深淵の蒼き天狗 終
頼まれると断れない。
これは白藍の長所であり、自身を面倒に巻き込む短所でもある。
黄昏を待ち、藍色の水干から白い浄衣に着替えた。
「異人、か」
既に事情を聞かされた彼人は、眉を上げて右手を口元に寄せた。
なんと、御神体の鏡を載せた台へ腰掛けている。
あまり行儀の良くない彼人だが、割合、話の分かる方である。
「昔はそれこそ珍しくもなかったがな。文明が衰退し、海を渡る者がいなくなると、あっという間に鎖国状態に逆戻りだ。異人を見る事もなくなった」
鎖国などという言葉を知っている人間ですら、今では少ない。
「この村に入れてやりたい。協力してくれ」
白藍の言葉に、彼人はちらりと白藍を一瞥する。
「別段構わぬがな、しかしそれは私の意志でも村人の希望でもない筈だ。彼我師が祭事以外で勝手な真似をして良いのか?白藍、お前立場が悪いのだろう」
最後の一言で痛い所を突かれ、白藍は片頬を引き攣らせた。
「何で知ってるんだ」
「私に知らぬ事があるとでも?そういえば、この間の集会で、父親代わりの彼我師と和解したようだな」
瓢々と答える彼人に、白藍は嘆息で返した。
彼人と同等に対応できる筈がないのだ。
話を元に戻した方が賢明なようである。
白藍は少し長い黒髪を掻いた。
「報告書には適当に言い繕っておく。それにあの男、貿易の知識があるそうだ。それも異国の制度を基本にした、な。異国の技術は、この村に利益をもたらす筈だ」
こちらの言葉も十分くらい使えるのだから、指南役など容易にこなすであろう。
村人らに母語で話し掛けていたのは、とっさの事でつい口から出ていたのだそうだ。賢いかと思いきや、案外抜けている男である。
ふむ、と彼人は考え込む。
「それで?その異人を溶け込ませる方法は?」
顔をあげて彼人を見ると、白藍は何か企むかのように笑った。
その夜、無事に祭事が終わった村では、大きな宴が開かれた。
広場では大きな薪が焚かれ、大量の食べ物が用意される。火を取り囲むように、多くの村人たちが夜遅くまで談笑した。
久しぶりの御馳走に、白藍も食べ過ぎないよう注意しつつも、賑やかな時間を楽しんだ。
翌日、まだ鳥も鳴かない早朝にも関わらず、何やら騒がしい雰囲気が村中に漂っていた。
寝巻で寝ぼけつつも、村長の屋敷へ泊まっていた白藍は騒ぎの方へ寄った。
「どうしたんだ」
そこには十五人の村人がいた。
十人が興奮し、残り五人は奇妙な表情をしている。
白藍に気付いた村長が、口を開いた。
「白藍殿。それが・・・」
「夢だよ!」
村長の言葉が終わらぬうちに、一人の若い男が興奮したように叫んだ。
「夢?」
「そう!ゆうべ、夢枕に神が現れて、神託をなされたんだ!」
その横で、村長が困惑したように続けた。
「それも、ここにおる十人に同じ神託が下ったようでして」
ほう―――と白藍は興味深そうな顔をして、近くの岩に腰掛けた。
「それで、神はなんと?」
神託を受けたという十人は互いに顔を見合わせ、そのうち一人がゆっくりと呟いた。
「近く、この村は大きな福に恵まれる。そのためには布石が必要となる。異形の者を村に住まわせよ。幸こそあれ、禍いは起こらぬ。―――そう言われた」
「異形の者?何の話だ?」
聞いた白藍は、そう言って首を傾げてみせた。
何とかなりそうだ。
数十日後、ある村へ行く途中。
針のように細やかな小雨が、さらさらと地上へと注いでいた。
道の屋台で粥を啜っていた白藍は、隣の座った二人の男の会話を耳にした。
「聞いたか。東の方の村に、天狗が棲みついたらしいぞ」
「天狗だって?馬鹿言うなよ。何の話だ」
「いや、本当らしい。反物を売りに行った光次が見たんだ」
「光次?あいつはいつも話を膨らませるだろう。またどうせホラだな」
信用しない連れに、男は不満げに眉をひそめた。
しかし、これ以上言っても無駄だと思ったのか、諦めたように粥を啜り出した。
食べ終えた白藍は立ち上がり、吊るされている籠に料金を入れる。そして、暖簾を上げると、肩越しに振り返る。
「嘘ではない。その天狗、貿易の指南をしているらしいぞ」
いきなり声をかけた白藍の言葉に、二人の男はぽかんと口を開けたまま白藍を見上げる。
白藍はにやりと笑みを向けると、心地好い小雨の道を瓢々と歩んでいった。