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元英雄の日常 ~レンの場合~

 小鳥のさえずりが窓の隙間から入り込み、カーテンの隙間からは柔らかな朝日が射し込む。


 ベッドの上で目を覚ましたレンが最初に見たのは白い天井。元は使い道が無く空き部屋だったアルスの家の一室を借りた、レンの自室の一面だった。

 体を起こし、小さい口で欠伸を一つ。レンはしばらく半開きの目でボーッと空虚を見つめた後、腕を上げて上半身を伸ばす。

 そうして朝日を浴びたレンはベッドから立ち上がり、寝起きの緩慢な動作で部屋から出る。洗面所で顔を洗い、頭を夢うつつから覚醒させると、部屋に戻って寝間着から普段着へと着替える。

 最後に鏡の前で身だしなみのチェックを行った後、再び部屋を出て階段を下り、リビングに顔を出すと同時に口を開いた。


「おはよう!」


 起きてからこれまでの一連の行動は、レンの毎朝のルーティンだった。その締めくくりはアルスの「おはよう」を聞くことである。

 しかし―― 


「――あれ?」


 返事がなく、代わりに返ってきたのは静寂。

 部屋を見回してもアルスの姿は無かった。


「まだ寝てるのかな……?」


 アルスと共に暮らすようになってからおよそ一ヶ月。新しい生活環境にも慣れてきた頃合いだが、昔からアルスは朝に強く、レンの方が早く起きたことはほとんど無い。今日もいつも通りアルスが先にリビングにいると思っていたが、珍しく違うようだった。

 二階へと戻ったレンは自室の隣の部屋――アルスの部屋の扉をノックする


「アルー?起きてるー?」


 しかし、またしても返事がない。

 もう一度アルスの名を呼ぶが、部屋の中から気配すらしない。

 勝手に部屋に入るのは申し訳ないと思いつつ、気になったレンはゆっくりと扉を開く。

 中は綺麗に整理整頓されていたが、肝心のアルス本人はいなかった。


 それからレンは家の中を見て回ったが、アルスの影も形も見つからない。

 しょんぼりとした足取りで再びアルスの部屋に戻ってきたレンは、力無くベッドに座る。


「アル……どこ行っちゃったんだろ」


 寂然(じゃくねん)とした声で呟いた言葉も虚空に消え、レンは畳んであった掛け布団にくるまる。足をパタパタと動かし、布団を抱き寄せる手の力を強め、顔を埋める。あまり人には見せられない行動だが、こうすることで気分を落ち着くのだから仕方がない。

 寂しさを紛らわすためにしばらくの間アルスの布団を堪能していたレンの頭の中に、昨晩の記憶が甦る。


「――そうだ、今日は用事があるから朝から出かけるって言ってたっけ」


 だから明日は冒険者家業は休みにすると、アルスはそう言っていたことを思い出した。部屋をよく見れば、いつも彼が使っている剣が壁に掛けたままになっている。武装しないで出掛けたということは、そういうことだ。

 アルスがいない理由は分かった。しかし、そうなると次に気になってしまうのは用事の内容だ。

 生活していくうえで冒険者家業以外の用事くらいあるだろう。だから昨晩は特に追及しなかった。だが、一度気になってしまうと頭から疑問が離れない。


「用事か……。何だろう、こんな朝早くから……」


 布団にくるまったまま倒れ込むレン。ぼふっとベッドの柔らかな音がした。

 そうしてしばらく考えていると、とある仮説にたどり着く。


「――まさか女の人とか!」


 レイン・カルナに来たばかりのレンは、住民同士の交友関係をよく知らない。誰々と誰々が仲が良いだとか、誰かが恋人同士だとか、そういったものを把握しきれていない。

 それはアルスに対しても同じだった。分かっているのは彼がレイン・カルナを拠点とする唯一の冒険者で、町の皆から頼りにされているということくらいだ。

 五百年の時を越えて再び出会えたことに喜んでばかりで考えたこともなかったが、アルスにも生まれ変わってから今まで積んできた人生がある。レンの知らない交友関係も当然あるだろう。

 だとすればもちろん――


 ――既に彼には恋人がいるということだってあり得るのだ。


「……でも仕方無いよね。あんなにカッコよくて優しくて素敵なヒトなんだもん、恋人がいたって不思議じゃないよ」


 アルスの幸せはレンの望むところでもある。仕事でなく人生の伴侶が自分とは別人であっても、アルスがそれを望んでいるならばそれでいい。

 分かってはいる。分かってはいるが――世の中には簡単には割りきれないことがあるのだ。


「………………うー……」


 レンは強く掛け布団を抱き締めながら唸る。


「……でも、別にそういうヒトがいるとは限らないよね」


 これはただレンが自分で勝手に悶々としているだけであって、それとは全く関係の無い用事の可能性だってある。

 そもそもアルスが何をしていようが勝手なのだから、考えるだけ無駄なのだ。気になるならばアルスが帰ってきてから聞けばいいだけの話である。

 だが、一度気になってしまうと解答を求めてしまうのがヒトの性だ。


「………………」


 レンは自分をくるんでいた掛け布団を剥ぎ取り、足早に階段を下りていった。



 ***



 朝の清涼な風がカーネ森林から緑の匂いを運び、レイン・カルナの町の中を通り抜けていく。

 誰もが外に出たくなるような爽やかさだが、そもそもの人口数が少ないレイン・カルナでは朝から出歩く者は多くない。

 その少ない者の中にキョウカはいた。鼻歌混じりに歩を進めながら、全身に朝日を浴びるように体を伸ばす。


「んー……今日は良い天気ねぇ。絶好の散歩日和だわ」


 大都市や街では既に多くの人々が行き交うであろう時間帯だが、レイン・カルナで生まれ育ったキョウカにとってはこの往来の少なさこそ日常の風景だ。

 まだ人の熱気にさらされていない風を受け、遮るものがすくない日差しを浴びながら、すれ違う人々と挨拶を交わしたりちょっとした談笑をする。それがキョウカの日課だった。


「洗濯物もよく乾きそうだし、ついでに布団も干そうかな。あと庭の草むしりもしなきゃね。放っておくとすぐ伸びてくるんだから……」


 キョウカは祖父のボーゲンとの二人暮らしだが、ボーゲンが町長として日々忙しく過ごしているため、キョウカが家事全般を担当している。つまり家に戻ればやるべき事は山積みなのだ。


「塩って切らしてたっけ?……切らしてたわね。買っておかなきゃ。それとアルスさんがこの前依頼で鹿肉を卸してたから、早いうちにそれも確保しとかなきゃ。アルスさんが卸した肉って臭みが少ないからすぐ売り切れちゃうのよね。あとそれから…………ん?」


 呪文のようにこれからやるべきことを言い連ねていたキョウカだったが、ふと前方に誰かが歩いているのを見つける。

 頭上に広がっている爽やかな青空をそのまま写したような水色の髪を揺らす、一見して少年のようにも見えるその少女。それがレンだと気づいたキョウカは、早歩きで後ろから近づいていく。


「レンちゃん、おはよう!」

「あ、キョウカ、おはよう」


 振り向いたレンは笑顔で挨拶を返す。


「これから組合?」

「ううん、今日は冒険者家業はお休み。だけど、ちょっと……何となく、外に出たくなって……」

「……?」


 奥歯に物が挟まったような言い方に疑問を覚えるキョウカ。そんな様子を察したのか、レンは躊躇いがちに口を開いた。


「その……アルのこと見なかった?」

「アルスさん?いいえ、今日はまだ見てないけれど……というか、同居してるんじゃないの?行き先も伝えられなかったわけ?」


 レンは小さく頷く。


「あらー……でも、それなら家で待ってたほうがいいんじゃない?」

「う、うん、そうなんだけど……ちょっと相談したいことがあってさ」


 そう言うレンの視線は微妙に泳いでいたが、あまり深くは追及しないことにした。


「そうねぇ……。この時間に、アルスさんが行きそうなところか……」


 冒険者としての依頼でなくとも、誰かに助けを求められれば何処へでも行くのがアルスという男だ。町の住民からも頼りにされているが、それ故に様々な場所に出歩くため、居場所を特定するのが難しい。

 要するにキョウカにも分からないのだ。

 だが、すがるような上目遣いで返答を待っているレンを見ていると、このまま放っておけないという気持ちになる。


(まだ引っ越してきたばかりで町のこともよく分かってないでしょうし、一人じゃ探しにくいでしょうね。助けてあげたいけれど……うーん……当てもなく探し回るのもねぇ……)


 残念ながら時間は無限ではない。キョウカにもやるべきことはある。限られた時間の中でどうすれば最も友人の助けになれるのか。

 キョウカは思考を回転させる。そして一つの解答を導き出した。


「――そうだ、あの人に聞いてみましょう!」



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