カーネ森林 調査開始
――それから一時間後。
いよいよカーネ森林の調査が始まった。
事前の打ち合わせ通り、北側をヴォルグ一行が、南側をアルスとレンがそれぞれ担当することになった。
土地勘のあるアルスを中心に固まって行動する案もアルスは考えていたが、あんなことが起こったあとでヴォルグ一行と共に行動するのは難しいだろうということで提案には至らなかった。
二手に別れたとしても広いカーネ森林を調査し切ることは難しいため、日帰りで町に戻ってこられる範囲に絞ることにした。
本当ならばもっと冒険者を雇って人手を増やすべきなのだろうが、町長いわくこれ以上費用を出すのは難しいらしい。
(ヴォルグ達との契約期間は三日……短いな。余程効率良くやるか、運が向いてこなければ何も分からないまま終わりそうだ)
そうなれば王国騎士団に相談することも考えなければならないだろう。
騎士団は王家直属の治安維持団体であり、冒険者とは違って報酬を用意すれば動いてくれるような存在ではない。冒険者が雇われ傭兵なら、騎士団は国家の武力組織だ。動かすにはそれなりの理由が必要となる。
町で出来る限りの努力をしつつ、それでもどうにもできなかった旨を伝えれば動いてくれるかもしれないが、そればかりはアルスにも分からない。
また、ゴブリンの大量発生はただの偶然か一時的なもので、取り立てて特別な原因が無いということだってあり得る。それならば増えすぎたゴブリンを間引くことになるだろう。それはそれでかなりの労力がいりそうだが。
(まぁ、どうするかは三日後にまた考えればいいか。今あれこれ考えてたって仕方ないしな)
アルスは森の中を進む。
今のところ特に変わった様子はないが、油断は禁物だ。ゴブリンに限らず、どこから魔物が飛び出してくるか分からない。ここはもう人間のテリトリーではないのだ。
「……ねえ、アル」
レンがアルスの袖を軽く引っ張る。
「あんなの気にしなくていいからね?アルがみんなに頼りにされてるってことは、町の人たちの様子を見ればよく分かるし……。大きなことを成し遂げるのもいいけど、助けを求める小さな声に一生懸命向かい合うのも大切だとボクは思うな。それが雑用みたいなことだったとしてもさ」
レンは心配そうな顔でアルスを見上げる。
何のことを言っているのか分からなかったアルスだったが、すぐに理解した。
(うーん、ずっと黙ってたからヴォルグに言われたことを気にしてるって思われたのかな)
「大丈夫。別に何も気にしてないから、心配するな」
考え事をしていて黙っていたせいで、ヴォルグに言われたことを気にしていると思われたのだろう。
実際は気にしていないし、気にするようなことでもない。
「そう?それならいいんだけど……」
「……奴みたいに自分を高めるために冒険者やってる奴もいれば、地位とか名誉のためにやってる奴もいる。ただ暴れるのが好きな奴もいれば、俺みたいに辺境でのんびりやってる奴もいる。冒険者としての在り方なんて人それぞれなんだから、誰に何言われようが関係ないさ。自分のやりたいようにやればいいんだよ」
依頼の少ない辺境の町で冒険者をやるなど、向上心が無いと言われればその通りかもしれない。
だが、それでもアルスはレイン・カルナという町が好きだ。この町で冒険者として暮らしていくのが好きだ。【勇者】としての記憶を取り戻して平和を肌で感じられるようになったおかげか、より一層そう思うようになったかもしれない。
魔王を倒す、世界を救う。その重い責任から解放され、平和になった世界で第二の人生を謳歌する。それが今のアルスの生きる道だった。
「……そうだね。うん、ボクもそう思うよ」
アルスの言葉を噛み締めるように、レンはゆっくりと頷く。
「……とはいえ、やるべきことはちゃんとやらないとな。レン、何か変わったものや変わったことがあったら教えてくれよ」
「任せてよ!どんな魔物が出てきても、ボクが全部やっつけるから!」
はりきった様子で前へ進むレン。
その背中を追いながら、アルスは再び思考をめぐらせる。
今度は仕事のことではなく、レンのことについてだ。
(……ヴォルグが怒って突撃してきたとき、レンは間違いなく斬り伏せるつもりだった。下手したら大怪我を負わせてた可能性もあるな。そんな事をする奴じゃなかったはずなんだけどな)
ヴォルグが憤怒したように、レンもまた静かに怒っていた。あの場で剣を振るうことに何の躊躇いも感じられなかったほどに。
ヴォルグもかなりの実力者だろうが、レンもランクに合わない力を持っている。ポルカが止めていなかったらどうなっていたか、あまり想像したくはない。
「依頼を受けて来たら、そこに滞在する冒険者に大怪我を負わされました」などということになったら、アルスやレンだけではなくレイン・カルナという町全体の評判を地に落とすことになる。
さすがにそんなことも分からないレンではないはずだが、それが頭から抜け落ちる程怒りを感じていたに違いない。一時の感情に振り回されて周りが見えなくなることはよくあることだが、それが時には取り返しのつかない出来事に発展する場合もある。
怒りに我を失うなど【聖女】では考えられないことだったが、過ごしてきた環境が異なれば人は変わるということだろう。
(何かやらかす前に、ちゃんと注意しといたほうがいいか)
「なぁ、レン――」
「――危ないっ!!」
ドウッと空気が震えたかと思えばレンが目で追えない速度でアルスの横をすり抜け、空気を切り裂く音を鳴らす。少し遅れて濁った悲鳴のような声が二重に聞こえた。
振り向くと、そこにいたのは倒れた二体のゴブリン。胸を水平に斬られた彼らは、最後の力で天に腕を伸ばして絶命した。
「ふぅ。さっそく出てきたねゴブリン。アル、大丈夫?」
「あ、ああ……」
レンがいなければまたしてもゴブリンにやられていただろう。どこから飛び出して来るか分からないというのに、余計なことを考えていたせいで周辺の警戒を怠っていた。冒険者としてあるまじき失態だ。
「ならよかった。それじゃ先に進もう」
ニコッと笑いかけて、レンは先に進む。
完全に注意するタイミングを逃したアルスだったが、まぁまた今度すればいいか、とひとまず保留にし、今は目の前の依頼に集中するべきだと気持ちを切り替えることにした。