうかしましたか?」

「あ……ヴェーデル」

「ケリー、かい?」


 声をかけた女性がケリーと知り、思わず顔をしかめかけたヴェーデルだが、すぐに気持ちを切り替えた。

 以前と違く見えるのは、髪型のせいだろうか。それとも服のせいだろうか?


「随分と古い服だ。君だって気が付かなかったよ」

「知り合いに頂いたので……」


 百合の画が遇われたドレスはその生地も古く、何処か貧乏臭さを感じさせたが、ヴェーデルはそれを強く否定する気にはならなかった。


「どうしてここに?」

「探索です。でも初めてだったので……迷ってしまいました」


 申し訳なさそうな悲しみの顔で髪をかき上げ、そっとケリーは微笑んだ。


「そうか」


 何故かは分からなかったが、ヴェーデルはケリーから目を離せなくなっていた。

 別人とまではいかないが、その服と髪をかき上げる仕草、そして申し訳なさそうに眉をハの字に下げ、謝りながらも微笑むその顔は、ヴェーデルの面影をよく表していた。


「お昼にしようかと思ったのですが、この辺りは初めてだったので……」

「なら、向こうに良い店がある」

「あ」


 ヴェーデルはケリーの手を強く引いた。

 今、この場をナタリーに見られるわけにも行かず、食事をしている姿を見られてもいかず、普段は行かない方面へと足を向けることにした。




「パンとスープを二人分」


 ヴェーデルはそそくさと注文を済ませ、奥の席へ腰を落ち着かせた。

 ケリーは不思議そうに店内を見渡し、他の客を観察していた。


「お店でランチだなんて、初めてです……」

「それは珍しい」


 ヴェーデルは小さなガラス窓から通りを見ながらこたえた。


「いつも使用人の方と食べることが殆どなので……」


 ケリーは運ばれてきたパンとスープを、まるで宝石の様に見ては、勿体なさそうに触るのを躊躇っていた。


「冷めてしまうぞ」

「ええ」


 パンを半分に割り、スープに浸して勢い良くかぶり付くケリーに、ヴェーデルは言葉を失った。

 指先までしゃぶり、音を立ててスープを飲み干したケリーは嬉しそうにナプキンで口を拭いた。


「食べるの早いんだね……」

「えっ、あ……初めてだったもので嬉しくて、つい……」


 髪をかき上げながら申し訳なさそうに微笑むケリーに、ヴェーデルはそっとパンを一つ差し出した。


「そのまま食べても美味い」

「宜しいのですか?」

「ああ」


 なんだろうか。まるで迷い込んだ子犬にエサを与えるかの様な、そんな感動がヴェーデルの心を満たした。

 一心不乱にパンにかぶり付くケリーを見て、ヴェーデルの中で罪悪感らしき感情がしばしば薄れてゆく。


「その持ち方は新しいな」

「端っこを持つのでは?」


 いちいち反応が新鮮で面白おかしく、ヴェーデルはただ飽きもせずケリーの昼食姿を笑いながら眺め続けた。




「すみません。私ばかり頂いてしまって」

「ああ。構わない。今度……ワインは飲めるかい?」

「飲んだことがありませんが、とても美味しいと聞きます」


 気が付けば、ヴェーデルの方からケリーを誘う素振りを見せ始めていた。

 身分は申し分無いはずの家柄に、五女という幾ばくか身分の離れた末娘が世間を知らずに育ってしまい、子どもですらやらないような事をしでかす。そんな風景がヴェーデルにはとても新鮮に思えて仕方なかった。


「では、私は散歩しながら帰ろうと思います。ご馳走様でした」

「じゃあ」


 ナタリーの家に向かうはずだったヴェーデルには、好都合な別れ方だった。

 しばしケリーが歩いた先を見ては、様子を見て細い路地へと姿を滑らせた。


「留守、か……」


 ノックをしても反応の無い扉に一瞥を与え、ヴェーデルは来た道を戻らざるを得なかった。髪をかき上げるケリーの顔が、一瞬だけ頭をよぎった。



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