黒よりいでし藍 五
「及第か、良かったな」
話を聞いた白玄は厨から振り返りそう言った。
資格更新を終え、白藍は再び白玄の屋敷へと戻ってきていた。
陽はすっかり傾き、そろそろと闇が世界を支配しようとしている。
夕餉の支度を済ませた白玄は、乱雑に切った野菜やきのこを入れた籠を手に、囲炉裏の前へと腰を下ろした。
白藍も囲炉裏へと近寄る。
無意識に煙管を懐から出そうとし、止めた。
また白玄に何か小言を言われるのが分かっているからである。
そしてそんな風に気を遣う自分に、嫌気がさす。
代わりに軽くため息をつき、昼間の出来事を語った。
「会話する人間が人間、皆あんたの名を出す。未だにあんたは英雄だな」
その反動で自分の小ささがよく見える。
自分は、何年経とうとも、この男を超えられないのだ。白玄の名が出る度、そう突き付けられる気がするのである。
すると白玄は鼻で笑った。
「英雄?厄介者の間違いだろう。幕僚さえも俺に気を遣う。いい加減、うんざりだ」
思いがけない返答に、白藍は師の顔を見つめる。
弟子の視線に気付き、白玄は自嘲じみた表情をした顔を見せた。
「この名に迷惑してるのはお前だけじゃないぞ、高藍。誰もが俺を恐れ、崇める。容易に近づいてくるのは、彼我師じゃ禅とお前くらいだ。―――人として、幸せだと思うか?」
思いもかけぬ言葉に、白藍は言葉を失った。
己の師が、感情を持つ人間だということをすっかり忘れていたのだ。
人から侮蔑されるのは辛いことだ。
遠ざけられ、同等の扱いを受けられない。
仲間ではない、と言われるも同じだ。
しかし、崇拝されるが故に生じる対応も、あまり変わりないのではないだろうか。
崇められる結果、最も信頼すべき仲間たちから遠ざけられ、一線を画される。
それは見下すこととある意味で同義であろう。
鍋に火をかけ、白玄は言った。
「まあ、俺の場合は自業自得だろうな。自分で招く結果だ。だが―――」
一度言葉を切り、白玄は真っ直ぐに弟子を見た。
「お前にはすまないと思ってる。俺の名がお前を縛り、圧迫している。だからお前はこの屋敷を、そして俺を五年も避けた。子は親を選べないように、彼我師は弟子も師を選べないからな。・・・俺が弟子を取ること自体が間違いなのかもしれん」
冷酷で傍若無人とさえ言われる白玄が、他者の自分に対する態度を気にしているとは思っていなかった。
白藍の胸に、苦いものが生じた。
今まで白玄の何処を見ていたのだ。
他ならぬ己の師だというのに。
この男の苦悩を何一つ察せず、あまつさえ避け続けた。
だが、避けた理由は白玄の言う通りではない。
白玄は勘違いしている。
「玄さん、いるか!」
白藍が口を開いたのと同時に、いきなり戸口から一人の男が入ってきた。
近くに住む山師の道生である。
道生は白藍を見ると、驚きに目を見開いた。
「高藍!お前、いつ帰って―――」
白藍も昔は世話になった知り合いだ。
白玄は立ち上がり道生に近づく。
「どうした。何かあったのか」
「あ?ああ、珠黄はいるか?」
「珠黄?いや、まだ帰ってないが」
道生は顔を青ざめさせた。
白玄は眉をひそめる。
「何だ。あいつが問題でも起こしたのか」
「いや、まだよく分からんが、・・・どうも遭難したらしい」
「遭難?」
冬山での遭難は、生存率を一気に下げる。
特に子どもはそうだ。
冬に一人遭難したとなれば、それが意味するのは死である。
白藍は仁王立ちしたまま、開いた戸口から外を睨んでいた。
雪が舞っている。
外は、いつの間にか吹雪いていた。