五英雄マニア
目的の依頼主の家が見えてきた。依頼主である町長は高齢ということもあって腰痛が癖になってしまったらしく、よく冒険者組合に薬草の調達の依頼をしてくる。いわゆる常連というやつなのだが、この依頼が張り出される度に腰痛に悩まされているのだと思うと、あまり頻繁に来てほしくはないとも思ってしまう。
アルスは家の扉の前で立ち止まり、中にいるであろう家主に向かって声を張り上げる。
「町長ー!ボーゲンのじいさーん!いるかー!?」
声を張り上げてアルスは町長――ボーゲンの名を呼ぶ。
「はーい!ちょっと待ってねー!」
しかし、返ってきたのは若い女性の声。それはボーゲンと共に暮らす孫娘の声だということをアルスは知っている。
軽い足取りで階段を降りる音が扉越しに聞こえたところで、アルスは苦渋を舐めたような顔をしてレンの方を向いた。
「あー……そうだ、レン。ちょっと覚悟しといた方がいいかもしれないぞ」
その言葉の意図が分からずにレンが首を傾げるとほぼ同時に、扉が内側から開かれる。
中から現れたのは、十八歳前後のアルスよりも少し年下くらいの少女だ。黒い髪に似合うエプロンを身につけた姿は、年下ながらしっかりした雰囲気を醸し出している。
「アルスさん、いらっしゃい」
「おっす、キョウカ。頼まれていた薬草を採ってきたぞ」
少女――キョウカは愛想の良い笑顔を見せる。
「いつも悪いわね」
「まあ、これも仕事だからな。ところでじーさんは?」
「お爺ちゃんなら上で寝てるわ。アルスさんが来たらいつものやつ受け取っといてくれって」
「なるほど、腰が痛くて起き上がれないのか。まぁ……じーさんも結構な歳だからな」
アルスは苦笑いしつつ、薬草の入った麻袋を差し出した。
「とりあえずこれだけあればいいか?」
キョウカは袋を受けとると中身を確認し、満足そうに頷く。
「うん、充分よ」
「いつも通り、調薬は任せていいんだよな?」
「ええ大丈夫、こっちで教会に持っていくから。ありがとう、助かったわ」
「どういたしまして。じーさんに『あんま無茶するなよ』って言っといてくれ」
「分かったわ。私からもちゃんと言っておかないとね。ところで――」
キョウカの視線が、ここに来るまですれ違った人々と同じように動く。
「その……方は?」
キョウカはレンの小柄な姿を見て「その子」と言いかけ、腰に下げた剣を見て言い直した。
確かにレンは武器を持っていなければ冒険者には見えない風貌をしている。多少軽んじて見られるのも仕方ないだろう。
「あー……うん、こいつはな……」
さて、どうしたものかとアルスは思考を回転させる。
今まですれ違うだけで誰にも聞かれなかったのだが、いざ聞かれるとどう説明していいか困ってしまう。まさか自分が五百年前の英雄の生まれ変わりであり、レンがその仲間の生まれ変わりだなどと言うわけにもいかないし、言っても信じてもらえないだろう。
「まぁ、昔馴染みかな。薬草の群生地で偶然会ったんだ」
変に設定を作るよりも無難に誤魔化したほうがいいと思い至ったアルスは、当たり障りの無さそうな言葉を選ぶ。言ってから気づいたが、ある意味昔馴染みというのは間違っていない。
「そうなんだ!ようこそレイン・カルナへ!私はキョウカ。えーっと……」
「ボクはレン。よろしく、キョウカさん」
愛想良く手を差し出すレン。その手を取り、キョウカはレンは握手を交わす。
「レンさんも冒険者なの?」
「うん、そんなに積極的に活動してる訳じゃないけどね。功績とかランクとか、そういうのあまり興味ないし……」
「へー、アルスさんと同じなのね。それなら、レンさんもこの町に留まってくれたりとか……?」
「うん、そのつもりだよ」
「本当!?この町に住民が増えるのなんていつぶりかしら!ねえ、レンちゃんって呼んでもいい?」
「フフ、いいよ。ならボクもキョウカって呼んでいい?」
「もちろん!これからよろしくね、レンちゃん!」
どうやら、レンはすんなりと町に馴染んでいけそうだ。この調子ならば、他の住民たちに受け入れるのもそう遠くはないだろう。それは非常に喜ばしいことだ。
このまま話が終わればいいのだが――
「アルスさんのお仲間さんも増えて、レイン・カルナの住民も増えて……これもきっと【聖女】様のお導きね!」
――その瞬間、レンの動きが固まった。
「ねえねえ、レンちゃんは五英雄様の中で誰に一番憧れてる?」
「えっ……ご、五英雄様?」
キョウカは目を輝かせて詰め寄る。その勢いに、レンは思わず少し顔を後ろに引いた。
「そう、五英雄様!五百年前に魔王を倒して世界を救った、伝説の英雄様!」
魔王大戦の時代に活躍した英雄――かつてのアルスの仲間は五人。
【聖女】レントローゼ
【武神】レイハルト
【絶魔】ヴェルニア
【弓神】アゲハ
【勇者】ノア
“五英雄”というのは、彼ら五人の事を指す。
その活躍は伝説として、今や読み古された絵本の如く世界に浸透しており、巷の吟遊詩人が語る英雄譚の定番の題材にもなっていた。
そして、キョウカはその五英雄に強い憧れを抱いている。百に迫る伝記や戦記を擦り切れるまで読んだというその熱意は、五英雄マニアとでも言うべきだろうか。
「やっぱり前衛で戦う【勇者】様?それとも【武神】様?」
「いや、ボクは……」
「それとも同じ女性として【絶魔】様かしら?【弓神】様も憧れちゃうわよね!私、弓なんて触ったことないけど」
「その、ボクはあんまりそういうことは知らな……」
「えーっ!?でも聞いたことくらいはあるでしょ!?日曜学校でも習うんだし、知らない人の方が珍しいわよ!」
まさに危惧していたことが目の前で起きていた。
アルスも以前、一時間以上も五英雄の英雄譚について聞かされたことがある。その時は長話に少し疲れたくらいで、むしろよくそこまでのめり込めるものだと感心したが――その五英雄の一人としての記憶を取り戻した今となっては、果たしてどう思うだろうか。
おそらく、いや間違いなく恥ずかしくて聞いていられないだろう。
それはレンも同じはずだ。むしろアルスよりひどいかもしれない。なにせ、キョウカが一番好きな英雄は――
「やっぱり私は【聖女】様かなぁ……。王女の身でありながら命を懸けて最前線で仲間を支え続けて、怪我した人々をその力で治療して回ったって、素晴らしい方だと思わない!?」
「う、うん、そうだね……」
今、目の前にいるのがその【聖女】の生まれ変わりだと知ったら、キョウカは卒倒するのではないだろうか。
「それで、レンちゃんは誰が――」
「――あー、キョウカ?盛り上がってるところ悪いんだけど、そろそろ依頼達成の報告に戻らなきゃいけないんだ。その辺にしといてもらえるか?」
レンが涙目でこちらに視線を送ってきたので、アルスは助け船を出すことにした。さりげなくキョウカの視界に入り込み、言葉を遮る。
「あっ……ごめんなさい。そうね、二人はまだ仕事の最中だったわね。私ったらまた夢中になっちゃって……」
「話の続きはまた今度ってことで。それじゃあ、じーさんによろしく言っておいてくれ」
「分かったわ。またね、二人とも」
アルスとレンは軽く手を振ると、依頼主の家を後にした。
それから冒険者組合へと少し歩き進み、依頼主の家が見えなくなった頃、レンは溜まっていた恥ずかしさを吐き出すように深く溜め息を漏らす。
「ハァァ…………。えっ、何、あれ。ボク達が魔王を倒したのって五百年も前だよ?そんな昔の人にあんなにハマれるもんなの……?」
五英雄の話ならどこに行っても耳にすることはあるだろう。キョウカの言う通り日曜学校でも習うような一般教養だし、王国に平和をもたらした偉大な人物として憧れを抱く者も少なくない。
ただ、常識なだけにあそこまで熱烈に語られることはそうは無い。立場が立場なだけに、レンにはどう反応すればいいか分からないのだろう。初対面であればなおさらだ。
「そのうち慣れるさ。……って以前の俺なら言えたんだけどな」
「あんなに昔の自分を崇められちゃったら、気にしない方が難しいよ……。どうしよう、これからまともに顔見れるかなぁ……」
「まぁ、ちょっと変わってるけどいい娘なんだよ。同年代の女の子同士、仲良くしてくれ。【聖女】の時はあまりそういうことできなかっただろ?」
「……うん、そうだね。せっかく平和な時代なんだもん。たっぷり満喫しないとね」
そんなことを話しているうちに、気がつけば組合の建物は目の前だった。
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