色彩重ね
お久しぶりです。
2年ぶり?の投稿となりました。
「忙しい」は言い訳。分かっています・・・。
細々続けていけたらと思っています。
叱咤激励、お待ちしています。
寒さが緩んだ。
風が吹くたびに身を縮こまらせていたのが、ここ数日は空気に春が混じってきている。道端にも、黄色や紫の花々がちらほらと目につくようになってきた。
道の草の上に、食糧や布地などの商品を広げている人々の服装も、何となく春めいている。
季節は、確かに巡っているのだ。
ふと足をとめた白藍は、顔を上げてゆっくりと空を見上げた。
薄明るい光に、僅かに目を細める。
次の祭事までは少し日が空いていた。束の間の休日である。
何をするか。
普段の白藍なら、どこか居心地の良い宿に連泊し、きちんとした布団で寝て、読み溜めていた書物を眺める、というのがこの上ない望みだ。しかし、今回はするべきことがあった。
貴重な休日だが、これを片付けておかねば後々困るのは自分である。
辺りを見渡し、向かうべき村のある方向を探る。
向かうは東だ。
太陽の位置を確認し、方角のめどをつけた。
少し右に逸れているようだった。
「なら、左か」
目の前に広がる左右の分かれ道を眺め、白藍はそう呟いた。
視線を道の先へ向け―――。
「―――は?」
こちらに気付き、満面の笑みで力一杯右手を振っている男がいた。まるで飼い主を見つけた犬である。
「あーいちゃーん!こっちこっち!!」
驚いた通りすがりの旅人がその大声に驚き、すれ違いざまにぎょっとして振り返る。
それでも男は手を振り続けていた。
周囲の目など、まるで気にしていない。
子どもの如き振る舞いに、白藍は表情をこわばらせて男を見た。
―――何故、いるのだ。
他人のふりをして通り過ぎようかとも思ったが、それで騒がれると、余計に面倒だ。
仕方なしに白藍は男の方へ近づく。
男は細い眼を更に細め、白藍を見上げてきた。
「久しぶり。元気だった?」
小柄な男の能天気な言いぶりに、白藍は嫌そうに答える。
「久しぶり、じゃねえよ。ちゃん付けはやめろって何度言わせるんだ。それより菊、お前何でこんなとこにいる?」
男―――白菊は尚も笑顔を白藍に向けた。
「ご挨拶だなあ、藍ちゃん。何でって、藍ちゃんを待ってたんじゃないか。三日もここで捜してたんだ。少しは喜んで欲しいなあ」
白藍は片頬を引き攣らせた。
「お前が俺を待ってた?三日も?嫌な予感しかしねえよ。どんな面倒事を押し付けるつもりだ」
面倒事なのは、まず間違いないであろう。
この男は白藍にとって台風の如き存在だ。
「またそんな風に人を疑ってー。駄目だよ、藍ちゃん。友だちまで疑ったら、藍ちゃんは一体誰を信じるのさ」
「まず一つ、お前は友だちじゃない。誤解を招く発言はやめろ。それに俺は大概の人間の言う事は信じる。甘いと言われるくらいな。つまりな、俺が人間不信なんじゃなく、お前が俺から信用されてないってだけだ」
冷たく言い放ったが、それでも白菊は笑みを絶やさなかった。
「藍ちゃんは素直じゃないなあ。でも、それが愛情表現だってこと、俺は分かってるから。だって、友だちだからさ」
打つ手なしである。
恐ろしいまでの自己肯定だ。
白藍は思わず絶句すると、黙って空を仰いだ。
人間、ここまで思い込めるとある意味幸せなのだろう。見習いたいくらいである。
「まあ藍ちゃん、あんまり考えるとハゲるんじゃない?嫌でしょハゲるの。とりあえずさ、再会を祝おうよ」
あっけらかんと言い放った白菊に袖を引っ張られ、白藍は思わずよろめいた。
「おい菊、待て」
「はいはい。話ならあそこで聞いてあげるから」
必死の制止も虚しく、そのまますぐそばで営まれている屋台風の店に引きずり込まれた。
立ち飲み様式の店で、椅子は置いていない。
「おじさん、何かあったかい飲み物くれる?二つね」
入るなりそう注文する白菊に、白藍はため息をついた。
無理矢理人を引き回すのも、勝手に注文を決めるのも、白菊そのものといった行動だ。
白藍にはない部分でもある。
面倒と思いつつ何時までもこの男との付き合いが途切れないのは、自分にない面を白菊に見出しているからかもしれない。
口に出してそう言うときっと調子に乗るだろうから、死んでも言うことはないが。
すぐさま、湯気の立った湯呑みが二人の前に置かれた。手早いのは、客が少ないからだろう。
「藍ちゃんさ、これからの予定は?」
飲み物に手をつけず、白菊はそう聞いた。
眉間にしわを寄せながらも、白藍は正直に答えた。
「少し余裕がある。四日後に次の村へ向かえばいいからな」
「へえ、休みじゃない。何するの?」
自然な流れでそう問い返されたが、白藍は飲み物の乗った台に頬杖をつき、白菊を胡乱げに見遣った。
どうも怪しい。
「聞いてどうする。お前には関係ない」
何を企んでいるかは知らないが、白藍が休日をどう過ごそうが同僚には全く無関係だ。ほいほい教えてやると、とんでもないことになりそうな気がする。
すると白菊は、やれやれという風に肩を竦めた。
「あのねえ藍ちゃん。ただの世間話でしょ?さっきから何でそう目くじらたてるの。聞いてるだけ。俺は藍ちゃんと他愛もない話をしたいだけだよ。友だちの近状聞くのが、そんなに可笑しいことなの?」
真っ直ぐな眼差しで問われ、白藍は思わず言葉に詰まった。
言っていることは真っ当だ。
今の白菊の言葉に皮肉で応酬するのは、どこか間違っている気がした。
少し穿って考え過ぎていたかもしれない。
髪の毛をかきまわし、白藍は片眼を眇めた。
「―――服をな、作りにいくつもりだ」
仕方なくぼそりと答えると、白菊は目を丸くした。
「服?祭事で使う白い浄衣のこと?」
「いや、こっちだ」
そう言い、白藍は自らの袖を示す。
藍色の水干だ。
「ここから少し行ったところに、行きつけの藍染め職人がいてな。足りなくなったらそこで新調してるんだよ」
藍で染めた衣服は、長持ちする。
しかし藍染めというのは、高度な技術を必要とする。そこらの露店で安物を買うと、色褪せたり、破れたりして、すぐ駄目になってしまう。
そうして何度か痛い目に合った白藍は、腕がいいという評判を聞いた今の職人に頼むようになったのだ。
「愛想のない職人なんだが、品物がいい。こないだ一枚破って使い物にならなくなったから、暇のあるうちに誂えておこうと思ってな」
村の子ども相手に遊んでいたら、袖の部分が見事に裂けたのだ。
へえ―――と白菊は興味深そうに頷くと、ふざけるように机を拳でどんどんと叩いた。
「俺はそこらへんで適当に購ってるからなあー。いいなあ藍ちゃん」
仕草といい、言葉といい、完全にガキだ。
呆れたように見ていると,このガキのような同期はおもむろに頷いた。
「よし。俺も何か染めてもらおう」
「却下」
即座に短く一蹴すると、白菊がわめき出した。
「えー!何で!俺も藍染め欲しいっ」
「叫ぶな、うるさい。おい菊、お前やっぱ何か企んでるな?」
旅路に連れ立とうとは、やはり不穏だ。
そもそも,来るかも分からない同僚を三日も待ち続けられるほど,彼我師は暇ではない。何か目的があるはずである。あの真っ直ぐな瞳に騙された。真っ直ぐなのは純粋だからではなく,厚かましいからだ。
「藍染めほ―しーい!ねえ藍ちゃんってば!!」
白藍の問いは綺麗に無視し,白菊は己の欲求のみを目一杯主張し続ける。
―――こいつ,本当にガキか。
本気で白藍は呆れた。
そして対策を考える。相手がガキならば,それ相応の態度に出ればよいのだ。
湯呑みを口にし,白藍はゆっくりと言った。
「交換条件だ。俺を待っていた本当の理由を言え。そうしたら,連れてってやる」
「禅ばあに命令されたから」
ガキのような同期は,あっさりと口を割った。
白状するのがあまりに早かったのと,思わぬ人間の名が出てきたことに,白藍は思わず湯呑みを落としかけた。
「な,禅のばばあだと?」
うん―――と白菊は無邪気に頷く。
「何日か前にいきなり呼び出されてさ。藍ちゃんがどれだけ毒蜘蛛の情報を集めたか,調べて来いって」
毒蜘蛛。
白藍の視界をかすめた,奇妙な薬売りだ。
黄舫堂でも何かを探っているらしい。
だが。
白藍は始末悪げに答えた。
「まだ何も出てきてねえよ」
大体,前回の集まりからひと月しか経っていないのだ。
しかし白菊は驚いたように剣の如き鋭い言葉を発した。
「え,ひと月も経って何も情報ないの?」
片頬を引き攣らせ、白藍は沈黙した。
後手に回っているのは、白藍自身が痛感していた。
だが、何も掴めていないのが事実であった。
旅先の村々でそれとなく村人らに話は向けているのだが、現時点では全くの無収穫である。
「観察方に言って、禅師が俺から情報を遠ざけてるんだと思ってたが・・・。お前がそんなことを依頼されたとなると、どうやら違うみたいだな」
「禅ばあが危惧してるのは、藍ちゃんが情報を掴むことじゃなくて、藍ちゃんが一人で抱え込んで暴走することだからね。監視はつけても情報隠そうとはしないよ」
信用されているのかいないのか、よく分からない。
「でも収穫なしとはなあ。藍ちゃんらしくない」
「俺だって遊んでる訳じゃねえんだよ。前回の集会であのばばあから担当先を増やされたんだ」
旅先で落命した白暁が担当していた村のいくつかを、白藍が任されたのだ。おかげで以前よりも多忙な身の上となったのである。今回の休日は命の洗濯でもあるのだ。
「藍ちゃんを他の幹部から庇うのに、禅ばあも必死なんだよ。なんたって今回も及第ぎりぎりだったろ?ここで厳しくしないと、示しがつかないからね」
冷静な分析を披露する白菊に、白藍は分かってるよ―――、とぼやく。
恩人の配慮が分からないほど、抜けているつもりはない。
「まあ、収穫なしなら、今のところ藍ちゃんに付いて回る必要はないなあ。俺も次の担当先に回らないといけないし」
そう言って白菊が湯のみを口に持っていったその途端。
「ぶっ―――」
飲み物を勢い良く噴き出したかと思うと、白菊が隣で盛大に咳き込み始めた。どうやら飲み物が呼吸器官に入ったようである。
「なっ、なにこれ!」
苦しげに咳を続ける白菊に、店主が不思議そうに答えた。
「何って、シナモン」
さも当然というような店主を、白菊は情けない表情で見返す。
「シナ・・・。え、なに?」
「シナモン。桂皮のことだ。師匠のところで飲んだことがある」
白藍がさらりと付け加える。
店主は嬉々として続けた。
「そうそう。わずかに辛味があるから、体が温まるんだよ。冬はこうやって紅茶に調合して出してるんだ。どう?」
問いかけられた白菊だが、真っ赤になった顔を伏せ、むせていた。
刺激がある分、器官に入ると辛いのだろう。
「え、ちょっとお客さん。大丈夫?」
やれやれと、白藍は不安げな店主に片手をあげ、大丈夫だと合図してみせた。
「菊、これはご宣託だな。俺についてくるとひどい目にあうぞってな」
ぐったりとしている同期の横で白藍はうんうんと自分の発言に頷いてみせると、そのまま勢いよく立ち上がった。茶代を二人分置くと、店主に「俺は好きだよ、シナモン」と声をかける。店主はにやりと笑った。
そして衰弱したような白菊の肩をぽんぽんと叩くと、白藍は飄々とした様子で屋台を去った。
新しい服を求め、そのままその足を目的地へと向けたのだった。