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彼我師 ~藍編~  作者: 貴浪
黒よりいでし藍
5/26

黒よりいでし藍 一

 秋風を感じるようになった。

 ついこの間までの照り付けるような陽射しは影を潜め、どこまでも爽やかな空気が昼の世界を包んでいた。

 なだらかな山道を昇っていた白藍(はくらん)は、ふと足を止めた。そして、あまり機嫌のいいとは言えない表情を浮かべた顔を、山の頂上へと向ける。

 この先は、あまり喜んで来たくはない場所であった。

 もう一度目の前の道を見据え、白藍は仕方なしに足を進める。

 道の両脇には、燃えるような紅葉が鮮やかに屹立していた。紅や萌黄に色を変えた葉の中で、白藍の藍の水干はくすんで見える。

「・・・面倒くせえな」

 つい本音が口をつく。

 数日前、後見所(こうけんどころ)から手紙が届いた。

 集会の開催を知らせるものであり、彼我師(ひがし)全員に召集を命じる内容である。

 彼我師は時の権力者である朝廷に与していない。

 故に上層部が持つ彼我師たちへの統率力は非常に強い。

 年に一度開かれるこの集会は、彼我師にとっては大きな意味がある。白藍たちのように旅をしつつ村々を巡って祭事を行う者は、その一つひとつの祭事について紙に記録する義務がある。そして集会においてそれを提出させられる。幹部の年寄り共が本人を目の前にしてそれを吟味し、どうでもいいような小言や厭味を言う。最後に、彼我師の資格の所持を引き続き許可するか、破門とするかを告げるのだ。

 何ともつまらぬ行事である。

 毎年、危ういところで資格を与えられている白藍には憂鬱極まりない。

 大きな溜息をつくと、このままとんずらしようかと本気で考え始める。

 商人であれば、旅を続けていける。彼人に殺されかけることも、他人から余計な恨みを買うこともない。彼我師であるよりも余程楽に生きていけるのではないだろうかよしそうしようしかし何を売って商売にするのだそれに俺に商売の才能は皆無な気がする。

 懐から煙管を出しつつ、つらつらとつまらぬことを考えている時、ふと視界の端に何かが映った。

「・・・ん?」

 齢は十ばかりであろうか。小柄な子どもが、木の幹に寄り掛かっていた。右足を怪我している。

頭上の小さい崖から足を滑らせたようである。

 白藍に気付いた子どもは、警戒したようにぴくっと体を震わせると、こちらを睨みつけてきた。

 しかし白藍はそんな様子を全く意に介さず、瓢々と子どもの前にしゃがみ込んだ。

「どうした。捻ったのか?」

 足に触れようとした白藍の手を、子どもはぱっと振り払った。

「触んな。あっち行けよ」

 まるで親に捨てられた子猫のようである。

 そんな子どもの態度に、白藍は目を細めて遠い昔を思い出した。

 彼我師となる前の自分を見るようであったからだ。

 ふっと息をつき、背中の荷物を降ろすと中から手当て道具を取り出す。

「やめろって。あんたには関係ないだろ。俺に障るな」

 怒りの中に、怯えが覗く。そんな声であった。

「その足でどうやって帰るつもりだ?まさかここで暮らす訳じゃないんだろ?じゃあ大人しくしてろ。俺は人買いじゃないから心配するな」

 人買いに見える程、貫禄も威圧感も持ち合わせていない。

 適当に言い包め、白藍は子どもを黙らせた。

 見たところ傷はない。

 落ちた崖が低かったことが、幸いしたようだ。包帯できつめに縛り、足が動かないように固定する。旅ばかりの白藍にとって、これ位の手当ては当然の技術であった。

「よし。立ってみろ」

 不安げに腰を上げた子どもは、恐々とその場で右足に体重をかけてみる。

「―――痛くない」

 驚いて顔を上げる子どもに、白藍は笑ってみせた。

「あくまで応急処置だ。数日は無理するな。痛みが消えれば完治だ」

 それと―――、と子どもの頭を撫でる。

「山は怖いぞ。人間なんかあっという間に命を取られる。死にたくなけりゃ、手当て道具くらいは持って来ることだ」

 子ども扱いされたことが気恥ずかしいのか、子どもは再び気難しい顔をしてふいっと横を向いた。

「驚いたな。お前か」

 崖の上から低い男の声が降ってきた。

 白藍はそちらを仰ぎ見ると、軽く目を見張った。

「何だ。あんたか」

 似たような台詞が口から出た。

 よっと崖から飛び降りてきた男は、白藍の目の前に立ちはだかると腕を組んだ。

 どちらかというと華奢な白藍と較べ、男は堂々たる偉丈夫である。

 齢は中年から初老の間であるが、その黒い水干の下にある体格は全く衰えを見せない。

 しばし見つめあった後、男は白藍の頭を乱暴に撫でた。

「少しは成長したようだな。一端の口聞くじゃねえか。あとはその生っちろい体をどうにかしろ。華奢な体格は舐められるだけだぞ」

 白藍は男の手を煩わしげに払った。

「それなりにやってるさ。食料も少なくて済む」

 白藍の手にある煙管を目に留めた男は、呆れたような顔をしてそれを取り上げた。

 おい―――、という白藍の言葉を遮り、男は言い聞かせるように述べる。

「馬鹿野郎。同じことを何度も言わせるな。こんな毒を好んで吸う程間抜けじゃないだろ。俺への当て付けでやってるなら、すぐに止めろ」

「あー、いつまでもうるせえ男だな。あんたにとやかく言われる筋合いはねえよ」

「筋合いだから言ってるんだろうが。餓鬼みたいに駄々捏ねてんじゃねえ」

 餓鬼という言葉で子どもの存在を思い出し、白藍はそちらを見下ろす。

 子どもは気まずそうに下を向いていた。

「おい珠黄(たまき)、お前もだ。何度同じことを言わせる。山をうろつく時は最低限の荷物を持って行けと言ってる筈だ」

 叱るでもなく、しかし優しいでもなく、男はただ告げる。

 淡々としたその声が、余計に冷淡に響く。

 男はそれから子どもの足を見た。

「旅先で頼れるのは自分だけだ。一人で生き抜ける力を身につけろ。他人は当てにするな。俺でさえも信用はするんじゃねえ。疑え」

 子どもは返事をせずに二人に背を向ける。

 男はそんな子どもに構うことなく、今度は白藍を見下ろした。

「明日、集会なんだろ?今日は泊まっていけ」

 そして白藍の返事を聞かずにさっさと歩き出した。

 相も変わらず、自分中心な男である。

 そして子どもを負ぶってやるつもりは毛頭ないようである。

「新しい弟子か?」

 横に並んで小さく問う。

「珠黄という。山に捨てられてたから拾った」

「犬猫みたいに言うなよ」

 ぼやく白藍に、男はふっと笑った。

 精悍な顔に、優しい切なげな笑みをのせる珍しい男だ。男の笑みを見るたび、白藍はそう思う。

 そして子どもの頃、白藍はこの笑みが好きであった。

「昔のお前にそっくりだぞ。野良の子猫みたいだ。それも手負いの、な」

 先程白藍が思ったことと同様のことを言う。

 しかし自分までそう思われていたとは想像もしていなかった。

 珠黄に配慮したのか、男は僅かにゆったりとした速度で歩き続けた。山を昇るのではなく、横へ横へと進んでいく。経度は同じだが、緯度の異なる所が男の屋敷なのである。数時間は歩き、先程いた場所の裏側へと着いた。つまりは山を半周回ったことになる。

 静けさの漂う屋敷であった。周囲には他に一つも屋敷はない。

 白藍には子どもの頃から見慣れた家でもある。

 ―――変わってねえな。

 足を踏み入れた白藍は、あちこちを見渡しそう思った。

 灰の溜まった釜戸。

 古い桐箪笥。

 柱にある傷。

 生き物のいない金魚鉢。

 記憶の中の風景と全く同じである。

 戸を横に引いて入り口を潜り、水瓶からすくった水で男は荒々しく顔を洗う。

 珠黄は戸口に立ち尽くしたまま、中へ入ってこようとしなかった。途方に暮れたように男を見ている。

 そんな子どもをじっと眺めていた白藍の視線に気付いた珠黄は、今度は白藍の方を見詰めてくる。

 珠黄―――、と男は顔を洗いつつ言った。

「午後は休みだ。村にでも行って遊んでこい。女は引っかけるなよ」

 男の冗談に珠黄は眉間に皺を寄せ、黙って出て行った。

 あまり口を開かない子どもである。

 他人以前に、自分自身を信頼していないのだろう。

 白藍はそう思った。

 そしてそんな気持ちが、白藍にはよく分かる。

 懐かしい家の中を見廻った後、土間から床に上がった。

「いいのか?俺なら放っておいてくれて構わないが」

 山での心得のことを白藍は言った。

 彼我師となるつもりであれば、無装備で山に入るなど命取り以外のなにものでもない。珠黄はそれをまだ分かっていない。

 山での無防備な怪我は、死を意味する。

 そうだな―――、と男は呟く。

「あいつはまだ山の怖さを知らない。手ぶらで山をうろつくなんざ、死にに行くようなもんだ。何も持たせずに山のど真ん中に数日放り込もうと思ったが、どうせあの足じゃ無理だろう。十日はお預けだな」

 この男なら本気でやりかねない。

 白藍はつい苦笑した。

「相変わらず厳しい師匠だな」

 男は手ぬぐいで顔を拭った。

「自分の修行時代を思い出したか?高藍(こうらん)

 懐かしい名で呼ばれ、白藍は戸口から外を見る。

「修行時代というより、俺の子ども時代を、かな」

 この屋敷は白藍にとって実家のようなものである。

 こうして久し振りに訪ねてみると、否応にも子ども時代が脳裏をよぎったのだ。

 白藍のそんな小さな呟きに片眉を上げた男は、黙って草履を脱いで土間から床に上がる。

 そして囲炉裏を挟んで白藍の向かいに座り、火をおこし始めた。

 秋とは言え、山には寒気が集まる。

「あいつ、中に入ってこなかっただろう?」

 ふと男が口を開いた。

 ああ―――、と白藍は頷く。

 それは白藍も気になっていた。

「お前に遠慮したんだろうな」

 素っ気無く意外なことを言われ、白藍は眉をひそめた。

「俺に?」

 どういう意味だ。

 男は口の端を上げて笑った。

「相変わらず他人の感情の機微には疎いなお前は」

「・・・はあ?」

 首を傾げる白藍に、男はもういいと片手を振って話を終わらせた。

 自分中心に物事を進めようとするのは、この男の昔から変わらぬ性格である。良く言えば指導者格、悪く言えば独断的だ。

 小さかった白藍には、漆黒の水干を纏う独断専行のこの男が、しばしば獄卒に見えたものだ。

 幾度か、家出しようとしたこともある。

「で?元気にしてたのか?」

 白湯を湯呑みに注ぎ、男は短く問うた。

「まあな。それなりにやってる」

「お前のことだ。彼人に殺されかけたことも一度や二度じゃないだろう」

 それは揶揄ではなく、ましてや問いでもない。

 分かりきったことだが念の為の確認、というような言い方であった。

 だが、悔しいがその通りである。

 白藍に苦い顔をしてそっぽを向くしかなかった。

 湯を啜り、男は淡々と言った。

「お前はつけ込まれ易いからな」

「つけ込む?」

「甘さだ。お前は情に流され過ぎる。彼我師には命取りにしかならん優しさって奴にな」

「分かってる。宋襄の仁、って言いたいんだろ」

 宋の襄という王が敵に情けをかけた為、戦で負けたという故事である。

 転じて無用の情けを示す言葉となった。

 男が白藍に何十回と投げ掛けた言葉でもある。

 ふん、と男は鼻で笑った。

 いつもはその後、お前ごときを一国の王に対比させること自体がおこがましいんだがな―――、と言われたものだ。

 しかし今回は違う台詞が続けられた。

「その甘さがお前自身の首を締めている、ということに気が付いてるのか?」

 そのとき男は一瞬、炯々と光る刃物のように鋭い瞳を見せた。

「皆、甘えてるんだよ。お前にな。村人たちだけでなく、彼人も」

「は?何言ってんだ」

 甘えられている事が、殺されかける事と同義とでも言うのか。

 男は白藍に構わず続けた。

「では例えば、だ。俺が彼我師としてある村を訪れたとする。お前はそこの村人で、彼人から毎年無体な量の捧げ物を要求されている哀れな男だ。言う通りにしなければ、彼人から殺される運命にある。村人全員がな。さて、そこで問題だ。―――お前は俺を厄介事に巻き込もうと考えるか?」

 考える。

 そう言いかけ、白藍は言葉に詰まった。

 考えない。十中八九、村人はこの男に何かをしてもらおうとは思わないだろう。

 白藍の様子を見て、男はつまらなさそうに答えた。

「考えない、だろ。お前になら兎も角、俺にはな」

 この男は冷徹とも言える程の現実主義者である。

 全うすべきことは祭事であり、そこに感情は存在しない。

 他者に対しては甘えを許さず、無闇に頼ってこようとする人間に容赦はしない。見殺しにすることも多々ある。

 そんな彼我師に、祭事以外のことを頼もうとは誰も考えないだろう。

 残酷なのではない。

 この男の心は、湖の水面のごとく不動なのだ。

 何があっても揺るがず、乱れない。

 ついた彼我師としての名が白玄(はくげん)。白の字を冠す彼我師にとって、黒を意味する玄の字を用いることは通常ない。

 それ程の異端児、ということだ。畏敬の念を表し、普段は(げん)(ひと)、と呼び習わされている。

 加え、黒の水干の着用はこの男のみに許されている。暗黙の了解、というやつだ。

 いいか―――、と男は湯呑みを床に置く。

「俺が非情だと思われるのは、自力で立とうとしない者を寄せ付けないからだ。他人に依存して生きる者は、常に相手の隙を窺う。お前が面倒に巻き込まれるのは、隙があるからだ」

「隙―――」

「お前は相手の為に心に空間を作ってやろうとする。下手すれば、心全体を相手の為に使おうとする。だがな、心を相手に明け渡すのは、相手の支配を受け入れることと同義だぞ。庇護しているつもりが、いつの間にか相手の言いなりだ」

 反論しようと色々と頭を働かせていたが、言い返しようがなかった。

 全くその通りだからである。

 心当たりが、嫌という程あった。

 肩を落とす白藍に、男は急に軽い口調となって言った。

「しかし性格というのはそう容易に変わらんし、他人を必要としない人間もいない。人は依存し合う生き物だからな。俺は人間を切り捨て、お前は人間を救おうとする。それだけだ。そして、お前はお前であって、俺の代役ではない。―――お前の気が済むようにやっていけ」

 男は例の、優しく、そして切なげな笑みを見せた。

 恐ろしい男だが、偶に見せるこの笑みが、普段は隠している男の情け深さが覗く。

 優しいが故に、非情な仮面が必要なのだろう。

 山に捨てられていた白藍を助け、彼我師として育てた男である。

 真実、人を切り捨てているならば、子どもを育てるという面倒極まりないことは避ける筈だ。

 湯呑みに手をかけた瞬間、白藍の動きが止まった。

「あ・・・」

 間の抜けた声が出た。

 訝しむ男に、白藍は引き攣らせた顔を向ける。

「どうした」

「―――集会」

「集会がなんだ?日程は明日だろう」

 強張った表情の白藍は懐からある文を出すと、小さい声で告げた。

「一日早まったんだった」


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