夫人
慣れない異世界恋愛ですが、頑張りますので宜しく御願い致します。
マクシムズ夫人に新作の茶葉のお伺いを立てるべく筆を取る。窓辺に寄りかかり、気さくな書き出しに頭を悩ませていると、ふしだらな二人が目に留まった。
いつの間に当家の主となったのだろうか。我が物顔で敷地内へ女を招くその素振りが、彼にとっては何より気に入らなかった。
「お仕事は良いのかしら、ヴェーデル」
「ああ。父さんなら今頃書斎で頭を抱えている頃さ。マクシムズ夫人は太客だからね」
肩を寄せ合い、時折耳元へ口を寄せる二人を見て、彼は酷く頭を抱えた。何よりも、顔立ちすら自分に似ずに育ったクセに、その女の横顔が亡き妻の若い頃にそっくりであった事が許せなかった。妻を盗られた気がして、思わずムッとして窓から離れた。
彼はマクシムズ夫人への手紙に、茶葉の事、そしてフラフラとしては女ばかり追いかけている息子のヴェーデルについても、まるで頭上のハエのように揶揄しては悩ましく書き綴った。
『あと少し色が良ければ、とても楽しいティータイムになりそうね』
マクシムズ夫人からの返事には常に、注文めいた、時には難癖のような、不満とも不機嫌とも取れる一文が添えられていた。
少しでも安く買い叩こうという魂胆がありありと見て取れたが、いつもの事なので微塵も気に留めなかった。
ただ最後に、マクシムズ夫人が末娘の扱いに困っていると添えられているのを見て、何か付け入る余地が在るのでは無いかと画策を試みた。
「ヴェーデル! ヴェーデルは居るか!!」
彼は息子を大きな声で呼び付けた。部屋に女が居ることくらい明白だったので、わざとらしく火急の用事の如く焦らせた。
「なんだい父さん。後にしてもらえないかな」
露骨に不満な顔を見せ付け、ヴェーデルはソファへと深く腰掛けた。どうやら女を待たせる事には多少なりの慣れがあるようだった。
「今年の新作だ。飲んでみろ」
ヴェーデルは給仕からカップを受け取ると、いぶかしげに目を落とした。
「悪くないと思うけど?」
「飲んでから言え」
渋々と、ヴェーデルはカップに口をつけた。
毎年の事、よく分からない味がした。
「どうだ」
「……去年よりは……まあ、うん」
曖昧な返事をし、二口目にてそれを誤魔化した。
「マクシムズ夫人は色がダメだと言うんだ。ヴェーデル、お前は今すぐにマクシムズ夫人の下へ向かい、丁寧に、納得の行く説明をしてきなさい。良いな?」
「今すぐに?」
「そうだ」
彼はヴェーデルが自分の部屋の方を横目で気にする素振りをしたのを見逃さなかった。
「お客様には帰ってもらいなさい」
「いや、でも……」
「次期主はお前だヴェーデル。マクシムズ夫人の御機嫌取りも、立派な勤め。出来るか出来ないかでお前の評価はガラリと変わることを、くれぐれも忘れるなよ?」
「父さんらしくないな」
「やかましい!! 金さえ出せば上流気取りの味音痴だろうが、白内障で色の違いも判らない老婆だろうが、ウチは茶葉を納める! それだけだ!!」
「分かったよ。支度したら出掛けるよ」
「五分だ!! それ以上遅れることは許さんぞ!!」
「……りょうかい」
ヴェーデルは諦めた様子で自室へと向かった。
「おかえりヴェーデル」
「ナタリー」
ベッドシーツの中から、下着姿の女が顔を出した。
ヴェーデルはそっと抱き寄せキスをした。
「終わった? 待ちくたびれちゃった」
「いや、悪い。始まったばかりだ。夜になったら家まで迎えに行くから、良い子で待ってるんだぞ?」
「うん。待ってる」
ナタリーはヴェーデルにとって、ようやく見付けた楽園の様な存在だった。前のガールフレンドは三ヶ月と保たなかったが、ナタリーとは生涯を共に出来ると確信していた。
最早記憶等は殆ど残ってはいないものの、幼き頃に亡くした母の面影を無意識に求めたのか、ナタリーはヴェーデルの母によく似ていた。特に笑った横顔が瓜二つであった。
それだけに、二人が親密になることを、彼は快く思わなかった。
「お久しぶりで御座いますマクシムズ夫人」
「おやまあ、ヴェーデル、ヴェーデルかい? 大きくなったわねぇ」
「五年振りです。私ももうすっかり大人になりました」
「フフ、自分で言うなんて、自信があるんだね?」
「ええ」
「そういう所、お父様にそっくりだわ……」
「いえいえ」
ヴェーデルは幼少より顔見知りのマクシムズ夫人に、少しおどけてみせて上着の内ポケットから一級品の茶葉。少なくとも平時ではお目に掛かれない代物を夫人へと差し出した。久方振りの再会にマクシムズ夫人は大層喜びし、大急ぎでお茶の支度をさせ始めた。
「座ってて。お茶……と言ってもアナタの家のだけど」
「今年の新作は如何でしたか?」
ヴェーデルはいきなり核心をついた。それだけ早
く帰ってナタリーを迎えに行きたかったのだ。味音痴で色の違いも判らなくなった老婆なんかどうとでも出来る。ヴェーデルには絶対的な自信があった。
「彼の差し金?」
「まあ、そんなところです」
「まあ正直なこと。嫌いじゃないわ」
「ありがとうございます」
金の話ともなると、マクシムズ夫人は態度を急変させた。一級品の茶葉の手織り袋をそっと、まるで膝の上で猫でも撫でるかの如く、手を動かしヴェーデルの話に耳を傾けた。
「本仕入れの頃には茶葉ももう少し、僅かですが深みも出るでしょう。夫人もきっとお気に召すと思いますよ」
「そうね、楽しみにしているわ」
値下げはあくまで最終手段。長い付き合いの太客ほど、値下げを断行してはならない。ヴェーデルはそこを弁えていた。
「ああ。そうだわ。折角貴方がいらしたのでしたら……ケリー! お出でなさい!」
手を叩き、犬でも呼ぶかの様に声を張るマクシムズ夫人。ゆっくりとドアノブが回り、ドールの衣装に身を包んだ少女が左脚からゆっくりと、部屋の中央へと歩き出した。
「末っ子のケリーよ。背は低いけど、もうすぐ……えーっと、まあいいわ。挨拶なさい」
「五女のケリーと申します。もうすぐ二十一になります」
「そうそう。要る?」
「要る、と申しますと?」
ヴェーデルは思わず前のめりとなり聞き返してしまった。まさか自分の娘を飾り箱の中から指で拾い上げた飴玉のようにくれてしまう訳ではないだろうな? ヴェーデルは厄介払い染みた物を感じ、すぐに座り直して警戒心を顕わにした。
「ヴェーデル様とお近づきになれる事、深く光栄に存じ上げます」
「好きにしていいわよ。勿論気に入ったならずっと傍に置いても、ね」
黒字に白のレースが遇われたスカートの裾を摘み、ケリーは微笑みかけた。緊張しているのか、何処かその笑顔はきごちない物があったが、決して嫌な素振りは見せなかった。
「いえ、自分には既に」
「構わないわ」
何という人だろうか。
ヴェーデルはより一層警戒を強めた。
五年前、最後に会ったときはもっと笑みに友愛が伺えた様な気もしたが、今のマクシムズ夫人からは冷徹で利己的な感情が漏れ出ており、長女、次女共に爵位持ちへ嫁いだ事からも、マクシムズ夫人の生存戦略が伺えた。
「この子は貴方が初めての男になるわ。社会勉強だと思って適当に付き合ってくれないかしら?」
「何卒宜しく御願い致します」
ソファにふんぞり返り末娘を押し付ける夫人を、ヴェーデルは快く思わなかったが、その場で強くはね返すには相手が悪く、そして何より勿体ないとヴェーデル自身が思ってしまった。
「分かりました」
ヴェーデルは早々にマクシムズ夫人の屋敷を後にした。
自らの娘を売り物としか考えていない夫人も、それを当たり前の様に受け入れているケリーも、決して好きにはなれなかった。
屋敷が小さくなった頃、ヴェーデルは少し父親の気持ちが分からない事も無い気がしてきた。