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彼我師 ~藍編~  作者: 貴浪
黒よりいでし藍
1/26

焔の月

 雪が舞っていた。

 山には生命の気配がなく、全ての音も雪に吸収されている。


 完全な、孤独だった。


「・・・寒いな」

 一人呟くと、男は首に巻いた長い布に顔を埋めた。

 纏った水干は藍の色。首元でざんばらに切られた黒い髪に、時折雪が降りかかる。

 真冬には、少し的外れな服装であった。

「人を呼ぶにしても、ちったあ季節を考えてくれよな。このままじゃ、辿り着く前に凍え死ぬぞ」

 ぶつぶつと文句を口にしつつも、男は足を目的地まで動かしている。

 偉丈夫でも華奢でもない、しかし一目見て男だと分かる位の体つきの男だった。

 突如、木の枝から雪の塊が男の頭に落ちてきた。

 頭上から雪まみれとなった男はその場で足を止め、眉間に皺を寄せる。

 そして、はあ、と大きく一つの溜息を吐き出す。

「ま、自然の理だ」

 あまり、引きずらない性質のようである。

 こざっぱりとした表情で、そのまま再び歩き出そうとした。

 しかし、持ち上げた顔が、あるものを見下ろしていた。

 男の顔に、僅かな笑みが浮かぶ。

「―――やっと、か。凍え死には、取り敢えず回避したな」


 視線の先の麓には、目的地の小さな村が広がっていた。





 入った瞬間から、そうと分かる程の陽気な雰囲気であった。

 祭事、である。

 神と人とが、唯一意志の交流を図る事の出来る大事な日。

 農作業の時期でもない為、村人が総出でこの行事に携わっている。

「兄さん、余所者かい?」

 声を掛けられ、男は片手を挙げ軽く応じる。

 そのまま、ふらふらと村中を歩き回り、田の脇にある岩に腰掛けた。

 煙管を懐から取り出しつつ、男は少し眼つきを変える。

 ―――子どもの数が、少ないな。

 村を一周して、男が見た子どもは数える程しかいなかった。

 人口が全体的に少ないのではない。童の数が突出して足りていないのだ。

「もし―――」

 顎に指をあて物思いに耽っていると、背後から老人の声が男を呼んだ。

「あ?」

 気張らず返答して振り返り、男は一瞬ぎょっとする。

 知らぬ間に、男の後ろには大勢の人間が集まっていたのだ。

 驚きの余り言葉が続かない男に、老人は枯れた声で言った。

彼我師(ひがし)白藍(はくらん)殿、でございますな?わざわざのお越し、村を代表してお礼申し上げます」

 こちらの名を知っていた事で、男―――白藍はこの状況の理由を呑み込んだ。

「ああ、あんたが村長か。俺に手紙を寄越したのも、あんただな?」

 白藍の問い掛けに、老人は炯々 と光る瞳を向けたまま、ゆっくりと頭を下げた。





 彼我師(ひがし)、という。

 祭事において、神と人の仲を執り持つ者。

 所属は後見所。

 中央勢力の朝廷とは関係を持っていない。後見所は、あくまで彼我師たちの組織だ。今まで幾度か、その力を畏れた朝廷が後見所を潰そうと手を伸ばした。

 彼我師は神に最も近付く存在である。人々が彼らを信望、崇拝するのは至極当然と言えば当然の成り行きである。

 しかし、朝廷が彼我師を完全に下すことは不可能であった。彼らが存在しなければ、神は己の意志を人に伝える事が出来ぬからだ。神と人が互いの意志を伝えられねば、それは世界の不均衡を意味する。

 神と人、つまり彼と我との間に入り、巧く双方の言い分を調整するのが、彼我師と呼ばれる者たちの務めである。

 村の最奥に位置する御堂は、鬱蒼とした木々に囲まれ、何処となく雰囲気が思い。御堂の前で待機するのは村長と、他数名の村人だけである。他の者たちは、皆何も知らずに祭りを楽しんでいる最中だ。

「鏡の間には、誰も入らんで下さい。大抵の神は、祭事の最中に第三者が介入する事を嫌うんでね」

 頷く村長を見届け、藍の水干から着替えた白藍は鏡の間と呼ぶ御堂へと消えていった。その身には、浄衣を纏っている。唯、通常の浄衣とは違い、白いのは上の単だけで、袴は普段と同じ藍色だ。

 外は、段々と暗闇が迫ってくる時刻である。陰と陽が調和する刻。

 所謂、黄昏時であった。

 一の扉を潜った所で、白藍は立ち止まっていた。目の前の二の扉を超えると、そこは鏡の間、―――神の坐す聖域である。

 つまり、白藍の居る場所は、神と人との境界だ。

「祭事には持って来いの時間だな」

 手紙で呼ばれた理由は、特に聞かなかった。

 どうせ、これから事の次第が明らかになってくる。

 見当もついていた。

 あの、子どもの少なさは異常である。人の為せる技ではない。

「どちらにしろ、当人に聞いた方が速い」

 白い息を吐き、白藍は無造作に二の扉を開け放った。

 足を踏み入れた途端、白藍は体中に冷気が纏わり付くのを感じ取る。

 ―――探ってやがる。

 目には見えぬ何かが、白藍を窺っている。

 構わず白藍は部屋の中央に座した。

 姿勢を正し、すっと目の前にあるものを見据えた。

 鏡の間と呼ばれる通り、部屋には神体としての鏡が祀ってある。

 その神体には、龍の彫り物が施してあった。上からは、鏡そのものが隠れないように緋色の布がかけられている。

 ―――龍?旱魃対策で祈雨の為か。いや、緋色の布は火を表す。と言う事は、昔大火でもあったのか。水克火の原理を用いているんだろうな。この村には五行を操る知識人がいるのか。

「不遜な彼我師だ。鏡の間で何時もそのように漫ろな心持ちで挑んでおるのか」

 少し苛立ちを含んだ声が、遠くと近くの両方から響いた。

 指摘され、白藍は驚く事もなく罰が悪そうに苦笑して頭を掻く。

「悪いね。こういうのが好きなんだ」

 つい夢中になっていた。

「民俗学とかいう奴か。彼我師らしからぬ趣味だな」

 その声と共に白藍の斜め前の部屋の隅に、腕を組んだモノが姿を現した。

 はっきりとした姿は見えない。唯、ぼんやりと、その空間に人の形を模した霧のようなものが生じるのだ。

 しかし姿は明確でなくとも、その不機嫌そうな様子が気配から感じられる。

 白藍は素直に頭を下げた。

「悪かった。あんたと初対面だって事、忘れてたんだよ」

「お前、彼我師の中でも異端、と言うよりはみ出し者だろう。孤立してるな?」

 容赦の無い指摘に、白藍は益々苦笑を浮かべる。

 それには答えず、背筋を伸ばした。

「彼我師、白藍だ。宜しく頼む。早速だが始めようか、彼人」

 呼ばれた神は、それを境に不快の気を鎮めた。

 神とは人の呼び掛ける名称。

しかし彼我師はそれらの存在を、彼岸の人、―――彼人と称する。

一方、神は人間を人と呼び、彼我師は我人と称す。

「何故、子を減らす?」

 何の婉曲もないその言葉に、彼人も真っ直ぐ答えた。

「食えなくなるからさ」

 簡潔そのものだった。

 あ?―――、と首を傾げる白藍を見て笑い、彼人は付け加える。

「山の命が尽きかけてる。気付かなかったか?―――直、村を巻き込んで死ぬ」

 今まで瓢々としていた白藍の表情に、すっと厳しいものが浮かんだ。

「―――鉄砲水か?」

「賢いようだな、彼我師よ。だが、答えは否、だ」

「では―――」

「山の死が、自然によるものとは限らぬだろう」

 意味深長な言葉だった。

 質問に対する答えではない。

 つまり、自分で考えろという事か。

 事が簡単でないと悟った白藍は、面倒だとばかりに片目を眇め、右膝を立てた。

 儀式故に精一杯誠意を尽くした態度を取っていたが、話の煩わしさに本来の態度が出たのだ。

 顔を下げて頭を掻き、暫し考える。

 そして手の動きを止め、すっと彼人を見据えた。呟くように低い声で問う。

「あんたも村と共に消え去るつもりか?子を減らしていくって事は、自分を信望する人間を無くす事と同義。つまり、村人がいなくなればあんた自体が消え去るんだぞ」

 神とは人があってこその存在である。

 自らを信じる人が消滅すれば、神もまた同時にこの世から霧散する。

 それは事実上、神の死だ。

 彼人は唯、告げた。

「この村から去れ、彼我師。そなたは此処に不要だ」

 その瞬間、形を為していた霧が、四方に散っていった。

 気配も去ったのが、白藍には分かった。

「・・・勝手だな。神って奴は」

 彼我師としては分かりきった事である。

 まずは探るか―――、と白藍は大儀げに立ち上がった。





「山に変わった事?さあなあ。何時もとおんなじじゃねえかな」

 樵の男に聞くと、のんびりとした答えが返ってきた。

 だよな―――、と白藍は樵の横に腰掛けて煙管をふかす。

 藍の水干が、風にそよぐ。

 寒いが長閑だった。

 昨日の祭りを終え、人々は何時もの日常へと戻っていた。

 とは言っても、農作業の出来ない冬だ。村人の多くは、各々の家に篭り、春へ向けて準備をする。外は、夜のように静かだった。

 わざわざ外へと呼び出された樵は、くしゃみをして鼻をすすった。

「雪の量も変わんねえし、動物どもは冬眠してるし・・・。でも何でそんな事聞く?」

「いや、ちょっと野暮用でな」

 そう言葉を濁した。

 神の言った事をそのまま村人に伝える訳にはいかないだろう。

 神事の後、白藍は村長にありのままを話した。

「山が村を巻き込んで死ぬ―――、ですか」

 暗い表情の老人に、白藍は一瞥を寄越した。

「そうは言ってたが、確かとは言えません。神ってのは、人では推し量れない所がありますからね。余り、丸呑みにせん方が良い」

「しかし―――、子どもらは確かに減っております」

 ぽつりと老人はこぼした。

 暗闇の中、蝋燭の灯りがゆらりと動く。

 黄昏時は過ぎ、外は完全に闇が支配している。

 部屋には老人と白藍の二人だった。他の若者たちは既に家へと帰されている。余計な情報が流れ、村中が恐慌に陥る事を恐れた白藍の配慮だった。

 かん、と白藍は吸っていた煙管を煙草盆に打ち付けた。

「それが俺を呼んだ理由ですか」

「既にお気づきでしょうが、童の数が奇妙な程に少ないのです」

「ここ最近、凶作だった、という事は?」

「ございませんな。逆に豊作だった位です」

 故に―――、と老人は溜息をついた。

 代わりに白藍が言葉を継ぐ。

「原因は神だろう、と?正しい推論でしたね」

 確かに、この奇妙な現象は彼人が引き起こしている。

「山の事であれば、樵たちに話を聞くのが宜しいと思います。彼らは冬でも定期的に山へ入っておりますゆえ」

「明日にでもお願いしますよ。これからじゃ迷惑でしょうから」

 自然が原因とは限らない。

 彼人はそう言った。

 何を言いたいのか、そこまでは白藍にも分からなかった。

 しかしいずれにしろ、動かねば情報は手に入らない。手始めに、という事で白藍は樵に話を聞いたのだった。

「なあ、他に山に詳しい人間っていねえか?樵以外で」

 無謀な問いをしてみる。彼我師が神についてそうであるように、樵は言わば山の専門家なのだ。

 すると男は、いるよ―――、と即答した。

火乃(かの)という娘だ。あいつは山に住んでるようなもんなんだ。俺たちが迷うような山奥でも、火乃なら楽勝さ。あいつなら、あんたが知りたい事も知ってるかもな」





 白藍(はくらん)は、息があがった。

 呼吸が苦しい。

 ついに足を止め、白藍は前方の遥か先を行く女に声を掛けた。

「おいっ、ちょっと待ってくれ。足がもう動かん」

 情けない声に、朱色の布で長い黒髪を結った女が無表情に振り返る。

「彼我師だろう?常に村々を移動してるから、体力はある筈だぞ」

「あんたが異常な位に強いんだよ。・・・何か呼吸する度に肺の味がする」

 呟き、白藍は気の幹を背に座り込んだ。

 それを見た火乃(かの)は、呆れたように目を細めこちらに近付いてくる。

 白藍の目の前まで来ると、疲労仕切った男をじっと見下ろす。

「肺、食べた事あるのか?」

 本気らしい問いに白藍はあ?―――、と顔を上げる。

「ないさ。鶏だろうが牛だろうが、俺は内臓系が嫌いなんだ」

「食べた事がない味が分かるのか?」

「何となく、だよ。―――面白いな、あんた」

 白藍は担いだ布袋から煙管を取り出しつつ笑った。

 樵に紹介された火乃は、山について知りたいと白藍が切り出すと、愛想笑いもせずに黙って冬の山へと分け入っていった。黙ってついて来た白藍だったが、この通り、完全敗北である。雪は止んでいるが、積もった雪は歩を進める白藍の体力を奪った。

 深々と煙を吸い、白藍は改めて目の前で立ち尽くす若い女を見た。

 表情らしきものが一度も浮かばない顔だが、しかし瞳の色は優しいものがある。

「なあ火乃。山に住んでるって聞いたが、本当か?」

 煙が火乃にかからぬよう横を向いて吐き出し、白藍は聞いた。

 火乃は立ったままである。

「昔はそうだった。今は村で暮らしてる」

「そうか。だから山に詳しいんだな」

 軽くそう答えたが、白藍は遠くを見た。

 ―――捨て子か。

 村人が山で育つ理由など、一つしかない。口減らしだ。

 しかし大きくなって一人でも食い扶持が稼げるようになった為、村に住む事を許されたのだろう。都合の良い事だ。

 ぶっきらぼうな口調も、人との不器用な距離のとり方も、幼い頃に長い間、人間と接触しなかったが故の結果だ。

 火乃―――、と白藍は名を呼ぶ。

「連れの人間が休息をとっていたら、一緒に座るんだ。出来るだろう?」

 促され、火乃は訝しみつつもその場にぺたんと腰を下ろした。

 しかし白藍のすぐ目の前である。

真っ直ぐな視線が、白藍を見詰めていた。

「あー・・・」

 無意味な言葉を発した白藍は、頭を掻いて視線を逸らした。

「火乃。・・・近い。・・・あのな、男には少し距離を保って行動するもんだ」

「相手が女だったら近くても良いのか?」

「・・・そうだな。男よりは良いかもしれんが、それでも多少は離れた方が好ましいだろうな」

 上手く説明出来ていないのが自分でも分かる。何故男とは離れるのか、と問われでもされたら、と白藍は内心引き攣っていた。

 少し眉間に皺を寄せ、火乃は考え込んだ。

「人と生きるのは、難しい」

 白藍は再び横を向き、煙をゆっくり虚空に吐き出す。

 そして、火乃の頭を無造作に撫でた。

「ゆっくり、成長していけ。遅い事は何もないさ。お前の速さで良いんだ。辛けりゃ、ここに息抜きしに来ればいい」」

 白藍が掛けられる、精一杯の言葉だった。

 何の濁りもない瞳を向け、火乃は小さく頷いてみせた。

 その顔に、先程までにはなかった人間らしさが見えたような気がした。

 煙管を咥えたまま口元だけでにやりと笑み、白藍は立ち上がる。

「行くか。早いとこ原因を探らねえと、神がへそ曲げるからな」

「人がいる」

 何の脈絡もない短い台詞に、立った白藍は座ったままの火乃を見下ろす。

「何だ?火乃。どういう意味だ」

 動悸が早まるのを感じる。

 風が吹き、火乃の朱色の髪留めが揺らぐ。

 火乃は白い息と共に、素直に核心へと白藍を導いた。

「村の人たちが誰も知らない場所。其処で知らない人たちが何かしてる」





 火縄銃が目の前に投げ置かれた。

 銃の山が二つ、出来上がっている。

 それを機に、その場にいる全員の気配が膨れ上がるのが分かった。

「揃ったな」

 男が声に出すと、ざわざわと興奮に満ちた男たちが各々囁き始めた。

 火縄銃の山を囲むように、円を描いて全員が丸太に腰掛けている。

 誰もが、野獣の如く荒んだ格好だ。

 一目で、山賊だと分かる。

 頭領らしき男の横に座る別の男が、心配そうに耳打ちする。

「でもな、もう少し時を待った方が良くないか?たかが村だと言っても、あっちは五十数人、こっちは八人だ。幾ら武器があっても―――」

「何言ってんだ。数は負けてても、これだけ銃があるだろ。しかもあっちは丸腰の暢気な農民だぜ」

 だが―――、と男は食い下がる。

「昨日、見知らぬ男が一人、あの村に入っていったらしいじゃないか。余所者だ」

「だから何だよ。一緒に殺せばいいだけだ。弱そうな男だったしな。農民には見えなかったが、どうせ流れ者だ」

「誰が弱そうだって?」

 叢を分け、藍の水干の一人の男が何の躊躇いもなく輪に入って来た。

 一瞬の沈黙の後、誰もが慌てふためいた。

「だっ、誰だお前っ!」

 混乱した場の雰囲気が読めないかのように、藍の水干の乱入者は至極当然と言った風に答えた。

「そりゃあ、こっちの台詞だ。あんたたちか、彼人の不興を招いた原因は」

「かれびと?誰だそれっ」

「説明する義理はねえよ」

 兎に角―――、と男はけだるそうに腕を組んで言った。

「さっさと此処から出てってくれないか?その方があんたたちの身のためだと思うが」

 先程から意味の分からない事を抜かす男だ。

 冷静を取り戻した一味は、それぞれの手に火縄銃を持ち始めた。

「何だ、こいつ」

「寝惚けてんのか?てめえ。自分の立場が分かってねえようだから教えてやる。―――これ以上余計な口挟むと、これでてめえの土手っ腹に風穴開けるぞ」

 頭領の言葉に、男らは手にした武器を真っ直ぐ乱入者へと向けた。

 しかし、男は動揺する事もなく、あろう事か呆れたように横を向いて嘆息した。

「分からん奴らだな。困るのはあんたたちだぞ」

 山賊らはせせら笑った。

「負け惜しみか?後悔ならあの世でするんだな」

「この場を見られた以上、生かして帰す訳にはいかねえからよ」

 自然と水干の男を囲む。

 男は困ったように頭を掻いた。

「今更命乞いしても遅えぞ」

 輪が一歩分、狭まった。

 その時。

 きゅるる、という奇妙な音が鳴り響いた。

「は?」

 山賊らは眉を顰めて音の出所を探る。

 一人が腹を押さえて片膝をついた。

 仲間がそれを不審がる。

「?おい、どうし―――」

 次の瞬間、先程響いたのと同じ奇妙な音が、幾つも同時に聞こえた。

 そして、山賊らは一斉に地面に座り込んでいった。

 奇妙な音は、猶も続く。

 何が起こったのか、本人たちも分からない。

 ただ。

「は、腹が・・・」

 誰もが脂汗を流していた。

「あー、これ喰ったのか」

 何時の間にか水干の男が隅にあった鍋の中身を覗きこんでいた。

 今日の昼飯である。そこ等に自生していたキノコを煮込んだものだ。かさが大きく、茶色いキノコだ。

 山賊らは、嫌な予感がした。

「おい、まさか・・・」

 男は、あくまで瓢々と告げた。

「これ月夜茸っつってな、毒があるんだ」

「―――っ!!・・・嘘だろ」

 絶望に飲み込まれる山賊らを横目で見つつ、男はしゃがんだままキノコを持ち上げてみせる。

「平茸に似てるから、よく中毒起こす人間がいるんだが」

 そして男は笑った。

「ま、残念だったな。運がなかったって事だ」

 無言の後悔が嵐の如く襲うのを、男は苦笑しつつ眺めていた。

「火乃、もういいぞ」

 奥から女が現れた。

「悪いが、村に下りて男を十人位、呼んで来てくれるか?」

 火乃と呼ばれた女は、無言で頷きその場を風のように去っていった。

 苦しむ山賊も意に介さず、男―――白藍は丸太に腰掛けて煙管をふかし始める。

 ふう、と煙を吐き出すと、白藍は言った。

「心配するな。一日もしたら、毒は自然と抜ける。よくある中毒だが、死ぬ人間は滅多にいない」

「馬鹿みてえ・・・。何の為にこの三年準備して来たんだよ」

 腹を押さえて倒れている男は、呆然とした様子で呟いた。

 その横で蹲っていた頭領が顔を上げ、白藍を睨んだ。

「思い出した。さっき彼人って言ってたな?てめえ―――、彼我師だな?」

「ああ、そうだ」

 そっけなく答えた白藍は、静かに頭領を見下ろす。

 彼我師が神を彼人と呼ぶ事は、あまり公には知られていない。知っている人間は、彼我師かある程度の知識人に限られるのだ。

 白藍の視線に気付き、男は自嘲するように口を歪めて笑う。

「何だよ。意外か?―――俺は地主の息子だったからな。彼我師についても少しは知ってるぜ。てめえらが、朝廷にとって目障りだってのも、貴族たちには人より妖怪に近い存在って見下されてるって事もな」

「地主の息子が、何でこんな山賊まがいな事やってんだ?」

 最後の悪口を軽く聞き流し、白藍は問う。

 へっと男は中毒に苦しみつつも悪態をついた。

「どいつもこいつも、うるせえんだよ。礼儀だの、立場だの。そんなの俺の知った事じゃねえ。俺はやりたいようにやるだけだ。あの家に生まれたくて生まれた訳じゃねえ」

「毒にあたってそれだけ好き勝手言えりゃあ、充分だな」

「うるせえ」

 不気味な程冷静に煙管をふかす白藍は、暫しの沈黙の後呟いた。

「さっきの女はな、口減らしで山に捨てられたそうだ。それが、大きくなって生き延びたってんで、村で暮らしてる」

「・・・だから何だ」

 いや―――、と白藍は答える。

「皮肉なもんだ、と思ってな。家が嫌で自分から飛び出す奴もいれば、自分の両親も知らずに捨てられる奴もいる」

 男は黙り込んだ。

 白藍が攻める口調で詰れば男も反発する。

 しかし、白藍はただ事実を語っているのだ。

 最後の煙を吐き出した白藍は、それから静かに空を見上げた。

 ただただ、蒼い空間が続いている。

「やり直せ。真っ当にな。もういい齢なんだ。甘えんなよ。お前には迎えてくれる家族がいるだろう」

 遠くから、村人たちの声が聞こえてきた。





 村長の屋敷である。

 昼間の大騒動の後だ。

「しかし、本当に彼らを検非違使に突き出さないおつもりですか?」

 わらじを履く白藍の背に老人が問うた。

「あなた方にお任せしますよ。したいと思ったら、牢にぶち込めばいい。しかし、もう同じ事をする可能性はないと思います。秩序を守るのが検非違使の役目。立ち直る人間を突き出しても、無意味だ」

 はあ―――、と老人は頷く。

「あなたがそう仰るならば、そう致しましょう。何しろ、この村の恩人だ」

 それを聞いて白藍は苦笑する。

 恩人、と呼ばれる筋合いはないように思えるからだ。

 山賊や村人たちと山を下りた後、白藍は真っ直ぐ鏡の間へと向かった。

 しかし、白藍が口を開く前に、彼人はこう言った。

「上手くやったな、彼我師」

 結果を見越していたようなその物言いに、白藍は呆れたように問う。

「あんた、はなからこうするつもりだったんだな?」

 子どもの数を減らしたのは、村が消える事を知っていたから。

 村が消えるのは、山に異変が起こったから。

「あんたは山賊から殺される位なら、自分の手で村を消してしまおうと思った。だから、童を少なくしていき、村に住む人間が将来的にいなくなるように画策した」

 そこで白藍は長く伸びた前髪の下から、不思議な光を纏う瞳で彼人を見据える。

「可笑しいだろ。あの山賊は今にもこの村を襲おうとしてた。だが村の人口はまだ充分に多い。あんたの目論見は達成されない」

「だから?」

 面白そうに彼人は先を促す。

 からかわれているような気もするが、白藍は端的に答えた。

「子どもの数をいじったのは、俺を此処に呼び寄せるためだろ?彼人さんよ」

「彼我師なら誰でも良かったがな。お前みたいな奇妙な奴が来たのは想定外だったさ」

「月夜茸もあんたか」

 あぐらをかいて序でとばかりに白藍は問い掛けた。

 白藍に武術の心得はない。相手は多勢の山賊である。白藍一人で勝てる見込みは皆無だった。しかし、白藍は心の何処かで察していた。何かが、起こる筈だと。

 その結果があの毒茸である。

 すると彼人はくくっと喉の奥で笑うような気配を見せた。

「さあな。だが忘れるなよ。私が動くという事は、それは人間が同じ事を望んでいる事と同義だ。我々は人間抜きには存在し得ぬ生き物だからな」

 今度来たら名を憶えてやるよ―――、と彼人は勝手気儘な事を言って一方的に話を切り、そのまま霧散した。

 子を減らすという異変を起こし、村人に彼我師を呼ばせる。

 そして、その彼我師に村を襲おうとしている山賊を退治させる。

 回りくどい事、この上ない方法だったのだ。

 事の一部始終は、村長だけに報告した。村人らにとって、子が減ったという異変と山賊の件は別物である。説明してどうなるものでもないし、神の人には理解しがたい行動を知らせると、人は神に対する嵩敬よりも畏怖の感情の方が勝ってしまうからだ。

 じっと白藍の背中を見詰めていた老人が、ふと疑問を口にした。

「しかし何故、神は自ら山賊どもを追いやらなかったのでしょう?子らを減らし彼我師を呼ばせる事などせずとも、御自分で山賊を排除すればよろしいだけなのではないのでしょうか?」

 わらじをはいた白藍は首に大きく広い灰色の布を巻く。

「神は人の意志がなくては存在し得ないし、人の意志なくては行動もしない。人間がこの件に関わろうとしなけりゃ、あいつは自分から直接手を出す事はしたくなかったんでしょう」

 神としての一種の矜持のようなものであろう。

 ま―――、と白藍は肩越しに振り返って笑った。

「あんたたちも俺も、あいつの掌の上で遊ばされてたって事さ」

 そう締め、白藍は立ち上がった。

「世話になりました」

 今にも出て行きそうな様子に、老人は眉を顰める。

「本当に泊まっていかれないのですか?外は雪ですよ。山越えにはつらい」

「あまり一所に長居しないようにしてるもんで。彼我師は流れるのも仕事の内ですからね」

 言い、白藍は頓着せずに戸を潜った。

 外は老人の言う通り、雪が舞っていた。

 寒い山越えとなりそうである。

 凍死するかしないかは、この村の神が握っているのであろうか。

 ああそうだ―――、と白藍は思い出したように振り返る。

 戸口で白藍を見送っていた老人に頼んだ。

「火乃の事、気にかけてやってくれませんかね?真っ直ぐで良い子だ。人との関わり方に慣れれば、直に村人らとも溶け込む」

「会っていかれないのですか?」

「火乃に必要なのは過去じゃない。これからだ」

 頼んだぜ―――、と背を向けつつ片手を上げ、白藍は暗闇へと溶けていった。





 山の入り口に立ち、白藍はうんざりしたように目の前の坂道を見上げた。

 好意に甘えてもう一夜滞在する手もあった。しかし、もう自分はこの村にいる意味がない。

事が片付いた後、理屈ではない何処かで、何時もそれを感じるのだ。

 勘、というやつである。

 それに、彼我師は何らかの形で騒動の種となり易い。村にとっても、彼我師が長居するのは利とならない。

 意を決し、一歩踏み出した時。

 白藍は視界の隅に、何かが映り足を止める。

 古木に何かが巻き付けてあった。

 近付き、それを手に取る。

 朱色の髪留めである。

 其処に人の姿はなかった。

 手を伸ばして結びを解き、代わりに自分の首巻きを括りつける。

 髪留めをどうしたものか手の中で弄ぶ内、首に冷気が直接纏わり付き白藍はくしゃみをした。

「・・・寒いな」

 同じ台詞を、来る時にも呟いた気がする。

 結局髪留めを懐に入れ、白藍は口元だけで自嘲するように笑んだ。

「こりゃあ、風邪引くな。絶対」

 一人ごちて歩んだ後の足跡は、静寂の雪が隠していった。

 全ては雪が覆い、無へと誘う。

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