三星冒険者
あれから三日の時が経った。
アルスと新たにレイン・カルナの住民になったレンは、今日も組合支部へ顔を出す。
「おーっす」
「おはよう!」
三日前まで一人分の挨拶しかしなかった支部に、二人分の挨拶が響く。そしてアルスとレンは、いつも通り受付席にはいないポルカのいる場所を探す。
昨日は裏にある酒樽に寄りかかって寝ていた。今日はどこにいるのかと周囲を見渡すと、入り口の扉の死角になる場所で椅子に座って寝ていた。
「ぉはよぅござぃますぅ……」
起こされることに勘づいたのか、呂律が回っていない挨拶を返してくる。
「今日はゴブリン大量発生の原因調査の依頼を受けてくれた冒険者が来る日だろ。そんな日くらいちゃんと起きてろよ」
町長とも相談した結果、やはりアルスとレンの二人だけで広いカーネ森林を捜索するのは難しいだろうとの結論に達した。時間を使えば可能かもしれないが、どれだけの時間を要するのか予想ができない以上、現実的ではない。
そのため、近辺の町まで依頼を持っていくことにした。レイン・カルナ以外の町から冒険者を募り、人手を増やそうという魂胆だ。
その依頼を受けてくれた冒険者が今日、町に来るという報せを受けたのである。
「……だから扉が開いたらすぐ分かる場所で寝てたんじゃないですかぁ」
「寝ないっていう選択肢は無いんだな……」
「無いですねぇ」
ポルカはきっぱりと言い切る。開き直ったのか本当に有り得ないと思っているのか、どちらにせよ清々しさすら覚えてしまうほどに。
「それよりもぉ、お二人ともちゃんと冒険者証は付けてきてますかぁ?」
アルスは頷き、胸に着けた金属のプレートに手で触れる。
星をかたどった模様が刻まれたこれは、身に付けてる者が冒険者であるということを示すためのものだ。そこに刻まれている星の数で、その冒険者のランクが一目で分かるようになっている。
一星
二星
三星
四星
五星
六星
星が多く、ランクが高い冒険者ほど功績を多く積み、その実力を認められた高位の冒険者ということになる。より高度で難度が高く、その分報酬も良い依頼も受けられるようになる。
組合ができて間もない頃はこのようなランク制度は無かったらしいのだが、自分の実力に合っていないにも関わらず報酬に目が眩んだ冒険者が身の丈に合わない高難度な依頼を受け、命を落とすという事例が後を断たなかったという。
そのため、こうしてランク制度を設けることで受けられる依頼を制限したのだ。
アルスの冒険者証に刻まれた星は二つ。つまり二星級冒険者ということになる。おそらく、このランク帯で止まっている冒険者が最も多いだろう。つまり平凡も平凡。前世の話とはいえ、【勇者】と呼ばれる身としては情けない話だ。
レンの胸にもアルスと同じく冒険者証がついている。アルスと同じく二星だ。
ゴブリン十匹以上を一人で同時に相手をしても全く苦にしないレンの実力を考えれば、低すぎるランクである。
だが、それもある程度は仕方がないところもある。というのも、冒険者ランクというのはどれだけ組合、あるいは世間に実力を認められたかによって上昇するものだからである。
簡単な依頼ばかりこなしていたり、あまり活動的でなかったりすれば、当然ランクも上がらない。
話を聞いた限りでは、レンは最低限の生活費や路銀を稼ぐ程度でしか活動していないという。向上心はなければ、実力があろうとなかなかランクは上がらない。
「今日はお二人だけではありませんからねぇ、形式だけでもちゃんとしておかないと……」
冒険者証は冒険者であるという証明。組合から依頼を受けるためには、本来は冒険者証が必要になる。それにも関わらず今まで身に付けていなかったのは、ある種のローカルルールだ。
要は冒険者であると分かればいいのだから、それならばいちいちつけてくる必要もないだろう。本来ならば許されないのだろうが、そこは組合側であるポルカの柔軟な――というよりも適当な――対応のおかげだ。
「その冒険者はいつ頃来るの?」
「えぇっとぉ……そろそろ来るはずなのですがぁ……」
ポルカが壁にかかっている時計を見ようとした時、バンッと乱暴に扉が開かれた。
「……噂をすればなんとやら。ちょうど来られたようですよぉ」
中に入ってきたのは、三人の冒険者だった。
一番目を引くのは、最初に踏み込んできた人物。鎧の上からでも一目で分かるような屈強な肉体を持つ、身の丈ほどもある大きな戦斧を背負った、獅子を思わせるような大男だった。
続いて来たのが、弓を背負った金髪の細身の男。細身とはいっても先頭の大男と比べてということであり、しなやかな筋肉が僅かに露出した腕から見てとれる。特徴的な長い耳は、彼が人間ではなく森妖族であることを示していた。
最後に入ってきたのは、フードを被った女。顔立ちはよく見えないが、全身を覆うローブを纏った姿は魔法を操る魔術師を思わせる格好だった。
「レイン・カルナの冒険者組合支部ってのは、ここで合ってんのか?」
そう口火を切ったのは、先頭の大男だ。
「はぁい。ようこそ、レイン・カルナへ。えぇっとぉ……ヴォルグさん、エトールさん、ストラさん」
どうやら、依頼を受けてくれたのはこの三名のようだ。
大男――ヴォルグは部屋の中を見回し、鼻で笑う。
「なんだか辛気くせえ場所だなオイ。これが組合支部だって?潰れた酒場の間違いじゃねえのか?」
「まぁまぁそう言うなよ。これも趣があっていいじゃないか。たまにはこういう寂れた雰囲気も悪くない」
そう言って首をすくめたのは森妖族の男――エトールだ。
「それで、君がこの支部の受付嬢さんかな?」
「はぁい、ポルカと申しますぅ」
「ポルカ……良い名前だね!」
エトールは顔を輝かせ、素早くポルカへ近寄る。片膝をつき、ポルカの手を取り、崇めるように見上げた。
「冒険者という荒くね者ばかりの世界に華を添える美しき女神!今まで数多の女性を見てきたけれど、これほどまでに可憐に輝く女性は君が初めてだ!僕はもしかしたら、君に出会うためにはるばるここまで――」
「――エトール、うるさいわ。黙って」
バッサリと切り捨て、フードを被った女――ストラはエトールを乱暴に引き離す。
「……こいつ、女の子だったら誰に対してもこんな感じだから……気にしないで」
「はぁ……」
困った呆れたというよりどう反応して良いか分からないといった様子のポルカは、とりあえず頷いた。
「……そっちの二人は、この町の冒険者かしら?」
地面に転がったエトールを無視し、ストラの顔がアルスとレンの方へ向く。
「あぁ、アルスだ。こっちはレン。よろし――」
「――なんだァ?オイオイオイ、こんなひょろひょろとした小僧二人がこの町の冒険者だってのかよ!」
アルスが握手の手を差し出す前に詰め寄ってきたのはヴォルグだ。近くで見ればその大柄な体が更に際立って大きく見える。
性別で言えばレンは小僧ではないのだが、ヴォルグはそれを訂正させる間もなくアルスとレンの顔を見定めるように眺め、「なるほど」と頷く。
「ハッ、覇気のねえ間抜けな面してやがる。所詮は二星止まりの半人前ってとこだな」
アルスの眉がピクッと動く。
ヴォルグら三人が身に付けている冒険者証には星が三つ。それは彼らが三星級である証だ。
二星級と三星級は、段階としてはたった一つの違いではあるが、そこには大きな隔たりがある。
ほとんどの冒険者が停滞する二星級。そこから頭一つ抜けた冒険者が三星級だ。受けられる依頼も報酬の大きさも一線を画し、世間から羨望の目を向けられる。
そこまでいってようやく一人前の冒険者なのだ。
多くの依頼をこなし、功績を積んできた猛者だ。
そんな人物が礼儀云々も関係なく初対面でいきなり馬鹿にしてきたことに、怒りよりも驚きの方が勝った。
「……なんだ、何か言いたそうな面だな?」
「いや……別に」
しかし、余計な波風は立たせたくないという気持ちがアルスの心を冷静にさせる。これでもこれから共に仕事をする仲間だ。下手に対立するよりかは、馬鹿にされているほうがまだマシだ。
「てめえらみてえなちんたらやってやがる奴を見てるとイライラしてくるぜ。こんなまともな依頼もねえ場所で冒険者なんかしやがって、向上心の欠片も感じられねえ。てめえらは田舎町の雑用係がお似合いだ」
「…………」
アルスが何も言い返さないでいると、ヴォルグは面白くなさそうに舌打ちをする。
「オイ、受付の嬢さんよォ。あんたも冒険者がこんなやつだけじゃ苦労すんな。だから俺様たちを呼んだんだろ?安心しろ、こんな依頼さっさと片付けて――どぉわッ!?」
ポルカに詰め寄ろうとしたヴォルグの体が突然前のめりになってバランスを崩し、その体勢のまま勢い余ってよろけながら前へ足を踏み出す。数歩動いたところでガシャッと重厚な鎧の音をたて、倒れずに踏みとどまった。
「……てめぇ!」
ヴォルグは鋭い眼光を向けた先にいたのはレンだった。右足をさりげなく前に差し出し、ヴォルグの足を引っ掻けたのである。
波風は立たせないようにしよう。そんなアルスの考えはこの瞬間に成立しなくなってしまった。
「向上心がどうのって上ばかり見てるから、足元が疎かになってるんだよ。そのまま倒れてくれれば少しは面白かったのに」
「おい、レン!」
何らかの感情を抑制しているような平坦な声に危険なものを感じたアルスは、レンの肩を掴む。
レンの無表情な顔がアルスへ向く。
その表情は、先日ゴブリンを皆殺しにしたときに似ていた。あのときの凍りつくような気配はまだしないものの、その手は既に剣の柄にかけられている。
「いい度胸じゃねえか小僧……!」
「ボクは小僧じゃない。そんなことも分からない程度の観察眼しか持ってないなんて、三星級冒険者って言ってもその程度なんだね。がっかりだ」
「……っ!てめえ、後悔すんじゃねえぞ!」
ヴォルグは吠えると共に力強く足を踏み出し、背中の戦斧に手をかける。もう一歩前へ踏み出すと同時に戦斧が抜かれ、鈍い光を放った。
屈強な大男のヴォルグと、小柄な少女のレン。まるで獅子と猫が対立しているような構図だった。
戦闘体勢をとった獅子に対し、猫は剣すら抜いていない。それがまた癪に触ったのか、ヴォルグはこめかみに血管を浮かばせる。
そして、ヴォルグは動き出す。
戦斧を抜いたのはただの威圧だろう。流石に武器を振り上げるようなことはせず、ただ突進するつもりのようだった。
ヴォルグの巨体がレンに迫る。ただの体当たりとはいえ、鎧を纏った自分よりも何回りも大きな体にぶつかられればただでは済まない。
しかし、レンは避けようとしない。
鞘から僅かに刃を覗かせ、表情の無い顔に影を落とし、ヴォルグの体を引き付ける。
怖れも怯えもなく、充分に引き付けたところでレンの目が僅かに細くなり、そして――
「レン、やめろっ!」
――――ポンッと。
「……っ!?」
「な、なんだァ!?」
アルスの叫び声とほぼ同時に二人の間で光輝く花びらが弾け、二人の動きが止まった。
花びらは紙吹雪のように降り注ぎ、殺気立った雰囲気を華やかに塗りつぶす。それは魔法によって形作られたもので、地面につく前に淡い光と化して消えてしまった。
「ハイハイお二人とも、落ち着いてくださいなぁ。ここは喧嘩する場所ではありませんよぉ」
人差し指の先に魔法の光を宿したポルカが、焦りも一切感じない口調で二人を嗜める。さすがは受付嬢というべきか、血の気の多い冒険者を相手にするのには慣れているようだ。
「……それではぁ、依頼内容について再度確認します。お二人も、よろしいですねぇ……?」
ポルカはいつの間にか持っていた書類を手に、淡々と続けようとする。
花の魔法と気の抜ける声色に毒気の抜かれたヴォルグとレンはこれ以上争おうとはせず、互いに武器を収めて頷いた。