深淵の蒼き天狗 二
村へ入った白藍は、予想通りの噂を耳にした。
「天狗さまが棲みついてなさるんだ」
水田で稲の世話をしていた男が手を止め、真面目な顔で答える。
白藍の見間違いではなかったのか。
水田の傍にある岩に腰掛けていた白藍は片頬を引きつらせ、更に聞き出す。
「何時からだ?」
「あれは・・・そう、半年前かね。あんたが去ってから半年後だったから」
「村ではどう対応してるんだ?」
「別にどうも。無闇にかかずらって呪いでもかけられたくねえからよ。できるだけ近づかねえようにしてんだ」
「呪いって・・・」
思わず苦笑する。
天狗という概念が成立するまでには、多くの変遷があった。
しかし元々は彗星を狐になぞらえたものであり、基本的には悪者ではない。
悪戯こそすれ、無害の人間に仇なすような存在ではないのだ。
白藍が森で固まったのは、呪いを恐れたからではなく、天狗という人ならざる存在を己が眼で見てしまったからである。
「話しかけられた村人も何人かいるんだが、どうも天狗は天狗の言葉を操るらしい。人の言葉とは全く違って、そりゃあ奇妙なんだと。みな、恐くなって逃げてくるのさ」
礼を言い、白藍はぶらぶらと村中に足を向ける。
―――関わるべきか。
迷っていた。
今の男の話を聞く限り、あの天狗とみなされている者は村に害を与える存在ではない。今のところは放っておいても問題ないだろう。
だが、本質は見極めなければならない。何か目的があって森に棲んでいるのか、今後村と接触する可能性があるのか。
つまり。
ため息をつき、白藍は乱暴に頭をかいた。
「・・・戻るか」
祭事にはまだ時間がある。
しぶしぶ森へ戻りつつ、白藍は反問する。
ここまで彼我師がすべきなのだろうか。
厳密に言えば、彼我師の仕事は祭事を執り持つだけだ。
しかし、この天狗を無視しても、結局は彼人から接触を押し付けられるのは眼に見えて分かっていた。結局は、祭事の前に自発的にやるか、祭事の後に強制的にやるかの違いである。
村の境界を跨ごうとした所で、鍬を背負った中年の村人に出会った。
懐かしそうに笑いかけられる。
「どうした白藍、忘れもんか?祭事には帰って来いよ」
片手をあげて返事をし、白藍は森へ向かった。