黒よりいでし藍 二
散々呆れ帰った男によって乱暴に送り出された白藍は、足早に山の頂上へ向かった。
慣れない歩調が、呼吸を荒げる。
―――数日前に、日程を変えるなよ。
胸中で文句を言うが、悪いのは変更を完全に忘れ去っていた白藍自身である。
―――それにしても。
白藍は複雑な表情を浮かべた。
先程、自分のとったある態度に嫌気がさしているのである。
日にちの間違いを告げる時に、自然と声が小さくなったことだ。まるで親に叱られるのを不安がる子どものようである。昔散々怒られた記憶があるからであろうか。
長年会っていなくとも、あの瞬間、自然と昔の関係に戻ったようで白藍は居心地が悪かったのである。
何とも言葉にしようのない感情であった。あえて言うなら、子どもに戻ったようなもどかしさ、であろうか。
そんなことをあれこれ考えていたが、頭を振って吹っ切った。考える程、自分が認めたくない感情を見つけてしまう気がしたからだ。
目指す場所に辿り着いた時、白藍の息は完全にあがっていた。
威風を漂わす古い屋敷を囲むようにして見事な木々が並び立つ。
黄舫堂、と呼ばれる館だ。
途方もなく大きい屋敷で、白藍もまだ全ての部屋を回ったことはない。屋敷というよりも、皇居と呼んだ方がしっくりとくる程である。
その時、あちこちに人の気配を感じた。
白藍同様、集会に参加する彼我師たちであろう。
「あーいちゃんっ」
黄色い声と共に、背後から何かに突進された白藍は、思わずその場でこけそうになった。
「この、馬鹿野郎っ」
何とか踏み止まり、抱きついてきたそれの首元を掴んで目の前に引きずり出す。
子犬のように首元を持ち上げられたそれは、人懐っこい笑顔を浮かべて白藍に手を振ってきた。
「・・・ほお。狐が人に化けたか」
目を細めて低い声で言う白藍に、それは不満げに頬を膨らませて反論した。
「久し振りに会った友だちに言う台詞がそれかよ。目が細いのは生まれつきだからしょうがないだろ」
「出会いがしらに背後から人を突き飛ばそうとする人間を、友だちとは呼ばない」
「突き飛ばしたんじゃない。抱きついたんだ」
何故か偉そうに胸を張る男に、白藍は小さく溜息をついて手を離してやった。
「お前、相変わらず成長しねえな。菊」
同期の彼我師、白菊は白藍の言葉ににっと笑う。
「精神年齢じゃ、藍ちゃんよりマシだと思うけど?」
並んで立つと、白菊の小柄さがよく分かる。まあまあ男としては平均的な身体つきの白藍よりも、ゆうに頭一つ分は小さい。
彼我師は名前に白の字を冠す。そこで、彼我師同士では白の字を外して互いに呼びあう習慣がある。
白菊は、白藍の数少ない同期だ。
見た目通りに子どもっぽい言動が目立つ男だが、彼我師としての腕は上層部からも厚い信頼を得ている。ゆくゆくは幹部に、と目をつけられてもいるようだ。問題児扱いをされている白藍とは大違いである。
二人は床に腰を降ろした。
一面板張りの広間で、そこには既に多くの彼我師がいた。顔見知りと目が合い、互いに手を上げて挨拶を交わす。
情報交換の場であり、資格更新のための査定を受ける待合室だ。
「そういやさ、俺こないだ玄の人に会った。いやあ、びっくりした。森の中でいきなり遭遇だからさ、心臓止まるかと思った」
まるで化け物扱いである。
白菊は両膝を抱えるようにして座り、白藍を見上げる。
「藍ちゃん、何年帰ってないんだっけ?彼我師になって一回も戻ってないんだろ?」
白藍は苦い顔をして答えた。
「さっき会った」
途端、白菊が目を見開く。
「え?玄の人と?何で?藍ちゃん、何かしでかしたのか?」
「何でって―――。山で偶然会って家に連れて行かれたんだ。それにしてもお前、あの人を何だと思ってるんだ」
最後の方には苦笑が出る。
白菊は興味深そうに白藍の顔を下から覗きこんできた。
「何だ藍ちゃん、あんなに帰りたがらなかったのに。どういう心境の変化だよ」
「だからたまたま山で―――」
「違うだろ?以前の藍ちゃんなら、絶対家には行かなかった筈だ」
鋭い指摘に、白藍は口を噤んだ。
この男、ちゃらんぽらんなようでいて、意外と核心をつく。
確かに、以前の白藍ならば山で偶然会ったとしても、家までは絶対についていかなかっただろう。
先程の、何とも言いようがない感情が戻ってきた。
何故、自分はついていったのだ。
疑問ばかりが頭に浮かび、答えは全く見えない。
黙りこくる白藍をちらりと見て、白菊は笑って白藍の背中を叩いた。
「良かったな。玄の人も態度には出さないけど、きっと嬉しいと思うよ。何と言っても藍ちゃんは唯一の弟子だからさ」
「―――どうだかな。それより菊、人のことをちゃん付けで呼ぶな。何度言わせるんだ」
「五百回」
しれっと真顔で答える白菊に、白藍は青筋をたてた。
気を遣ってくれていると思えば、人をおちょくるようなことをする。
白菊の頭に腕を廻し、乱暴に締め上げた。
「あーっ、藍ちゃん痛い痛いっ!頭が割れるっ」
「いっそ、一回くらい割れた方がいいだろ。少しは利口になる」
「何すんだよ!俺たち、友だちだろ!」
「そうなのか?違うと思うけどな」
「藍ちゃん痛いっ!分かったごめんなさい!すみませんでした!だから離してっ!」
そこでようやく、腕を解く。
頭を抱え、白菊は床に寝転んだ。
いつ会っても、こういう調子の男である。
「白玄が子弟、白藍。水の間へ」
入り口で案内役の男がそう呼んだ。
査定が始まるようである。
白玄という言葉に場の会話が止み、全員の視線が白藍に向いた。
毎年のことながら、煩わしいものである。
ふんと鼻を鳴らし、白藍は白菊を軽く蹴って建物を出た。