末娘
「して、結果如何を簡潔に述べてみよ」
戻るなり、ヴェーデルに問い詰める様に彼は言った。
相当気掛かりだったのか、やたらそわそわして落ち着きが無い。仕切りに言ったり来たりを繰り替えてしている。
「夫人は納得して下さいましたよ、父さん。いつもより茶葉の袋が膨らんで見えればそれで良いかと」
「あれ以上入れたら破けるぞ。全く欲の皮の張り切った婆さんだ!」
落としどころに納得したのか呆れたのか、彼は勢い良くソファへ腰を落とし、猫足のテーブルに置いてあったカップへと手をつけた。中の紅茶は澄んた様に美しく、既に冷え切っていた。
「それと……」
ヴェーデルはケリーの事を言いかけて、口を渋らせた。どう報告すべきか、そもそも報告すべき事柄か迷ってしまったのだ。
「なんだ? どんな些細なことでも構わん」
「五女のケリーを紹介された」
「ほう?」
彼の中では、ケリーは控えめで姉達の後ろに隠れては恥ずかしそうにしていた憶えがあった。
姉達には劣るが、容姿については特に問題は無かった筈だし、手紙の事もあったので、彼はすぐに好意的な顔を見せた。
「夫人の娘さんだ。仲良くしておいて損は無いだろう」
「気が乗らない。それに夫人も好きにしていい、とさ」
「なら、たまにお茶か劇場へ誘う程度で構わないだろう。御得意様への挨拶だと思って割り切りなさい」
「……分かりました」
彼は夫人と血縁関係になることを、正直に言えばあまり好ましく考えてはいなかった。
深い仲になればなる程に、茶葉を安く買おうとする。それがマクシムズ夫人という人だからだ。その事を彼はよく分かっていた。だからこそ、ヴェーデルに強くケリーを手懐ける様には言わなかった。
「ナタリー」
ヴェーデルはその後すぐに、ナタリーの家を訪れた。ナタリーは祖母と二人暮らしで家も貧しかったが、ヴェーデルは来訪の度に手土産の一つも持っては行かなかった。
この恋は施し目的では無い。そんな意味を込めていたのだろうか、ナタリー自身も微塵も気に留めておらず、寧ろ素直にヴェーデルとの対面を喜んだ。
「ナタリー、遅くなってすまない」
「ヴェーデルったら、女の子を待たせるなんて」
「お婆ちゃんは?」
「寝てるわ」
ナタリーは意地悪そうな顔でヴェーデルの手を引いた。
「起きないかな?」
「耳が悪いから」
ヴェーデルの手を、そっと自分の腰へと運び、ヴェーデルの肩へ頭をもたげるナタリー。
「それはそれで心配だな」
腰を強く抱き、ナタリーをベッドへと押しやる。
ナタリーはヴェーデルの顔へ両手を捧げ、そっとキスをした。
朝帰り。それもいつもの女の所だと、顔を見ればすぐに察せた。
だが、彼にはナタリーとの交際を止めるように言う事も出来なかった。亡き妻であるニーヴもまた、平民の貧しい出だったからだ。
親から幾度となくされた反対を押し切り、家出当然で飛び出し二人で始めた茶葉の栽培。何もかもが懐かしく、若かった。
「ヴェーデル。マクシムズ夫人の末娘さんがお越しだ。すぐに身支度を整えろ。くれぐれも失礼の無いようにな」
ヴェーデルはとても気乗りがしなかった。
先程、ナタリーの横顔にキスをしたばかりで、他の女に会う気なんか、到底湧いては来なかったのだ。
「朝の早くから失礼をお許し下さいませ。近くを通り掛かったものですから」
身支度を整えるのにわざと時間を使ったヴェーデルに、ケリーは笑顔で相対した。
「こんな朝早くからどこへ?」
ヴェーデルは少し嫌味たらしく問いかけた。
眠気と疲労、そして何より無気力が彼をそうさせた。
「あ、いえ……その……まだ、決めてなくて……」
今のヴェーデルは、その歯切れの悪さに哀愁や友愛を感じられる程餓えてはおらず、ましてや満腹や煩わしさに近い物を感じていた。
やり取りを面倒に感じたヴェーデルは、茶葉の選別小屋を案内し、軽く見学をさせてからケリーを帰した。手土産に売りには出せない今一つの茶葉を、それなりの袋へ移し替えた物を持たせて。
「お土産をもらってしまいました……」
ケリーは待たせていた使用人と合流し、帰路へとついた。早朝から身支度を整えた、その化粧とドレスはごく短い役目を終え、今では浮いて見えていた。
使用人はヴェーデルの事を噂程度には知っていたので、ケリーは体良く遇われたと思い、何も言わずただ歩いた。
一方のケリーは、時折袋の中を覗き込み、匂いを嗅いだりして嬉しそうに微笑んでいた。
「道中、少しお時間を頂いても?」
「?」
使用人が分岐路で屋敷とは反対の方を指差した。
咄嗟に無言で問い掛けるケリーだったが、朝日で目がくらみ、すぐに気が付いた。
「帰るには早いですか……」
「この先に風車が御座います。ご覧になっては如何でしょうか?」
「ええ。お願い」
ほとほと屋敷から出たことも、人と会ったりお茶をしたりと、そういう事をしてこなかったケリーは、使用人の言う通りに歩を進めた。
馴れない路地に足を痛めたが、嫌がる素振りも無く、ただ歩いた。
「ああ……綺麗」
風車は大きく、その下へと訪れると、ケリーは自らの小ささを痛感した。近くに牛舎があり、男が荷物を運んでいた。
世界は自分の知らないことだらけ……いや、自分が如何に世間知らずだったか。少しその事について俯いてみせたが、すぐに上を向いた。
ヴェーデルは手土産もくれた。もう来るなとは言わなかった。また会える。それだけでまだ頑張れる気がした。
袋を開けると、美しい茶葉の薫りが、そっと風に流れ牛舎の方へと泳いでいった。
ケリーは昼前まで、風車が回るのを眺め続けた。